妹のために婚約破棄した令嬢は、すべてに別れを告げるために坂を上った

永野水貴

ルキア編

1-1

「そういうルキアが嫌いだ」


 口下手な婚約者が顔を歪めてそう言ったとき、わたしは雷の直撃を受けたような衝撃を受けた。

 彼がこんなはっきりとした言葉を、感情を突きつけてくるのははじめてだった。


 なのに粉々に砕けた心の中で、皮肉にも揺れていた決意が固まった。

 ――ああ、やはり。


 フォシアとヴィートの前からいなくなろう。




   ◆




 わたしの前に続く長く険しい坂道は、神殿に至るまでの試練の一つであるらしい。こんな長い坂道は、よほどのことがなければのぼらない。ましてその先にあるのが、世俗から隔離された古い神殿ともなれば。

《太陽の神殿》。そこは特別に敬意をもってそう呼ばれている。


 神殿にたどりついてその中に入ってしまえば、わたしは世俗とは隔絶される。神殿では修道院より出入りが厳しく制限される。この坂の上では特にそうだ。

 一度入ればたぶん――死ぬまで出てくることはないだろう。

 ――それなりの貴族の令嬢の身で、神殿に仕えることになった者はわたし以外にいるのだろうか。


 太陽の名を冠するかの神殿に到着して振り返ったとき、わたしの目に映る大きな太陽は世俗で培われた雑念や邪念も焼き尽くしてくれるのだろうか。


 太陽。その存在について考えていたらふと、いま天に浮かんでいるものが気になり、坂の途中で立ち止まって空を見上げた。

 青い空に浮かぶ強烈な光源に、一瞬目が眩む。


 目を地上に戻すと、まぶしさに射られた目に涙が滲み、瞬きをして堪えた。


 ああ、この眩しい輝きはまったく、わたしの妹を思わせる。

 類い希なる美貌を持ち、誰からも愛される妹フォシアと。


 両親が妹を溺愛し、わたしにはほとんど関心を向けなかったのも無理のないことだったろう。虐げられないだけましだったのかもしれない。

 フォシアの婚約が白紙になった原因をつくったと責められたときも、反論はしなかった。


『ごめんなさい、ルキア……』


 そう言って、蜂蜜色の大きな瞳いっぱいに涙をためていたフォシアの姿を思い出す。

 フォシア。わたしの妹。三つ年下の、何もかもがわたしと違う妹。

 フォシアはほとんど泣き崩れんばかりだった。その傍らの、呆然としたヴィートの顔。


『なぜ――』


 ヴィートとは十年近く婚約関係にあったのに、あんな顔ははじめて見た。

 驚き、呆れ、怒り、不審――そのどれもが混じったような。

 ――《太陽の神殿》に仕える、だからあなたとの婚約はなかったことにしてほしいといった直後の反応だった。


 その数日前、ヴィートとは別のことで口論になった。ここのところずっとヴィートは不機嫌だった。――わたしといるから不機嫌なのかもしれなかった。

 だから婚約を解消してほしいと言ったとき、むしろ安堵や素直な受け入れの反応を覚悟していた。もし実際にそんな反応をされていたら、きっとわたしは耐えられなかっただろう。


 フォシアよりも頭一つ分ほど大きな彼は、ただただ涙するフォシアを自然と抱えて支えるようにしていた。その光景を見たとき、わたしは自分が思いのほか動揺し、胸に痛みのようなものさえ覚えていることに気づいた。


 フォシアとヴィートは、一幅の名画のようだ。

 ――お似合いの二人。世間が、そう噂した通りだった。


 二人は輝ける太陽で、わたしはその足元に落ちる影。

 そんな嘲笑にも半分はうなずき、半分は反発もしていた。


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