第2話 土岐実靖という男


「央一殿であらせられますね」


人間の声帯から出るものとはとても思えない歪な音を組み合わせたような声に、央一はぎょっとする。視線を上げると、木目の人形をいちど解体して乱暴に組み上げたような、粗雑な造りの“式神”が二体、央一を覗き込むような体勢でこちらに顔(恐らく顔なのだろう)を向けていた。


「……いかにも」


「よくぞおいでになられました」

「主様がお待ちです。こちらへ」

「……」


手招きをするような所作はたどたどしくて、そのぎこちなさはいっそ恐ろしかった。央一は喉を鳴らしてどうにか頷くと、危うげな足取りの二体の式神に続いて主殿へと向かう。

主殿では、肘置きに半身を預けるような姿勢になっている青白い貌の男が待ち受けていた。


「やあ。央一。来たね」

「お招きをいただきまして」

「よい。よい。お前のような男は方便が苦手であろう」

「……」

「さあ、ここへ来なさい」


男は扇子で自らの前を指した。央一は二体の式神に目配せしたが、それらは既に動かなくなっている。央一は短く息を吐き、おずおずと男の前に膝を折り、最大限の礼を尽くすつもりで頭を下げた。


「可哀想に。烏帽子など慣れぬものを。楽にしなさい」

「しかし」

「私が構わんと言っているのだ。お前とは少し、気心の知れた間柄で話をしたい」

「……」


まるで自分のことを知ったかのような口ぶりは、にわかに央一を苛立たせた。確かに、央一も土岐実靖のことは噂に聞くところのみ知り得ている。また実靖の側も、央一のよからぬ風聞を耳にすることはあったのだろう。しかしそれにしても馴れ馴れしいといえばあまりに馴れ馴れしいではないか。


「はは」


口を真一文字に結んで黙る央一の表情を見て、実靖は笑った。


「聞きしに勝る正直者だな。央一」


「……」


そのように呟いて、また肘置きに身体を委ねる実靖の貌を、央一は正面から捉えた。やはり青白いその顔は頬骨が浮き出るほどに痩せており、今少し肉付きがよければなかなかの美男だったかもしれないが、落ち窪んだ目元に生まれる影が不気味な印象を植え付ける。四十路を少しこえた頃であろうに枯れ枝のような手足は病によるものなのか、はたまた別のものであるかは央一には判断がつかなかったものの、兎角こちらをひやりとさせる、鈍い刃のような光が宿る細い目が恐ろしかった。


実靖は、着地点の曖昧な世間話をいくつか央一と交わしたがった。しかし央一の態度が相変わらずぎこちのないことにはさすがに焦れたようで、半端に広げた扇子をパチンと閉じると、その先を自らの額に押し当てるようにする。


「時に央一よ」

「は……」

「お前、“怨叉庭(おんさのにわ)”を知っているかね」

「……」


物々しいその言葉をうけて、また央一は口を結び黙り込んだ。それはすなわち、肯定をしてしまったことと同じだった。実靖は笑った。


「はは、は……」


一度畳んだ扇子を広げる実靖。彼は顔を隠して、声を上げて笑う。


「お前はまことに、勤勉な男よなあ央一」

「……」

「一介の、それも“はぐれ”のお前がなぜ件の地について知り得ているかは今は問わぬ。寧ろ私にとっては好都合だ」

「そのように申されますのは」

「急くな央一。急いてはいかん」


今度は央一が焦れる番だった。いよいよ話は――本来であれば将軍より直に伝えられるべきであった――央一に与えられる“役目”について触れるところへ差し掛かったようだ。


「除穢衛士は随分と躍進を果たした。10年ばかり昔であれば厄や呪詛にまつわる面倒ごとはすべて陰陽寮の預かりであったものだが」

「……実靖様のご功績なれば」

「嬉しいことを言ってくれる」


本心か否かはこの際問わぬよ。と、戯れのように実靖は笑った。


「昨今の戦続きで土地に根付く呪詛も強くなった。方々を行き交うものが化生に殺められる報告も多くある。“封じ込め”の手筈も、整えておった筈ではあるのだがなぁ」

「……」


人の死んだ土地は、然るべき“措置”が行われなければ呪われる。それは古今語られ続けた通説だ。しかし当世はあまりにそれが多すぎた。もはや今日において、死は日常である。都も、都の外も人死にの出ない土地などは稀有なものとなっていた。

どこでも人が死んでいるのだ。そうであるために、都は“措置”の手を打つ必要があった。それは土地の呪詛祓いであり、そこより化生なるものが生まれていたならばそれを討つこと。

古くより陰陽寮に詰める陰陽師たちにより進められてきたその一大事業――そのほとんどを今、除穢衛寮が請け負うこととなっていた。


そのようになった因の多くを、たしかにこの実靖は担っていた。先にも触れたようにこの男は私財の多くを除穢衛術の発展のために投じた。“華ノ寮”などという選抜隊のようなものを作ったのもこの男だ。実靖は除穢衛の術にまつわるものの進退を常に見極めておきたいのだろう。そうであるために最前線を走らせる選抜隊を構築するのとともに、央一のような“はぐれ”には鋭く目を光らせているのだ。少なくとも、央一はそのように考えていた。


しかし、であれば猶更なぜ、このたびの“一大任務”がこの男から伝えられることになったのか。央一は疑問を深くした。何か、薄らぐらい事情がひとつふたつ絡むやもしれない。央一の背筋はますます緊張する。そして、そんな様子を実靖は嗤った。


「お前は勤勉で実直な男だ。それは聞いておるし、今こうして対面し理解を深めた」

「恐縮なことでございます」

「そのように学の深いお前に、今更“怨叉庭”を説いて聞かせるでもなかろうが……」


思い違いがあってはならぬゆえなあ。と。実靖がそう言いながら扇子で膝元をとん、とんと二度ほど叩くとまたあの木偶のような式神がいびつな動きで封書を央一の目の前に置いた。


頭を下げ、封書の中身に目を通す央一。そこには、彼が心待ちにしていたこのたびの“一大任務”についてが綴られていた。それは非常に端的な内容であり、要するには央一に打ち捨てられて久しい“怨叉庭”と呼ばれる土地の呪詛祓いを命じるものだった。


「……」


央一は、今しがた実靖にも問われた“怨叉庭”についてを思い起こす。そこは山の端に位置する盆地の果てのような場所で、もとより人の立ち寄りは少なかった筈だった。しかしあるとき、其処は土豪の戦に巻き込まれ、大層人が死んだ。その戦は長らく落ち着かず、人が巻き込まれては死に、巻き込まれては死にを繰り返していく。次第に戦の発端となった土豪の中心者たちも疲弊していってはいたのだが、それでも決着はつかない。泥仕合となったその戦はその後もしばらく続き、やがてその土地そのものが死を招く地として恐れられるようになる。


都の中央も、陰陽寮さえその地へ手を出すことを躊躇い続けるうちに、其処はどんどん怨念と流された血から生じる呪詛によって穢れていった。土は腐敗し、草木は枯れ果て、根付いていた生き物も死に絶えた。次第にその土地からは得体のしれぬ瘴気も漏れ出るようになり、面白半分に立ち寄った者は戻らなかった。そうして、いよいよその瘴気が都にまで迫ろうとした時に、漸く腰を上げた陰陽寮は都の側へ編み込んだ結界を張ることでその影響を最小限にしようと試みたのだが――根を絶たねば、問題の解決とならないことは明らかだった。


今や、その土地は濛々とした部厚い霧のごとき瘴気に包まれどこまで何がどうなっているかもわからない。周囲の土地から分断されるように窪んでいった其処はやがて“怨叉庭”と呼びならわされるようになり――今に至る。


「お前ならわかるであろう央一。今は、御上にとっても我等にとっても見過ごせぬ局面にきておる」

「は」

「あの地を捨て置いておくのは好ましからざる刻の来たということよな。お前からすれば今さら何をと思いもあろうが……しかし悪い話ではあるまい」


央一が少し顔を上げると、実靖は意味深な笑みを口の端に宿していた。


「恩師の影法師を追うに金が必要なのであろう?」

「……」

「隠さずともよい。お前が“はぐれ”である由もそこにあろうことは知っておる」


央一は何も言わず、恭しい様子を装ってまた深く頭を下げた。その様子に、また実靖は声を立てて笑った。


「私は好きだ央一。お前のごとき師恩に報ずるために命を立てんとする者がな」

「勿体ないお言葉」

「さりとて、お前はまだ若いのだ。影法師を追うのに疲れたならいつでもこの実靖を頼ってまいれ。悪いようにはせぬ。なあ央一」

「……」

「ふ、ふふ」


声を殺すように、実靖は嗤い、扇子を広げる。


「口説かれてはくれぬものだなあ」

「お戯ればかりを」


単調な央一の応えを、また一頻り嗤った実靖は再度、扇子で膝元をとん、とんと叩いた。すると決まり事のように例の木偶のような式神が央一の前に進み出て、ずっしりと重い、男の拳骨ふたつ分ほどの袋を置き放した。


「これは」

「手付金として扱うがよい。此度の任の褒美は別途与えられよう」

「……」


袋の口を開くと、中には砂金がぎっしりと入っていた。鈍い煌めきと重みに、央一はごくりと喉が鳴る。


「……今や“怨叉庭”は内部で膨れ上がった呪詛の中で生まれた化生どもが喰い合い、そこで更に新たな呪詛が生まれるような有り様であろう。巨大な蟲毒の中に入るようなものだが、お前ほどの力あらば、なあ」


そのように、愉し気に呟いた実靖は悠然とした様子で肘置きに半身を預けた。


「央一。お前が内部の呪詛を除いたなら感応電信をそこな式に寄越せ。そうすればすぐに迎えをやろう。くれぐれも、犬死をしてくれるなよ」


「ははッ」


そのようなやりとりの後――央一は実靖の歪な式神の電信回路の構造を意識に転写し

任務の達成を通知できるよう整えた。

(果たしてこの木偶のような式神が電信傍受をできるのか、央一の不安はあった)


そうして、央一はやっと土岐実靖の館を出る。


「……」


門の敷居を跨いだ瞬間どっと肩に圧し掛かる疲労感に、央一は深い息を吐かざるをえなかった。とんでもない化け物と相対したような気分だった。あの男は――都のあらゆる情報網に通じ、自らの勢力拡大の契機をうかがっている。そのためにこのたび、央一を利用としようという腹積もりなのはおおよそ間違いがないことだろう。


動くたびにじゃらりと音を立てる砂金の入った布袋の重みが、更に央一を疲れさせる。手付金と言われたものは、要するに央一をこの任務に縛り付けるそれだ。


いつまでも立ち尽くしているわけにもいかず、央一はどうにかのっそりと歩き出した。野心で濁る実靖の気配に当てられ続けた今、冷静な思考を取り戻さなければいけない。央一は歩きながら、これから自分が何をすべきか順序だてて考えようとした。

――“怨叉庭”の呪詛祓い。言葉にするとまた、それは大変な重みをもつ気がした。かの地は、今も日増しに呪詛の力が増し、瘴気が濃くなり、跋扈する化生も増えているはず。


それを、実靖は彼のおぼえめでたい“華ノ寮”の除穢衛士どもに任せることなく央一一人に対して命じた。これは――どのような意思の渦巻くものか。果たしてこれを決めたのは土岐実靖であるのか、それとも他の奉行衆であるか、はたまた陰陽寮であるのか、さて除穢衛寮の首脳であるのか。こうなれば央一にそれを探るすべも時間もない。


しかし手付金としてこれだけのものを与えられたのだ。首尾よく呪詛祓いを済ますことができれば、より多くの恩賞を手にすることができるだろう。央一には金が必要だった。とにかく、金が――


「…………」


心臓の内側を素手でまさぐるような実靖の視線を思い出すにつけ央一は気分が落ち込んだ。あの男は、何をどこまで。そんな風に思って、また砂金の入った袋を眺める央一。ちくしょう、と。彼は胸の中で呟いた。


“私は好きだ央一。お前のごとき師恩に報ずるために命を立てんとする者がな”


何か含みを持たせるような実靖の言葉が更に耳の奥に反響する。央一はまた、歯噛みをした。悔しさが全身に溢れていくことを感じていた。

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