第3話
と思っていたのだが。
今朝見かけた彼女、山本楓と思わしき女子生徒が、四時限終わりのスケジュールで内心テンション高く帰り支度をしていた自分の前に立っているのは気のせいだろうか。
「高田くん」
「あ、はい」
凛とした声に反応すると、やはり整った顔立ちの少女と対面する。
「私のことわかる?」
「山本、さん?」
すらりとした指先を自らに向ける彼女に、おずおずと尋ねた。
「おお!あーさっき自己紹介したばっかりだしね」
認識されていたのが意外だったのか、彼女の軽く拍手をする素振りがちらりと視界に映る。
「......そうすね」
まあ、昨日の夜更かしのせいでその時間帯はほぼ聞き流し状態だったのだが。
足掻いても無駄なのに連休の最終日はどうにも無意味な抵抗をしてしまう。
結果的に、先刻のイベントが無ければ正しく返せていなかった事だろう。
「下の名前楓だからかえちゃんとか呼ばれる事多いけど好きに呼んでもらって大丈夫!」
「え」
とりあえず例に上がったそれは無理だろ。
「じゃあ山本、で」
「え〜まあいっか。男子からは大体そうだし」
無難と思われる返答に彼女は特に渋い表情という訳でもなく、むしろ自然に微笑した。
......で、何これは。
こうして全員に挨拶回りでもしているのだろうか。
そうでもなければ、自分に絡む理由が見当たらない。
「いやごめんねいきなり話しかけちゃって」
「うんまあ」
ここまでまともな返事をしていない気がするのだが、それよりも今は要件が知りたかった。
「でね」
彼女が切り出した所で既にこちらの視線は背景の黒板に外れているのだが、耳だけは傾ける。
「男子の学級委員を募集してまして。一緒にやってくれる人」
「ん」
最初から予想も何も無かったが、さらにその外側を行くような内容に一瞬体が強張る。
突飛といえばそうなのだが、これが彼女の用事ではあるのだろう。
だから少しの間をもって、言葉は意外と冷静な風に口をついて出ようとした。
「そういうのって募集するもんなの、か?」
「うーん大体立候補する流れが普通だと思うんだけど、このクラスの男子の中だとあんまり手挙げてくれる人がいなさそうで」
「はあ」
流れる会話の中で、心配するような声音が伝わる。
そういうメンツな組み合わせの時もあるのか。
生徒のキャラ云々とか、そこら辺のバランスは教師が組分けの時になんとかしているのかもしれないが、仮にそうであったとしても全てのクラスが満遍なく分けられるという訳でも無いはずだ。
いや、そんな事よりも。
「いなさそうってのは元々割と知ってたってことかこのクラスの男子」
相変わらず独り言のような口調に山本が頷く。
「うん、お互い喋った事ないとかは少しいるけど顔と名前は大体知ってるよ。なんか怖い人みたいな言い方になっちゃった」
ごく標準に笑って話す彼女に、無論声に出すことはなく驚き強めに嘆いた。
であっても、きっとその一覧に自分は追加されていない。
去年まともにクラス外での関わりが無かった生徒の情報など、ほとんど出回ってはいないはずだから。
つまりこうしてとりあえず、全員なのかは分からないが当てを探しているという所だろうか。
「じゃあ今、こうやって回ってる感じなんすね」
悪気は無いが、この提案に乗る訳が無かった。
言われてみれば何をするものなのかもよく分からないが、それでも自分には全く縁のないものだという事だけが分かっている。
会話は合わせるが、やがてそれも終わる。
だから後はそれを待つのみだった。
「いや、高田くんだけだよ。持ちかけてるの」
「え」
外していた方に戻すと、真剣な眼差しの彼女と目が合う。
何か怪しい事になってきた。
意図もその表情も、こちらが察するにはなかなか不足している。
「私はできたら高田くんにやってみてほしいって思ってる」
山本は少し口元を緩ませるようにするが、その面持ちは変わらず真っ直ぐこちらを向いたままだった。
そもそも彼女とは面識がない。
候補者とする理由になったイベントも知見も、何も無いはずだ。
「......俺なんかしてましたっけ一年の時」
そんなものは無い。
言っておきながら自分がよく知っている。
「そういう事じゃないよ」
山本は首を振って、下の方に目をやった。
曇ったように見えた表情は束の間、こちらの思考を遮るように続ける。
「別に特別目立つ人だけが誰かをまとめられる訳じゃないと思うし。高田くんならやってくれそうだからきっと」
「は」
他の誰にでも当てはまりそうで、誰かには当てはまらないような言葉だった。
だからか何故か、彼女の言葉は投げやりには聞こえない。
詳細を求めれば良いのだろうか。
だが掘り下げた所で自分の中で納得というか、とにかく着地する気はしていない。
「あ高田くんが暗いとか言ってるつもりないよ?目立つ目立たないとかの話のとこね」
「いや別にいい実際暗いし」
「ええー悲しい」
素敵なフォローを気持ちだけ有り難くいただくと、山本は眉を下げて少し残念そうな顔をする。
「まあとにかく高田くんやってみない?ってこと」
そうやって眩しいオーラを向けられた所で、回答は既に決まっていた。
「えっと、やらない」
「意思が固い〜」
うーんと腕を組みへなっとする困った様子に黙って目をやり、心密かに謝罪する。
「まあ無理にさせる訳にもいかないからね」
「うん」
分かる。
「そうだなどうしよ」
「え」
独りでに次の手をと考え出す動作に思わず声が裏返った。
「もちろん男子で他に立候補がいたらやらなくて大丈夫」
「ん?それありそうなんだけどな普通に、さっき顔合わせした感じだと元気そうな奴何人もいたし」
「元気だからやるって訳でもないでしょ」
「それはそう」
適当に言い過ぎたので、丸め込まれるようになる。
去年のクラスも確かに騒がしかったものの、こういう決め事で前に出てくる奴はあまりいなかったような。
ここに属する男子は全体的にそういった人間が多いのかもしれない。
高校くらいとなると、国民性ならぬ校民性みたいなものがあるのだ、たぶん。
「あと私がなれなくてもやらなくて大丈夫」
「はあ」
「こう考えると結構気楽でしょ」
「いや全然気楽じゃないすね」
「あはは」
無表情と即答に、山本が手で口元を覆い笑った。
「まあでもちょっと考えててくれたらうれしいかな」
淀みなく流れ出る実直な言葉に、不意に体の熱を感じる。
この表現力の差は何なのか。
「じゃまた明日よろしくね」
「あ、うん」
山本はひらっと軽く手を振ると、座る俺の横を通り過ぎていった。
ようやく終わりなのだと時計の針を見上げると、意外にもその時は経っていない事に気づく。
終わった一連の何かの処理は後回しにしようと、とりあえず席を立った。
「......」
「どうした?」
近くに感じた視線に目を向けると、ある男子生徒がジッと恨めしそうにこちらを見ている。
村上、か。
挨拶程度の男子の集まりがあって、そこで一応話した中の一人だった。
「うっわすげえめんどくさそうな顔」
「見てた?」
「まあ話の内容はあんま聞こえてないけど。いや問題はそこじゃないんよ」
「じゃあどこよ」
バッグのファスナーを閉め、手提げ部分に指を伸ばす。
村上は机にぐでっと体を預け、周囲の声に紛れるよう小さく口にした。
「あの山本さんと初日から話せてるのが羨ましいんだよくそ」
「はあ」
掠れた声が喉を鳴らす。
やはり山本楓は有名らしく、何の情報も無かったこちらの方が珍しいらしい。
「話しかけられなかったら、初日から話す事も無かったと思うけどね」
ぽつりと足した一言が火をつけたのか、村上がビシッと指差し目を潤ませる。
帰りたいんだけど。
「そこもポイントでしょ。ワンチャンあるぞこれ」
「いや無いだろ」
とりあえず何か面白い事が起きるのをすぐ期待しがちなのが男子学生だ。
しかしそんな男子学生がこのようなシーンにかける一縷の望みは儚い。
「いやいやわからんよ」
これは、ある程度何か与えてあげないと終わらないか。
「......話の内容教えてあげる」
「えなになに」
村上は一層身を乗り出すと、耳を近づける。
こちらは煌く少年の横顔に向かって、ぼそりと呟いた。
「学級委員を一緒にやらないかって言われたんだけどそんな経験ある?」
「いやあるはずもない」
「だよな」
即返する村上から、ますます調子の上がるような温度感が伝わってくる。
「それはよく分からんけどなんか誘われたことには変わりないんだろ。ズルイわ」
羨ましいのか恨めしいのかよく分からない感情を混ぜて投げられ、反応を探すも諦めた。
しかし彼女に興味があるのなら、これはワンチャンあるのかもしれない。
「なら代わりに立候補してくんない山本さんも歓迎すると思うし」
そう言うとすぐさま分かりやすくうろたえ、赤らんだ顔を隠すように少し捲った腕をかかげる、まるで中学生のような反応は実に面白くなかった。
「いやそれは無理恐れ多い」
好きというより推し寄りのしかも限界に近い感じのリアクションを披露する少年を横目に、潮時かと配られたプリント類をファイルに納め、机の中にしまい込む。
「男子で学級委員とかやりそうな奴いないんかねほらあの声大きい」
「誰だー井口?」
「そうその子」
「あー井口は今年サッカー部の次期部長っぽいからそういうのはやらないんじゃねーかな」
「なるほど......」
現状情報が無さすぎて判断が難しいが、何となく勝算は薄いか。
また、ここにいた所で何も解決しない、か。
「まあなんだ帰るわ。誰かやってくれることを願って」
その場でお祈りして立ち去ろうとする背に、棒になった声が届いて刺さる。
「
「......そうすね」
スライド式の扉を引いて外へ出ると、周囲から他クラスの学生たちの声が聞こえる。
中にいた時よりも一層騒がしくなった音を躱そうと、イヤフォンを耳に取り付けた。
周りの音が小さくなって、中でイントロが鳴り始めたところで静かに息を吐き出す。
溜まっていた脱力感が一気に体中をめぐった。
校舎の外に繋がる中階段を降りたところで、じゃれ合う学生たちが反対に駆け上がっていく。
こちらは今朝同様にスクールバッグをよれっと担ぎ、そのまま校舎を後にした。
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