第21話 声援

「オ、オかリガさん! オジサマがっ、オジサマが苦しそうですッ!」


 狼狽するルーナの肩を抱き寄せたオリガは、目の前に映る光景が理解出来なかった。

 一体なぜソレイユがうずくまり、その身体をダミアンが折れた短槍で打ち付けているのかが。


 両人の力量差は歴然だったのだ。そしてその通りにソレイユが圧倒的武力を示していた様にみえた。それなのに、この突然の逆転は何なのだろう……

 やはりソレイユに何か異変があったのだと、オリガは冷たい汗を流す。


「嫌っ、やめてッ! オジサマーッ!」


 観客席から転げ落ちんばかりに身を乗り出しながら声を張り上げるルーナを、オリガは強く抱きしめた。


「オジサマーッ!」


(ルーナ……)


 瘴気の毒に手足の力を奪われ、吐血に苦しむソレイユの耳にルーナの悲鳴が届く。

 途端、まだ終わりでは無いとばかりに歯を食い縛り、自分を見下ろすダミアンをソレイユは睨みつけた。


「し、執拗な挑発は……お前の、策か?」


「策ぅ? んなの知るかよ。おめえを揶揄からかう度におめえの目が死んでいくのが愉快だっただけだわ」


「…………」


「だが、死んだ目をして現実逃避をはじめる奴が、阿呆あほうになるのは知ってたからな。瘴気を使うタイミングに利用してみたのさ」


 確かにダミアンは性格異常者ではあったがその知能は低くはない。己の事もよく理解し他人の事もよく観察していた。

 むしろ己を理解していなかったのは自分の方だと、ソレイユは自嘲する。


「阿呆か。まあいい……悔やむのは後だ」


 近くに転がっていた自分の剣を手探りで拾い上げたソレイユは、再び立ち上がろうと剣を杖にした。


「いいね! どうせそのままでもおめえは死ぬが、戦って死んで貰わねえと怪しまれちまうんでな、り合おうぜ!」


 その性格異常者は折れた短槍で、立っているだけがやっとなソレイユを嬉々として殴る。繰り返し繰り返し殴り続ける。   

 やがてソレイユはその痛みさえも感じなくなっていく。


 今すぐ魔法で体内の瘴気を浄化しなければ自分は死ぬだろうと、ソレイユは鼻と口から血を垂らしながら思った。

 だから手首に嵌められた魔法封じの腕輪を外そうとしたのだが、無情にもそれを外せる気配はない。


(駄目か……)


 ソレイユは自分の見ている世界が赤く染まりだし、次第に光と音が消えていくのを感じた──


「オジサマーッ!」


 その時、叫んだルーナが見たものは、大の字になって背中から地面へと倒れ込んだソレイユの姿だった。

 頭が真っ白だった。吐きそうだった。寒かった。震えが止まらなかった。何も出来なかった。


 そうだ、自分は何も出来なかったんだとルーナは思い知った。ただ馬鹿みたいにオジサマ、オジサマと叫んでいただけだ。

 これのどこが声援なんた? オジサマが倒れたのは自分のせいなんだと、ルーナは思った。


 そう思ったらルーナは我知らず駆け出していた。観客席から闘技場の中へと入る為に、塀から降りようと身を投げ出す。


「いけませんルーナ様ッ!」


 しかしルーナは寸前でオリガに掴まれ止められる。


「離して下さいっ、オジサマが、オジサマが死んでしまうわッ!」


「介添人が場内に入っては駄目です! ソレイユ様の反則負けになってしまいますッ!」


 オリガに背中から抱き止められて身動きを封じられたルーナは、この期に及んで決闘も何も無いじゃないかと思う。

 しかしオリガのその声は真剣だった。信じて疑わない声だった。


「ソレイユ様はまだ負けていませんッ!」


 その一言を聞いてルーナは息が止まりそうになる。望みがまだあるのだと知る。

 背中から抱き止められたままルーナはオリガへと振り向くと、涙をぼろぼろと溢したその目を強くオリガのその目に重ねた。


 そして何度も何度も頷く。


「は、はい……はいっ! オジサマはまだ負けていませんッ!」


 だってだってと心の中で繰り返していたルーナの叫びは、やがて言葉となり彼女の喉から絞り出される。


「だって、だってオジサマは──!」




 暗闇だった。


 ソレイユは暗闇の中で誰かの声を聞いていた。いや誰かではない、何かだ。


『何故お前は願わぬ?』


 その何かの正体をソレイユは知っている。


(願いね。それは俺が魔人の息子だからの願いって事か?)


 質問を質問で返したソレイユの言葉は無視されて、その何かは再び問う。


『何故お前は我に願わぬ?』


(やっぱりな──俺の領内からの魔人の発生に加え、父上の不可解な手紙と突然の消息不明だ。状況証拠だけでも想像できたさ。つまり俺は魔人の息子どころか、父殺しの息子ってわけだ)


『願えばお前に異能が与えられるだろう』


(異能か。もしそれが俺への罪滅ぼしだと言うのなら必要ない。本当に願いを叶えて欲しかったはずの人たちへ、その罪滅ぼしをしてやってくれ)


『願い、そして生きよ』


(てか、聞いちゃいねえしっ! まあ無理か。なぜあんたが父上を魔人にしたのか、なぜ多くの人たちが魔人災害の犠牲にならなくちゃいけなかったのか、どうせそれさえも教えてはくれないだろうしな)


 こうして近くにいても限りなく遠い存在。決して理解し合えない関係。いや関係さえないのかもしれない。

 それでもソレイユは人間として言わねばならないと思う。


(あんた人間をなめるなよ?)


 言ったところでどうにもならないだろう。無駄な事を言っているとソレイユは知っている。それでも……


(あんたは俺が魔人の息子だから願えと言うが、俺は魔人の息子だからこそ願う事は出来ないんだ──それが人間というものなのさ)


 やせ我慢。もしかしたらそうなのかもしれない。ソレイユは心底生きたいと思っていた。ルーナの為にも生きたかった。


 しかしそれは人として許されない。そして領主としても許されないのだ。

 領民を護る立場の領主家がその領民を虐殺した以上、本人に罪はなくともその責任の重さは彼ら犠牲者の命の重さに匹敵せねばならない。


(約束を果たせなくてごめんよ──)


 それでもソレイユは信じていた。自分がここで死んでも、優秀過ぎる副官が必ずルーナを助けてくれるだろうと。

 酷く困難な人生を歩ませる事にはなるが、それは冥土で再会した時に土下座で謝罪するしかない。


(さよならルーナ。さらばだオリガ)


 余りにも容易く別れを告げたソレイユは、いつだって死は唐突である事を戦場での経験で知っていた。

 だから未練を断ち切る事に迷いはない。


 しかし、そんなのは認めない! と言うかの様な声が、暗闇に響き渡った。


「だって、だってオジサマは……私をお嫁さんにしてくれるって言ったじゃないッ!」


(──ルーナ!?)


「オジサマが死んじゃったら、私もうオジサマのお嫁さんになれないじゃないッ! オジサマの嘘つきッ! 馬鹿ぁーーッ!」


(えっ、ちょっ、嘘つき? 馬鹿ぁ? い、いやそう、なのか?……って、お嫁さん!)


 ソレイユは暗闇に光が射した気がした。何かの声など忘れてルーナの声に意識を奪われた。

 なによりも想像せずにはいられなかった……


 純白の衣装に包まれたルーナの花嫁姿が可愛くて、可愛すぎて、一目見ずには死ねないと思った。


『それがお前の願いか────』


(あっ……えぇ? てっ、おいっ! 違っ待てッ、きたないぞッ!)


 それは願いへと変わり、何かの声はもう聞こえはしなかった。



 

 その途端ソレイユの体内を汚染していた瘴気による苦しみが消え去る。

 呼吸も身体の自由も何もかもが平常へと戻り、魔力が熱く迸っほとばしている。それは魔素が魔力によりエネルギーへと変換された時の感覚によく似ていた。


「ギャーッ! 俺の手があッ!」


 ソレイユの意識がはっきりと戻ったのは、ダミアンの突拍子もない叫び声を聞いた時であった。

 倒れたソレイユを殴りつけた彼の拳から、急に肉の焼ける匂いがしてダミアンが悲鳴を上げたのだ。


「て、てめえ何をしやがったッ!? それに何でまだ死んでねえんだよッ!」


「──知るかよっ!」


 逆切れしたかの様なソレイユに一瞬たじろいだダミアンは、慌ててソレイユが手放していたロングソードを拾いあげる。

 そして直ぐ様その剣をソレイユの首筋へと叩き込んだ。


「クソがっ、黙って死んでろッ!」


 危うく片腕で剣戟を防いだソレイユは、その剣が腕に届いた瞬間に金属が溶けグニャリと曲がったのを見る。

 その有り得ない光景を見ながらも、自分に起こった不思議な現象に驚きはなかった。


 ダミアンは勢い余って地面へともんどり打って倒れると、呆然として曲がった剣を見つめている。

 それを横目で見ながら立ち上がり己の身体を眺めたソレイユの口からは、その現象の正体についての心当たりが漏らされた。


「どうみても超高温被膜結界だ……」


 それは魔法騎士の彼が得意として戦場で使う、攻防自在の結界である。

 魔法を封じられている現況において、魔法と同じ効果が発揮されている理由は一つしかないだろう。


(魔素の代わりに瘴気が魔力に変換されたわけか……つまりこれが俺の異能。しかもご丁寧に無意識下で魔法まで発動しやがった)


 ソレイユは小さく舌打ちをすると、いまだ呆然としているダミアンに言った。


「おい、立てダミアン」


「ソ、ソレイユお前……本当に人間か?」


「当たり前だ。それが証拠に貴様に散々殴られた傷が痛いわ」


「じ、じゃあ瘴気を食らって、なぜまだ生きているんだ!?」


「だから知るかよ、神にでも訊いてくれ!」


 瘴気で苦しみながら死んでいった領民たちの事を思うと、同じ様に瘴気で苦しみながらも自分だけが生かされてしまった事に居たたまれなくなる。


(そうさ、みんなだって、生きていたかったに違いないんだ……)


 胸に走った鋭い痛みは自分だけが生きている理不尽が原因ではない。罪悪感がソレイユの心を苦しめるのだ。

 だというのにルーナとの未来を再び手に掴んだ喜びが、否が応もなく込み上げてきてしまう。


「オジサマーッ! オジサマは絶対に負けないんだからッ! 私とオリガさんが味方なんだからーッ!」


 ルーナの声援が闘技場にと響き渡る。目を真っ赤に腫らしながら千切ちぎれんばかりに手を振って、ソレイユと共に戦おうと彼女は声を枯らして応援を続けている。


(みんなごめん、どうか赦して欲しい)


 観客席にいるルーナに振り向いたソレイユは、心底申し訳なさそうにして呟いた。


「騎士の俺に手を振る乙女は……やっぱり最強だったみたいだよ」


 視線を戻したソレイユは籠手を外しながらダミアンを鋭く睨む。その目はもはや死んだものでもなければ軍人のものでもない。憤怒に燃える男の目だ。

 それを見たダミアンは小さく悲鳴をあげた。


「ヒッ!」

 

「お互いの武器も壊れちまった事だしな、素手の殴り合いで決着をつけようか」


 突出つきだされたソレイユの拳をみたダミアンは、座り込んだまま己の手を後ろにと隠し頭をブンブンと横に振る。


「い、嫌だっ! 俺はもう戦いたくない、降参するッ! た、助けてくれえッ!」


 無様に地を這ってソレイユから逃げ出すと、裁判官の元へと行き降参を叫び続けた。

 騎士とも思えぬその見苦しさに、裁判官は思わず眉をひそめる。それは観衆も同じであり、二転三転する戦いの行方に混乱しながらも、その結末がダミアンによる不名誉な降参という幕引きに幻滅し罵声が飛び交う。


「オジサマが、勝ったのですか?」


「ええ、ソレイユ様の勝利です!」


 オリガは嗚咽し続けるルーナを抱きしめて、そう答える。


 闘技場では裁判官が高らかな声で判決をいい渡した。


「当法廷はアラン・ソレイユ辺境伯の勝利をもって、国王陛下の名の下、の者にこそその正義があったと証明された事をここに宣言する!」

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