6-1

 エイブラとアイザック側の怒りを買うことは、フォシアにも予想はできた。

 だが、それだけだった。などとは思いもよらなかった。


『愚かな選択だ。なぜそのような決断をするのか理解に苦しむ』


 そう言ったエイブラの、不快感を露にした表情がフォシアの目に焼きついていた。


 それからエイブラは本性を現わしはじめた。傲慢で尊大な態度を隠そうともしなくなり、フォシアの家に圧力を加えるようになった。

 これまで途切れることのなかった他の異性からの接触はおろか、同性もよそよそしくなった。アイザックと婚約しなければ一家で孤立する――エイブラの無言の脅迫であることは明白だった。


 フォシアは家に閉じこもった。一歩外に出れば、息すらできなくなってしまうような気がした。外の人間が自分をどう噂しているかなど考えるのもおそろしかった。

 ――何もしない。何もできない。

 ただ事態が好転するのを待っている。両親や姉がなんとかしてくれるのを、待っている。

 いつもと同じだった。

 そんな自分に無力感と嫌悪を覚えることはあったが、周りの目はいつもフォシアの心と手足を縛った。

 だが、そんな卑怯で怠惰な態度が、事態を更に悪化させた。


 ――このときも、自分を助けるために動いてくれたのは姉だった。


『……神官長のバーナード氏と連絡が取れたわ。バーナード氏の協力があれば、エイブラの圧力を退けられる』


 姉ルキアの言葉はフォシアを驚愕させ、目の前を明るくさせた。両親でさえルキアの行動に驚いていた。

 ――しかしバーナードが協力の見返りに求めたものに、フォシアは一転して目の前が暗くなった。

 そしてそれ以上に、なお姉を引き留められない自分に絶望した。




「……どう? 変ではない?」


 珍しく、少女のように落ち着きのないルキアに、フォシアは思わず頬を緩めた。

 鏡の前で衣装を合わせ、装飾品の組み合わせを悩んでいる――ルキアのそんな姿は恋する乙女そのものだ。


 大丈夫、似合うわ、とフォシアは穏やかに答えた。

 姉の姿を見れば、ヴィートとの結婚は本当に幸せなものなのだとわかる。先日、結婚式を行ったばかりだというのに、新妻となった姉は初々しい乙女に逆戻りしてしまったようだ。


 ――なのに、そんな新婚の二人を引き裂いてしまっている。

 フォシアはふとそんな思いにとらわれ、心が沈んだ。

 やがて、侍女が来訪者の存在を告げた。ぱっと姉の顔が明るくなる。


 フォシアも姉に続いて部屋を出、応接間に向かう。

 来訪者は、応接間に飾られた風景画を見つめていた。すらりと高い背に、品の良い赤毛。風景画を眺める横顔に、フォシアの心の底が波打つ。


「いらっしゃいヴィート」


 ルキアが明るい声をかけ、端整な赤毛の青年はすぐに顔を向けた。

 ヴィートの目は真っ先にルキアだけをとらえる。目と唇が柔らかく綻び、見る者を魅了するような微笑が浮かんだ。


 フォシアの心の底は否応なしに波打つ。――ヴィートの目は自分の妻となった人以外を見てはいないというのに。

 姉と新しいその夫との間に、はにかむような甘い空気が流れる。


 気恥ずかしさだけではない理由で、フォシアは足元に目を落とした。

 じりじりと体の奥底に感じる醜いものに、見て見ぬ振りをする。


 ――本当なら、結婚したばかりのルキアはこの家を出ているはずなのだ。そうして、ヴィートと共に暮らすはずだったのだから。

 だがルキアがまだこの家に留まっているのは、妹フォシアのためだった。


 ヴィートのおかげでエイブラ側は一時大人しくなっているが、解決したわけではない――まだフォシアを諦めたわけではない。両親だけでは不安で、フォシアを一人にするわけにはいかないとルキアはここに残ったのだ。

 ヴィートもまた、それを許していた。


(……私は、二人に甘えているんだわ)


 重く苦いものがフォシアの胸中に広がった。祝福したいと思っているはずなのに、他ならぬ二人の邪魔をしているのは自分だった。


 ――自分を助けるためにルキアが犠牲になろうとしていたとき、それを止めることもできなかった。

 ルキアを引き留めてくれたのはヴィートだった。

 それからまた、自分は二人に頼り、助けられるばかりになっている。


「そちらの方は?」


 ルキアの不思議そうな声が、暗い思考に沈みかけたフォシアを引き戻す。フォシアはつられるようにしてヴィートのほうへ目を戻した。

 そうしてはじめて、ヴィートの隣にもう一人青年が立っていることに気づいた。


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