5 宝物を奪われてしまいました

 継母と異母妹――新しい家族がパリスステラ侯爵家にやって来て半月がたった。


 クロエは一応は家族として振る舞ってはいるものの、初日に異母妹から言われた言葉「父親は自分や母よりも継母と異母妹のほうを愛している」という事実が彼女の心に引っかかって、悲しい気持ちを拭いきれなかった。

 

(もう……お父様とは今後はまともに話せる気がしないわ……)


 彼女の心に刺さった傷は癒えるどころか、ゆっくりと静かに奥まで入り込んでいっているようで、父親への不信感だけが日に日に増して行った。



 パリステラ侯爵は新しい妻と娘をとても愛しているようだった。

 二人にはなんでも買い与えて、食事も母娘の好みのものを作らせ、屋敷では好きに過ごさせていた。


 その様子に家令が「侯爵夫人及び侯爵令嬢としていかがなものか」と諫言すると、侯爵はたちまち気色ばんで「二人は本邸に来たばかりで不安なんだ。早く貴族の生活に慣れるためにも、まずは楽しく過ごすことが大事だ。それに宝石やドレスは侯爵家の人間として、本物を見る目を養ってもらわなければ」と、叱責するだけだった。


 そうは言っても、侯爵家としての威厳は最低限は守ってもらわないと、家の品格に関わる。

 それは「評判」となって風に吹かれた花弁のように社交界へ飛んで行って、ゆくゆくは自分たちの首を絞めることになるかもしれないのだ。


 日に日に増えていく贅を尽くしたドレスや宝石。反比例するように目減りしていく侯爵家の財政。

 パリステラ家は国でも有数の名家なので財産は潤沢にあるものの、かつてなかった派手な金遣いに従者たちは動揺を隠せなかった。

 しかし、それが当主の意向だったので、どうすることもできなかった。


 クロエも彼らから相談を受けたことがあったが、まだ未成年の令嬢に成す術もなく……ただ彼女は当主である父の意向に従うだけで、たまに会う婚約者へささやかな愚痴をこぼすしかなかった。






 そして事件は起こった。


 ある日、クロエが晩餐のためダイニングルームへ足を運ぶと、


「なっ……なぜ、コートニーがそれを…………!?」


 クロエは目を剥いた。あまりの驚きように、心臓が痛いくらいに激しく打っていた。

 なんと異母妹の胸元には彼女が婚約者から贈られたネックレスが飾られていたのだ。それは去年の彼女の誕生日に贈られたもので、ピンクダイヤがきらりと輝く小さなリボン型の、大切なネックレスだった。


 コートニーはにこにこと笑って、


「これ? 可愛いでしょう? あたしにぴったりだと思うの」


「それは私の婚約者が誕生日プレゼントに贈ってくれたものよ。返して!」と、クロエは思わず声を強める。


「えぇ~っ! だって、あたしのほうが似合うんだもの。地味なお顔立ちのお異母姉様には勿体ないわ」


「そういう問題ではなくて、このネックレスは私にとって大切なものなの。人のものを無断で盗ることはいけないことなのよ」


 怒ったクロエが凄むとコートニーはみるみる泣き顔になって、


「お父様ぁ~! お異母姉様があたしのことをいじめるの~っ!」


 父親に抱き着いた。


 さすがにこんな不条理なことは父も咎めるだろうとクロエが考えていると、ロバートは彼女の予想に反して困惑顔で泣いている娘の頭を撫でながら、


「クロエ。お前は姉なのだからもっと妹に優しくしなさい」


 なぜかクロエを叱責したのだった。


「お父様! この子は私の部屋へ無断で入室して、あまつさえ私の所有物を窃盗しました! なぜ、被害を受けた私が責められないといけないのですか? まずは犯罪行為を行った者を正すのが先ではないのですか?」


「クロエ! 妹を犯罪者呼ばわりするな!」


「ですが――」


「家族にネックレスを貸すのは普通のことだろう。お前はそんなに狭量な考えを持っていたのか? もっと侯爵令嬢として余裕を持つんだ。――さぁ、妹を泣かせたことを謝りなさい」


「っ………………」


 クロエは二の句が継げずに押し黙る。悔しくてスカートをぎゅっと掴みながら唇を噛んだ。全身の震えが止まらず、喉が焼けるようだった。


(暴論だわ……。お父様は……こんなにも愚かな方だったの……!?)



 パリステラ侯爵が外に愛を求め、父と娘の関係もどんどん希薄になっていって、いつしか最低限の挨拶しかしなくなっていた。家族は既に崩壊して、パリステラ家はずっと冷たい雨が降っているままだった。


 それでもロバートは侯爵としての仕事は全うしていたし、愛人以外では悪い評判は聞かなかった。

 だからクロエも貴族――いや、人として最低限の常識は持っていると思っていたのだ。

 それが、娘可愛さにこんな愚の骨頂のような真似をするなんて……。


(お父様は変わられてしまった。子供の頃の記憶にある優しかったお父様はもういないのね。いいえ、最初から私のことなんて……)


 それは、長年クロエの心の底に置いていた、父親への微かな希望が消えた瞬間だった。



 またぞろ異母妹と目が合う。彼女はあのときと同じような酷く歪な笑みを浮かべていた。

 父も、継母も、突き刺すような視線をクロエに向けて、室内は剣呑な空気に包まれていた。


(ここには、私の味方はいないのね……)


 彼女は激しく失望して、晩餐の前にふらふらと無言でダイニングルームをあとにしていた。


 

 いつの間にか、婚約者から貰ったネックレスは異母妹のものになっていた。



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