かげまおう
ピエレ
かげまおう
大河の近くに、紅葉樹が並んだ公園がありました。
そこは、深い池があり、水に月が鮮やかに映るので、【月影公園】と呼ばれていました。
今宵も、東南東の空に月が昇り、水面であやしく揺れていました。
池の横のジャングルジムに、黒い子猫が一匹、命からがら逃げ込みました。振り返った緑の瞳に、月光がランランと反射しました。追い回す犬の影が迫って来ます。そしてとうとう、取り押さえられてしまいました。
犬が牙を剥き出し、咬みつこうとした、その時です。
突然、猫の影がふくれあがり、黒い怪物となって犬を呑み込んでいました。
かげまおうが現れたのです。
かげまおうが犬をぬにゃぬにゃ食べてしまった時、雲が月光をさえぎりました。すると、震えて動けない子猫を残して、かげまおうは消えてしまいました。
そこへ、四人の子供たちがやって来ました。
暗がりの中、二人の男の子が一人の男の子の腕を取り、ジャングルジムに押しつけました。
「どうして、こんなことをするの?」
と、動けなくされた男の子が聞きました。
すると、もう一人の男の子が、
「タカシを、かわいがってあげるのさ」
と言って、彼のお尻を蹴ったのです。
何度も何度も、悪魔のような笑い声をもらし、蹴ったのです。
「痛い、痛い」
タカシは泣き叫びました。
いじめっ子たちは、かわるがわるタカシのお尻を蹴って楽しみました。
タカシの胸の中にどす黒い憎悪が沸騰した時、風が吹き、南東の雲が流されました。まるまるとゆがんだ金の月光が彼らに降り注ぐと、長い影が西北西へ伸びました。ジャングルジムの格子の影に、にんげんの影がうごめきました。
遊び疲れたいじめっ子たちが帰ろうとすると、何ものかの不気味な声に呼び止められました。
「もっと、かわいがっておくれよ」
いじめっ子たちは振り返り、一人が問いました。
「何だって?」
「もっと、かわいがっておくれよ」
繰り返される重低音の声は、タカシのふくれあがった影から発せられているようでした。
「気味の悪いやつだ」
男の子たちが逃げるように遠ざかると、真っ黒の影がさらに膨張して、追いかけて来るではありませんか。
「だったら、おれが、かわいがってあげるよ」
かげまおうの恐ろしい声が彼らの背に突き刺さり、内臓をわしづかみしました。
「うわあ、うわあ」
男の子たちは、公園の横の土手を駆け上がり、広い河原へ逃げて行きました。街灯のない深い闇ですが、月光がどこまでも追いかけ、かげまおうが襲いかかって来ます。
「かわいがってあげるよ」
と言って、かげまおうは一番足の遅い子を呑み込みました。
「逃げてもむだだよ」
と言って、二人めもぬにゃぬにゃ食べました。
最後の一人は、川へ飛び込んで逃げましたが、大河の流れに呑まれてしまいました。
少年一人が水死体で発見され、二人が行方不明・・・
そういうニュースが、それから連日報道されました。
タカシは大人たちに尋問を受けました。
「あの夜、その三人と、きみはいっしょだったんだね? きみが知っていることを、教えてくれないか?」
タカシはありのままを答えました。
「あの晩、月影公園のジャングルジムに押しつけられ、ぼくは、あの三人に、いやというほど、お尻を蹴られました。いつも、彼らに、殴られたり、蹴られたりしていたんです」
その話を聞くと、大人たちは、眉をひそめ、変な目でタカシを見ました。死んだり行方不明になったりした子供を、彼らの父母の悲しみを考えると、悪者にはしたくないのです。
「それで、お尻を蹴られた後、きみは、どうしたんだい?」
そう聞かれて、タカシは首を振りました。
「よく、覚えていません。ただ、聞いたことのない男の声が聞こえました。怖い声で、もっと、かわいがっておくれよ、と。すると、ぼく、頭がぼおっとして、その後のことは、記憶がないんです」
その後も、タカシをいじめるクラスメイトが二人いました。
二人はタカシに、苦い草や虫を食べさせて、喜んでいました。
三か月が過ぎた冬の日、いじめにこらえきれなくなったタカシは、ついに二人に果たし状を差し出しました。
ぼくをかわいがってくれた、お礼をする。
おくびょうもの、と呼ばれたくないなら、
今夜七時、月影公園のジャングルジムへ来い。
東の空から満月が昇り、月影公園の深い池の横のジャングルジムを、金の月光が照らしていました。どこまでも伸びる格子の影の奥底から、川のせせらぎがかすかに聞こえてきます。猫の鳴き声も闇に混じりました。
タカシはジャングルジムの上にすわって、独り言をもらしていました。
「あの夜、大きな黒い怪物が、いじめっ子たちを呑み込んで、この世から消してくれた。きっと、そうだ。だから、今夜だって・・」
冷たい北風に身震いしながらも、彼の胸には熱い血がたぎっていました。
そこへ、二人のいじめっ子がやって来ました。
ジャングルジムの上のタカシを見つけると、太った男の子が呼びかけました。
「タカシ? タカシか?」
「おう」
タカシの声は凍える風に震えました。
太った男の子の声が尖りました。
「タカシ、お礼をしてくれるのかい?」
タカシはそれにはこたえず、二人を見下ろして言いました。
「おまえら、よくここに来れたね。怖くないの?」
背の高い男の子が鼻で笑います。
「おまえみたいな弱虫、怖いわけないじゃん」
タカシはジャングルジムから降りて、二人に言いました。
「ここで、二人が行方不明になり、一人が死んでいるんだよ」
背の高い男の子は、少したじろぎました。
「おまえが、殺した、わけじゃ、ないだろ?」
タカシの目が、月影が揺れるほど、闇に異様に見開きました。
「もしかしたら、ぼくが、殺したのかも」
二人は毒気を払うように笑いました。
「弱虫が、よく言うよ」
と背の高い男の子が言うと、
「それより、お礼はどうした?」
と太った男の子が言いました。
「これが、たくさんかわいがってくれたことへの、お礼だよ」
タカシはそう告げ、太った男の子のすねを、思いっきり蹴りました。
続けて、もう一人のすねも蹴ろうとしましたが、素早くかわされ、両腕をつかまれてしまいました。
「痛いなあ」
とうなりながら、太った男の子もタカシにつかみかかりました。
二人ともみ合っているうちに、タカシは地面に倒されました。太った男の子に腹の上にまたがられ、首を絞められました。苦しくて、声も出せません。
怒り狂う男の子を、もう一人が心配して止めました。
「それ以上やると、死んじゃうよ」
暗がりの中でなかったなら、タカシの顔が赤黒く変色していたことに、彼らは気づいていたでしょう。
太った男の子が我に返って指の力をゆるめると、タカシがゼエゼエ喉を鳴らしました。
太った男の子は、タカシの腹を踏みつけながら立ち上がりました。
その時です。
「もっと、かわいがっておくれよ」
と、聞いたことのない重低音の声が闇に響いたのです。
「何だって?」
と、太った男の子は問いましたが、タカシは意識があるのかないのか、倒れたままです。
なのにタカシの影だけが、ゆがんだ月光の中、目の前にぬうっと立ち上がるではありませんか。影はみるみるふくれあがり、かげまおうとなって、男の子たちを見下ろしました。
「もっと、かわいがっておくれよ」
恐ろしい声がいじめっ子たちの心臓をわしづかみしました。
「うわあ、うわあ」
腰を抜かした太った男の子は、あっという間にかげまおうに呑み込まれてしまいました。背の高い男の子は死に物狂いで逃げましたが、どこまでも伸びて来る黒い影に捕まって、ぬにゃぬにゃ食べられてしまいました。
一人残されたタカシは、ジャングルジムの横で倒れたままでした。
もうろうとする意識の中で、何かざらついたものが、頬をなめているのを感じました。ぞっとして目を見開くと、黒い何かが、目の前で揺れました。そして遥かな月影を呑み込んだ瞳が彼を見つめていたのです。
「ひゃっ」
ともらして、その黒い小動物をつかむと、気味悪くて、力いっぱい放り投げました。
それは黒い子猫で、「ミャアアア」という悲鳴が闇を震わせました。
タカシが立ち上がると、大きな黒い影がそこにいました。
「あなたは、誰?」
タカシは笑顔を作ろうとしましたが、頬がヒクヒク引き攣っただけでした。
「おれが、怖くないのか?」
と、かげまおうが聞き返します。
その声が体の中にまで重く沁み入って、タカシは身震いしていました。
彼の声も震えました。
「あなたは、ぼくを、救ってくれたんですよね?」
最期の問いの答は、底知れぬ無言の暗黒でした。かげまおうの両腕が伸びて、タカシを抱きしめました。恐怖のせいか、身動きできず、声も出せません。ただ手足が震え、ウジ虫のような汗が、からだじゅうの毛穴から這い出すばかりです。恐ろしい影の圧力が、ぬにゃぬにゃ少年に入り込んできました。息ができなくなって、乱れ打つ心臓の音も壊れ、彼は闇に呑まれたのです。
かたわらの池の水面に映る月が、凍れる風に揺らいでゆがんでいました。
かげまおう ピエレ @nozomi22
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