第22話 燐介、松陰への渡りをつける
日本のスポーツ史の中の有名人といえば、
多数の流派に分かれていた柔術を柔道という形に統一し、体育という教育に沿った形のものとして築き上げた。また、東洋人初のIOC委員となり、幻となった1940年の東京オリンピック開催のために尽力したことでも知られている。
とはいえ、彼はこの嘉永七年の段階ではまだ生まれていない(1860年生まれ)。
その嘉納治五郎の父親が
治郎作は後に幕府とも気脈を通じて、砲台建築などに協力した。更に
だから、嘉納治郎作が吉田松陰を支援しているというのは腑に落ちない話である。
幕府を支援する傍らで、松陰のような
幕末の富豪の中には志士を支援していた者も少なくない。だから、嘉納家が幕府だけではなく、志士も支援していること自体はありえる話だ。しかし、今はまだ幕末動乱の時期ではない。
彼を支援するという理由が思い当たらない。
ただし、ここに山口がいるという事実が引っかかってくる。
俺がやろうとしていることは、世界のスポーツを変えようということだ。ある意味、嘉納治五郎の先を行ってしまおうという話になる。
ひょっとしたら、俺があまりやり過ぎないように、歴史を曲げすぎないようにということで、山口がやってきたのではないか。
「松陰先生は、すごいお人じゃ。だから、彼をアメリカに行かせてやりたいんじゃ」
山口が熱っぽく話す。
「……俺も松陰さんは凄い人だとは思うけれど、どうやってアメリカに行かせるの?」
山口が俺と同じく転生前の知識を持っているなら、それを披露することで行けるかもしれない。ペリーを含めたアメリカ人とて未来を知っているわけではないからな。
「もちろん、この刀をもってじゃ!」
しかし、山口は唐突に
「いざという時は、俺が切腹して、誠意を示すんじゃ!」
「……ハハハ」
こりゃダメだ。見た目は山口そのものなのだが、転生してきたとはとても思えない。あるいは山口にはそっくりな先祖が当時の神戸にいたんじゃなかろうかと思えてくるほどである。
「あとは……ちょっとした袖の下はある」
と、懐のあたりをまさぐった。
「それって、治郎作さんから貰ってきたのか?」
「小僧、何でご主人様のことを知っているんじゃ?」
「質問しているのはこっちだ。まずはこちらの質問に答えてくれ」
「……松陰先生にほれ込んで、ご主人様にも知見を披露したんじゃ」
なるほど。松陰は幼児の時に長州藩主に講義をしたほどの天才だ。嘉納治郎作もその才能の煌めきを見て、単純に「影ながら支援しよう」ということになったのかもしれない。
仮に松陰が何かやらかして、山口と共に捕まったとしても、「当家の人物ではない」と言ってしまえばそれで済むんだろう。
「なあ、山口さん」
「何だ?」
「あんたじゃ無理だと思う」
「何だと!?」
「ここは俺に任せてみないか?」
「ああん?」
俺の提案に、山口は馬鹿にしているのか、というような憤然とした顔になる。
「おまえのような小僧に何ができるのだ?」
「できるよ。少なくとも、あんたよりは。何だったら俺を松陰さんに会わせてみたらいい」
「おまえのような小僧、松陰さんに会うのは百年早いわ」
くそ、山口の奴、随分と横柄だ。
「へえ、松陰さんはそんなに凄いのに子供だからという理由で面会しないんだ。案外たいしたことないんだねぇ」
安っぽい挑発だが、山口は乗ってきた。
「何を!? よおし、会わせてやろうじゃないか! 実際に話をして、恐れおののくがいい!」
何故か上から目線で山口は「ついてこい!」と歩き出す。俺は「へいへい」と相槌を打ちながらついていこうとして、無言のまま様子を見ていた沖田のことを思い出した。
「総司、俺はあの人についていくよ。おまえは勝さんのところに戻っていてくれ」
沖田は少し思案して、ニッと笑った。
「いや、燐介についていくよ。何だか面白そうだ」
と言って、俺の後をついてくる。
沖田がいると護衛という点では不安がなくなるが、彼がこちらの方面に興味を向けてくるのは気にかかる。まさかとは思うが、一緒にアメリカに行くとか言い出したりしないよな……
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