オンライン・ライフ

夢想曲

オンライン・ライフ

 俺の親父が老いぼれて、実家の広い家で一人暮らしをはじめた際、一度だけ顔を出した時の事を思い出した。


「人は一人じゃ生きられないもんだ」


 妻、俺の母さんに先立たれ独り身になった親父はそう零した。不穏な言葉だと思った。

 だがそんなものは杞憂でしかなかった。親父は所謂コミュ力おばけというやつで、今でも近所付き合いをよくやっている。地元の老人クラブでは運動神経の良さも手伝い兄貴肌を遺憾なく発揮しているらしい。らしいというのは、もうここ十年は会っていないからだ。

 若い頃は口先だけで生き抜いたと親父はよく自慢するやんちゃな男で、平成の暗黒時代に食う物に困らなかったのは俺のおかげだと、酒を飲む度に俺や就職難に喘いだ親戚に話していた。自分の仕事の成果や、その裏で行ったちょっとした悪事を、武勇伝のように語る饒舌な親父の姿を見て育った。

 そんな親父も母さんが亡くなった時はひどく落ち込んでやつれていた。介護疲れもあったのだろうけど。

 親不孝者の俺は、ある時を境に親父と会わなくなった。


 俺は親父ほど社会を上手く渡る才能は無かった。

 なにせ人間が嫌いだった。愛想よく振舞うのも苦手で、仕事をサボるような上司にヨイショなどしたくないという妙なプライドもあった。かといって盾突くなど反抗的な面も出さなかった。俺はただ、余計な富も持たず、ひどく困窮する事もなく、心折れるような不幸も人生のピークを感じるような幸福もない、ただただ平穏無事に生きたかった。だが世の中はそんな夢のない夢すら叶えられるものではなかった。

 タバコ休憩はコミュニケーションの一環。などと言い訳をしては休憩時間とは別に一時間も二時間もデスクに戻らないような人間に反吐が出た。そういう奴らの怠慢のしわ寄せが真面目にパソコンや書類に向かってるタイプに押し付けられるのは日常茶飯事。酒をひっかけながら外回りしてる連中の無茶な営業の処理が回ってきたかと思えば、自分でケツ持つ訳もなく契約取ったら後は知らんといわんばかりにまだかまだかと催促だけはする。そういう奴らが先に昇進や昇給の恩恵に預かり、普通に仕事をしてる者には真面目系クズなどというレッテルが貼られる社会で。俺は人生の半分を過ごした。

 もう無理だ。そう思ったのは終電でいつの間にか寝ていて、車掌に起こされた時だった。深夜まで仕事してて、過労だか酔っ払いだか知らないが座席を自分のベッドと勘違いしてそうなくらい爆睡している中年野郎を叩き起こさなきゃならないという面倒臭さが、声色に滲み出ていた。

 終点ですよ。車掌の声に人生の終点かなと自然と思った。いつの間にか俺はその場で号泣していた。あの時の車掌には迷惑をかけてしまったと、今でも思い出してはやり場のない自責の念が肺を締めつける。


 それから出勤せずに精神科に通い、俺は社会不適合の烙印を押された。

 自分の地位とメンタルが?み合わないと人は崩壊する。

 俺は学ぶ事もなく、無駄に長く生きてきた。割り切るだとか切り替えるという事がまるでできなかった。その結果仕事の最中に遊び呆けてる堕落した連中よりも社会から白い目で見られる排泄物製造機にクラスチェンジしたわけだ。

 こうなってくると何もかもがどうでもよくなるもので、生活習慣は崩れ、医者から診断された自分の病名も社会不安だったか鬱だったかも記憶になくなり、一日の大半をパソコンの前で便々とするだけ。

 きっちり払っていたにもかかわらず大した額になってない年金を貰いながら、俺は父よりも早い歳で隠居者となった。いや、世捨て人とでも言った方が隠居者に失礼がないか。

 長年に渡って社会の歯車として尽くしてきた俺に待っていたのは、独り身で借家暮らし、精神疾患持ちで年齢的に復職も絶望的な、暗い暗い余生だ。

 一度壊した精神というのは厄介なもので、社会復帰の第一歩としてその手の私設で軽作業だの運動などする生活を数か月経験したが、俺よりも精神疾患の重い連中に囲まれて余計に気が滅入りそうになり断念した。とにかく他人がわずらわしく、よりによってどんな言動をするかも分からない人間がパーソナルスペースにいるという恐怖。人並以上に他人に対する嫌悪感を感じてしまう俺にとって、最早この世の中に居場所はなかった。在宅ワークなんかも考えたが、既に引きこもりと化していた精神状態で面接の為に背広に袖を通すという事自体が苦痛で耐えられず、ハンガーにかかった背広を手に取った瞬間に説明しがたい嫌悪感に苛まれ嘔吐していた。

 こんな状態になってから唯一心が躍ったのは辞めた会社が潰れたと元同僚からメールが飛んできた時ぐらいで、後はもう何も考えないように、ぼんやりと会社員の時にリアタイ出来なかった旧作アニメを周回遅れで追いかけていた。


 宅配弁当の定期便やネットスーパーの存在が外出する回数を減らしてくれる事による精神的負荷の緩和は、ケバブのように削がれる心の摩耗速度を低下させ、今日を辛うじて生きる分が残ってくれる。


「人は一人じゃ生きられないもんだ」


 一人で自宅に引きこもる生活の中でようやくその意味を噛みしめられるようになった気がした。

 赤の他人とのやり取りを極力削り、配達員とかかりつけの医者相手に少し話すだけで済む生活はやっと自分らしくいられると思えた。

 あの日が来るまでは。



******



 どうしてこんな事になってしまったのか。いや、どうしてこんな所に来てしまったのか。

 俺は後悔していた。

 家に篭ってやっている事などたかが知れている。ネットの海を漂い、気になる雑学をチェックし、動画サイトでニュースを観たり、アニメや映画を観て仕事で犠牲にしてきた自分の時間を取り戻していた。

 ある日、なんの気の迷いかSNSで放置していた自分のアカウントにログインした。とはいえ、作っていたアカウントは日々仕事の愚痴を吐き出すための鍵付きアカウントと、職場の連中に教える為のダミーアカウントの二つだけ。数年放置してただけにフォロー数もフォロワー数も桁ひとつ無くなっていてまさにネットの吹き溜まりにいる生死不明アカウントと化していた。過去の自分の書き込みを見て当時の限界っぷりを懐かしんでいたが、そんな事はどうでもいい。問題はタイムライン上に流れてくるプロモーションだ。

 内容はオンラインゲームのプロモーションなのだが、数十年ろくにゲームもできなかった俺の目に飛び込んできたそのゲームは俺の知っているタイトルだった。


「うわ……まだやってたのか」


 思わず口から漏れ出た自分の声は驚きと嬉しさと困惑、様々な感情が入り混じって上ずっていた。

 そのゲームは自分が学生時代にやっていたオンラインゲームだった。そのゲームまんまというわけではなく、サブタイトルにニューエイジとかついた続編にあたるらしく、懐かしのタイトルと昔と比べて明らかに美麗になったグラフィックに懐古の感情と新しい物に触れる好奇心が同時に揺さぶられた。

 しかし、そこで思い出す。オンラインゲームとはつまり他人と協力して強力な敵を倒したりするのが目的のゲームである。中にはそうでもないものもあるが、過去に自分がやったゲームはそうだった。この期に及んでまたいちいち他人の言動に気を遣わねばならず、他人に合わせなければならないコンテンツに触れる気などなれなかった。しかし何故か妙に惹かれてしまい、気付いたらインストールを終えていた。


(最近のオンラインゲームはソロプレイでもやれると聞くし、ソロ専でやって飽きたらやめればいいか)


 そうすれば他人に迷惑かけることもないだろう。そう自分に言い聞かせて己の好奇心に屈したのだった。

 ゲーム自体はなんといえばいいのか、グラフィックだけは今時の技術で目を見張るものがあった。だが単純作業システム面やストーリーがおまけ程度の無味乾燥さは一昔前のオンラインゲームといった感じだ。だがそれが今の俺には丁度良かった。

 何も考えず、ただ目の前の敵を倒し続け、レアアイテムを手に入れるまで確率と戦う……といえば聞こえはいいが、所詮は運頼み。黙々と、淡々と、粛々と、ただ目の前に出されるタスクを消化するだけ。

 だが、ただボケっと動画配信サイトで口を半開きにしながら、画面から流れてくるものを受動的に享受して時間がただ過ぎていくだけよりも、そこには自分の意思が存在していた。

 久方ぶりのゲームに、長らく忘れていた好奇心を思い出して三ヶ月そこら。たまたまクエストで一緒になったプレイヤーに話しかけられ、話に付き合っていたら流れでプレイヤーの集まりであるギルドに誘われてしまい、そして話のノリで加入してしまったのだ。俺は仕事でも断れない性格だったが、ゲームでもそれだったということだ。


 問題は、そのギルドのリーダーが作った交流用のホームページでオフ会が企画され、その出席すら断れなかったという事だ。

 オフ会なんて昔オンラインゲームをやっていた頃でも参加した事が無い。一応昔はアニメオタクの部類ではあったがコミケすら参加した事もないぐらいそもそも根がインドア。しかも引きこもりの真っ最中で外に着ていく服もない。普通そこでじゃあ何か服を買うかとなるだろうに、俺は自分のセンスのなさを重々自覚していた。頼れる友人なんてものは社会人になってから疎遠になって四半世紀経つ。


 ――結局、俺は仕事に着ていたスーツを引っ張り出した。

 そしたらどうだ。みんなラフな格好をしてきていた。ダメージジーンズにゲームキャラの缶バッジをじゃらじゃらつけたパーカーなんかを羽織った茶髪の若者や、サロペット風ワンピースにリュック姿の女性。そんな人達の中で、俺だけくたびれ感を誤魔化したスーツを着ていた。しっかり締めたネクタイが場違いさに追い打ちをかけているのに気づき、それとなく人差し指で冷や汗を拭いながらネクタイを緩めた。その時だ。


「あ、アローンさんですね。はじめまして……いや、こんにちは」


 オフ会の中心からやや外れた所で冷や汗をかいていた俺に声をかけてきたのは、このギルドに誘ってきたゲームで最初に知り合った人物だった。お互いゲーム内でのプレイヤーネームの名札を首から下げていた。当たり前だ。リアルのお互いの顔など知るはずないのだから。

 声をかけてきた女性の名札を見て、思わず昔の癖で腰を低くしながらぺこぺこと頭を下げた。


「あぁ、どうもリアルでははじめまして。N・サテライトさん」


 女性だとは思いませんでした。と言いかけたが飲み込んだ。昨今性別が云々という言葉や先入観というものを出すのはタブーだからだ。

 どうやっても二次元キャラを作ると自分に寄せるなんて不可能だ。それでも、俺は等身大の自分を二次元に投影したかった。結果、くたびれたオッサンキャラでゲームを遊んでいた。

 だが、目の前の女性はゲーム内では高身長で筋骨隆々の美丈夫といった風だった。勝手にゲームのキャラクターのような姿でイメージが固まっていた

 ゲーム内で何度も話している相手なのに、勝手に想定していた容姿と違っただけでこんなに緊張するものなのか。そう思ってから気付いた。向こうから見て俺はどう映っているのだろうか、と。

 そう思った瞬間、こんな場違いな格好で来てしまった俺なんかによく声をかけて来たなと、感心すると共に更に恥ずかしくなってきた。

 多分耳を赤くしながら顔は青ざめていたと思う。


「エヌで良いですよ~。今日はよろしくお願いします」

「は、はぁ……ども」


 明るい笑顔を見せながら差し出された手に、戸惑いながら手を差し出して握手を交わした。

 エヌさんは綺麗だった。べらぼうなべっぴんさん、という感じではない。芸能人のような煌びやかな美人とは少し違った。

 俺みたいな付け焼刃に伸ばしたスーツと違って、普段からきっちり綺麗にしているシックな黒のワンピース。容姿だけではない。内面にも驚かされた。酒の席で周りに話を合わせられる知識の幅広さや、自分から話を広げられるという、正に聞き上手で話し上手であった。女性にオッサンの姿を重ねるのも失礼な話だが、その姿に遠い日の親父の姿が重なった。

 周りと馴染んでいるエヌさんとは対称的に、圧倒的な最年長であり、席の隅で黙ったまま酒を舐める俺は扱いにくい存在だ。気を遣わせないように受け答えはなんとかするが、長らく他人と関わらなかった俺にとって、大人数の酒の席というのはハードルが高かった。全員が20歳近く年下なら猶更だ。

 結局、俺はやっぱり他人と関りの無い人生を歩んだ方が自分の為になり、他人の迷惑にもならないんだろう。その確信を得るだけのオフ会となった。


 緊張で酒の味も分からぬまま、金もないので年齢の後ろめたさを感じながらも割り勘に甘んじた。

 夜中の繁華街。周囲のLEDやネオンに照らされた町の中で、とぼとぼと一人歩く自分が惨めでならなかった。

 22時を回ってまだ電気のついているオフィスビルを見上げて、仕事を辞めなければ今頃俺もこんな所で惨めな思いで帰路につく事もなかったのだろうか。

 余計な思考がぐるぐるする。頭の中にもやがかかったような鬱陶しさを感じながら、駅に向かって歩いていると遠くから声が聞こえた。


「やめてください!」

「いいじゃないかぁ、二人きりの二次会って事でさぁ?」


 女と男の声。ついさっき聞いた声がすると、声のする方へ目を向けてみた。そこにはエヌさんと、名前は覚えてないがオフ会にいた大学生くらいの若造がいた。

 エヌさんと若造の前にはホテルがあった。その時一瞬で状況を悟った。

 脳みそを覆っていた霧がその時、一気に消え去った。

 俺は長年の事務仕事とその後の引きこもり生活で体力などとうに衰えている。いざ走り出した時の足の重さ、体の重さ、腕を振っても前に行かない感覚。ああ、畜生と思った。

 車の通りが少ない車道を横切って、ガードレールを跨ると真っすぐ若造の背中に飛び蹴りをかました。それは咄嗟の行動で、何も考えてなかった。

 思い切り飛んだつもりが低空飛行になってしまい、背中のど真ん中を狙った蹴りは腰あたりにぶつかった。ホテル前の花壇に頭から突っ込んだ若造は、何が起こったのか分からないといった様子で倒れ込んでしばらく固まっていた。


「あ、え、アローンさん……!?」

「こっちへ」


 俺は若造が起き上がって反撃してくる前に、エヌさんの手を引いて駆け出した。

 エヌさんがヒールのある靴じゃなくて良かった。駅前の人ごみに紛れ、ようやく一息ついた時、エヌさんの手を握っているのが急に申し訳なくなって手を離した。


「あ、ああ~、その、大丈夫ですか」


 口走った瞬間、他に気の利いた事は言えんのかと自分を殴りたくなった。


「ありがとうございました、アローンさん」

「すいません出しゃばって……それよりこのまま交番行きますか? 保護してくれるかもしれませんし、あの輩を捕まえてくれるかも」

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。優しいんですねアローンさんは」


 急にそんな事を言われ、胸が熱くなる。しかし、エヌさんは今日という表面上だけの俺を見てそう言っているに過ぎない。


「知り合いが困っていたらつい体が動いただけです。大丈夫そうでしたら、俺はこれで……」


 五十代のオッサンにこれ以上つき合わせても申し訳ない。駅に行こうと歩き出すと、エヌさんが急に俺の手を握ってきた。

 その手は熱くて、振り向いた時のエヌさんは優しく微笑んでいた。


「本当に、ありがとうございました」

「ああ……それでは、また」


 その場にいるのが恥ずかしくなって駅へ駆け込む。

 やっぱり碌な事にならなかった。そう後悔しながら電車に揺られていると、エヌさんからSNSでダイレクトメッセージが飛んできた。

 そこには電話番号とメールアドレスが記されており、今度はふたりで飲みに行きましょう。そう書かれていた。

 俺は喜びはしなかった。むしろ、申し訳なくなった。


 溜息をつきながらスマホの画面を閉じると、俺はコンビニで酒を買い足し、呷った。

 暗い部屋の中、テレビをつけっぱなしにしながらテーブルに突っ伏して項垂れた。

 明日からまた陰鬱な現実に戻ってしまうと――。



******



 数か月後、俺は相変わらずの引きこもり生活を続けていた。

 厚生労働省いわく、人との交流をほとんどせずに、六ヶ月以上続けて自宅にひきこもっている状態でいると引きこもりになるらしい。

 となると俺は引きこもりではないのかもしれない。

 他人との接触を極力避けながら、モニターとアバターを挟んでゲーム仲間という、なんの責任も感じなくていい、他人以上友達未満の関係に、緊張する必要の無い関係に、居心地の良さを感じていた。


 あの日から、エヌさんとは時々飲みに行く。

 ゲームの話、テレビ番組の話、仕事の愚痴……。人気の無い居酒屋で飲む安酒が美味いと思う日が来るとは思わなかった。

 会社の飲みに付き合って飲んだ酒に味を感じた事はなかった。


「なにボーっとしてるんですか?」

「え、ああ……いや……すいません」


 テーブル席で向かい合うエヌさんの顔を見て現実に引き戻され、思わず謝ってしまった。

 エヌさんが口元のビールの泡に気付かぬまま笑う。その見てて気の抜ける顔が俺の鬱屈とした心を、少し浮つかせた。


「どうしたんです? なにか悩み事ですか?」

「いえ……大した事では」


 本当は大した事である。だが、どうしようもない事を相談したところで、相手に心配や失望されるだけで、意味など無い。

 心配されるだけならまだいいだろう。しかし、俺はどうしようもなく怖かった。

 二十も年上のいい歳こいたオジサンが、実は人間不信と社会不安で、こんな機会でもなきゃ外に出ない定年前リタイヤ野郎と知ったら、失望は必至だろう。

 だから、口をつぐもうとした。……だが。


「いつも人の話は聞いてくれるけど、自分の話はしないんですね」

「……話せるほどの人生歩んでないからね」


 実際そうだ。就職氷河期と呼ばれた時代にたまたま就職に成功した先がブラックで、そこを耐えながら五十過ぎまでずっと仕事、仕事、仕事……。

 その果てに定年を迎える事無く、ペラッペラの退職金を渡されて切り捨てられた。

 そんな俺に、他人に話せることなど何も無かった。

 だが酒の力というのは恐ろしい。


「俺の会社はどこにでもある商社でね――」


 自棄になって酒を煽っていたら、俺はベラベラと話していた。話した内容なんて覚えていない。

 ただただ動いてない頭でつらつらと垂れ流す俺。それを黙って聞いてるエヌさん。

 いつの間にか、俺はテーブルに突っ伏して、意識を手放した。




 気付いたら見知らぬ天井を見上げていた。

 慌てて起き上がると、俺は他人の家の匂いがするベッドの上で寝ている事に気付いた。


「おはようございます。まだ深夜ですけどね」

「え、あっ、ここは?」


 薄暗い部屋の扉が開き、隙間から差す隣室の明かりを背に顔を出したのはエヌさんだった。

 まさか寝てしまった俺を家まで運んだのか? 抗うつ剤の副作用でデブった俺の体を担いで……?


「私の家です。今日はこのまま泊ってってください」

「いや、しかし……」

「帰っても明日はお仕事無いのでしょう?」

「……っ!」


 その言葉に、俺はどこまで話してしまったのかと狼狽える事しかできなかった。

 酔ってる内に言ってしまったのだろう。外面だけでない、情けない俺の内面を……。


「大丈夫です。私はこれまでを通して、アローンさんの経歴や身分を考えて付き合っていた事はありません」

「えっ……」

「アローンさんは人が良いから苦労してきたんですよ。それを責めるつもりはありません。だから、お気になさらず」


 にこやかな表情で俺を見るエヌさん。俺は顔が熱くなった。

 誰がどう聞いても情けない俺の人生を、人が良いからと纏めてくれた人間は今までいなかった。

 ただでさえ人前で酔いつぶれ、女性に運ばれてくるような情けない現状、その上に優しい言葉をかけられ俺は泣きそうになっていた。


「すいません……」

「謝らないでくださいよ。あ、折角ですからゲームの方、あんまり良いビルド思いつかないから見て貰って良いですか?」

「あ、あ、はい……じゃあ――」


 こうして、俺は少しずつ他人との距離を縮める訓練が始まった。



******



 恥の多い人生で、きっとこれからも恥を重ねていくのだろう。


 俺は今、就労支援施設に通いながら、家で料理の勉強をしている。

 親父の言葉を再び思い出す。


〝人は一人じゃ生きられないもんだ〟


 ああ、確かにそうだ。

 子供が出来たら、伝えていかねばいけないな。

 そう思いながら妻の帰りを待ち、夕飯の献立を考える。

 長年生きてきてガチガチに固まっていた固定観念を何とか頭の隅に追いやって、俺はあえて大黒柱から降りた。

 そんな人生も悪くない。そんな時代でも無いからな。

 ひたすら他人を避け続けて、そのまま社会の隅っこで孤独に朽ちていくより、少しでも前向きに生きれるのなら。






   オンライン・ライフ 完

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