リズミちゃんは居候Lv.999
ねむねりす
第一話 加古井家はクセ強Lv.999
「おはよー!」
階段を駆け下りて、リビングに直行する。時刻はもうすぐ七時。キッチンのほうから聞こえる作業音に混じって、挨拶が返って――。
「リズミちゅわぁぁぁぁーんっ! おっはよ……ぶへぇぁ!?」
くる、かと思った。
口をこちらに突き出して勢いよく目の前に飛び出てきた人影が、その頬に渾身のパンチを食らい、情けない声を出して床に崩れ落ちる。
「いい加減にしろっての! ド変態!」
そんな声の後、さらに続けて繰り出された拳が綺麗に急所にヒットしたようで、変態は声にならない叫び声とともに気絶してしまった。ずれたメガネが、音を立てて床に落ちる。
この、威厳もクソもない姿でのびているド変態こそが、
「リズミ、おはよ!」
「おはよう、むっちゃん!」
私に挨拶をし、まるでさっきの出来事などなかったかのようにキッチンに戻って朝食の準備を再開する、お姉ちゃんの、むつき。「むっちゃん」と呼んでいる。
そして私も、むっちゃんの後をついてキッチンに入る。朝食の準備を手伝うのだ。
これ、よろしく! と目の前に置かれたボウルの中には、溶いた卵が入っている。コンロに置かれたフライパンの形を見れば、卵焼きを作ってほしいことは言われなくても分かる。
私にボウルを託したむっちゃんは、急ぎ足で階段を上っていったかと思うと……。
「おいゴルァ、テメェら! 飯だぞ! 起きやがれ!」
すぐに、そんな声が聞こえてきた。「ひぃぃ!」とか、「ギャー!」の叫び声に、ドタドタという忙しい足音……。
いつもの朝の様子を聞きながら、フライパンの中で良い感じに焼けてきた卵をくるくると丸めていく。
完成した卵焼きをお皿に移して、切り分ける。
一つ、二つ、と切っている私の視界の隅に、一瞬“黒いもの”が映った。
キッチン。黒いもの。それらの言葉から連想されるものを想像して、背筋が凍りつく。これは……。Gから始まる――。
“アイツ”……!
そんなことを考えている間にも、黒いものは恐るべきスピードで卵焼きのほうに近づいてくる。私はそれを、すっかり恐怖で固まってしまった体に冷や汗をかきながら見つめているしかなかった。
あっという間に卵焼きまで到達した、黒くて毛むくじゃらの“それ”が卵焼きを一つ、掴もうとしたその時――。
「こンの……! クソ“ゴリラ”ァァァ!」
むっちゃんの怒鳴り声とともに、黒い毛むくじゃらの“手”が一瞬にしてはたき落とされた。
「何つまみ食いしようとしてんだゴルァ! そんなだからゴリラになったんだろうがっ!」
「ンホォー!」
むっちゃんが、手の主――ゴリラに蹴りを入れている。つまみ食いしたらゴリラになるという話は聞いたことはないけど、目の前に本当にゴリラがいるから、もしかしたら本当なのかも……。絶対につまみ食いはしない、と今ここで心に誓った。
このゴリラの名前は、
この姿でこれまで学校にも問題なく通えているようで、現在は大学三年生である。そして、詳細は知らないがアルバイトもしているらしい。ゴリラを募集している求人(求ゴリ?)なんて存在するんだろうかと思ったけど……。どうやら、あるらしい。
そんなゴリ
「ニヤニヤしてんじゃねぇよ! ってか普通に日本語ははなせるだろうがっ!」
「キャインッ!」
むっちゃんの強烈な蹴りが入り、ゴリラから出るとは思えないほどの甲高い悲鳴を上げて悶絶しているゴリ兄。しかしその表情はどこか恍惚そうで……。
あ、そういえば、ゴリ兄ってMだった……。
「あのー早く朝食を食べたいでござるー。拙者は一限が入っているためなるべく早く家を出る必要があるのでござるがー」
声が聞こえてきたテーブルのほうを見ると、四角いメガネをクイッと上げながら早口でそう言い放つ男が一人。三番目の兄、大学二年生の
「ウッヒョォォォォーッ! こんなギリギリの極限状態こそが、まさに最高なのでござるぅぅぅぅ! デュフフ、こうなったらご飯をゆっくり食べちゃうでござるぅ! デュフフフ……」
と、変な方向にドMが加速してしまった悲しき男こそが、彼――
例えば、大学生が最も恐れているという“一限”というものを毎日取っていたり、課題が大変なことで有名な授業ばかり取ったり、“フル単”――と言うんだったか、上限ギリギリまで授業を入れたり……。とにかく、普段からあえて自分に負荷をかけることを快感として生きている人だ。
筋トレが向いてそうだな、とそんな様子を見るたびにいつも思う。ヒョロヒョロだし、やってみたらいいのに……。こんな体じゃ、むっちゃんの軽いパンチ一発で複雑骨折してしまいそうだ……。
そんなことを考えながら、私もテーブルについて朝ごはんを食べることにした。「いただきます」と言ってから、完成したばかりの卵焼きを取って口に入れようとしたその瞬間。
突如、私の視界が塞がれた。
目を覆うように触れているのは、細くて柔らかい繊細さを持ちつつもどこかがっしりとしている指。これは、男の手だ……。
じゃあ、一体誰の手なんだろう……? 「だーれだ」と問いかけられているような気がして、私は考える。
まず、選択肢から外れるのはゴリ兄だ。世界がひっくり返ったとしても、絶対に違うと言い切れる。変態は、まだ向こうで気絶しているはず……というか、私に指一本触れようものなら、その前にむっちゃんからの制裁が入るはずだ。M兄も、“嬉しそうに”ご飯を食べている声が聞こえるから……違う。
と、いうことは……。
「
残ったのは、一人だけ。私は、その人の名前を呼んだ。
「はい、せいかーい」
耳元でそんなささやき声が聞こえた後、私の目の前を覆っていた手が離れる。すぐに後ろを振り向く。目が合うと、その人物は「おはよ」と目を細めて優しく笑う。
四番目の兄の、才紀。大学一年生。加古井家の男どもの唯一のまとも枠。普段から無口で、いつもワイワイ騒いでいる私たちの中に入ることは少なく、一歩引いたところで眺めている。さっきみたいに少し読めない部分もあるが……危害を加えてくる奴らよりははるかにマシである。
そんなわけで。
テーブルについていない
なんやかんや言ってはいるけれど、ここにいるみんなは、家族も住むところもお金も何もなかった私を家族として温かく迎え入れてくれた、とても親切な人たちだ。そんな経緯があるから当然血の繋がりはないのだけれど、一緒に暮らし始めてからずっと本当の妹のように接してくれている。
色々とクセが強かったり、困らせられたりするけれど、私はそんな加古井家のみんなのことが……。
本当に、大好きだ。
「ごちそうさま!」
食器を洗い場に置いて、リビングを離れる。私もこれから学校があるので準備をしなければいけない。
軽快に階段を上っていきたかったが……足首をぎゅっと掴まれて動きが止まる。
嫌な予感がして、ゆっくりと後ろを振り返る。
「リズミちゅわーん……」
せっかく良いこと言ってたのに……前言撤回。
この変態ニートだけは、絶対許さねえ。
「うふふふぅ……。グヘヘへへへ――げふぇ!?」
それはそれは変態的な笑みを浮かべながら私を見上げていた変態の顔だったが、むっちゃんによってそれは床へと向けられることになった。渾身のチョップが入れられた手は、がっしりと掴んでいた私の足首から離れ、無事に変態から解放された。
「ったく、油断ならないんだから……。縛って吊し上げておくから、安心して準備しておいで!」
「わかった、ありがとう!」
むっちゃんの頼もしい言葉と変態の悲鳴を背中で聞きながら、私は階段を急いで上っていく。
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