第9話 聖女「プリエール」の違和感
昨晩は月や星がよく見える夜だった。
そのためか、日が昇る前の空気は、夏が近づいているにしては冷気を孕んでいた。
しかし、吐く息は白くならず、これでも大分暖かくなったのだと実感させられる。
静謐。
その一言で表せる神殿内にある祈りの間で、私は一枚の赤い布の敷かれた床に座り、親指のみを曲げ、残りの指を揃えて口元で重ねる、シルヴァ教特有の祈りの姿勢のまま、シルヴァ像に向かって略式の祈りを捧げていた。
親指を曲げ表す、我らは力を誇示しない。
指を揃えて表す、我らは秩序を守る者である。
口元を隠し表す、我らは不要に語らない。
言葉でなく行動で、我らの内にある強き力で、世界に静寂と安寧を求む。
「シルヴァ神、我を、友を、隣人を、守り、祝福したまえ。我は聖女、誠の名をプリエールと申すものなり」
祈りのために神殿の石畳に敷かれた一枚の布程度では、石畳から伝わる冷気を遮ることはできない。
しかし、その冷たさによって、今、私が生きていること、そして、私がこの国の聖女であることを実感させられる。
とはいえ、聖女といっても特別な存在というわけではない。
ただ、神殿から、敬虔な信徒であり、善良な心の持ち主であると認められただけである。
実際、この国には私以外にも十名を超える聖女がいる。
そう、私はただ一人の、信徒でしかない。
私は、略式の祈りを終えると、祈りの間から立ち去る。
そこには、二人の信徒が待っていた。
その内の一人が声をかけてくる。
「プリエール様、そろそろ日が昇ります」
今日は隣町への移動の日であった。
聖女は、数日から数週間おきに別の町へと移動することになっている。
それは、聖女に様々な経験を積ませることで、心の成長を願うためや、各神殿同士の繋がりを深めるためなど、様々な理由を信徒の間から漏れ聞いたことがあるが、私はあまり気にしていない。
私はただ、様々な町を見て周り、神に祈るだけである。
私は、二人の信徒と共に、隣町へ移動するための馬車が停まっている門へと向かうために、神殿の入り口に続く廊下を進む。
神殿の大講堂では、朝の勤めとして、神殿長により、聖典が読み上げられている。
途中で通り過ぎる扉からは、信徒たちが皆、祈りを捧げている様子が見られた。
神殿から出ると、暗い世界を切り裂くような、希望に満ちた一日の始まりを予感させるような、眩い光が差した。
丁度、太陽が昇ったようだ。
私たちが神殿から出ると、そこには、神殿をじっと見つめる銀髪の少年の姿があった。
こんな早朝に神殿に用事となると、信徒の一人かと思い、声をかける。
「おはようございます。あなたも礼拝ですか」
彼は「いえ、ただ見ていただけです」と急に話しかけられたことに驚いたのか、言葉をつまらせながら首を横にふる。
「見ていた、ですか」
その少年の言葉の真意が見出せず、つい首を傾げてしまう。
その言葉を聞いて、少年は穏やかな表情を浮かべながら「ええ、綺麗だなと思って」と私の後ろを指差しながら答えた。
私は今し方出てきたばかりの神殿の入り口の方を振り返る。
朝日に照らされる神殿。
日中に見るのとは異なる、神殿の姿。
中にいるだけでは分からない、神殿の一面。
身近な物にも、私には気づいていない一面があるという事実。
今日、それに気づけた幸運。
それに気づかせてくれた少年との出会い。
私はそれを嬉しく思い、少年の方を振り向く。
「そうでしたか、貴方にもシルヴァ様のお導きがありますように」
私はシルヴァ教の祈りを少年に贈った。
少年への感謝と神の祝福を願って。
その時、少年の体から、六つの光の泡が空へと立ち上った。
私の視線は泡を追いかけ、青と橙の混じる空へ。
朝日を受けて、光の泡がより輝く。
泡は弾けることなく、空の明るさに、世界に溶け込むかのようにして消えた。
わずか数秒ばかりであったが、その光景に私は思わず言葉を失った。
「ありがとうございます。素晴らしい光景でした」
目を輝かせそう言う少年に、私は内心は慌てて、しかし平静を装い言葉を紡ぐ。
「いえ、大したことはしておりません。シルヴァ教は貴方の未来が明るいものになることを願っております。何かありましたら、いつでも神殿を訪れてくださいね」
「はい、ありがとうございます。それでは、失礼します」
私に感謝を伝えると少年は、足取り軽やかに街の中に消えていった。
少年の後ろ姿をみながら、私は足を止めて少し考え込む。
「プリエール様、今のは一体」
私と同様に、疑問を持ったのだろう。
信徒の一人が声をかけてくる。
「あの光を前に見たことがあります。しかし、今はそれ以上説明できません」
「そうですか、分かりました」
私の曖昧な返事に、何かしらを察してか言葉を返す信徒。
おそらく、聖女のような立場の者でしか知り得ないことだと判断したのかもしれない。
しかし、上手く説明ができないのは事実であった。
私たち聖女の祈りには、魔を払う力がある。
しかし、普通の人々へ祈るだけでは、あのような現象は発生しない。
以前、あの光を見たのは、呪いの指輪を解呪したとき、そして墓地に現れたアンデットを浄化した時の二回のみだった。
しかも、それぞれ光は一つずつ。
私の聞いたことがある範囲では、一度の祈りで、複数の光が出てきたことはない。
だから、私はあの光は、物や魂に込められた強い呪いが解放されたからだと思っていた。
それがどうして、あのような現象が起きたのだろう。
あれだけの光が少年から出てきた理由が、私にはさっぱり分からなかった。
隣町に着いたら、神殿で司祭様に相談してみるのも良いかもしれない。
私はそんなことを考えつつ、今日の疑問を胸に、隣町へ向かう馬車が待つ門へと足を進めた。
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