2-⑪星明かりの下、赤い水たまりの上で

 三人でのお疲れ会を終えて、俺たちは帰路についていた。

 

 技術の街らしく道の魔石灯が多いため、日が落ちた後も危険な雰囲気はない。


「いやぁ、笑ったねぇ」

 

「あんなに馬鹿な話したのマジで久しぶりだ」

 

「店員がちょっと引いてたのも面白かったわ」


 この時間を惜しむように俺たちは滑稽だった話を繰り返す。

 

 

 そんな中、突如、リアナの顔色が変わった。


 

「ユーリ」

 

「ああ」


 言葉で表さずとも俺は理解する。

 

 ロランだけが「え? なんだい?」と不思議そうな顔をしていたが、歩みを止めないよう「なんでもない」と誤魔化した。


 

 ――俺たちをあとを誰かが尾行している。

 

 

 幸い、今すぐ仕掛けてくる気配はないが、このまま最後まで大人しくしているとも思えなかった。

 

「アタシに任せてロランを送ってきなさい」

 

「いや、逆だろ」


 リアナの提案を俺は却下すると、不満げな顔を向けてくる。


「剣がないくらいで負けたりしないわよ」

 

「わかってる。ただ……」


 俺が言い淀むと、リアナは片眉を上げて言葉を待った。


 その目を見ていると一生言葉が出てこなさそうだ。

 

 俺は宙に視線を向けて答える。


 

「その服とか汚れたら嫌だろ。綺麗に化粧もしてるし……」


 

 呆れたような視線が俺を刺した。それから怨嗟のような声が耳打ちされる。


「そういうのはすぐに褒めろ?」

 

「見失ったんだ。タイミングをな」

 

「タイミング!? 情けないやつ~……!」


 そう言われると地味に傷つくが、俺は頭を掻いてごまかした。

 

 はぁ~、とリアナはやけに長いため息を漏らしていたが、いまだに状況が飲み込めていないロランの背中を押す。


 

「ロラン。ユーリはちょっと寄るとこあるからアタシが送るわ」

 

「え? 僕が送る方じゃないのかい?」

 

「守ってくれるの? 優しいわね。アタシはステゴロでユーリに勝てるけど」


 その言葉に、連れ去られるロランが気の毒そうな視線を向けてきた。


 いや、なんだその顔は。


 俺は一息つくと、その場で立ち止まり、二人と別れた。すると、後ろの気配も移動を止めたため、人通りの少ない道へと入った。予想通り俺の方に食いついたようだ。


 ある程度歩いたところで後ろを振り向く。


 路地には外套を顔まで被った男が立っていた。もう姿を隠す必要はないということだろう。


 

「よぉ、坊や」


 

 男が唸るように言う。それからフードを捲り上げると、左眉にキズのある無精ヒゲの顔が現れた。


「俺の尻なんか追いかけてきて楽しいか?」

 

「今からあの嬢ちゃんのところに行ってもいいんだぜ」

 

「実際にはそっちの方が外れなんだよなぁ……。――炎燐旺華ナイギス・アクセラレティオ


 俺は流れるように身体強化魔法を発動し、相手を見据る。

 

 男は応じるように腰から幅広の剣を抜いた。その顔には引きつったような笑みを浮かべていた。


「そんなまどろっこしい事はしねぇ。次の仕事に坊やが邪魔になりそうなんでな」

 

「だから俺を狙ってきたって話か? 納得した。あー……でも昼はいい吹っ飛びっぷりだったよなぁ?」

 

「よせって。盛り上がっちまうじゃねぇか」


 掛け合いに俺たちはふっと鼻を鳴らした。

 

 

 それはふと遠くの風の音が止んだ瞬間――互いがほぼ同時に地面を蹴る。


 常人の数倍に強化された脚力は俺を矢のような速度で前へと突き出した。


 

 俺は男の胸を穿つ拳を突き出すが、同等の速度で動いて男の剣によって阻まれる。金属同士がぶつかり合い、激しい火花が暗い路地に散った。

 


 こいつ、そこらの冒険者のレベルじゃない。昼の不意打ちもやられたフリをしていたんだろう。少なくとも野党をやるような腕前ではない。


 

 冷静に相手を見極めてはみたが、単純な力比べで押し負けそうな馬鹿力だ。


 にやりと笑った男に、俺は歯噛みする。

 

「ちっ……!」

 

「楽しく行こうや!」

 

 男の剣筋は重さを感じさせないほど鮮やかだ。剣を弾いた手甲の中の骨が軋む。うかつに受けると剣の重さと速度で態勢すら崩されそうだ。


氷羅縛硬装セラ・ヴェス・アルマ!」


 俺は一歩下がって拳と足に防御の魔法を発動した。氷の結晶のような模様が四肢に浮かび上がる。

 

 男はそこ鋭く踏み込み、突きを繰り出してきた。剣が幅広な分、大きく避ける必要がある。ただし、避けるのならば、だ。


 

 俺は手甲を斜めにして、刃を受け流す。

 

 

 防御の魔法は発動部位を保護するだけではない。表面に滑性を持たすことができる。


 俺は繰り出される剣戟を次々と受け流し、軌道を逸らしていく。

 

「ずいぶんお上品に戦うじゃねぇか! 坊や!」


「下品な戦い方ってどんなだ?」


「こういうことさァ!」


 絶え間なく剣を振っていた男が突然、タックルをかましてきた。


 反応はできる。だが、距離が近すぎた。


「ぐぅ!?」

 

 とっさに腹部などは守ったが、体格の良い男の体を回避できるわけもなくまともに食らう。

 

 

 俺の体は吹き飛ばされ、近くの民家の壁へと激突した。

 

 

 すぐさま体を起こそうとするが、呼吸ができない。男の肩が胸に当たったようだ。だが、回復を待つ時間はなかった。ピリピリとした殺気が急速に迫ってきている。

 

「あぶねっ!」


 全力で横に体を投げ出す。同時に横薙ぎに大きく振るわれた剣が、俺の顔をかすめた。


 それで終わりではない。

 

 狭い路地裏だというのに周囲の壁や物ごと切り裂きながら男が迫る。いまだまともに構えも取れていない俺は押される一方だ。


 

 その余裕の有無が、勝敗に大きく響く。

 

 

 上段からの振り下ろしを受け流そうとして――乱れた呼吸のせいか思うように腕が上がり切らない。

 

 とっさに上体を捻って受け流す角度を確保するが、衝撃を逃しきれなかった。


 

 右半身に激痛が走る。


 

「ぐあっ!?」


 思わず俺は倒れ込む。見れば右足を斬られ、血が飛び散っていた。だらんとぶら下がった右肩も鈍痛で動かせない。骨折――いや、脱臼だ。


「ふぅ……。いい腕だったな。坊や」


 言いながら、男は剣を構え直す。その殺気は健在だ。ここからトドメを刺そうとしているのがわかった。


 

 ……これじゃあ逃げようとしても満足に動けないか。


 

「女の前でいい恰好するだけの男は生き延びられんのよ」


「アタシもそう思うわ」


「――あ!?」


 男は突然降ってきた声に弾かれたように顔を上げる。



 屋根の上には、星明かりに照らされた銀髪の少女の姿があった。


 

「リアナ……」


「てめぇいつから……」


 男は苦しげに呻いた。今までその気配に気づくことができなかったのだろう。俺でさえ思考共有がなければ気づけないほど、気配は完全に消えていた。


 リアナは興味なさげに男から俺に視線を移すと、怒っているぞと言わんばかりに顔をしかめる。


「なに律儀に相手してんの。さっさとやっちゃいなさいよ」


「そうは言うけどな。こいつだって人間なんだぞ」


 飄々と言われ、俺は苦々しく答えた。


 

 俺だって思うことはあるからこそ、こうして格闘で相手をしているというのに。

 

 

「なんだと……? なに言ってやがる……?」


 男にとっては意味の分からない話だろう。すでに勝敗は決し、とどめを刺すだけと思っていた獲物が悠長に話しているのだから。


「人間相手でも殺す気でくるならさっさと殺しなさい」


「それ、聖女様としての教えか?」


「アンタの相棒としての助言でもあるのよ」


 俺は血が流れるのを構わず立ち上がった。



 右腕は上がらないので、左腕に魔力を集中させる。


 

「何が聖女だワケのわからねぇガキども!」


 ついに痺れを切らした男が全力で突撃してきた。確実に首を取ってくるだろう。


 俺の左腕に圧縮された風の力が纏わる。この魔法の射程は約六歩。剣よりも長く、槍よりもやや短い。


「逝っちまいなァ!」


 男が剣を振り被った瞬間、引いていた左腕を繰り出した。

 

 

「【風鋭槍撃掌ケイセル・ヴェス・ランシア】……!」


 

 ドン、と空気を壁を叩く音のあとに、突風が路地に吹く。

 住民が置きっぱなしにした掃除道具やゴミが吹き飛び、窓ガラスを揺らした。



 やがて、静寂が戻る。



「て、てめ……」


 驚愕に男の瞳が揺れていた。言葉と共に無精ひげの口から血が漏れる。


「隠してて、悪かった」


 俺は構えを解いた。すでに男の瞳に光はない。

 

 男の剣は中ほどで丸く抉り取られ、その奥にあった肉の体にも同じような穴があった。



 やがてその穴から血が噴き出し、体は崩れるように倒れる。



 俺はそれを見て、目を閉じて黙とうを捧げた。


 

 殺したことは詫びない。ただ、安らかに眠ってくれと祈るだけ。

 

 

 しばらくして、膝を折って退屈そうにしゃがむリアナから声がかかる。

 

「もうさっきみたいなのやめなさい。ユーリ。アンタが手加減しても、そのおっさんは喜ばなかったでしょ」


 俺は不機嫌になって顔を背けた。


「手加減じゃない。人間として相手をしたかっただけだ」


「そうすればどっちかが死ぬ前にやめてくれるって? そりゃちょっと甘え過ぎよ」


 リアナが屋根から飛び降りて、俺の肩に触れる。その手には淡い光が灯っていて、治癒魔法を施してくれているようだ。


「この国の人の命は軽いのよ。昔と比べたらマシになったかもしれないけど。まだ、ね」


「だとしても、っていったら怒るか?」


「怒らない。けど、覚えておいて」


 かすった傷を治すためもあるのだろうが、リアナが俺の顔を遠慮なく掴んだ。


 

「アタシにとってアンタの命は軽くない。その他大勢よりもずっと、ず~っとね。だから、命の価値がどうとかなんて道徳はどうでもいい。アンタはアタシのために他の誰かを遠慮なく殺しなさい」



 俺はその言葉に念押しする。

 

「それも教えか?」


 冗談のつもりではない。俺はリアナの目を見て言った。


 俺が前世の常識を引きずって人を殺すことにためらいがあることは自覚している。その半面、一度死んだという経験が死への恐怖を薄れさせていることもわかっていた。


 それをリアナは見透かしていたのだろう。だからこそ――。


 

 ――リアナは深く頷く。


 

「そう。アタシはアンタのためにそう祈るのよ」


 リアナの香りが微かに鼻をくすぐる。だが、それ以上に俺が感じていたのは濃い血の匂いだった。

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