第4話

   ✳︎

 酒は歴史や文化をまとったドラッグ、薬物なんだろうな。そう頭ではわかっちゃいるが、飲んでは突飛もないことをついやっちまう。

 酒を飲んで寝ることを「酔い潰れる」という言葉がある。潰れるように寝てしまうことだが、それは人生の時間を潰していることでもある。人生に長く生きているとは忘れてしまいたいこともある。故河島英五氏のそんな歌もあったな。故中島らもの氏の小説「今夜、すべてのバーで」の巻頭に小話みたいなのがあった。アフォリズムというのかな。こういうやつ。

 

「「なぜそんなに酒を飲むのだ」

「忘れるためさ」

「何を忘れたいのだ」

「……。忘れたよ、そんなことは」

 (古代エジプトの小話)」

 

 「今夜、すべてのバーで」にあったが、職人さんが、普段は手が震えているのに作業始めるときに酒をグイッとやると止まって名人芸を見せるというエピソード。水島新司氏のの漫画「あぶさん」でもあったな。バッターボックスに立つときバットへ酒しぶきをかける。震える手が酒で止まり、長打を見せてくれる。

 手がぶるぶる震えるのはアルコール依存症の象徴みたいなものだが、昭和ではあれが名人の姿として描かれていたんだ。

 俺は手こそ震えないが、休肝日を作る前は、夕方になると胃酸が逆流して、吐き気でよくえづいていたものだ。休肝日を作り、それがなくなった。しかし休肝日が頓挫し、前より酒量が増えたせいか酒の影響で寝込むほどになった。休肝日以前、休日に昼酒をした後、昼寝をすると気持ち悪くなることがあった。


 日曜日の今日、久々にやってしまった。昼間、明美と一緒にサイゼリアでワインとともにランチ。ただ、出かける前に、焼酎の炭酸割りを飲んだ。

 非常事態宣言の時は外食してなかったが、蔓延防止法の時、たまに外食してたが、飲食店が酒を出せないということで、物足りないので仕方なく、家で一杯ひっかけてから出かけていた。規制がなくなってもそれが悪い癖として残った。


 ランチから帰ってフーテンの寅さんの映画を見ているうちに寝てしまった。それが悪かったようだ。

「夕ご飯作るよ」

 明美に言われて体を持ち上げるがどうも不調だ。

「一人分だけ作ろう。俺は食えない」今日は野菜入りのソース焼きそばを予定していた。

「何やってんの。ならこれでいいわ」明美は少々機嫌が悪くなり、取り置きのシーフードヌードルを作るために、お湯を沸かした。

 明美がシーフードヌードルを啜っている時俺は居間で寝転がっていた。体が異様にだるい。食欲がない。

「今日は早めに寝る」俺は寝床に向かい、電気を消し早々に布団に入った。「何やってんのよ」居間から明美の声。


 こんなにだるいのは初めてだ。吐き気もなく頭痛もなくひたすらだるい。アルコールのせいなのだろうか。

 眠るための音楽をいくつか聴いたが眠れない。

 明美が髪を乾かす音。

 まだ眠れない。隣の部屋のラジオの音が止んだ。明美は、日曜日の夜からは長年ファンをしている歌手のやってるラジオを聴いてから寝る。

 明美は寝たらしい。体は不調だがなんとなく酒を欲し台所へ。アルコール9パーセントの酎ハイの缶とグラスを持ち寝床へ。飲んでいたら体調がみるみる回復。迎え酒の理屈みたいなものだろうか。アルコールで中枢神経系が抑制されて神経が鈍るため、症状が抑えられるように感じるという。症状の原因であるアセトアルデヒドは減るどころか、新たな飲酒で増えるため、後でもっと酷い目に遭うやつだ。明日が怖い。俺は、手は震えないものの名人の域に達してきたのだろうか。


 続くアルコールのトラブル。


 それに加えて健康診断の血液検査の結果が出た。これまで肝臓の容態の悪さを示すγGDPの数値だけは正常だった。それに希望を持ちさんざん飲んできたのだ。しかし今回の数値は医療機関に相談しろというような数値だった。


 こうなるとアルコールを制限しなくてはならないと感じる。しかし断酒に踏み切るのは相変わらず覚悟が足りなかった。また休肝日設定するしかない。週に二日だと毎日飲酒から3割くらいアルコールを制限出来る勘定だ。最近では依存症は断酒だけではなく減酒という考え方も出てきたようだ。俺は都合の良い理屈を考え始めた。


 休肝日を再開するとなると不眠対策がいる。睡眠薬が欲しい。


 俺はまたまた心療内科を探し始めた。練馬区のごきげんな名前のクリニックには前回中断して、それきりなのでバツが悪くて行けない。ネットで予約できるシステムがあるところは、すでにみんな埋まっていて取れず。あちこち足を運んでみたが、既存の患者の予約をこなすのが精一杯のところばかりだ。既存の患者が多すぎて初診受け付けができないクリニックもあった。我が国の心療内科はこうも需要があるのか。普通の内科にも行ってみたが、カテゴリーが違うらしく追い返された。


 クリニックではなく入院施設のある病院をあたってみた。そうするとある精神科の病院が週に2回外来を受け付けているようだ。しかも結構近くにある、いわゆる精神病院。休肝日目的では大袈裟か。電話してみると、不眠なら受け付けてくれるという。土曜日は午前中だけの診察だが、特に予約の必要はないとのこと。心療内科は激混みで、精神科の病院はすいている。精神科というと抵抗があるんだろうか。


 俺は土曜日朝一でシンプルな名前の精神病院に向かった。団地から歩いて10分くらいか。心療内科のクリニックのように混雑してるかと思い早めに来たのだが、待合室には俺ともう一人の二人だけだった。待合室には入院している方々が書いた書画や作った作品などが展示されてしてある。

 受診を待っていると、入院患者のレクリエーションなのだろうか、合唱が聞こえてくる。あの素晴らしい愛をもう一度。懐メロがタンバリンのリズムに合わせ聞こえてくる。入院患者さんの年齢層に合わせたものなのだろうか。

 すぐに名前を呼ばれて診察室に入る。年配の先生だ。ここではアルコール依存症のスクリーニングはしないようだ。少し問診。先生は「本物のアルコール依存症なら、専門の病院を紹介しなければならないが、現状そこまでではない」という。


 不眠対策に薬を出してもらった。前に行ってた、ごきげんな名前のクリニックではジアゼバムという薬を睡眠薬として出してもらっていたが、ジアゼバムは安定剤とのことで、この精神病院ではそれに加えて睡眠薬のサイレースというのを処方してもらった。ジアゼバムはアルコールを飲まない時の不安を抑える目的。サイレースは眠るため。処方箋をもらって外の薬局で購入したするのではなく、院内で出してもらうシステムのようだ。薬は30日分だせるとのことで、休肝日は週2回だからだいぶ長い期間の分量だ。大体3か月分くらいか。


 ジアゼバムは1970年代のアメリカの抗不安薬市場を席巻した薬で、ピークの7978年には23億錠が消費されたという。アメリカは不安の国だったんだな。当時のロックミュージシャンはこのジアゼバムをはじめとするクスリとアルコールの併用と乱用で短命の人が多かった。その影響だろうが、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス・ジム・モリソンらが同じ27歳で死亡している。27クラブという言葉があるくらいだ。エリザベス・テイラーや、エルビス・プレスリーも愛用していた。テイラーは79歳の時心不全で亡くなったが、睡眠薬と鎮痛剤を常用、中毒だったことを告白している。アルコール依存症でもあった。エルビスが亡くなったのは42歳の時。検視が行われた時、体内からはジアゼバムの他、10種類以上の向精神薬が検出されたという。過失によるオーバードーズと言われていたが、後に意図的な自殺であった事がわかった。ローリングストーンズの曲「マザーズ・リトル・ヘルパー」にもジアゼバムは登場している。


 これらの情報は医師に聞いたのではなく、自分で調べた。説師からの説明は薬の説明は無かったのだが、ヤバそうな。薬を出してくれる薬剤師らしきスタッフに聞くと、アルコールとともに服用すると大変なことになるみたいだ。

 筒井康隆氏の著書「創作の極意と掟」によれば、ショート・ショートの名手と知られている故星新一氏はアルコール類と睡眠薬の併用で倒れ、寝たきりになったとあった。

 睡眠薬やアルコール依存症のエピソードがある創作者には若くして「故」がついていることが多いなあ。

 本来の薬効の他に、酒を飲んだらアウトになる薬として心理的ストッパーとして働いてくれるかもしれない。

 俺はそんな剣呑な薬を大量に抱えて団地に戻った。

 さて、これから休肝日の時は、酒がない長い時間と向き合わなくてはならない。どうしたものか。

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