14-2

「そ、そうだわ。フォシア、お庭ばかりというのもつまらないでしょうから、部屋でカードでもしましょうよ」


 ふいにそう言われて、フォシアは少し意表を衝かれた。


「カード、ですか?」

「そ、そうなの。先日、教えてもらったばかりで……できれば、少人数でやりたいの。まだ不慣れで……フォシアさんが練習相手になってくれたら、嬉しいわ」


 相手は気恥ずかしそうに目を伏せていった。

 フォシアは少し考えた。


(……だから、なのかしら)


 先ほどから、相手がやけに落ち着かない様子であったのは。何か他のことに気を取られているようなのに、話を続けようとしていた。


 フォシアは、ルキアのほうを振り返った。他の令嬢と雑談しているようだった。

 ここには年の近しい令嬢しかいない上、ある程度見知った人間ばかりだから、ルキアを傷つけるような人物はいないはずだ。


 フォシアは目を戻した。


「私、カードはあまり得意ではありませんけれど……それでもよろしければ」

「と、得意でないほうがいいのよ! さあ、こちらへ……!」


 急いたように言われ、フォシアは面食らった。そんなにカードの練習をしたいという思いに駆られていたのだろうか。


 令嬢について館の中に入り、外の歓談の声を聞きながら空いた一室に案内される。

 いくつかの調度品の他に、テーブルと椅子がある。


「ここで、待っていてくださる? いま、持ってくるから……」


 フォシアは勧められるままに椅子に座った。

 そして急いだ様子で相手が部屋を出て行くのを、わずかな違和感を覚えなが見送った。

 ――なぜ使用人を呼ばず、自分でわざわざ取りに行くのだろう。


 なんとはなしに室内を眺めていると、間もなく扉が開いた。

 フォシアは目を向け、一瞬で頭の中が真っ白になった。


「お久しぶりですね、フォシア嬢」


 そう言って暗い笑みを浮かべたのは、傲岸な小太りの男――アイザックだった。

 捕食者に睨まれた小動物のごとく、フォシアは硬直した。


 アイザックがにやついた笑みを浮かべたまま後ろ手で扉を閉める。という音が、耳を穿つ。


 その音が、にわかにフォシアの正気を引き戻した。次にがたんと大きく響いた物音は、フォシアが立ち上がって椅子が倒れる音だった。


 ――なぜ。


 震える手でとっさに口元を抑えながら、フォシアは壁に向かって後退した。


「なぜ……ここに……っ」

「はは、あなたへの思いで夜も眠れないとここのご令嬢に相談したら、快く恋の天使を引き受けてくれましたよ。こうでもしなければ、あなたは頭の悪い保護者たちに閉じ込められたまま、会えなかったでしょうからねえ」


 アイザックが一歩踏み出す。獲物を前に舌なめずりするような顔は、フォシアの恐怖を呼び覚ました。


 ――どうして。

 どうして、どうして、と頭の中でその悲鳴ばかりが反響した。


 どこか不安げで急いたような、落ち着きを欠いていた相手の態度は、このせいだったのか。


 裏切られた。


 ふいにその答えにたどりつき、フォシアは胸をねじられるような痛みを覚えた。


 そこまで親しかった相手でも、特別に信頼していた相手でもない。――だが、こんなことをされるほど嫌われていたのか。


 男がまた、一歩近づいて来る。


「る、ルキアが、ルキアを呼びます……っ」


 とっさにそう叫ぶと、不自然なほど笑みを露わにしたアイザックの顔に、つかのまだけ怒りがよぎったようにみえた。だがすぐにそれをかき消すように、甲高い笑い声が響いた。


「あんなか弱いご令嬢に何ができます? ――ああいや、小賢しい真似はできるのでしたねえ。老いぼれ神官を籠絡して我が父の邪魔をさせようとするぐらいには」


 あんな貧相な体で。

 粘ついた嘲笑の声が、フォシアの耳を侵した。

 ――とたん、強い吐き気がフォシアの中を衝き上げた。

 この目の前の男は、汚らわしい言葉でルキアを侮辱した。


「同行していて、これほど近くにいたというのに、私とあなたの恋の成就・・・・に気づかなかったと知ったら……さぞかし悔やまれることでしょうねえ」


 おそろしい男が、アイザックが距離を詰める。

 恋の成就という言葉はひどくおぞましく禍々しく響き、フォシアの全身に怖気がはしった。

 同時にぐらりと目眩がし、喉が詰まった。


 ――この男は、ルキアを侮辱した。

 ――この男の前でなお、とっさにルキアに助けを求めてしまった弱い自分。

 ルキアを巻き込んではいけないと――そう思うよりも先に、助けを求めてしまった。


 フォシアは喉をしめつけられたような苦しみを感じ、声をあげようとして、脆い吐息だけがこぼれた。

 震える足で、後じさる。嫌悪と恐怖とで足がすくみそうになる。


(だ、れか……)


 姉を、ヴィートを、両親を思った。

 そして銀に似た灰色の瞳をした涼やかな青年を思った。

 とたん、熾火のように胸に彼の声が響く。


『あなたは臆病で卑怯な人間などではない』


 グレイは、そう言ってくれた。


『それもまた、勇気と言わずして何というのですか』


 涼やかな目。冷徹に見える双眸の奥に、不器用さをのぞかせたグレイの真っ直ぐな眼差し。

 フォシアは強く奥歯を噛んだ。


 ――動いて、逃げるのだ。いますぐに。自分の足で。


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