第4話 任務はお手柔らかに3

「こんにちは、お世話になります」

 医局に顔を出すとリッツィ姉さんは部屋に一人だった。

 いつも誰かが入り浸っているのに珍しい。

「あら、ジャニスじゃない」

「塗り薬が欲しくて」

「肩の傷のやつね。ちょうどいいわ、傷の経過も見るわ」

「お願いします」


 リッツィ姉さんに促されて部屋の奥に行くとカーテンを引いて目隠ししてくれる。制服を緩めて肩を出すと少しひんやりとした彼女の手が肩に置かれた。

「あれ? もう薬もいらないくらいに治ってるわよ」

「え?」

「やっぱり魔術再生治療受けたの?」


「いえ。あれは魔塔の長に頼む高度な治療じゃないですか。私のようなペーペーが受けさせてもらっていいものじゃないですよ」

「王女様を庇ったのだから、受けさせてもらえるってのに、早々に断ったんだよね?」

「はい。だって何時間も魔塔長にわざわざ手を当ててもらわないといけないんですよ? リッツィ姉さんがしてくれる治療で十分ですよ」


「私だって最善は尽くすけど、女の子だからこそ傷を残さないようにって配慮でしょうに」

「あちこち傷はあるんですから、今さらです。それに、名誉の傷ってかっこいいじゃないですか」

「……はあ。あんたたち騎士ってホンと馬鹿よね」


「馬鹿じゃないとやっていけませんからね、こんな仕事。それに綺麗に治ってるなら結果オーライです」

「こんなに早く治るものなのかな……」


「あ、それはそうと今度の西の森の調査、私が同行することになったので、よろしくお願いします」

「あー……あれね。ちょっと頼まれて私から志願したのよ」

「え、リッツィ姉さんが?」

「誤解しないでよね。フローサノベルドとは親戚なのよ、幼馴染なだけ!」

「幼馴染ですか」


「あいつの亡くなった父親と私の父親が従兄弟なのよ。なにかと父が両親を亡くしたフローサノベルドを支えてきたし、魔力が強い家系は横のつながりが濃いからね。年も近いから小さいころから面倒を押し付けられたのよ」

「へえ……」


「実は三カ月前にフローサノベルドがこよなく愛していた犬が亡くなってね。それがもう毎日後追いしないか、見張りをつけないといけないくらいの落ち込みようよ。今回だって私にそれとなく見張って欲しいって、父から頼まれて引き受けたんだから」

「そんなに落ち込んだんですか」


「それが一カ月前くらいから急に元気になったから驚いているんだけど、一時はもう部屋から出ないし、闇魔術師も辞めるというし、大騒ぎだったの」

 その時のことを思い出したのかリッツィ姉さんの顔が曇った。


「フローサノベルドの父親は彼が赤ちゃんの時に事故で亡くなっていてね、ずっと母親と二人で暮らしていたの。それなのに十歳の時に母親も病気で亡くなったの。当時の落ち込みようも大変だったけど、その時は彼の母親がプレゼントした子犬のニッキーがいたから……」

「心を支えだったのですね」


「そう。それからもずっと気難しい彼の心を癒せるのはニッキーだけだった。ニッキーは老衰だったけど、だんだん弱っていく彼女の世話を彼は献身的にしていたわ。もう、亡くなった時なんて周りも見ていられなくて……」

 うっすら涙ぐむリッツィ姉さんを見て、これは絶対触れてはいけない話題だと再認識した。


「私もニッキーの話題は出さないように配慮します」

「同行してくれるのがジャニスでよかったわ。一週間、よろしくね」

「はい」


 カザーレン様の事情を聞いて、ちょっと肩の荷が下りた気がした。

 リッツィ姉さんに任せて静かにしていれば、つつがなく調査は済むと思ったからだ。

 波風立てなければ一週間などすぐに経つに違いない。

 存在感のないくらいに大人しくしていたら、きっと私のことなんて目にも止まらないだろう。

 ――しかし、私の予想は全く当たらなかった。




 それは、出発するところから始まった。

「どうして護衛に来た騎士が馬に乗る? 僕の隣に座るべきだ」

 西の調査に行く三人で合流し軽く挨拶した後、すっと気配を消しながら二人から離れようとするとカザーレン様に呼び止められてしまった。

 通常、この場合、カザーレン様とリッツィ姉さんが馬車に乗り、護衛騎士である私が馬に乗る。

 けれどもカザーレン様は私に一緒に馬車に乗るよう言いだした。


 しばし流れる沈黙。

 リッツイ姉さんもどうしてそんなことを言い出したのかという顔をしていた。

 しかし言い出したことに引っ込みつかない様子のカザーレン様をフォローすることにしたようだ。


「私はジャニスがいる方が息が詰まらなくていいから大歓迎よ」

 この場で一番偉いカザーレン様の指示とリッツィ姉さんもそんなふうに言うのでまあ、それならばと馬車の中に乗り込んだ。

 向かい側に座ったリッツィ姉さんの隣に座ろうとすると、カザーレン様の隣に座るように目で制された。


 なんなの。

 そんなに何か魔物が出てくるのが怖いの? 

 でも、カザーレン様は闇魔術で特大のドラゴンでさえ一人で難なくやっつけてしまうと聞いていた。

 まさか、嘘?


 表情を窺いたかったが私が見つめたりしたら、きっと嫌がるだろうと我慢した。

仕方なく前に座るリッツィ姉さんの顔を見ると、彼女はじっとカザーレン様を見つめていた。

「フローサノベルド、まさかね……」

 眉間に皺を寄せるレアなリッツィ姉さんの顔。

 なにか心配事でもあるのだろうか。


 しかしカザーレン様ほどの人になると、馬車の席に座るのも真ん中でないと気が済まないようで、私の方に寄ってきて狭い。

 さりげなく腕で押してみてもびくともしなかった。

 欲を言えば窓の方にもっと寄って欲しいが私はペーペー。

 ここは大人しく我慢しよう。


 カザーレン様は無言。


 リッツィ姉さんはほどなく寝てしまった。

 まさか名目だけの護衛だとしてもペーペーの私が寝るわけもいかず、単調な揺れと戦いながら気まずい空間を耐えていた。

 欠伸をかみ殺すと目じりに涙が浮かんでしまう。

 ああ、馬に乗りたかった。


「眠いの?」

「いえ」

 すると隣のカザーレン様に突っ込まれてしまった。一気に青ざめて目が冴える。

 緊張しながらそろそろと隣を見るとカザーレン様が私をじっと見ていた。


「僕の膝を貸してあげようか?」

「は……?」

 空耳? なんの冗談? と固まっているとカザーレン様がポンポンと自分の膝を叩いていた。

 まさか、本気じゃないだろうな。しかも肩を通り越して膝?


「はは……カザーレン様も冗談を言うことがあるんですね。お陰で目が覚めました」

 ドン引きしながらやっとのことで言い返すとカザーレン様がプイと窓の方を向いた。


 な、なに、今の……。

 高位闇魔術師のジョーク? ……ダメだ、理解できない。


 それからは緊張から地獄のような時間を過ごした。それは最初の宿に着くまで続き……


 幸せそうなリッツィ姉さん寝息が恨めしく思えてしまった。

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