6 婚約者がお屋敷に遊びに来ました
「クロエ、久し振り」
「スコット!?」
クロエが悲しみに沈んでいるとき、婚約者のスコット・ジェンナー公爵令息がパリステラ侯爵家に突然やって来た。
数週間振りに会う愛しの婚約者はきらきらと眩しくて、荒んだ彼女の心をみるみる溶かしていった。彼女はみすみすと異母妹にネックレスを奪われてしまった罪悪感で、自然と公爵家から足が遠のいていたのだった。
「今日はどうしたの?」
クロエは想定外の訪問に目を丸くしながらも、嬉しくて明るい声音で尋ねる。久し振りのスコットとの再会に自然と胸が弾んだ。
「突然悪いね。どうしても君に会いたくて、いてもたってもいられなくて。――ほら、僕たちもうずっと会っていなかっただろう? 君から手紙も来ないし、僕が送った手紙に返事もないから君のことが心配で……」
「手紙?」
クロエはふと首を傾げる。
(手紙なんて届いていたかしら?)
彼女の記憶では、メイドから渡された手紙の中にジェンナー公爵家の封蝋の入った封筒はなかったはずだ。そもそもスコットからの便りはその他のものとは分けて、特別な文箱に用意してくれるはずなのだが……。
(どうしましょう、落ち込み過ぎて確認していなかったわ。私ったら婚約者に対してなんて不誠実なのかしら……)
スコットは申し訳なさそうに眉尻を下げているクロエの頭をぽんぽんと優しく撫でて、
「ここのところ、立て続けにいろんなことが起こったからクロエが混乱しちゃうのも仕方ないね」
「ごめんなさい……」
「謝ることはないさ。むしろ、僕のほうこそもっと早く君の様子を見に行くべきだった。忙しさを言い訳にして、君を不安にさせてごめんね」
「いいえ。今日は来てくれてありがとう。とっても嬉しいわ。良かったらお庭でお茶にしましょう」
スコットがクロエの手を取ってエスコートをする。彼女はこの瞬間が大好きだった。
婚約者同士の特別な時間。二人の間にはいつも春のようなぽかぽかした優しい空気が流れて、彼女はこの瞬間を大事にしていた。
「おや?」
庭園のガゼボで話に花を咲かせている最中、スコットがふと顔を上げて遠くのほうへ目を向けた。
クロエも彼に倣うと、そこにはコートニーが柱の陰でもじもじしながらこちらを覗き込んでいる。
「彼女は……もしかして?」
「……そうよ。あの子が私の新しい異母妹。――コートニー、良ければこちらにいらっしゃい」
クロエは婚約者との逢瀬を邪魔されて内心がっかりしながらも、姉としての手前そんなことおくびにも出さずにコートニーを呼ぶ。異母妹はてとてとと、貴族令嬢らしからぬ小動物のような可愛らしい足取りで近寄って来た。
「スコット、こちらが新しい家族のコートニーよ。コートニー、こちらは私の婚約者のスコット・ジェンナー公爵令息様」
「初めまして、コートニー嬢。僕は君の義兄になるスコットだ。これからよろしくね」
「はっ、初めまして、こんにちはっ! あたしはコートニーですっ!」と、彼女はまたぞろ貴族令嬢らしくない様子でぺこりと頭を下げた。
スコットはその姿に一瞬だけ目を見張ったが、
「ははっ、元気な可愛らしい異母妹だね」と、にっこりと微笑んだ。
コートニーは恥ずかしいのか、頬を赤らめて異母姉の後ろにさっと隠れる。その愛くるしい姿は、普段はクロエのような礼儀正しい令嬢を相手にしているスコットにとって、新鮮でなんだか好ましく思えた。
(心配していたけど、彼女はクロエに懐いているようだし、上手く行ってるのかな?)
異母姉の後ろに恥じらいながら隠れる様子は、仲の良い姉妹に見えた。
クロエはまだ母親の死の傷が癒えないだけで、立ち直ったら彼女たちと家族として向き合えるのかもしれない。今は辛いかもしれないが、いずれは元の彼女の明るい姿を見られるだろう……と、彼は密かに胸を撫で下ろした。
「そうだ、クロエ。もし良かったらコートニー嬢も今日の茶会の席に加えてくれないだろうか」
「えっ」
「彼女はお姉さんと一緒に過ごしたいんじゃないかな? ね、そうだろ、コートニー嬢?」
スコットがクロエの奥を覗き込んで言うと、コートニーはちょこんと頭を出してこくりと頷いた。
「ほらね」と、スコットは片目を瞑る。
「わ……分かったわ。異母妹の分のお茶の用意を」と、クロエは渋々とメイドに指示を出した。
本音を言えばスコットとの時間を他人に邪魔されたくない。しかも自身に対して敵意を孕んでいるような子だ。
だが、婚約者がそう望んでいるのなら仕方ない。ここで拒否をして彼から失望されたくなかった。
もし断ったら、きっと優しい彼は残念に思うはずだから……。
コートニーはスコットの提案に顔を輝かせて、ぴょんと飛び跳ねるように椅子へと向かって、とすっと座った。
彼女の無邪気な子供みたいな姿に、スコットの口元は自然と緩んだ。貴族令嬢としての作法は全然できていないが、彼女にはそれを許されるような雰囲気があった。
「あれ? そのネックレスは……」
そのとき、スコットはコートニーの胸元に飾ってあるリボン型のネックレスに自然と目がいった。
それは、たしかに彼が婚約者の誕生日に贈ったネックレスだったのだ。
刹那、クロエの顔がみるみる青ざめて、
「スコット、これは――」
「これですかぁ~?」コートニーの馬鹿みたいに明るい大声が異母姉の震える声を遮った。「これはぁ~、お異母姉様からいただいたの! コートニーに似合うから是非に、って! 可愛いでしょ?」
「えっ……? そうなの?」と、スコットは顔を引きつってクロエを見た。彼の瞳にはうっすらと暗い翳りが映っていた。
このネックレスは、スコットがクロエのために、なにが似合うか一生懸命考えて用意したプレゼントだった。愛する婚約者のために、彼女が一層魅力的に見えるようなデザインを依頼して作ってもらったものなのだ。
(それを……こんなに易々と異母妹に譲るなんて……。あんなに喜んでいたのに本当は気に入らなかったのか…………?)
それは、スコットの胸に黒い絵の具が一滴垂れた瞬間だった。
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