第10話 彼女達の狂気
――七月二日。
今日は少し母の気分がいい。
私も畑の方に行って村の仕事の手伝いをする。
お野菜を分けてもらったので、当面の食事には困らなそうだ。
――七月十日。
母の体調が悪い。
薬を買えればいいのだけれど、お金がない。
何とか工面できるように、村での仕事を増やしたいと思う。
――八月二十二日。
母の体調は悪くなる一方だ。
王都の方で仕事ができればいいのだけれど、それも叶わない。
最近、村の人達も体調が悪い人が増えている。母の病気がうつったのでは、なんて変な噂まであるくらいだ。
――九月四日。
仕事がない。お金もない。
けれど、家にある物を売って、母の身体に良い薬が少しだけ手に入った。
これで体調がよくなればいいけど……。
――十月七日。
昨日から、村の教会に変な人が住み着いていると噂になっている。厄介払いを頼まれたけど、私には正直難しいし、嫌な仕事だ。それでも、お金がもらえるから頑張る。
――十月十四日。
先生はとても素晴らしい人だった。
村の人達も病気も治してくれて、私の母も歩けるようになった。相変わらず口数は少ないけれど、歩く母を見て元気が出る。
――十月二七日。
すっかり母の体調はよくなって、私は先生の仕事を手伝うことになった。先生はお医者様で魔導師でもあるらしく、色んなことを教えてくれる。
いつか、恩返しができたらいいな。
――十一月二十四日。
先生の研究で、薬を飲んだ。あつい。
けれど、体調はそこまで悪くない。
冬の時期はあついけれど、とてもとても気分が良くなる。
先生は死霊術を使って、みんなの身体をよくしてた、やったね。
村の人の様子は少しおかしい。
私を見る目がおかしい。
私はいつも通りなのに。
――十二月十七日。
とても嬉しい話がある。
野菜の肥料に隣人が丁度いい。いらない人だから、肥料にしてしまった。あついけれど気分はいい。
母の体調はいいけど話さない。死んだ人みたいだ。
――一月四日。
雪が降った。
血の雨も少しだけ降った。
――三月七日。
先生が言った、私はほぼ完成に近いらしい。それはとても良いことで、私は先生のために頑張ろうと思った、何を。
先生は私によくしてくれる、とてもとてもよくしてくれる。
私は先生のことが好き。
でも、この気持ちは押し殺す。まだ完成じゃないから。
――しがつよっか。
ははおやをころしました。
***
「あはははははははっ!」
高笑いをしながら、イリナが自らの首筋に爪を立てて、引き裂く。
鮮血が吹き出し、イリナの首元や手が赤色に染まった。
嬉しそうな表情を浮かべてた彼女の表情は、やがて怒りに満ちたものへと変化していく。
「私は先生が好き。なのにあなたが、先生を殺したの。私が殺したかったのにッ!」
「イ、イリナさん……!?」
先ほどまでリンスレットを気にかけてくれていた少女はもうそこにいない。
彼女は完全に壊れてしまった――否、初めから、壊れていたというのが正解だろう。
イリナにあったのは上辺だけの人間性で、彼女はそもそも人間ではもうないのだ。……彼女は、完全に『異形』の存在となった。
リンスレットの方に視線を送ると、ボコボコと赤い血が盛り上がって、針のように彼女へと迫った。
「ボケッとしないの!」
「わ、わわっ!?」
ユーリはリンスレットの肩を掴むと、後方へと投げ飛ばす。
こちらは血の壁を作り出してイリナの攻撃を防ぐ。
イリナが壁に対して単調に攻撃を繰り返す。
「お前がお前がお前がおまえがおまえがおまえがっ!」
「……ダメね。主がいないから制御が出来てない。殺す順番を間違えたわ」
ユーリはそれでも冷静に、状況を分析する。
イリナもユーリと同じ吸血鬼――だが、厳密には異なる。
彼女はあくまで、クラインの実験によって作り出された吸血鬼に近い存在だ。
大方、死人を操る死霊術と吸血鬼の力を組み合わせて、より強力な《アンデッド》を作り出そうとしたのだろう。――それがイリナである。
クラインがやけにユーリに対して強気だったのは、きっとイリナのことを完全に吸血鬼化させたと勘違いしたからだ。
ユーリから見ても、イリナの《魔力》は吸血鬼に限りなく近しいものがある。
「でも、所詮は偽物。わたしの敵じゃないわ」
ユーリはイリナの作り出した血の槍を、拳で破壊した。吸血鬼の身体はどこまでも便利だ――常人よりも頑丈で、力が出る。
だから、彼女のような『化け物』が相手でも戦えるのだ。
「すぐに楽にしてあげる」
ユーリは自らの右手を掴んで、思いっきり引いた。ブチブチと音を立てて、右手が引きちぎれる。
大量の出血――だが、やがてその血はうねるように動き、《人の手》を象った。否、人というにはあまりに歪。鋭くとがった指先を構えて、ユーリは地面を蹴る。
「きはっ」
イリナがそんなユーリを見て、再び笑顔を浮かべる。
口元から出血。それが、捻れるような動きを見せて、速く回転した。
「っ!」
「内臓を抉り取ってぇ、ぶちまけろぉ!」
高速で回転するそれをユーリに向かって飛ばす。
ユーリはそれを回避する――だが、すぐに狙いに気付いてユーリは回転する血の槍を、わざと握って止めた。
「がっ、ぎぃ、ふぅ……!」
「……っ、ユ、ユーリさん……!?」
「だから……いつまでもこんなところにいるんじゃないって言ってるのよ」
先ほどイリナの攻撃を避けさせるために、後方へと投げたリンスレットを狙っていたのだ。
彼女は騎士とはいえ、普通の人間だ。
すぐに逃げられないのは分かっている。
肉と骨を削るような痛みに、ユーリは顔をしかめた。
「ど、どうして……?」
「うるさい。そんなことに答えてる暇はないの。いいからさっさと消えてっ!」
ユーリは振り返り、再びイリナと向かい合う。
イリナが作り出したのは血の槍。
それに対して、ユーリは血の腕を振るう。
互いに凝固させた血液がぶつかり合う――ユーリの腕はわずかに削れて、イリナの槍はくだけ散った。根本的に吸血鬼としての格が違う――だが、先ほど受けた一撃は大きい。
「削れろ削れろ削れろ削れろ削れろ削れろ」
「ちっ、さっきから耳障りなのよね……あなたの声っ!」
「あははははははははっ!」
数本の血の槍が、ユーリの身体を貫いていく。
だが、ユーリは気を留めることなく歩を進めた。
イリナの回復力がそこまで高くないことは、ユーリにも分かっている。
おそらく首を飛ばせば、彼女は動けなくなる。
その一瞬の隙を狙って、ユーリはただ待ち続けた。その時は、すぐに訪れる。
「やあああああっ!」
「なっ……!?」
ユーリとイリナ、二人の視線が声の主の方へと向かう。
イリナの左側から回るようにして、剣を構えたリンスレットが迫っていた。
突然の出来事に、ユーリは驚きで目を見開く。
――彼女は何をやっているのだろう。
そう思いながらも、イリナの視線がユーリからリンスレットの方へと向かった。
赤い槍をリンスレットへと向け、わすがにユーリへの手数が減る。
その一瞬の隙が、彼女の命取りとなった。
「――」
刈り取るような一撃。
ユーリの振るった血の右手が、イリナの首を吹き飛ばす。
ぐるぐると勢いよく回転して、遥か後方へと飛んでいった。
多量の出血と共に、だらんとイリナの身体が脱力する。
ユーリは、大きく息を吐いた。
「えへへ、上手くいって、よかったです」
「……その状態で上手くいったって言える?」
「……すみま、せん」
リンスレットの腹部には、イリナの放った《血の槍》が突き刺さっている。
「別に、謝る必要はないわ。むしろ、あなたの行動が理解できないのだけど」
「……わたしだって、あなたのことが、分かりません。何度も、助けてくれようとしたじゃないですか」
苦しそうにしながらも、リンスレットはそんな疑問を口にする。
確かに、ユーリは何度か彼女を救った。その点は事実である。
だが、そこに大きな意味はない。
ただ、彼女がユーリの『敵』ではなかったから――それだけだ。
「別に、ただの気まぐれ」
「変な、吸血鬼なんですね。でも、あなたのこと、話に聞いて、一回お話してみたいと思ったことがあるんです」
「私と?」
「は、い。あなたは――かひゅ」
リンスレットの言葉は、空気の抜けるような言葉と共に消える。
彼女の遥か後方から、首だけになったイリナが、《血の槍》をリンスレットに放ったのだ。
それが、リンスレットの喉元を後ろから貫いている。
ユーリは地面を蹴って、イリナとの距離を詰める。――彼女は、相変わらず笑っていた。
「あはぁ」
「……」
ぐしゃりと、迷うことなくユーリはイリナの頭を踏み潰す。
これで確実にイリナは死んだ――リンスレットもまた、確実に死ぬ。
ゆっくりと、倒れ伏した彼女の下へと近付く。
空気の抜けるような呼吸音だけが、ユーリの耳に届いた。
「……私に聞きたかったことって、なに?」
「――」
リンスレットの口が動く。けれど、答えは返ってこない。相変わらず、空気の抜けるような声だけが聞こえる。
「……ぃ、く、ぃ」
「……なに?」
ユーリがリンスレットの口元に耳を近づける。
死にゆく彼女が何と言っているのか、聞き届けるために。
「…ぁ、ぃ、な、ぃ」
「――」
掠れるような声でも、ユーリはリンスレットの声を聞いた。
――まだ死ねない。
彼女は、そう言っているのだ。
「……どうして?」
「――」
今度はもう、聞き取ることはできない。
涙を流し、瞳は生気を失っていく。
リンスレットという少女は、今ここで死ぬ。
「まだ、生きていたい?」
最後に、ユーリはリンスレットに問いかけた。
聞こえているのか分からないが、ユーリにはリンスレットが頷いているように見えた。
「……そう、じゃあ――あなた次第だけど、チャンスをあげる」
ユーリはそう言って、自らの口元を噛み切る。流れ出る鮮血をそのままに、ユーリはゆっくりとリンスレットに覆い被さって――口付けを、かわした。
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