「桜色」「迷信」「役に立たない時の流れ」
熾火灯
「桜色」「迷信」「役に立たない時の流れ」
その夜、帰り道にかつての通学路を選んだのはほんの気まぐれだった。月明かりに照らされた桜並木が物寂しくて、吸い寄せられてしまったのだと思う。
親友の結婚式で数年ぶりに帰郷した私を出迎えたのは、変わらない顔ぶれ。突発的に発生したプチ同窓会。けれどもその全員が、あの頃は想像もし得なかった人生を歩んでる。
私だってそう。ついこの前腰をやった時、年下の同僚に言われてしまった。
「もう27でしょ、もうアラサーに片足突っ込んでるんだから不摂生やってるとまた身体壊しますよ」
思いもしなかった、学生時代に思い描いていた27歳と、今私が迎えている現実の隔たりはあまりに大きい。
あの頃の私に、何か目標があったワケではない。何者かになりたかっただけだ。だから何にも挑まなかった。結果として何者でもない今の私がある。
プチ同窓会でそれをまざまざと突きつけられたことが、ほんの少し私の足取りを重くしているのは事実だ。どうしようもない徒労感に引っ張られて、一歩も動けなくなりそうな。
住宅街へ続く桜並木は十余年前と変わらない。そこを通る私もまた。違いがあるとすれば、私が衰えたことくらいか。
春の夜風は冷たい。寒さに身を縮めると、散った花弁に頬を撫でられた。
舞い散る桜の花弁が地に落ちるまでに掴めればどうこう、そんなおまじないがあったなと思い出す。あの頃の私もそのまじないを試して、確か成功した。残念ながら、当時の私が何を願ったのかは覚えていない。
今願うとすれば何だろう。安定した収入と貯蓄、不安や不満のない職場、あと可能なら恋愛でもあれば生活は彩るか。
湧いた思考を嘲って、つまらない人間になってしまったなと思う。学生の頃のような全能感はなく、代わりに、疲弊した大人の抱える現実的な問題がそこにある。
再び吹き付けた寒風に花弁がそよぐ。
眼前を舞った花びらを掴もうと手を伸ばす。
桜は咲いて、高いところにあるから美しいのだと思う。散った花弁が一面に敷かれて、桜色の絨毯を成す様は美しい。けれど注視すれば、ところどころが土色に踏み躙られていて、なんだかとても惨い。
せめて、自分くらいは自分を認められたらと思う。この十余年は無駄ではなかったと、役に立たない時の流れなんてないのだと。そう納得できればどれだけ救われることか。
握った拳を開くと、皺のよった花弁があった。
呪い通りなら、きっと私は報われる。何者にもなれなかったこの結果を認められる。
けれど、私はもう夢を見られるほど無垢ではない。だからわかる。その全てが迷信なのだと。
森閑とした薄桃色の桜並木は幻想的だ。夢から醒めて現実に立ち返るとしたら、こんな風に寒々しくて、酷いほうがよほどいい。
過ぎ去った時を思って感傷に浸るには、これ以上ないものだろう。
時間は不可逆で、何者にもなれなかったと受け入れた上で進まなくてはならない。なんて惨いのだろうと涙が溢れる。
ここを訪れた時の徒労感は、ほんの少し薄らいだ気がする。事実を真っ向から受け止めて涙を流せば、少しは気が晴れるというもの。
大人だって泣いたっていいだろう。特に、こんな月夜の中では。
「桜色」「迷信」「役に立たない時の流れ」 熾火灯 @tomoshi_okibi
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