第8

「救済の…儀式?」



 恥ずかしがって胸とあそこを隠すけど、潤くんは、わたしの裸なんて目に入ってない。


 じっとわたしの目だけを見つめていて、そんな事を言った。



「くだらないと笑ってくれてもいい。今から全て『いいえ』で答えて欲しい。答えたくないと言えばそこで終わり」



 それは昔、わたしと潤くんでした二人だけのゲームだ。



「覚えてるわけないか…」


「覚えてるよ! 覚えて…る…、いい、わかった…潤くんが…そんなことでいいなら…」


「…そんなことか。はは。そうか…ありがとう。なら…俺とお前は幼馴染だった」


「そ、そんなの…」



 答えられない。



「頼むよ。次に進みたいんだ」


「…」



 次って…何…?



「……俺はお前を小さな頃から好きだった」


「…」


「お前は俺を好きだった」


「好きだった!」


「結婚の約束をしていた」

「お互いを支え合うと誓っていた」

「子供は、はは、三人欲しいと笑いあった」


「……や、めて…」


「死ぬまで一緒だと笑いあった」


「…潤くん…もう…やめよ…やめてよ…」


「俺が告白した」

「お前が私もと返事した」


「やめて! もうやめて! 顔真っ青じゃない…! わたし、わたし、潤くんの辛いって声聞きたかった! ずっとずっと声が聞きたかった!」


「…いいえ」


「え…あ…?」



 何で、何で否定するの? 信じてくれないの? 喉がカラカラして頭が痛い。



「…俺がイジメに遭っていたことを知らなかった」

「俺が家から出られないのを知らなかった」

「俺が家でボコられているのを知らなかった」

「俺が勃起不全だと知らなかった」

「俺はお前と出会うべきだった」

「俺はお前の前に姿を表すべきだった」


「…もうやめて…やめてよっ! 言いたくない! 言いたくないよ! 知らなかったっ! 知らながったのっ! わたし知りたくなかったっ! 知りたくなんてながったっ! もう聞きたくないっ! 答えたくないっ! やめてっ! もういやなのっ!」


「ははは…ああ、止めてくれたな…」



 そう言って、あの日のように優しく笑った…ように見えた。



「…え? …あ…わたし…何を…言ったの…?」


「いや、いいんだ。そうだよ。お前も…逃げるよな……これでおしまいだ。ありがとう」


「……潤くん…違う…さっきのは違うの…」



 だってこの儀式の最後は…潤くんとわたしの初めての告白が…キスが…待ってたじゃない…答えたくないって言って、キスしたじゃない…だから答えたくないって…あれ…違う…潤くんは今何て言ってたの…?


 悲しい情報がいっぱいで頭がくらくらする。何が本当なの…?


 頭が痛い。胸が痛いよ、潤くん。



「なあ、小学校の時の…お前にあげたのってわかるか?」


「え……うん…わたしの…一番…大切だったもの…えへへへ…」


「…まだ持ってるか?」


「うん、うん…持ってる! わたし持ってるよ! こっち…だよ」



 わたしはこんな目にあったのに、不思議と自分から潤くんの手を取っていた。幼い頃を思い出したのか、まだ混乱しているのか、わからないまま無邪気に手を引っ張っていた。


 ナイフもスマホも裸も何もかも気にならなかった。


 スヤスヤと眠る虹歌を見せたくなった。


 それがどんな意味を孕んでいるかなんて考えもせず、ただただ虹歌はわたしの宝物で天使だから見て欲しい。


 その一心で無邪気にも見せた。


 その虹歌が潤くんのくれた綺麗な首飾りを小さな拳で懸命に握りしめて眠ってる。


 なんて幸せな光景なんだろう。


 なんて微笑ましい情景なんだろう。


 そんな気持ちでわたしは笑っていた。


 だからか、潤くんの目が、首飾りだけを見つめていたことに気づいてなかった。



「はは。ああ。それだ、それ。懐かしいな…」


「うん…わたし寂しくて…潤くんが寂しくないようにって…今でも覚えてる…えへへ…」



 ああ、この光景を二人で眺めたら、もしかしたら潤くんが目を覚ましてくれるんじゃないかって。


 虹歌の可愛らしい寝顔が、潤くんの抱えてる闇を晴らしてくれるんじゃないかって。


 そんなことあるはずないのに、その時確かにそう期待しながらわたしは笑っていた。



「ああ、それを…本当はそれを返してもらいに来ただけなんだ」


「……?」


「…ごめんな、虹歌ちゃん…だっけ? これ、こんなとこにあっちゃいけないんだ…僕の大事な思いの詰まったものだったからさ…」


「あ、だ、駄目、駄目だよ…」



 それを返してしまったら。


 何か得体の知れない悪い予感がした。



「一度あげたのに、返して欲しいだなんて情け無いけど、僕は欲しかったんだ」


「だ、駄目…! 駄目! わたしの思い出なの! 潤くん! やめて! あっ!」



 だから潤くんに必死に抱きつくも、願いも虚しく、簡単に振り解かれて床に這いつくばる。


 見上げた潤くんはそれをまるで宝物のようにそっと抱えて──あの頃みたいな優しい顔をしていて息が止まる。


 わたしになんて、まったく興味がなくて、まるで誰かの幻影を見ているみたいだった。


 そして虹歌はようやく泣き出した。



「ああ。これだこれ…ずっと…ずっとだ。夢の中で…果てしない海岸線を…ずっと歩いて…探してたんだ。ちっとも見つからなくて…これで…これでやっと…僕は前に進める。あははは…」



 虹歌の泣き声のせいかあまりよく聞こえない。ボソリボソリと力無く何かを呟きながら玄関の方に潤くんはふらふらと潤くんは歩いていく。



「じゅ、潤くん…? あはは…ね、ねぇ、どこ行くの?」



 チェーンと鍵を外し、ドアノブに手をかけた時にわたしは叫んだ。



「じゅ、潤くん待って! 帰らないで! お願い待って! 待っ……潤くん?」



 わたしのその声に潤くんは、ピタリと止まり、少しだけ振り返った。


 ドアの隙間から差し込む夕日が、その横顔に丁度掛かって、果たしてどんな顔をしているのかわからない。


 ただ、潤くんの青ざめていた顔色が赤く染まっているように見えて、ようやく元気を取り戻したかのように思えた。


 まるでその夕日の色こそが、世界の本当の色のように思えた。


 そして差し込む赤い斜陽に目を細めたわたしに、まるでタイムスリップしたかのような、優しくも幼い声が届いた。



「「綾香ちゃん」」


 ───ごめんね、元気で。



 そう言ったようにわたしには聞こえて、目を瞬いた。そして気づけば潤くんはもうそこには居なくなっていた。

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