キャベツの赤子を喰らう狼と戦った神父様の話

@twilight_tomato

神父様の話


 ある山の奥に、教会が一つあった。その教会の裏側には大きなキャベツの出来るキャベツ畑が広がっていた。

 その教会をまもっているのは、たった一人の神父だった。

 神父は大体三十代の半ば、美しい金髪と青い目が特徴的な人であった。


 この教会の神父には、教会の掃除やミサよりも、もっと大切な仕事があった。

 それは、「赤子を授けること」。

 教会の裏のキャベツ畑では、毎日赤子が生まれていた。神父の仕事は、毎朝五時、朝露を飲んだ子供達を収穫してはコウノトリに引き渡すことだった。

 後の世で「赤子がキャベツ畑で生まれる」「赤子はコウノトリが運んでくる」というのは伝説として扱われることになるのだが、全世界の赤子がそうではないにせよ、ある一部の赤子は本当にそうして生まれていたことはあまり知られていない。


 今朝も神父はキャベツ畑で赤子を収穫して回っていた。赤子は一日に、多くても3,4人、少なくとも1人は収穫できた。神父は収穫した赤子を腕に抱えてあやしながら、表に出て運送屋のコウノトリを待つのだ。たまに間抜けなコウノトリが一時間も遅れてくることがあるから、そんな時神父は腕に赤子を抱いたまま一時間待たなくてはならない。

 そして彼らが首から提げた籠に赤子を入れ、「神のご加護を」と言いながら赤子の額にキスをする。

 彼は毎日、そうして赤子を送り出していたが、本当に全員の幸せを願っていた。――それができるからこそ、彼はこの教会の神父なのだ。



 ある朝神父は、赤子の収穫に出ていた。しかしそこで、驚くべき残酷な光景を目の当たりにする。

 神父がキャベツ畑に歩いていくと、そこには、まだ成長しきっていないのに、キャベツの葉を剥かれて剥き出しにされたらしい赤子が、そのまま体を食べられて、キャベツの葉の中に、血に塗れた小さな指先や、キラキラ光を跳ね返す細い髪の毛だけが残っている、と言う景色があった。

「ああ、なんて酷い……」

 神父は布を一枚持ってきて、そのキャベツにかぶせた。

 そして他の赤子を集めた後、その赤子をキャベツごと収穫し、埋葬してやる。まだ生まれる前で、洗礼を施すことも出来なかったから、本当に簡素な形で葬ることしか出来なくて、神父は悔しさに唇を噛んだ。



 そんなことがあってしばらく、神父は夜の物音を警戒していたが、それからは特にキャベツ畑があらされることも赤子が喰われる事もなくなっていた。


 ある日の朝、神父は赤子を集め終えて、コウノトリを待っていた。と、そのとき。

「ごめんください!」

 教会の外から声が聞こえた。コウノトリではない。コウノトリは「ごめんください」なんていわない。言うとすれば「邪魔するよ」くらいなものだ。

「なんですか?」

 神父が腕に双子を乗せて、出迎えると、教会の前に修道士と思われる青年が1人立っていた。

 青年は肩幅が広くて背も高かった。修道士は、どちらかといえば上背のある神父が見上げるほどに大きく、しかも神父はすらりと背の高い男だったので、二人を比較すると、修道士のほうがいくらか大きく見えた。

「……あなたは?」

「私は、名も無き修道士です。この教会で、神父様のお手伝いがしたくて参りました」

「……私の?」

「ええ。前からこの教会のキャベツ畑の噂は聞いていました。それで、どうしてもお手伝いがしたくて……」

 「いけませんか?」と頭を下げる修道士に、神父は優しく「お顔を上げてください」と言った。

「ありがとうございます。とても助かります。赤子がたくさん生まれる日は特に、手が足りなくて困っていたのです」

「……じゃあ」

「ええ。是非ここでお仕えください」

 神父は、修道士を見て、にっこりと笑った。修道士もそれを見てぱっと表情を明るくする。この男、真顔が与える印象は少しばかりきついが、笑うと目元が優しくなり、急に人懐こい印象になる。



「――ええっ!? 人狼?」

「まだそうと決まったわけではありません。ただ、キャベツ畑が荒らされていたのは事実です。しかも、丁度一ヶ月前、満月の晩のことでした」

 神父は、若い修道士にキャベツ畑に起きていることを話しておいた。

「じゃあ俺は見張りをしていればいいんですか?」

「別にそこまでしなくても大丈夫ですよ。ただ、夜中は少し警戒しておいていただけるとありがたいです。……恥ずかしい話、私も歳で、あまり長い間起きていられなくて」

 神父は申し訳無さそうに頭を掻いた。

「わかりました。一応今夜は外を気をつけておきます」

「ありがとう。助かります」


 その晩、久々にゆっくり眠れる、と目を閉じた神父だったが、とろとろと眠りに落ちる直前、遠くで狼の遠吠えが聞こえたような気がして、ふっと目を覚ました。

 しかしやはり眠気に抗うことは出来ず、そのまま眠りへと落ちていった。



 翌朝、神父と修道士が生まれた子供達を回収して回っていると、修道士が突然「あっ」と声を上げた。

「どうしました?」

 神父が彼に駆け寄ると、そこにはまた、見るも無残な赤子の姿があった。

「……酷い」

 修道士は、修道服に血がつくことも厭わず、赤子の残骸をキャベツごと抱えた。その目から涙が溢れ、眉間を伝ってキャベツに流れ込むのを、神父は見た。神父は若き修道士の背に手をやり、「供養してやろう」と言った。

 修道士は手の甲で涙を拭い、神父の言葉に頷く。神父は、今日生まれた新しい命を抱えて、修道士は近いうちに生まれるはずだった命を抱えて教会に戻った。


 その日神父は、コウノトリに相談した。

「最近、何者かが赤子を喰っているんです。……BF協会は何らかの対策が取れないものでしょうか」

 BF協会、とは世界各地にいくつかある、キャベツ畑とコウノトリ方式で赤子を授けている場所をまとめる組織だ。

 神父の話を聞いた若いコウノトリは少し首をかしげる。

「どうですかねえ、神父様。一応お話をもって言ってはみますけれど、犯人はわからないわけでしょう?」

「ええ……」

 神父がため息をつくと、後ろから修道士が口を挟んだ。

「人狼の仕業じゃないんですか?」

 神父はその言葉に首を横に振る。

「いや、まだ人狼と断定することは出来ません。どれだけ疑わしくても、私か君のどちらかが、この目で、キャベツ畑を人狼が襲うのを見ない限りは……」

 その様子を見てコウノトリは一つ頷いた。

「それでは、一応神父様のそのご意見も含めてお話しておきます。もしかしたらなにか助けになるかもしれませんし……」

「ありがとう。助かりますよ」

 コウノトリは頷いて、赤子を預かり、去っていった。


 仕事に戻ろうとする修道士に、神父は優しく話しかけた。

「確信の無いものをあまり疑うものじゃないですよ」

「……すみません」

 修道士は、しゅんとして神父に謝る。

「そんなに気にしなくていいんですよ。ただ、次からは気をつけてくださいね」

「はい」

 素直に頷く修道士を見て、修道士は優しく微笑んだ。



「ときに君、昨夜狼の遠吠えを聞きませんでしたか? かなり遠くのほうだったと思うのですが……」

 神父の言葉に修道士は首を横に振る。

「いいえ、俺は聞いていません。神父様はお聞きになったんですか?」

「ええ。遠かったので、その後すぐに眠ってしまったのですが……」

「……また来月、気をつけておきます」

 修道士は、少し気合いを込めてそう言った。


「そういえば神父様、人狼って秋の十五夜の晩に最も力を強くするって聞きましたけど、どうなんですかね? もしそれが本当なら、来月は七月ですし、もっと被害が拡大するとは考えられませんかね?」

「……そうですね。噂に聞いたことはありますが……。調べておきます」

 神父はそう言った。


 その日の昼過ぎ、修道士が洗濯やら何やらで駆けずり回っているときに、神父は図書室で人狼についての本を探していた。大きな図書室で、管理者は勿論神父だが、彼自身も蔵書の全てを完璧に把握しているわけではなかった。無論、そのほとんどを読んだことはあったのだが。

「……あった」

 神父はようやく目当てのものを見つけることが出来た。

「人狼は、月の力が最も強くなる日、中秋の名月のその日に最も力を発揮する――。なるほど」

 神父は目で本をなぞっていく。そして、ある文章に目を留めた。

「……これは」

 それを読んだとき、神父にはある考えがよぎったが、それを認めることは出来なかった。

 確信が無いのに疑ってはいけない、修道士に言ったばかりではないか、と思った。



 また、一ヶ月が経った。その日は教会が朝からずっと緊張していた。


 その緊張を紛らわそうと、図書室で読書に没頭していたら、修道士が呼びに来た。

「神父様、お茶にしませんか」

 もうそんな時間になってしまったらしい。

「ああ。ありがとう」


「スコーンを焼きました」

 修道士は意外に手先が器用で、お菓子でもなんでもかなり美味しく作る。

 紅茶を飲みながらストロベリージャムをつけて食べると、ほのかな甘さとざっくりとした歯ざわりが心を柔らかくほぐしてくれるようだ。

……と、その時、神父がけほっとむせた。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、少しむせただけです……」

 神父はそういいながら何度かけほけほやった。そうすると、神父の喉の奥から硬い毛が飛び出してきた。

「……これは?」

「ああ……昨日猪を解体したので、その毛かもしれません。しっかり掃除したはずだったのですが」

「それは仕方が無いですね」

 神父はおかしそうに言った。



 そして、来る夜。神父は修道士と相談し、畑で夜の見張りをすることにした。一応、一本猟銃があったのでそれを持っていく。神父はそれの管理を修道士に任せた。

「使わずにすむといいのですがね」

 神父はそう言ったが、彼も修道士も、きっとそれは使われるだろうと思っていた。


 美しい満月だった。キャベツ畑を歩く二人の影はあまりにも濃くその地に落ちた。



 神父は、激しい眠気に襲われていた。それに抗おうと目を擦ろうとしたその時、神父はあることに気付いた。

――自分の手の爪が硬く、黒く変化している。


 神父は必死に意識を保とうとしたが、抵抗虚しく、神父の意識は深い深い闇に吸い込まれていった。



 それから、どれほど経ったかわからない。ふっと意識が戻ったのだ。

「神父様、神父様」

 目の前には、修道士がいて、自分と、修道士の周りに何かぬめった液体が大量に散らかっていることがわかった。

「お気づきですか?」

「……」

 修道士が下から見上げてくる。神父は、自分が修道士に馬乗りになっていることに気付いた。そして、彼の瞳に写っている、醜く変化した自分の姿にも。

 口には牙が生え、鼻は黒く濡れている。目は血走って瞳孔が開き、白目はほとんど見えなかった。

「神父様。……ともに、参りましょう」

 修道士は、ぜいぜいと息を荒らげていた。よく見ると、修道士の腹は引き裂かれ、骨やわたが覗いている。

「……私だったのですね」

「……ええ」

 修道士は神父の腹部に触れた。そこから脳天に突き抜けるような痛みがある。

 神父は、自分の腹にもいくつか風穴が空いていることを知った。

「君か、私のどちらかだと、思っていたんですがね」

 本には『人狼には、自覚が無い』とあった。神父はそれで、おそらく二人のうちどちらかだろうと思ったのだ。

「俺は、貴方だと確信していました。……見ていましたからね」

 見るまで断定は出来ない、神父はそう言ったことがあるのを思い出した。

「なら、何故……」

「俺に、神父様は殺せませんでした」

 修道士はそう言うと、満足そうに笑って目を閉じた。

「おやすみなさい、神父様。良い夢を」

「……」

 神父は悔しかった。己の不甲斐なさを恥じた。この青年を、生かせなかったことが、悔しくて仕方が無かった。


「……神よ、」

 神父が祈りの言葉をつむぐ前に、彼の腕から力が抜けた。


10


 朝が来て、コウノトリは重なった二人の遺体を発見することになる。

その遺体の脇のキャベツからは、子供が芽吹いていた。

コウノトリはそれをどうにか自らの籠に乗せ、ある大きな修道院まで飛んだ。その子がある孤児として育てられるように。



キャベツの中にいた彼は立派な修道士になり、その後神父としてこの教会に戻ってくることになるのだが、それはまた別の話。


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