44 「どうかしたか?」

 改めて幼児に視線を落とす。

 レオンは1歳児程。元気になっては1人で好きに床を這う。それは危険だ。少し負担は増えるがレオンには数日寝てて貰おう。

 人体魔法を使うべく意識を向けると、紫色だったレオンの顔色が見る間に良くなっていき、荒かった呼吸も落ち着いてすやすやと大人しい物に変わっていく。

 もう大丈夫だ。


 後は戻って来たアストリッドが何とかしてくれるだろう。それからまた、監禁されたアストリッドを助けよう。

 ホッとするなり眠気が襲って来た。そう思った――その時。

 ガチャリと扉が開いた。

 明るいランタンを手に、驚きに目を見開いている赤毛の婦人と目が合う。すぐに分かった、扉の前に居る彼女がロヴィーサだ。


「え」


 編み物をしていたのでは、と思ったがどうもこの部屋でやるつもりだったらしい。手には編み物と黄色い毛糸を持っていた。

 一拍後、思い出したように女性は動き出した。


「っ、きゃあああ!!」


 叫んだ婦人にドンッと突き飛ばされる。抗いがたい睡魔に襲われている今、それを避ける事は出来なかった。


「ちょっと! 盗人よ、来て!!」


 ロヴィーサの叫び声が聞こえる。幾ら足を傷付けていようが、動揺しようが、床に倒れ込んでしまえば眠気に抗えるわけがない。

 動かぬ侵入者に違和感を覚えたのか、ロヴィーサが恐る恐る自分を見下ろしてきて、ポツリと呟いた。


「金髪……?」


 その言葉に何の意味があるのか。

 それに、これはもしかしたら最悪殺される状況ではないか。

 アストリッドに、まだ謝れていないのに。

 悔しいのに、もう瞼の重みの事しか考えられなかった。


「――……」


 何も言えぬまま睡魔に誘われ意識が途切れた。


***


 荷や船の補償も何とか終わり、ハンメルフェストからトロムソに再度戻ってきた。

 ルーベン・ハンセンは仕事の詳細を聞きに行くべく、雪降る中グローヴェンの屋敷に到着したところだった。

 紐チャイムを鳴らし待つ事数十秒。

 思っていたよりも早く痩せぎすの女中が顔を出した。その表情は何故か困惑している。何か事件でもあったのだろうか。


「あ、ルーベンさん。ご足労有り難う御座います……それで、あの、本題の前にルーベンさんに見て頂きたい物がありまして。とにかく上がって下さい」


 女中はそう歯切れ悪く言い、さっさと屋敷の中に入っていく。

 「ん?」とこちらがさらなる説明を促そうとするも、女中がその言葉に足を止める事は無かった。

 ロヴィーサはもっと男に厳しいと思っていたので、こうもあっさり通されると気味が悪い。本当に事件が起きたのか。

 玄関で雪を払ってから屋敷に上がって階段に上がる。

 ――と、廊下に赤毛の婦人が立っていた。

 アストリッドに良く似た勝気な顔が見るからに憔悴していた。この人にしては珍しい表情だ。

 女中がロヴィーサに話しかけると、婦人の顔がこちらに向けられた。救世主でも降臨したかのように表情が明るくなる。


「どうかしたか?」


 珍しい表情につい尋ねていた。


「丁度良いところに来てくれたわね! 数時間前にこの屋敷に侵入者が居たのだけど、……そいつが不思議なの。もしかしてこいつがウィルなのではなくて? 今は眠っているし、ちょっと検めてくれない?」

「ウィル? が、ここに?」


 意外すぎる人名が飛び出て来た事に瞬く。

 カウトケイノに居るのでは無かったのか。もしかしてカリンに何かあったのだろうか。ウィルなら自分がトロムソに向かっている事もすぐ分かったろうから、報せに来たのか。

 しかし、どうもしっくり来ない。


「どうしてあいつがここに?」

「知らないわよ」


 吐き捨てるロヴィーサの横を抜けて部屋の中に入る。

 受け取ったランタンを掲げ中を見ると、家具の少ない部屋には寝台が1つ置かれていて、そこには茶髪の幼児が寝ていた。

 ラップ人の顔、という事はあの女中の息子だろう。あの女中が必死だったのは、この命を背負っていたからか。

 その寝台を背に、凭れかかるように眠っている金髪の青年。

 ランタンの光を受け輝く色の薄い金髪に、どこか人間離れした端正な顔。床板の上に転がった細くて歪な杖にも見覚えがある。


「確かにウィルだ。でも変だな、アストリッドは一緒じゃないのか?」

「知らないわよ! それよりも何でそいつはこんなところで寝ているのよ!」


 返ってきたのは感情的な声。ついつい応える声も荒くなる。


「あんたに知らない事が俺に分かるかよ。ただ、こいつは魔法を使うと寝ちまうらしいぞ。海難事故に遭った時も瀕死の下女を助けてくれたんだが、その時もすぐに寝ちまった」

「……だからレオンが治っているの? じゃあリーナは……そう……」


 ロヴィーサはブツブツと何事か呟いた後、何か思い至ったように笑みを深める。


「こいつを帰さなかったらアストリッドは戻って来るでしょうね!」


 急に生き生きとしだしたロヴィーサは満面の笑みを浮かべ、室内に入ってくる。


「だったらアストリッドが帰って来る準備をしないといけないわ! ルーベンさん、すぐにこいつを貴方の物になる家に拘束しておいてくれない? こいつをアストリッドと同じ屋敷に居させたくないの」


 紹介してもらった崖上の家はここから少し歩くので眉間に皺を寄せたが、自分はロヴィーサの人質。大人しく言う事を聞いておいた方が得策だろう。


「はいはい……杖はこの家で預かっておいてくれ。つか俺仕事について聞きに来たんだがなあ? 仕事の事を聞かせちゃくんねーか」

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