二学期デビューした地味子に告白されたから付き合ってみた
よなが
前編
人生における大半の悩み事は、悩んでいる時点で既に答えが出ている。
母の九歳年下の弟、つまりは私にとっての叔父が昔にそう教えてくれたのを覚えている。答えに悩んでいるなんてのは大抵嘘っぱちで結論は出ている。踏み出せないのは単なる臆病だ。背中を押す誰かがいないのなら、自分で歩みを進める他ない。あるいは留まる決心をしなければならない。
答えは出ている。
たとえばそう、いきなり同級生の女の子に愛の告白をされてどう答えていいか悩んだ私。断り文句を思案しているのであれば、それは既に断ることが、言い換えれば彼女の想いを無下にするのを決めてしまっているわけだ。
では、断るか否かで迷っていたら? とくに相手が親しくもない間柄であるにもかかわらず、そして普段の自分というのがさして人当たりのいい生徒を演じてもいないとしたら? ようするに満更でもなかったら?
答えは出ている。
退屈だから試しに付き合ってあげる。
そんな返答が私からなされて、それは暗に特別な好意を寄せているのではないという主張であって、だから「ありがとう。嬉しい」と無垢に微笑んだ彼女に申し訳なくなりもしたのだった。
ガリ勉眼鏡。
友達の中でも口の悪い子が一度そう言い表していたのを思い出す。もっと口の悪い子も友達の中にはいて、きっと彼女だったら後に「ブス」が続く。けれど現実としては話題にまったく上がらない子だから、悪く言う機会がそもそも存在しなかった。
一学期の間は席が近かったこともあり、私がその永吉さんと話すことはいくらかあった。日常会話というより事務的な会話らしいもので、授業中のちょっとしたグループ作業などは主に近い席に座る生徒で集まり行ったから、必然的にコミュニケーションをとらないといけなかったのだ。
口の悪い子にも、もっと口の悪い子にも言う必要がなかったから敢えて言わなかったが、私は一学期の頃から永吉さんの長い髪は綺麗だと思っていた。この髪「は」という表現はその他のパーツ、もちろん顔面を含む、容姿を構成する諸々について髪以外は自分よりも見劣りすると判断していたのを意味する。
その品定めはほとんど無意識に近い。少なくとも永吉さんについてそれを意識することになったのは、二学期になってからだ。そしてそれは何も私だけに起きた意識改善ないし改革ではないだろう。
夏休み明けの永吉さんは、垢抜けていたのだから。垢をすり落とすどころか、初めからなかったみたいに抜けきっていた。
二学期デビュー。音に聞くあれだ。
かけていた眼鏡は取り払われて、代わりにコンタクトを着用しているらしかった。もともとが伊達眼鏡や呪術的な拘束具でなかったのは後に確認した。
それから、髪。色はそのまま黒であったが、短くしていた。
ばっさりと。切りやがった。かくして、私が彼女に唯一認めていた長所であり美点が絶たれた。それにもかかわらず、他にも諸々の細かなスタイルチェンジが施された彼女は総合的に、私なんかよりもずっと可愛くなっていた。
ずるいだろ、なんだよ、といった感じであった。
いわゆるひと夏の恋でも経て、蛹から蝶になった少女という雰囲気。
それにしたって、急に愛想までよくなって挨拶一つとっても、微笑みかけてくるものだから、どぎまぎした。別人とすり替わった可能性を一瞬でも本気で考えてしまった私がいた。
とはいえ永吉さんの羽化が私の日常生活に多大な変化を与えるとまでは予想していなかった。
彼女はべつに私たちのグループに入りたがっているふうでは決してなかったし、把握できていた範囲だと彼女は友達が少なく、そのいずれも地味で目立たない女子連中だった。ようは一学期の彼女みたいな。
正直に明かしてしまえば、一学期の頃は昼休みに廊下なんかで、永吉さんとその友達二人、合わせて三人を見かけでもすればうまく識別ができなかった私だ。より正確に言うなら、彼女たちの区別を放棄し、価値ある行為として認めていなかった。
私と住む世界の違う人間たち。
事情が変わったのはいつからだろう。何がきっかけだろう。
思い出すのを拒絶する私がいる。どれだけ客観視しようとしても、紛れもない私自身のことだけれど、突き放してしまいたい。
私は気がつけば友達グループからはみ出てしまっていて、独りであることが多くなっていた。なぜ? 理由がいるのなら探せば見つかる。わりかし理不尽なやつが。
結局、口の悪い子やもっと口の悪い子からしてみれば、私というのはそれなりに「優等生」ってやつで、実は初めからつまらない世界の人間で、気にくわない言動をとれば弾き出してしまうのは容易かったのだろう。
もういい。思い出してどうする。
それまでの素行に問題があったのだろう、べつのグループからお誘いなんてなかった。クラス内に、捨て犬を放っておけない心優しい子は数人いたに違いないが、相手が猛犬どころか毒蛇だったのなら拾いはしない。普通は。
二学期が始まり、十月半ばにある文化祭の準備について私の元友達たちは上手にサボっていた。彼女たちにとっての青春は文化祭にはなく、たとえば年上の彼氏から囁かれる愛や煌びやかな形となって贈られる愛、それから肉体的な結びつきをして証明しようとする愛にあった。どれも愛なんて込められてなくてもできるけれど。
九月の終わりのことだ。
永吉さんが文化祭実行員を務めていたのはその前日か、もう少し前に知った。ちょうど私が孤独の底へと続く坂道を転がり落ちていくのを止められないと自覚してしまった頃合いだった。
放課後、私に「岡本さん、手伝ってほしいことがあるの」と永吉さんは頼んできた。私が無視をして、さっさと帰る支度を済ませて教室を離れようとするのを彼女が引きとめた。信じ難いほどに荒々しく彼女の細腕は私の腕を掴みとったのだ。
目撃者たる周囲の生徒に緊張が走るのがわかった。そして彼女は「手伝ってほしいことがあるの」と変わらぬ笑みを向け、しかし声は鋭くさせてもう一度頼んできたのだった。
一回目と比べてそこには強気どころか覇気というのがあって、それに、まぁ、おかしな話だけれど――――綺麗だった。
私は永吉さんの「透歌」という名を後になってはっきり記憶するのだが、その時にふと思い出した気もする。
ああ、たしかにクリアな声だって。そして強かだと。染まることのない声。
そうして私は失われた彼女の長く麗しい髪、あたかもその代わりに彼女の声に良さを見出してしまったせいで「わかった」と返事をよこしていた。
たぶん嘘なのだろう。ここにおいても客観視ってのをするのを許されるのなら、そのときの私は孤独に耐え忍んでいたものだから、声をかけてきた永吉さんを強く拒絶し続けることができなかっただけなのだろう。
私は文化祭当日までに、永吉さんにこき使われた。
考えるのが面倒だったので指示されるままにやることやった。かつての友達たちはそんな私を一瞥さえせずに、彼女たちなりの青春を追いかけていてくれた。文化祭間際になると、もはやあんな子たちとつるんでいた過去に羞恥さえ覚えていた。真人間になろうと思ったわけではない。ただ、なんていうか、そうだ、もとからああいうの向いていなかったんだなって気づいただけだ。
文化祭前日になって、私は永吉さんの豹変について直接訊ねた。「今更なの?」って彼女はふふふと上品に笑ってみせた。そういう笑い方って似合わない子は本当に似合わない。ただの出来の悪いお芝居にしかならないのだ。たとえば私がそうだ。
「いいから、教えなさいよ」
「当ててみて」
「…………めんどくせぇやつ」
そう言ってから私が黙っていると、彼女も口ではなく手を動かし、そのまま残りの作業に取り掛かろうとした。文化祭に向けての最後の追い込み。なぜだか、その放課後の教室には私と彼女のふたりきり。貧乏くじを引かされた存在。
机と椅子は壁に寄せられている。子供だましのクラス展示はしかし、永吉さんが中心となって行動した甲斐あって、様になっていた。
しかたなしに、私は憶測をぶつける。
「夏休みの間に、彼氏ができた?」
「はずれ」
即答。
おそらく二学期が始まって何度も訊かれたことなのだろう。一学期は話しかけてこなかった生徒、男女問わず、彼らが永吉さんに話しかけているのを何度も目にした。それでいて元々のグループの垢抜けていない野暮ったい子たちとも親しくしていた。
人気者になりつつある彼女。私とは正反対だな。
永吉さんは手をとめて、私の隣までやってくる。その放課後にふたりきりになった当初は、教室の隅と隅とでそれぞれが別の作業をしていたのがしだいに距離が近くなっていた。そして今やすぐそばに立っている。私もちょうど立ち仕事をしていた。背丈に差はほとんどないのがわかる。でもこの子、見るからに私より胸大きいんだよね。だからなんだって話だけれど。もしかして夏前と比べてそこにも変化があるのか。なんだそれ、どうなっているんだ。
彼女が私の横顔をうかがう。次の憶測ないし推測を待っているようだ。
「振り向いてほしいやつがいるから?」
「岡本さんって、意外と乙女チックだね」
「色恋は簡単に人を動かす。それを知っているってだけ」
「ふうん。そう言うわりには、岡本さんって処女っぽいけど?」
「…………だったらなに」
あの永吉さんから唐突に、性行為を想起させるワードが出てきたのほうが意外だった。そういうあけすけな、ようは下ネタって口にしないものだと思っていた。仮に普段からしているにしても、同じグループのじめじめとしたやつらと、陰で言い合っているものだと。そんなふうに見下していた。
「素直なんだね」
彼女はまた、ふふふと笑った。上品なのに下品。異様だ。気味が悪い。
「見栄っ張りではないだけ。ねぇ、そういうあんたは経験豊富なの?」
「内緒。ああ、でも場合によってはすぐにわかるかも」
「どういう意味?」
私の問いに応じず、彼女が一歩距離をとった。それまではっきりと見ずに話していた、改めて見やった彼女の顔つきはいつもとどこか違う。声だけではなく、何かが違う彼女。文化祭を前にした高揚感ではない気がする。
「さっきの答え、言っていなかったね」
「え?」
「あたり。私は振り向かせたい子がいるの」
「へぇ」
どうでもいい、そう思ったはずなのに彼女の顔から目が離せない。
まるでそれは……獲物を見つけた獣。瞳に宿り、放たれる眼光が私を射止めるだけに終わらず、貫くよう。
「ねぇ、岡本さん。好きよ」
「は?」
「私の彼女になってよ」
「私が? あんたの?」
「そう。夏休み、会わなくなって気がついたの。この気持ちに」
「それがイメチェンの理由……え、マジ?」
彼女は肯く。
「夏休みにあれこれ思い出しては寂しくなったり切なくなったりした。たとえば盗み見た、欠伸を噛み殺すときの猫みたいな顔。きれいに処理しているうなじ。私には触れてこない細い指先と、そのつやつやで、飾り気はない爪。それに短くしているスカートからのぞく太腿だって」
内容はどことなく変態的なのに、永吉さんが澄んだ声で詩吟でもするように並べていくから、受け入れてしまう。ずるい声。
「あと私と同じ帰宅部のくせして体育の時間に無駄にいい動きすることや、不良一歩手前なのに、課題は提出期限を守っていること。筆記用具やバッグにつけているストラップ、それにスマホカバー、けっこうファンシーな趣味で統一されていることも。
……でも、こういう一つ一つじゃなくて、全部ひっくるめた雰囲気が何より好き。
付き合って。私の彼女になって。ね? お願い」
私は悩む。そして叔父の言葉を思い出す。答えは既にある。
そうして私の返事に満足したふうな面持ちとなった永吉さんは、微笑んでお礼を言ったかと思うと、私との距離を再度、縮める。それは隣というよりも、もはやゼロに等しい。拒むよりも前に、彼女は私の右頬に軽く口づけして「私は本気。お試しのつもりはない。その気にさせてみせるから」と囁いてきた。
その囁き声も透明で強かだった。綺麗というより恐れを感じた。
そうして私たちは恋人同士となった。
後夜祭は屋外ステージで催し物があり、一部の生徒たちがそれに参加して、大半の生徒たちはそれを観覧する。文化祭の締めくくり。昔はキャンプファイアを囲んでフォークダンスなんかを踊っていたと聞いた。
「
ステージが観やすいとは言えない場所で、ぼんやりとしていた私に永吉さんが声をかけてきた。つい十五分ほど前にクラスの男子の一人――私は名前を覚えていなかったが、彼女は覚えていた――に呼ばれて私の隣を離れた彼女だった。それまではごく自然に私の傍にいた。あの日、彼女が私に文化祭準備の仕事を頼んでからの数日は私と彼女の取り合わせに対して好奇の眼差しを幾度も感じたが今ではない。それでもまさか恋人になっているとは考えていないだろう。
「何の用だったの。もう文化祭終わりでしょ。片付けの話?」
彼女は首を横に振ると「当ててみて」と言った。あの時と同じ。
「告白された?」
永吉さんに声をかけてきた男の子、凛々しい表情をしていた。生まれつきのものではなく強がっている顔だ。自身を鼓舞して、決意を固めているのが表に出ていた。
「あたり。やるね、早希。それで確認したいことがあるの」
「確認? もし別れたいっていうなら」
「ちがう」
「あ、うん」
「二度と言わないで。告白は断ったよ。もちろん。思わせぶりなし。ただ……あのね、早希にオープンにしていいのか聞いていなかったなって」
「それってつまり、私とあんたの関係をってこと?」
「うん。とりあえず秘密にしておいた。あのさ、いいかげん、透歌って呼んでよ。じゃないと……ここでキスする」
声を潜めて。
いいかげんも何も、付き合い始めたのは二日前だ。たしかに永吉さんは私を名前で呼び始めたが、それは彼女の勝手だ。それが恋人の作法に入るのであれば、従わなければならないのだろうか。
「秘密にしておいて。今後、もし誰かにまた告白されたり、聞かれたりしても絶対に言わないで。それを約束してくれたら、名前で呼んであげてもいい」
「小癪ね」
そっぽを向いて呟く彼女。わざとらしく唇を噛んでいる。
「ねぇ、あんたが可愛くなったのは認める。客観的な事実として皆がそう言っている。けれど、そのことと態度をがらりと変えて、そうも強気で出られるのは別。こっちこそ癪に障る。私の言いたいこと、伝わっている?」
「ごめん。早希のことが好きだから」
ぼそぼそ声で。聞き返さずに済んだのは幸か不幸か。
「その因果関係はわからない。待って。説明しなくていい。ここでそんな話しないで。とにかく約束して。秘密にするって」
「わかった、約束する。だから、ほら、呼んで」
永吉さんが今は耳にかかっていないその短く切り揃えた髪をわざわざかき上げる素振りをして、耳をこちらに近づけた。そうやって、聞きたいのだと示す。
ショートボブも悪くないわねとそのとき思った。
「透歌」
「もう一度」
「……透歌」
「好きって言って」
「いつか気が向いたらね。向かせてくれるんでしょ?」
生意気、と呟くのが聞き取れたが、今度は聞かなかったことにして私はまたステージのほうを眺めた。
透歌はアクセサリをつけたがらない。
それは校則遵守の優等生でありたいからだとか、金属アレルギーであるからだとか、それっぽい理由で説明しきれない。彼女自身がそう話した。下手に着飾りたくないのだと。余計なものをつけていくと、かえって地味で目立たぬ自分に戻ってしまいそうなのだと。眼鏡が顕著な例であると彼女は主張したが、べつに眼鏡だって視力矯正の代物のみならず、今や立派なファッションアイテムの一つだろうに。
何はともあれ彼女はその信念の正当性を結果として証明してみせている。
付き合い始めて一カ月、彼女はますます美人になったから。私の思い込みではない。周囲がそれとなくそう評するのだ。時に卑しく。
夏の気配が失せる頃、私は彼女の隣にいて悩み始める。自分の感情に。
いや、既に答えは出ている。そのはずだ。
――――私は綺麗な彼女を汚したく思っている。
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