第5話 歪んでしまった少女

 ユーリがエウリアに捕まって、数か月ほど経った頃だ。

 身体の自由が利くようになって、失った手足を作れるようになった。

 ――吸血鬼として、自らが完成に近づいたのが、ユーリには理解できていた。

 ……これでユーリはようやく、なすべきことをなせる――ただひたすらに耐えて、耐えて耐えて耐え続けたからこそ、ユーリは吸血鬼になることができたのだから。


(これで、エウリアを……)


 殺せる――少しだけ迷いはあるけれど、彼女は生かしておいてはならない存在だ。恩義や感謝を感じてはならない。

 ユーリのすべきことは一つ。今日この時を持って、ユーリは吸血鬼として、吸血鬼であるエウリアと対峙する。

 決意に満ちた表情で、ユーリはエウリアの帰りを待った。

 ようやくだ。待ちに待って、ユーリは吸血鬼として彼女と対等の存在になったのだ。

 勝てるかどうか分からない。けれど、ユーリはエウリアを殺すためだけに、ひたすらにこの時を待ち続けたのだ。……それなのに、一日、二日、三日――毎日戻ってきていたエウリアが、何故かタイミング悪く戻って来ない。

 一体何があったというのか……そう思いながら、ユーリはようやくエウリアを探しに行くという選択を取ることにした。

 いつぶりかの外――ローブを羽織っているが、中は下着姿のままで、ユーリは駆け出す。身体は軽く、かつての自分とはまるで違うように速く動ける。

 これが吸血鬼の力だ。……それはまるで、かつて自分が憧れていた《剣姫》に近づいたかのようで、ユーリの心の中に複雑な想いが芽生える。

 もしもエウリアを殺したとして、ユーリはその後どうすればいいのだろう。

 吸血鬼として生きることなど、あってもいいのだろうか――そんな疑問を抱えながら、ユーリが町の外に出てからしばらくして、地面に倒れ伏したエウリアを見つけた。


「……! エウリア!?」

「あら……そこまで動けるようになったのね」

「こんな、ところで何を――」

「もう一人いたのか、吸血鬼」

「え――」


 ユーリの言葉を遮ったのは、一人の女性だった。その声は、かつて一度聞いたことのあるもの。

 ずっとずっと憧れていて、ずっとずっとその人のような英雄になりたかった。

 そんなユーリを助けてくれて、微笑みかけてくれた女性――《剣姫》は、冷酷な表情でユーリを見る。

 エウリアの身体が、剣で切り裂かれているのがよく分かった。――彼女が戻って来なかったのは、剣姫と三日三晩、戦い続けていたからなのだろう。


「こんなところに……来るなんて、バカ、ね」

「――」


 いつもの調子でエウリアが口を開いて、脱力した。

 ユーリは動かなくなったエウリアを抱き上げようとする。

 その身体はまったく力が入っておらず、光を失った瞳は彼女の死を簡単に理解させた。――あっけなく、彼女はこの世を去ったのだ。


「嘘……」


 ぽつりと呟くようにユーリは言う。

 ずっとだ。ずっと、エウリアを殺すためにユーリは耐えてきた。

 片方ずつの手足を失っても、餌として生かされても、吸血鬼にされても――ユーリは耐えて耐えて、ようやく彼女を殺すための力を手に入れたのだ。

 それなのに、エウリアはユーリと戦うことなく、この世を去った。

 彼女がユーリのことをどう思っていたのかも、もう分からない。

 ただ、エウリアが最後にユーリの顔を見た時、それはとても愛おしそうだった。

 ――ユーリには、もう何も分からない。目標を失い、ただ茫然とする。仲間を殺した彼女に従い、ようやく吸血鬼としての力を手に入れて戦おうとして、それすらもできなかった。

 今、目の前にいるのは憧れの女性に、問いかけることしかできない。


「どうして……」

「……? なんだ?」

「どうして、すぐに、来てくれなかったんですか。もっと早く来てくれたら、わたし――」

「……! お前、そうか。吸血鬼になったばかりか」

「そう、ですよ。わたし、ようやく、戦えるようになったのに。戦える力を手に入れたのにッ! どうしたらいいんですか、わたしはっ! あなたに憧れて、騎士になったのに、もう戻れなくて……それで……! どうしたらいいんですかっ!」


 ただただ、ユーリは想いを口にすることしかできない。

 ここにいるのは、目標を失ってしまった憐れな吸血鬼だけだ。騎士にもなれない、吸血鬼になった意味もない。

 ユーリを見る剣姫の表情はわずかに曇るが、それでもすぐに表情は冷酷なものへと変わる。

 ユーリへの手向けなのか――剣姫は迷うことなく彼女の下へと近付き、剣を振るった。

 やってくるのは、肩から心臓にかけての痛み。焼けるような、抉るような、言葉にできない痛みがあった。


「あ……」

「……すまなかったな。助けられなくて」


 そんな一言で、ユーリは斬り捨てられる。

 ――エウリアに覆いかぶさるような形で、どんどん血が流れていく。

 失われていく血を、ユーリはただ目で追った。

 地面に染み行く血は、エウリアの血と混ざって赤く染まる。

 魔法によるものか、不死に近くなっていたはずのユーリの身体は回復することはなかった。


(わたし、何も、できなかった)


 英雄に憧れて、その道半ばでユーリは死ぬ。

 憧れた人に殺されて、名もない吸血鬼として死に行く他ないのだ。

 ユーリはそのまま、意識を手放す――そんなとき、ユーリの頭の中に響くのは女性の声。


 ――本当に、それでいいの?

 ――だって、どうしたらいいの。わたしには、もう……、何もない。

 ――そう……無駄死にしたいのなら、そうすればいいわ。貴女がそれで、気が済むのならね。


「……嫌だ」

「……なに?」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だッ! どうして……わたしが、死なないといけないの? こんなに頑張ったのに、頑張って吸血鬼になったのに! 痛みに耐えて、快楽に耐えて、屈辱に耐えて……ようやくわたしは吸血鬼になったんだ。なれたんだッ! わたしは、まだやりたいこともできてない。吸血鬼になったって、できるんだ。わたしは――あなたみたいな英雄に……『正義の味方』に、なるんだッ!」

「な……お前……っ!」


 冷酷な表情だった剣姫に、動揺が走る。

 倒れ伏したエウリアの血を吸い取って、ユーリは『完全』な吸血鬼と化した。自らを育てた親を殺したことで、彼女はさらに吸血鬼としての格を上げたのだ。

 その場から高く跳躍して、ユーリは剣姫から距離を取る。

 一瞬の隙をついて、ユーリは一心不乱に駆け出す。

 どれくらい走っただろう……剣姫が、ユーリに追いついてくることはなかった。

 暗い森の中で、ユーリはふと足を止める。

 痛みの残る身体は、それでも先ほどよりも軽くて、解放感があった。


「あ、はは……わたし、生きてる、生きてるよ。まだ、生きてる……吸血鬼になっても、ううん……なったから、剣姫からも逃げられた。でも、違う。わたしは逃げるために、生きるんじゃない。戦うんだ……わたしが、わたしであるために……ッ!」


 決意に満ちた声が、森の中に響く。

 ――《剣姫》から伝えられた情報により、一体の《吸血鬼》が消滅したことは告げられた。

 吸血鬼の名は、エウリア。数百年以上生きた個体の中でも最上位の一体。

 それほどの実力を持つ吸血鬼が滅ぼされたという事実と同時に、一体の吸血鬼が生まれたことも報告された。

 ……その後、どの機関にも所属していないにも関わらず、人々の依頼を受けて《災厄》を呼び起こすような魔物を倒す者が現れる。それが吸血鬼であることも、すぐに情報として広まった。

 悪を滅ぼし、同じ吸血鬼すらも殺す、《吸血殺し》。異端中の異端である彼女の名は、ユーリ・オットー。

《調停騎士団》の《殲滅対象》としては最高ランクの《S》として、彼女は登録されることになる。

 ユーリは、吸血鬼として歪んだ《英雄》となる道を歩み始めたのだ。

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