8-1
――醜いわたしの本音。
吐き出した言葉を消し去ることはもうできない。
「傷痕として永遠に、揺るがぬものになれる。フォシアにとって……ヴィートにとって。わたしはただ、そうなりたかったの」
最後の言葉まで吐き出したとき、胸のつかえがとれたような感覚と同時に、言ってしまったという後悔が襲ってきた。
――誰よりもヴィートには知られたくなかった、あまりにも身勝手で卑怯な自分。
フォシアのために犠牲になったんじゃない。そうすることで、自分という存在を刻みつけたかった。誰にも何にも奪われずにすむように。
抱え続けた不安から逃げるために利用したとさえ言えるのかもしれない。
「……身勝手だな」
ヴィートの短い言葉に、わたしの臆病な心が震えた。顔を上げられない。
「置き去りにされた者が、美しい思い出としてずっと持っていてくれるとでも? フォシアに……俺に、抱えきれないほどの傷を与えてなお生きていけというのか」
厳しい声だった。頭から降るようなその声は、わたしのずるさを糾弾する。
ごめんなさい、と謝ることしかできない。否、そんな謝罪の言葉さえ卑怯に聞こえるかもしれない。
気詰まりな沈黙が部屋に充満する。
今度こそヴィートに呆れられたかもしれない。ずるい女だと軽蔑されたのかもしれない。
「――紳士ぶって待つことなんてするもんじゃないってことか」
ふいに、ヴィートがそう言って沈黙を破った。
わたしは弾かれたように目を上げる。視線が絡み合う。
ヴィートの真っ直ぐな眼差しに体を射抜かれる。彼はそのまま近づいてきて、わたしの腕をつかんだ。
「帰るぞ」
抗いがたい力で寝台から引き上げられ、部屋からも出される。
わたしの心臓はとたんにうるさく鳴り始め、それよりももっと騒がしく心が乱れた。待って、とかろうじてつぶやいた声がかすれた。
(どうしよう)
決意して、神殿へ向かうつもりだった。未練や執着を断ち切る必要があったから。なのに一番会いたくない人が現れ、予想もしなかった言葉を投げかけられて、平常心などとっくになくなっている。
バーナード氏との約束がある――坂の上をのぼっていかなくてはフォシアを守ってもらえない。
なのにヴィートの手を強く振り払えない。彼の気持ちを知ったいま、この手を自分から離すことは永遠にできないような気がしてしまう。
――だって、ずっとこんなふうに手を引かれたかったのだ。
ずっとこんなふうに、ヴィートに求められたかった。
ヴィート、と抗議のつもりで呼んだ声すら、脆く制止にもならない。それどころか甘えさえ帯びているようだ。
振り向かないまま、わたしの元婚約者は言った。
「待たない。婚約なんてものももういい。帰ったらすぐに結婚する」
力強く、ヴィートは断言する。
わたしは震えた。それは甘く後ろめたいさざなみのようなものだった。
ヴィートと結婚する。
諦めた、目を背けていた夢。希望。なんのためらいもなくそれに飛び込んで行けたら、両手で抱きしめられたらどんなにいいだろう。
――だが、それに酔いしれるわけにはいかない。
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