美柳戯町戦キ譚カゲツミ -汀・桔梗は落ちる涙を許さない-

ごろん

美柳戯町戦キ譚 カゲツミ  汀・桔梗は落ちる涙を許さない

第一話:出会いの季節にかこつけて

1:私立綾峰学園高等部生徒会長は

 春の風が吹いた。

 跳ねるような一陣が、風景を薄桃に染める桜の香りを乗せて、新しい時間が始まる期待を煽ってくる。遠くから聞こえてくる歓声や怒号も、感化された運動部員達によるものだ。


 昇降口前に立つ少年は、そんな春風に長めの前髪を躍らせながら、開け放たれるガラス戸たちに目を細めた。

 にっこりと口端をあげる笑みは、刻まれたしわから、地顔であることが知れる。左のまぶたに目立つ傷があり、笑う瞳は若干ながら左右不均等。

 きちんと制服を着込んだ細い腕には段ボールが抱えられ、中には書類と資料が山積みに。


「春だねぇ」


 風は、海から街を抜け、この校舎すら通り抜けて、貝塚山すら越していくだろう。

 この美柳町を駆け抜ける春風の行方を想像して、面白いことだ、と少年は笑みを深くした。

 そんな、遠くに喧騒を抱く静寂に、小走りの音が響く。

 何かな? と振り返るより早く、


「会長」


 肩書きを呼ばれた。

 汀・桔梗みぎわ・ききょうが、彼の名前。私立綾峰あやみね学園高等部の二年であり、赤地の腕章に白抜きで記されている通り、生徒会長である。

 桔梗が目を向ければ、駆け寄ってくる中等部の制服姿が。


「会長はやめてよ。名前で良いって言ったじゃないか、シータちゃん」

「ちゃん、はやめてください! 僕は男です!」

「ええ?」


 疑惑の目で全身を舐め回すが、


「どう見ても、男装の麗人だが失敗! って感じだよ?」


 男子制服に身を包む銀髪の少年、戸次とつぎ・シータは確かに男だ。だが体格と容姿は女の子そのものであり、本人にも不本意ながら自覚はあるようで、力押しの否定に出た。


「ですけど、男です!」

「うん、わかった。それを前提に話があるんだけど」

「? なんです?」

「おっぱい揉ましてくれないかな?」


 二秒停止。


「あれ? あれ⁉ おかしくありません⁉」

「はは、何もおかしなことはないよ?」

「僕が男であることが前提の話なんですよね⁉」

「大丈夫、今は誰もいないさ」

「う、うわぁあああっ!」


 シータは、慌てて両手で胸をガード。

 と、桔梗はにっこり。


「冗談だよ」


 息荒く、何が起きたのかわからないという顔で見返す後輩に、


「僕の両手は今、荷物で塞がっているじゃないか」

「フリーだったら実行してたってことですか⁉」


 はははまあまあ、と結論を濁した。


「で、どうしたんだい? こっちは高等部だけど?」


 綾峰は、小中高の一貫校であり、同敷地内に全ての施設が収容されている。二十年前に新造された現校舎は有名建築デザイナーの手によるもので、内部で行き来することも可能だ。


「今日は生徒会あると聞いてなかったんですけど、会長……えっと、桔梗さんが職員室から出るのを見つけたので、追いかけたんです。


 その荷物、GW前のマラソン大会の資料と書類ですよね?」


「うん。そろそろ、手を付けないと。他のみんなは、部活で忙しいからさ」

「水臭いですよ。言ってくれれば、手伝うのに」

 眉を立てて抗議する少年に、桔梗はうーんと首を捻る。

「シータちゃん、中等部だし」

「ちゃんはやめてください! ですけど、この中高交流って、何の意味があるんですか?」

「優秀な中三は高等部の課外活動に参加してもよい、っていう謳い文句だけど、実際強制だからねぇ」

「噂だと、運動部による中等部の囲い込みとか言われてますよね」

「え? どういうこと?」

「他の学校からのスカウトを防ぐ、という意味です」


 桔梗は、ほぉ、と感心し、


「生徒会としては、君に来てもらって良かったよ、やっぱり」

「え? いや、あの……」

「うん」


 照れる後輩に微笑んでみせた。

 その後輩が、機を見つけたのだろう。意を決したように、一つ頷き、


「一つ、質問してもいいですか?」

「なにかな?」

「どうして、桔梗さんは会長になれたんです?」

「……あれ? 僕、なっちゃダメだった?」

「いや、違います! その……人間的に不適合ではないかと!」


 違ってなくない? などと思うが、まあ、言いたいことは骨身に染みて分かっている。


「部活動には入っていない、成績も人並以下、挙句に中学時代には一回ダブって。文武両道の真逆にいるからね」

「それなのに、選挙では次点に十倍以上の圧差で当選……不思議でなりません」


 だよなあ、と自分でも思う。

 だから、理由は一つしかない。


「僕はね、全てを救いたいんだ」

「え?」

「三年前に、いろんなものを取り落としてしまったからさ」


 変わらない笑顔で、桔梗は語る。


「そうしたら、周りにいた優秀なみんなが手伝ってくれて」


 面々の顔を思い出して、笑みが柔らかなため息を足す。


「副会長のお二人と、会計さんと……」

「一年生の子ら以外は、全員幼馴染みだよ」

「……羨ましい話ですね」

「はは、ぼくはみんなに甘えっぱなしだけどね……む」


 シータが、笑みを疑問へと変えた。

 遠くを見やっていたこちらの頬が、引き締まったからだろう。

 緊張のわけは、廊下の向こうだ。

 白衣を翻す女教師が、こちらに向かって歩いてくる。


「北神先生」


 シータの声に気が付いた先方は、口は開かず、小さな会釈を見せた。

 桔梗は後輩の腕に段ボールを押し付け、


「ちょっと、持っててくれるかな」

「え? あ、はい……」


 疑問形ではない迫力に押されたのか、素直に受け取った。

 うん、と首肯し、桔梗は北神へと向かう。


「ペーさん、お久しぶりです」


 無口で有名な中等部の物理担当教諭も頷きを見せ、近づく高等部生徒会長に、どうしたのかと、小首を傾げることで問いかける。

 手を伸ばせば届くほどの距離で、桔梗は足を止めると、


「ちょっと、確認したいことがありまして。いいですか?」

「…………」


 何でしょう、と疑問と肯定を見せた。

 だから桔梗は満面の笑みで、


「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」


 北神の胸部の左右に、正面から手の平で蓋をした。


「……!」

「うはあ! なんというフラット感! と言いながらも、芯の残るこの柔らかさ! 新感覚ですよ、これは!」


 暴挙だ、と戦慄に震えて呟くのはシータ。

 春風も、当事者たちを刺激することを拒否したのか、吹くことをやめていた。

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