第3話 燐介、野球の神髄を語る

「勝手にやさぐれているんじゃねえよ!」


 俺はテーブルをバンと叩いて叫ぶ。


「あんたのベースボールに対する思いというのはそんな軽いものだったのか!? あんたの金がなければ成功しない、ベースボールはそんな軽いものだと思っていたのか!?」


「何だと!?」


 俺の文句にさすがにカチンと来たようで、カートライトも立ち上がる。


「おまえのような小僧に何が分かると言うんだ!?」


「あんたの苦労は分かんねえよ! でも、ベースボールはあんたが思っている以上に素晴らしいスポーツで、アメリカ中が楽しめるスポーツなんだよ! そこを考えたことがあるのか!?」


「……アメリカ中?」


 カートライトは呆気にとられたようで、思わずポカンと口を開く。


「アメリカという国の売りは何なんだ!? イギリスのような王や貴族の支配を脱して、みんなが平等な国を作るということだったんじゃないのか!? 大統領が平民からでも選ばれることがアメリカの売りなんじゃなかったのか!?」


「あ、あぁ、それはそうだが、それとベースボールがどういう……?」


「他のスポーツはな、平等じゃないんだよ! サッカーも、バスケットも、ラグビーも、天才がいれば圧倒的に有利な競技なんだ! だけど、ベースボールは、9人全員が頑張らないと勝てないスポーツなんだよ!」


 物凄く極端な話だが、例えばサッカーをやる場合にリオネル・メッシが自分のチームにいればどうだろう? みんながメッシにボールを集めるだろう。チームの攻撃の90パーセントはメッシを経由するはずだ。


 バスケットも同じだ。NBAの試合を見れば、第4クォーターはほとんどのチームがこれぞと頼んだ選手にボールを回している。アメリカンフットボールはもっと顕著でチームの攻撃の95パーセント以上はクォーターバックがボールを持つところから始まる。


 野球はそうはいかない。仮に史上最強のバッターと言われるベーブ・ルースなどがチームにいたとして、彼が常に打てるというわけではない。あくまで残りの8人のバッターを経て、回ってくるのだ。残りの8人が完全に封じられればルースが攻撃をできる比率は20パーセントにも満たない。


 もちろん、野球は守備面でピッチャーに負うところが多いという側面はある。エースピッチャーが完璧に投げ切れば負けることはない。


 ただ、それはあくまで守備面だ。


 スポーツの格言として、『売上をあげるのは攻撃で、勝つのは守備である』というものがある。ファンは守備よりも攻撃を見たい。皆が注目する攻撃面において9人が後先はあれどもきっちり順番で回るということは、実はかなり重要なのだ。


 根拠はないが、日本・韓国・台湾などで野球が盛んなのは、価値観が個人というよりまずはみんなのことというものがあるのではないかと思っている。一人で試合を決められるサッカーなどよりも、みんなで勝つという野球の方が、だから価値観には向いているのだ。



 カートライトは唖然とした様子で俺の啖呵を聞いていた。


 考えるまでもなく、野球のこうした側面を彼に理解させるのは無理難題ではある。何せ、彼の目の前には他の競技はない。クリケットはあったかもしれないが、サッカーも、ラグビーも同じような黎明期の時期だ。バスケットやアメリカンフットボールに至っては、芽生えてもいないかもしれない。


「何か良く分からないけど、試合の団体戦で、俺が勝ったとしても、歳さんや嶋崎さんが全員負けたら、結局試衛館は負けるみたいな話?」


 総司が首を傾げながら会話に入ってくる。


「そういうことだ! 一人だけ勝てるとしてもダメなんだ! 9人全員で勝つことに、ベースボールの意義があるんだ! これこそがアメリカがイギリスに勝つ方法だと思わないか!?」


 カートライトは下を向いていて、ポツリと言った。


「考えたことがなかった。そんな意義が、ベースボールにあるのだろうか……」


「ある! これから先、世界中で平等主義の波が広がっていく! ベースボールには世界を席巻できるポテンシャルがあるのだ! それを理解しないまま放置しておけば、アジアや中米でしかプレーされないマイナースポーツになってしまうだろう! あんたはもっと頑張らないといけないんだ!」


「うーん……」


 カートライトは考え込んでいる。それを見て、俺はシンプルに松陰が凄いなと思ってしまった。仮に松陰が俺と同じくらい野球のことを知っていれば、ここまで来れば「手前とともに野球を普及するのだ、ついてこい!」と押し切れたはずだ。


 松陰はアメリカの政治史とかそういうことの勉強に明け暮れていて、野球とかサッカー方面には連れてこられそうにないのだけれど。


「……そうか。ベースボールに期待している者も多いんだな」


「当然だ。全米にしてもそのうち広まる」


「ただ、俺はカリフォルニアに行く途中、北部の人達には教えたが、南部はどうだろう?」


「あ、あぁ、それは……」


 史実では、南北戦争中に南部にも伝わっていったと言われている。これで全米的な競技となり、野球専業の選手も出てきたと言われている。ただ、現時点で南北戦争のことを言うわけにはいかないので、ここは曖昧にせざるを得ない。


「……家族もハワイに連れてきているし、今更アメリカ本土には戻りづらい」


 しばらく考えて、カートライトがポツリと言った。


「ただ、君の熱意にはほだされた。ここハワイではもう少し努力してみるとするよ」


 カートライトは帽子を再度かぶった。


「ベースボールは、私の考えたものではあるが、君はより深く理解しているようだ。競技の発展は、君に任せたいと思う。隣の子は、見事なスラッガーになりそうだし」


 と総司の方を見て言った。


 ……確かに以蔵も土佐ではかなりの飛ばし屋だった。ひょっとしたら、総司も結構なバッターになるのかもしれない。


 だが、野球の父から、「発展を任せるよ」という声を掛けられたのはそれ以上のことだった。


 野球を生み出した人間から、野球を託されるという事実。


 その感慨は、前世では決して味わったことのない震えを俺にもたらした。

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