第3話 燐介、サウサンプトンで観劇に誘われる③

「燐介、おい、燐介!」

 聞きなれた声がした。

 あれ、俺は撃たれて死んだのではなかったのか?

 そう思って、目を開く。


「良かった、気が付いたんだな」

 目の前に中沢琴さんの安堵した顔があった。

 いや~、しかし、この人の場合は本当にイケメンって感じがするわ。男装して迫られたら狂ってしまう男もいるかもしれないな。

「俺は撃たれたんじゃないのか?」

「安心しろ。その直前に佐那がおまえを殴って吹き飛ばしたんだ。銃はそれた」

「そうだったのか……」

 なるほどと思いかけて、俺は「あれ?」と考え直す。

 助けるために俺を殴る必要あったの? 相手でも良かったんじゃないの?

 相手は俺の目と鼻の先にいたよ。

 俺を殴るなら、相手も殴れたんじゃないの?


「あいつはどこに行ったんだ?」

 まあ、考えていても仕方がない。

 認めたくない現実だが、佐那にとっては相手より俺の方が気楽に手を出せたんだろう。逆だったらとんでもないのだが、佐那がやる分には何故か許される感がある。

 男は辛い。

「奴は佐那が押さえている」

「うん?」

 琴さんの向いた方に視線を向けると、確かに佐那が男を押さえていた。男の服の一部を破いたものを猿轡的に噛ませている。

「失敗した後、短銃を自分に向けたので、投げ飛ばした後にああやっている。自分の舌を噛むかもしれないからな」

「そうか……」

 ちょっと待てよ、俺より暗殺犯に対する扱いの方が丁寧じゃないか?

「誘ってきた女二人は?」

「私の後ろで失神している」

「琴さんが投げ飛ばしたりしたの?」

「いや……」

 琴さんが口を尖らせる。

「私が二人の肩をおさえて『逃げるな!』と叫んだら、悲鳴をあげて失神してしまった」

「そうですか」

 怖くて失神したのか、かっこよすぎて失神したのか、どっちなのか気になるな。


 大きく深呼吸をして立ち上がった。

「佐那、サンキュな」

 助けられた過程に若干、腑に落ちないところはあるが、助けられたのは事実である。それは感謝しなければならない。

「礼には及びません。それより、この男は何者なのです? いきなり銃を向けるなど、この前の者達の仲間とも思えませんが」

「そうだな……」

 俺の中で、この男がネリー・クリフデンらの一味であるという可能性は消えていた。

 彼女達のやり方はバーティーを陥れようというものだった。褒められるものではないが、誰かを殺すというほど物騒なものではない。だから、この男がネリーの仲間ということはないだろう。

 そもそも、話している言葉も違う。

 ネリー達のアイルランド訛りの英語と違い、今回の二人はアメリカ訛りだった。

 ジャガイモ飢饉の際に、アメリカに逃げて行ったアイルランド人は大勢いたという。

 だから、アメリカとアイルランドに全く関係がないとは言わないが、それなら、最初から協力しているべきで、ネリーの件が失敗したからアメリカから来るというのは段取りが悪い。

 だから、アメリカの人間が個別に俺を狙ったと見るべきだろう。

 北部に俺をそこまで恨むような奴はいないはずだ。

 となると、南部の過激派だろうか。

 考えてみれば、随分前にも襲われたことはある。

 日本人のくせに北部の応援なんてけしからんという奴がいても不思議はないだろう。


 男は何も話さないようだし、娘達も同じのようだ。何か分かるまでい続けても良かったが、やはりロンドンに戻りたいという思いが強い。

 だから、俺達は捜査状況をロンドンに伝えてほしい旨を頼んで、その日のうちにロンドンへの馬車に乗った。

 男は話すだろうか。そうであってほしいが、あまり期待していない。リンカーンの暗殺は犯人が謎の死を遂げたことで150年以上経っても正確なことが分からない。それと似たようなことになるかもしれない。

 だから、ロンドンについた途端に事件のことが分かったのは意外だった。

 しかも、それは男の口からではない。

「おーい! 燐介よ!」

 まさかのこの男、カール・マルクスによってであったのだから。

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