2-⑧嫉妬のうっかり聖女
「こんなものかな。お疲れ様、ユーリ」
ロランからの許しが出て、俺はシートに体重を預けて深く息を吐いた。
やっと調整が終わった……。
動かそうとする俺の思考と、それを受け取る
人と人との連携と同じだ。大雑把な動作なら伝えることができるが、細かな動作は事前の折衝が必要なのだ。
ロランからは「大事なのは剣を振り回す大胆さじゃなくて、万が一にでも人を踏み潰さない精密さだからね」とも言われている。
「実際に動くと
「悪い。やってみる」
調整中にロランが書き留めてくれていたらしい、俺の不安要素をまとめた大量のメモを渡される。
俺はそれを受け取ると、コックピットの装甲を開いた。
「ほら、お嬢さんが待ちくたびれてるよ」
外に出て見下ろしてみると、腕組みしたリアナと目が合う。俺は下に降りようと身を乗り出したが、手を挙げて制された。こちらに来るという意味だろう。
「じゃあ、僕はこれで。頑張ってね」
「ああ。ありがとうな」
礼を言うとロランは少し驚いた様子だったが、すぐに頷きが返ってくる。
「どういたしまして」
そう答えるロランは今日一番に嬉しそうな笑顔だった。
しばらくして、入れ替わりにリアナが乗り込んでくる。
「気が合いそうでよかったわね」
「同い年だからな。けど前の人生も入れると俺の方がめっちゃ年上なんだよな……」
俺は自嘲気味に言ってみたが、リアナは浅く笑うだけだった。
どこか別のところを見ているような、そんな雰囲気だ。
その証拠に今も、俺ではなく手元を見て長いため息をついている。
俺が黙って待っていると、リアナは改まった表情でこちらを向いた。
「これをその腕輪に嵌めれば、今度こそ本当にアンタは騎士になる」
差し出されたのは黒い宝玉だ。
その色は俺の腕輪と同じものだ。クロエの言っていた【
俺はそれを受け取ろうとして――直前でリアナの手が引かれた。
「リアナ?」
宝玉を握る手はぎゅっと握りしめられている。
「けど……本当に今更だけど、アタシはちょっと迷ってる」
俺が首を捻ると、リアナは苦しそうに眉間に皺を寄せて言った。
「アンタを騎士にしたら、本当にずっとアタシと縛られることになるわ」
「そんなこと今更だろ?」
そう。心臓を分け与えられたその瞬間から、俺はお前に縛られている。それが当たり前で、これからもそうだと思っていた。
それが俺たちの関係で、俺たちの距離だと思っていたんだが……。
「そうじゃないの。今のままなら巻き込まれなくても済むこともあるの。けど、アンタにはアンタの友達がいて、アンタの人生がある。それがアタシには少し苦しいの」
「リアナ……」
言いたいことはなんとなくわかる。俺だってこの工房に入ってきてから、事の大きさを今になって実感していた。
俺が――記憶を取り戻す前のユーリ・コレットも、
たった二人で遺跡探索に行って、手つかずの星遺物を見ることなどないと思っていた。
俺一人で大量の魔物を相手にできる力を持つことなどないと思っていた。
すべてはリアナのおかげだ。
目の前の少女がいなければ、これまではなかっただろう。
だが同時に、俺は何もしなかったわけじゃない。
俺はお前に微笑みかけられた瞬間から変わってしまったんだ。
一人の冒険者で終わる予定だったユーリ・コレットのすべてが変わってしまうことを、俺は俺の意志で受け入れたんだ。
だから俺は――。
「ふざけんなお前! こっちはやっと振り回されるのにも慣れてきたとこなんだぞ!」
――めちゃくちゃ腹が立っていた。
いや、もうだいぶ俺の人生はめちゃくちゃになっているし、そもそも異世界転生なんぞしている時点でまとももクソもない。なのに、今になって「アンタの人生」なんてものを持ち出すリアナの勝手さに俺はブチ切れていた。
俺が急に怒り出したせいか、リアナは頭を抱えて髪を振り乱す。
「だってなんかもやもやするんだもん!」
「もやもやってなんだよ、クソ今更か! いいからよこせ!」
煮え切らないリアナは逃げ出そうと後ろに下がった。俺はカッとなって宝玉を握る細い腕を掴む。すると、リアナは一瞬だけ目を丸くした。
だが、すぐに顔を赤くする勢いで言い返してくる。
「駄目よ! そうやってまた勢いで行動する! もうちょっと慎重にいきなさいって言ったばっかでしょ!?」
「じゃあなんだ!? 俺はもう乗らないっていったら置いてけぼりか!?」
俺は自分の胸を強く叩いて言うと、リアナは首を横に激しく振った。
「そんなこと言ってないでしょ! 今なら前の生活に戻れるって言ってんの!」
「戻りたいなんて言ってねーだろ! なんだよいきなり!?」
俺が怒鳴ると、急にリアナはしぼむ様に言葉を失う。
少し強く言いすぎたかかもしれない、と思い、俺も頭を冷やす。
言い合いながら、そういえばと頭をよぎったことがあった。なんだかんだで俺はこいつに伝えてなかったことがある。
毎回デタラメなことをするリアナに文句は言うが、俺はこの旅が楽しい、ということだ。
二人の時間が長かったのに、なんで言わなかったんだろう。
長かったからこそ、伝わってるものだと思っていた節がある。伝わっていないから、リアナは俺が前の生活の方がよかったと後悔してるとでも思ったのだろうか。
思考の共有ばかりに頼っていないで、ちゃんと言葉にするべきだったのかもしれない。
俺が声に出して伝えようとした、その時――先にリアナが口を開いた。
「だってアンタが他の人と仲良く話してるのを見たら……なんか嫌で」
……ん? なにか微妙に俺の考えていることとズレている気がする。
てっきりリアナは親のような目線で俺を縛ることに罪悪感を覚えているのかと思ったのだが、何かが違う。
目の前の見てくれの良すぎる少女がもじもじしているところを見ても、それは明らかだった。
俺は先ほどの真面目な話を飲み込んだ。
いや、その仕草と表情でおおよその予想できるのだが。もう素直に聞いてしまえば楽になる気がした。
あぁ、もう言っちまおう……。
「な、なぁリアナ。つまりそれは――……」
俺は言葉切って、前のめりだった体を引く。
これを言うにはちょっと勇気がいる。冷静にいけ。いや、変な汗出てきたな……。
「……嫉妬か?」
リアナの口がぽかんと開かれる。それからみるみるうちに顔が赤くなり、怒鳴り返された。
「……ハァッ!? 嫉妬!? アンタとはアタシは恋人じゃないでしょ!?」
「いや、恋人とは……」
先んじて冷静になっていた俺は的確に指摘する。すると、リアナはしまったと言わんばかりに顔に手を当てた。
出たな。うっかり聖女。
「あ……、今のマジで忘れて。あー、なにやってんだろ。あー! あぁー!」
片手で顔を覆って、リアナはしばらく一人で大声を上げる。
リアナが落ち着くまで、おそらく十分くらいはかかっただろうか。ぐねぐねと体を曲げたり伸ばしたり、コックピットの壁に額を打ち付けたりしていた。綺麗にしたばかりなので壊さないでほしい。
そして、やっと少女の体が俺の方へ向く。
俺がずっと握っていたリアナの手首を離すと、どこか頼りなさげな表情で見上げてきた。
迷っているような表情だ。こんな顔は初めて見る。そう思っていたら突然、胸に軽い衝撃が来る。
気がつくと小さな体が抱きついてきていた。
「……ん」
「お、おい」
リアナは俺の胸にこすりつけるように顔を埋める。
甘い香りが立ち昇ってきて、自分とは別の存在を強く感じた。恐る恐るその体に腕を回すと、応えるように少しだけ力が強まる。
俺もさっき素直に言葉を伝えようとしたように、リアナも少し素直になったのだろう。
リアナは俺の香りを吸い込むように深呼吸を繰り返す。吐息で胸が熱い。けれど、それが妙に愛おしい。
「……わかった」
リアナの顔が上がる。
なにがだ、と小首を傾げてみせると、ひどく真面目な顔で聖女は答えた。
「アタシ、嫉妬してたわ!」
「どんな開き直りの早さしてんだお前」
思わずツッコんでしまった。
しおらしい雰囲気をどこかに吹き飛ばして、相棒は抱き合ったまま地団太を踏む。
「アンタが他の女とイチャついてたのも腹立つし! その女の部屋にすぐ行くのもありえないし! なによりあの時――!」
ぐりぐりと頭を胸に押し付けられ、ぐらぐらと揺さぶられ、俺は成すがまま振り回される。
ひと際大きな声で区切った言葉を、リアナは顔を近づけて至近距離で叫んできた。
「――さっきみたいにアタシの方を止めてほしかった!」
「あっ、予想以上に素直になってるコイツ」
だが、それで俺は再度理解する。
これだけ一緒にいるんだから、思ったことは全部伝えておく方が楽だ。恥ずかしいことも、腹が立つことも、そして――。
「……ごめんな」
――悪いと思ったこともだ。
俺は銀髪をゆっくり撫でて、正直に言った。
リアナは不満そうな顔だ。だが、遠慮なく体を俺に預けてくる。
「気をつけなさいよ。アンタを選んだのは気まぐれとかじゃないんだから」
「俺だって流されてついてきたわけじゃないのにな」
思考が共有されているはずなのに、こうして理解し合うのがここまで大変だとは。
長く息を吐くと、妙な安心感が心に湧いてきた。
これはリアナの感情だ。
俺よりもずっと強いはずの聖女が、俺と一緒にいることで安心してくれている。
そのことが俺には何より嬉しく思えた。
しばしの間、互いの熱に浸り合う時間が過ぎる。
やがてゆっくりと体を離したリアナが宝玉を見せてきた。
「これ、ほんとにつけるの?」
「お前だってもう着けてるだろ。一週間前から」
俺は知っている。言わなければ気づかれないとでも思っていたのだろう。銀髪に触れて、右耳についた黒い宝玉のピアスを改めた。
「ちょっと浮かれちゃって、つけてそのままなだけ……」
「お前も勢いでつけてるじゃねーか!」
リアナは気まずそうに目を逸らした。
俺は仕方なく腕を差し出す。
「ほら、その宝玉、どうやって腕輪につけるんだ?」
「そんなのここに嵌めるだけ……」
宝玉が相棒の手で腕輪に乗せられる。
その白い手に、俺は自分の手を重ねた。リアナの顔が上がって視線がぶつかる。
俺たちは互いを見つめ合いながら、宝玉を押し込んだ。
カキン、と鋭い音がして、わずかに光が発せられる。
「……あーあ、入れちゃった」
リアナは嬉しいような、迷うような、そんな複雑な表情だ。
けれど、俺たちはそのまま手を握り合っていた。互いの心にかすかな高揚感を感じて、不思議と頬が緩む。
「後悔すんなよ」
「させないでよ」
リアナはにひひ、とおかしな笑いをもらした。
俺はたぶん、後悔などしないんだろう。
会ったその日から今まで、俺はこいつと一緒にいることに、不満を抱いたことなどただの一度もないのだから。
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