第13話 冬の蝶


 彼は黒光りのする革靴を履いたまま、水中にからくり人形が自ら、底なし沼に入るように入っていった。


 暗い碧の湖水が皮靴の中に無慈悲に飲み込んでいく。



「父さんが勤めている法律事務所にその出くわした男の人から僕の、何も身に纏っていない写真が匿名で送付されたんだ。七回撮りためた写真の全てを。どういう意図だったのかは分からないけど、事務所内での父さんの面子は丸潰れさ」


 その一言一句、私は聞かされるたびに私の心のノートは断腸の思いで散り乱れた。



「弁護士の息子が有ろうことか、のそのそと身体を売っていたんだから。俗に言う、名前のない少年が売春していたんだよ、自分の知らないところで。父さんは僕の頬を七回殴ったよ。普段、暴力はいけない、という信念がモットーな善人なのにそのときは七回も殴ったんだ。笑っちゃうよ。久しぶりの痛みだった」


 久しぶりの痛みだった、という捨て台詞に私は逃げ支度をしたくなった。



「懐かしい痛みだった。あの男が幼い僕を殴っていたときの痛みを不意に思い出した。身体が慣れているから痛みは覚えなかったけれどもあの男から……、父さんから殴られるのは正直、虫唾しか、走らなかった」


 山吹色の光月が季節外れの花盗人に食べられてしまった気がした。


 彼は冬の蝶が怒濤の濁流に流され、白い悲鳴を上げるように喋り立てた。



「学校は謹慎処分を喰らってそのまま、定型通りにドロップアウトした」


 死力を尽くして私はその危ない橋を渡った決断を阻止したかった。



「弁護士の息子が放課後に売春していたのが、あの学校は何としてでも許せなかったんだろうね。なぜ、僕は一度、中等部を退学した学園をまた、外部組として高校を受験したんだと思う?」


 彼は心得顔で平淡を装って説明した。



「あの学園があの男の母校だからだよ。あの男が学生時代、生徒会長までして、三年間トップクラスで、無遅刻無欠席で、課外活動も目を見張るような優秀な成績を収めて、そのまま、勝ち組の成金のように誰もが羨むような、名門大学に現役合格したあの男が一度だけ、付き合った女子学生に子供まで孕ませて、その子供も少女も捨てたんだ」


 止めを刺すように彼は砂色の悲話を続けた。



「殴られたとき、あの男は僕を途轍もなく憎んでいたよ。やっと跡取りの一人息子が勝ち組の父さんが引いたレールに乗れたのに有ろうことか、身体まで売って自分たちの身元を泥に塗ったんだ」


 霧散霧消するように私は開いた口が塞がらなかった。


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