バッドエンドは君と一緒に
371
第1話
7/18
今日、何度目かのチャイムが鳴る。
高い太陽が屋上のコンクリートを焦がす。
遠くの景色がゆらゆらと揺れている。
「はあ・・・」
暑さのせいかため息を漏らす。
高校三年の夏。
この下のクーラーの効いた教室で机に向かっている同級生達にとって、勝負の夏だ。
難関大学への合格者が多いわけではないが大多数が国公立か有名私立に進学する西校。
県内で5本の指にギリギリはいるくらいの進学校。
でもー
「暑い・・・」
こうやって屋上でサボっている俺にはほぼ関係ない話なわけで。
ため息の理由は将来とか進路とか、そういうこれからのことではなくて。
俺は金色に染まった自分の髪の毛をつまむ。
日陰に退避した俺は陽光にあたっていないのに輝いていた。
「反省文か・・・」
机に置かれた罫線のみが書かれた原稿用紙を眺め、朝の出来事を思い出す。
「こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!五月七日!」
「げっ!」
朝、登校しようとすると校門の前で教頭が眼鏡を光らせて怒鳴ってくる。
「なんだ!その頭は!」
「う、うわぁ!」
教頭は俺の頭をぐしゃぐしゃにする。
「ふざけるのもいい加減にしろ!たくっお前は!少しは周りの生徒を見習え!」
そしてそのまま職員室まで連行された。
教頭に怒られ、学年主任に怒られ、担任に怒られた。
―学生らしい姿。
彼等はみんな口を揃えて言った。
そして最終的に反省文を渡され、明日までに直してくるよう言われた。
「・・・」
そんな出来事から今日もここでサボることにした。
教室の方がここよりも快適であるはずなのに。
どうしてか、この場所に来てしまう。
あの教室はやけに息苦しかった。
涼しくて快適で「普通」のはずなのに。
暑くて不快で「異常」なここを選んでしまう。
「どうしてなんだろうな・・・」
俺はまだ手をつけていない原稿用紙を手に取る。
「・・・」
そして今の気分をそのまま文章に載せて綴っていく。
「・・・出来た」
俺は出来上がった400字足らずの文章を読み返す。
「正しさは正しかったとしても正解ではない。」
そんな痛々しい一文で締めくられている。
「・・・やかまし」
俺は空を見上げる。
蒼かった。
広かった。
自由な気がした。
どこまでも続いている。
果てしない空。
葛藤もしがらみも何も無いように思えた。
「・・・そうだ」
俺は視線を手元の原稿用紙に落とす。
そして縦長に折る。
角を折り曲げる。
さらに全体を半分に折る。
そしてまた角を折り曲げる。
最後に羽根を立てる。
「・・・よし」
俺は出来上がった紙飛行機を空にかざす。
この飛行機に乗っているのは俺の思想だ。
今、俺の思想が重力によって世界に押さえつけられている。
自由。
自由な蒼い空にそれを強く放ったー
「ーっ!」
雲よりも白く。
空よりも遥かに小さいそれは。
高く、高くまで昇った。
自由な空を昇っていった。
がー
「・・・あっ」
簡単に風に流れる。
簡単に重力に負ける。
俺の思想だったものはただの紙飛行機に成り下がり落ちてゆく。
「・・・」
俺はそれを目で追うのをやめた。
結局こうなるんだ。
俺という人間はこの世界のほんの一部でしかなくて。
この世界を抜け出せるほど強くはなくて。
金色の髪の毛くらいじゃ目立たなくて。
「・・・帰るか」
放ってあった鞄を拾って椅子から立ち上がろうとする。
ーその時だった。
「正しさは正しかったとしても正解ではない」
「この愛がたとえ間違っていても」
「愛だけは正解だと僕は信じる」
「そして、もし君もそう思うのなら」
「僕の愛を受け取って欲しい」
強い風が吹いた。
しかし、その風に負けない綺麗な声が聞こえた。
俺はその声がする方を見る。
「これあなたが書いたの?」
透き通った目。
風に靡く少し明るめの髪の毛。
胸元の赤いリボンは滑らかに―
膝より少し上のスカートは重く揺らぐ。
一人の女子生徒が折り跡の残った原稿用紙を右手で持って―
左手で風に泳ぐ髪を押さえて、そこに立っていた。
「・・・」
その日の夜。
俺は一冊の本を読んでいた。
300ページほどある小説。
こんなのを読むのは初めてだ。
「ふぁぁぁぁぁ・・・」
2、3ページ読むたびにあくびが出てくる。
それなのに残りのページはまるで変わっていないように見える。
「・・・もう寝よう」
結局全体の5分の1ほど読んで本を閉じた。
ベッドに身を投げる。
なんでこんなことになっているのかというと・・・。
「これあなたが書いたの?」
「そうだけど・・・」
見たこともない女子生徒が俺の反省文を読んでいた。
・・・しかも声に出して。
「・・・正しさは正しかったとしてもー」
「ああああっ!もう読まなくていいから!」
俺はその女子生徒から反省文を奪い取る。
「なんでわざわざ声に出すんだよ!」
「私この文章気に入った!」
「は、はぁ?」
「これって『花束ほどの幸せを』の引用だよね?」
「何だよ?それ?しらねーよ」
「・・・もしかして何も知らないでこれ書いたの?」
「そうだよ!悪かったなバカで!」
「バカはいいことだよ。まだ知らないことがあるって素敵なことだと思うよ」
「そうかよ」
俺はそのまま屋上を後にしようとする。
「あ、待って!」
途端に呼び止められる。
そして女子生徒は自分の鞄から一冊の本を取り出す。
「はい、これ。読んでみて」
一冊の文庫本が俺に向けられる。
「・・・本なんて読んだことないんだけど」
俺はその手を押し返す。
「読まなくてもいいから、とりあえず明日返してよ」
女子生徒はおもむろにその本を押し付けた。
俺はしぶしぶその本を受け取った。
「また、明日ね」
「この時間に」
女子生徒は最後まで微笑んでいた。
そして俺は家に帰り、女子生徒から渡された本を読んでいたのだ。
『花束ほどの幸せを』
黒字のゴシック体で題名が印刷された表紙を眺める。
あの女子生徒は俺がこの本からフレーズを引用したと勘違いしたらしい。
「正しさは正しかったとしても正解ではない」
昼間蒼い空に届かなかったフレーズを口ずさむ。
その言葉に背中を押された。
昔、誰かから聞いた言葉だった気がする。
かなり幼いころでいつ、どこで聞いたのかが思い出せない。
風景はモノクロで。
音声は反響している。
それでも、このフレーズだけははっきり覚えていた。
俺はベッドから身を起こす。
この本には正解が書いてあるのだろうか。
そんな疑問が俺を再び突き動かした。
7/19
「げっ!」
「昨日初めてあった人に『げっ!』って・・・」
女子生徒が昨日と変わらず屋上にいた。
「お前はこんなところでさぼってていいのかよ」
「それは君もでしょって事は置いておいて、私は大丈夫」
「どういうことだよ」
「私留年してるの」
「そうなんだ、お前バカだったんだな」
「いかにも文学少女ですって感じで本渡してきたのに」
「成績悪くて留年したんじゃないよ!」
女子生徒は少しむすっとして反論してきた。
「私は留年してるから、必要な単位だけ取ればいいの」
「先生が甘めにカリキュラム組んでくれててね」
「うわぁいいなぁ悪くないさぼりじゃん」
「君は悪い不良だからちゃんと授業出ないとダメでしょ」
・・・悪い不良って。負の意味が二つ重なってるじゃん。
「・・・ん?」
待て。
目の前の女子生徒は一年留年している。
胸元には赤色のリボン。三年生という事だ。
「お前、年上か?」
「次の誕生日で19歳」
「先輩と呼びなさい!」
「ババアじゃねーか」
「一つ上でババア扱い!?」
「昨日の本読んでくれた?」
「げっ!」
「・・・それ好きだね」
そう言うと手を差し出してくる。
「・・・何?」
「何じゃないよ。返してよ。昨日の本」
「私のお気に入りの本なんだ」
「・・・」
「・・・どうしたの?」
返したくなかった。
いや、別にいやがらせしたいとかじゃなくて。
「ごめん」
「?」
「どうしたの?」
「まだ、読み終わってないんだ」
「え?ちゃんと読んでくれたんだ・・・」
「だから、その・・・」
「?」
「明日」
「明日までには絶対読んでくるから」
「今日も一日貸して欲しいんだ」
かなり熱を込めて話してしまった。
彼女は目をパチクリさせている。
「・・・っぷ」
「?」
「ははははははははははははははははははははははははは」
「な、なんだよ!?」
「君!面白いね!この本、気に入ってくれたんだ」
「べ、別に気に入ったとかそんなんじゃなくて!ただ、先が気になるだろ!途中まで読んじゃったから」
「主人公とヒロインはちゃんとハッピーエンドを迎えられるのか気になるし。大体、あの王様が悪いんだよ!行く先々で主人公を邪魔しやがって!あと、主人公もヒロインを思っているなら―」
「ははははははははははははははははははははははははは」
「なんで笑うんだよ!」
「ねえ!」
彼女は笑ったまま言った。
「明日、ここで待ってるから」
「明日、ここで続きを聞かせてよ」
「明日は笑わないから」
彼女の笑顔は生き生きとしていて自由だった。
俺の視界には蒼く塗られた空と。
そこに綺麗に映える彼女の笑顔だけが映っていた。
俺の紙飛行機よりものびのびと。
俺の金髪よりもキラキラと―
「俺、終」
「?」
「俺、五月七日終」
「終君、か」
「名前」
「?」
「名前なんていうの?」
「ふふっ」
彼女は一度笑った。
「私の名前は、八月一日秋」
「じゃあ、私そろそろ行くね」
「・・・帰るのか?」
「違うよ」
「これから授業」
「必要な単位」
「ああ」
「秋は良い不良だったもんな」
「『良い』のか『悪い』のかはっきりしろ!」
おちゃらけた様子で秋はそう言った。
「じゃあ、また明日ね、終君」
「また明日」
秋はそのまま屋上を後にした。
「・・・」
俺は一人残された屋上でぼんやりと空を見上げる。
先ほどまでの蒼を感じることは出来なかった。
チャイムが鳴った。
あと、十分で三限目が始まるのだろう。
「・・・行くか」
何となく。
本当に何となく。
授業に出ようと思った。
ガラガラ。
教室のドアを開ける。
クラスメイト
「っ―!」
教室の空気が一瞬で凍った気がした。
「・・・」
俺はそれを感じないふりをして自分の席に向かう。
そして鞄を脇に掛ける。
ずっと視線を感じていた。
クラス中の。
それを頭の外に追いやって鞄から『花束ほどの幸せを』を取り出す。
「ははははははははははははははははははははははははは」
「!?」
前からクラスの空気を一瞬で溶かすような笑い声が聞こえる。
「不良なのに読書するの?」
前の席の奴が話しかけてきた。
「悪いかよ」
「そうだよ!不良は悪くなくちゃ!」
「俺は良い不良も知ってる」
「自分のこと?うーん、君は明らかに良い不良じゃ無い気がするけどな・・・」
「ああん!?」
「だって金髪・さぼり・怒鳴るって三拍子。悪い不良しかしないよ」
「つーか今時そんな不良流行らねっての!はははははははははは」
前の女が腹を抱えて笑っている。
三拍子そろってるのに今時じゃ不良じゃないのかよ・・・。
わけ分からん。
「私、立花葵。君は五月七日終君だよね?」
「そうだけど、なんで俺の名前知ってるんだよ?」
「私『た』、君は『つ』。出席番号後ろの人がいつもいないと嫌でも気になっちゃうよ」
「でもさでもさ、五月七日終ってすごい名前だよね」
「よく言われるよ」
「五月七日が終わりましたって誰でも知ってることをずっと示してるんだもんね」
「そこかよ!?苗字が珍しいとか、読めないとかじゃないのかよ!?」
「ん?でも、五月六日には七日は終わってないよね」
「そうなるといつから七日は終わったってことになるのかな?」
「終!君はいつから五月七日終になるの?その前は五月六日終なの!?」
「どんなシステムだよ!俺はいつだって五月七日終だ!」
「にしてもさぁ、『五月七日 終』=『つゆり しゅう』なんて読めないよね」
「ここでその話題かよ!」
その時チャイムが鳴った。
教師が入ってくる。
「あ、授業始まる。これからよろしくね終」
葵はそう言うと前を向いてしまった。
・・・騒がしい奴だ。
「・・・ですから関係代名詞を読み解くには先行詞の見極めが大切なわけで・・・」
入試問題を時間制限の下で回答し解説をするという授業スタイルだった。
一応俺もちゃんと解くわけだが―
「・・・」
酷い点数だった。高校入試の時よりも英語が出来なくなっている気がする。
ちらっと周りを見渡してみると丸の多い解答用紙が目立った。
「・・・葵」
俺は小声で葵に呼びかける。
「・・・」
葵は集中しているのかじっと机の上のプリントを眺めていた。
まあ、葵にとっても今の時期は大切なのだろう。
後ろの不良に構ってる暇なんて無いのだろう。
「・・・はあ」
俺はため息を吐いて自分の回答を眺める。
「・・・The true god knows everything.The story that follows continues forever. Weave happiness into eternity. ・・・」
「!?」
い、今、目の前からとんでもなく流暢な英語が聞こえなかったか!?
俺は視線を慌てて葵の背中に向ける。
先ほどと同じく背中は丸まり頭を垂れプリントを見つめている。
ん?
背中は丸まり、頭を垂れ・・・?
「すぴーすぴー」
「・・・」
よく見てみると呼吸に合わせて肩が上下していやがる。
それも緩やかなテンポで。
「こいつ・・・」
葵はこの後もずっと爆睡していた。
「んーっ!疲れたぁっ!」
葵が猫のように伸びをする。
「なにが疲れただよ。お前、ずっと爆睡してたじゃねーか」
「失礼しちゃうなー!睡眠学習というものがあってだな!」
「あーはいはい。この話終わり」
「・・・終だけに?」
「やかまし!」
名前ネタ引っ張るなぁ・・・。
「お前授業中すんげえ流暢な英語を呟いてたけど何なのあれ?」
「え!うそ!また出ちゃったの!」
葵が恥ずかしそうにする。
「私のエリートな一面が・・・」
コイツ、バカだ。絶対バカだ。バカのほうがいい。
「私、帰国子女なんだよね」
「ド〇ツ村は日本だぞ」
「へ?知ってるよ。去年一年ずっとアメリカに居たんだ。ドイツじゃなくて」
「いや!ア〇リカ村も日本だって!」
「知ってるって!どうしたの!急に!」
「話を戻すけど、だからまだ英語が抜けないというか・・・」
「寝言を英語で言っちゃうんだよね」
「・・・」
俺は困惑した。
このバカが留学?
まだ夢の中の気分なのか?
「・・・I am a pen. Are you a pen?」
・・・とても流暢なのは分かるが、なんていうか、バカだ。
「・・・ん?」
葵は留学で一年アメリカにいた・・・。
「・・・葵ってもしかして年上?」
「ん?そうだよー!ないんてぃーんいやーずおーるど!」
日本語らしい発音の英語が聞こえてきたのは無視して。
「私のことおねーさんって呼んでもいいのよぉ・・・」
「・・・」
秋と同じ、なんだよな・・・?
「じゃーね!終!」
「また明日」
葵と別れて帰路に就いた。
7/20
明日から夏休みだ。
今日は午前中は終業式で午後は放課後だ。
俺は朝から秋に会うために屋上に向かう。
「どこに行くんですか?」
屋上に続く階段の途中で後ろから声を掛けられた。
「これから終業式ですよ?早く体育館に行きなさい」
凛とした声が空間に反響する。
「・・・」
俺は先生の言うようにおとなしく体育館に向かおうとする。
「・・・」
それなのに先生は俺をじっと見つめていた。
「先生も早く体育館に向かった方がいいんじゃないですか?」
「私は職員室に用事があるのでそのあと向かいます」
「じゃあ、どうぞ。職員室へ」
「そういうわけには行きません。あなたがまたここに戻ってきてしまうかもしれないでしょう?」
「っ―!」
俺の思考は完全に読まれていた。
そして俺は階段めがけて走り出す。
「っ!あなた!待ちなさい!」
先生が俺の腕を掴む。
「っ!離せっ!」
俺は大きく腕を振り払う。
その時鞄の中から一冊の本が宙を舞った。
そして廊下に放り投げ出される。
「―え?」
俺は先生がその本に目を奪われていた隙に腕を完全に振り払った。
そして本を拾う。
「・・・そうだったのね」
俺はそのまま階段を駆け上がる。
「ちょっと待って!」
大きな声に上るのをやめた。
「・・・あの子をよろしくね」
「えっ?」
そう言うとその先生は歩いて行った。
「見たことのない先生だ・・・」
俺はそう呟いて再び屋上に向かった。
「終君やっと来た」
「ごめん。遅くなって」
「なんか、足止めを食らっちゃって」
「そうなんだ、お疲れ様」
そう言うと秋は缶ジュースを一本くれた。
「お金・・・」
俺は鞄から財布を取り出そうとする。
「いいよ。おねーさんのおごりってことで」
そう言うと秋は隣で炭酸の缶を開けて勢いよく飲んだ。
「っぷはー!久々の炭酸!しびれるー!」
俺も缶を開けて一口飲む。
「私さ、四ツ谷サイダー大好きなんだよね!」
「そうなんだ・・・」
俺には青空を背景にさわやかにサイダーを飲む秋がCMのように見えた。
「これ・・・」
俺は秋に『花束ほどの幸せを』を渡す。
「遅くなってごめん。それと、ありがとう」
「気にしないで。どういたしまして」
「『正しさは正しかったとしても正解ではない』」
「『この愛がたとえ間違っていても』」
「『愛だけは正解だと僕は信じる』」
「『そして、もし君もそう思うのなら』」
「『僕の愛を受け取って欲しい』」
「主人公が愛するヒロインに届ける言葉」
「時代とか国とかいろんなものに邪魔されても主人公はヒロインへの愛を誓ったんだね」
『花束ほどの幸せを』
舞台は中世ヨーロッパ。
主人公とヒロインの家は長い間対立していた。
お転婆の貴族のヒロインはよく城を抜け出していた。
ある時、主人公の屋敷に迷い込んでしまう。
そこで二人は出会ってしまう。
二人は絶対に結ばれることのない恋に落ちる。
対立は日々激化し、主人公の屋敷に忍び込んでいたヒロインが流れ弾に当たって死んでしまう。
主人公はヒロインの墓の前で花束を手向ける。
あのセリフを残して。
「ありきたりなお話だと思った」
「うん。私も最初に読んだときはそう思った」
「でも」
「正しさは正しかったとしても正解ではない」
「こういうセリフ一つ一つに主人公のまっすぐな信念が滲んでいて」
「俺はすごくこのお話が好きだ」
「うん」
「私も」
「大体こんなにかっこいい男の人が居たら惚れちゃうよ」
そこかよ・・・。
「今、そんなことかよって思った?」
「・・・うん」
俺は正直に答える。
「愛ってそんなことなんだよ」
「誰かを思う気持ち自体には力は無くて」
「その思いを追い求めるとき」
「愛は初めて力を発揮するんだよ」
「主人公がヒロインを思うことで国を変えたようにね」
秋は残りのソーダを飲み込んだ。
「やっぱり、おいしい」
秋は自分の手の中におさまった本を見てそう言った。
「明日から夏休みだね?」
秋が突然話題を変えた。
「そうだな」
「まあ、私は補習なんだけどね」
秋は困ったように笑った。
「終君は補習もサボるの?」
「・・・出ようかな」
「お、えらい、えらい」
秋が頭を撫でてくる。
金色の前髪が目の前を揺れる。
教頭と同じ行為なのに嫌じゃなかった。
「補習は三階の空き教室でやるんだよ」
「そうなのか?初耳」
「先生が言ってたよ」
「サボってるから知らなかった・・・」
「明日も会えるね」
俺は理系だからC組、秋は文系だからA組だ。
各々の教室でやるものだとばかり考えていた。
「夏は受験の天王山!志望校目指して頑張らないとね!」
秋は何故だか嬉しそうにしていた。
「終君はもう志望校とか決まってるの?」
「決まってない、っていうかこのままじゃどこも行けない・・・」
「秋は?」
「私は今を精一杯生きる人なので」
「何だよそれ・・・」
「っふふ」
「っふふ」
「あははははははははははははははははははは」
二人で笑った。
その笑い声は空の蒼に高く昇っていった。
その日の午後。
俺は本屋で一冊の本を探していた。
(あった。)
後世に残る大ヒット、とまではいかないが一時期話題になった本のため本棚に一冊だけ残っていた。
「ありがとうございました」
俺はその本を購入して自宅に向かった。
「ただいま」
「はあ、終。何?その頭は?まだ直してなかったの?」
かえって早々母親に出くわしてしまった。
まあ、自宅だから当然なんだけれども・・・。
「別にいいだろ・・・」
「あのね。良くないから言っているんでしょ?」
「あなただけに迷惑がかかるならいいけど、お父さんとかはじめに迷惑がかかるでしょ?」
「もっと学生らしさを心掛けなさい」
「っ!」
俺は母親を無視して自室に向かう。
「ちょっと終!もう子供じゃないんだからちゃんとしなさい!」
母親の声が聞こえる。
階段を上がりきったところで人とぶつかった。
「・・・」
「・・・終じゃないか。その金髪似合ってるよ」
「・・・バカっぽくて」
そしてくすっと笑った。
「おや、終が本を買うなんて珍しいじゃないか」
兄さんはそう言うと俺の手に握られたビニール袋を奪う。
「・・・『花束ほどの幸せを』か」
「・・・実にくだらないね。愛?笑わせるなよ」
「・・・」
兄さんは無言で俺の手にその本を握らせた。
「そう言えば終。君は今年受験だったね。僕と同じ慶明に来るかい?」
「君は理系だったね?なんなら、僕と同じ医学部に来るといいさ」
「歓迎するよ」
兄さんの口元がにやりと歪む。
慶明大。
日本の私立大学のトップだ。
その中でも兄さんの通う医学部は世界からも注目が集まる英才集団だと言われている。
うちの西高から慶明大に受かるのは二、三年に一人。
しかも、医学部なんて慶明大じゃなくても何十年と合格者がいない。
それも全部わかってて兄さんは俺に言っているのだ。
「まあ、こんな本読んでるようじゃ大学に進学することさえも危ういけどね」
そう言うと兄さんは階段を降りて行った。
「っ―!」
俺は買ってきた本を壁に投げつける。
そしてそのままベッドに倒れる。
いつものことだ。
優秀な兄。
出来の悪い俺は両親と兄さんの恥。
そんなのいつものことじゃないか。
「それなのに・・・」
今日はやけにむしゃくしゃする。
そのまま深い眠りについた。
7/21
「・・・」
時刻は午前10時。
俺は自室にいた。
今頃教室では補習の二限目の半分が過ぎたころだろうか。
(結局さぼっちまったな・・・)
カーテンの隙間から少しの光が伸びている。
それのせいで部屋は暗闇とは言えなかった。
(秋、ちゃんと出ているのかな)
俺らしくないことを考えてしまった。
彼女はどうして頑張れるのだろうか。
頑張ったところで上には上がいる。
俺はそれを身をもって体感していた。
それでも。
それでも、俺を見てほしくて。
俺のことも考えてほしくて。
不良なんてのをやっているんだ。
(みっともない)
そんなのは誰よりも自分が一番わかっている。
俺は正しさを選ぶことが出来なかった。
正しさを選ぶ努力も結局は何にもならなかった。
そんな、みっともない俺は。
「・・・どうしたらいいんだろう」
天井を見上げたままそう呟いた。
俺はベッドから身を起こした。
その時―
「・・・あっ」
床に転がった一冊の本が目に入った。
表紙が折れ曲がったその文庫本を手に取る。
「・・・」
そしてあの部分を読む。
「正しさは正しかったとしても正解ではない」
あの時の。
俺の反省文を読んだあの人のように声に出す。
「・・・ああ」
「おいしいな」
俺は制服に急いで着替える。
そして一冊の本だけを手に取って家を出る。
夏の日差しがアスファルトを焦がす。
自転車に飛び乗って全力でこぐ。
「やっぱりこの本終くんにあげるよ」
「え?それお気に入りって言ってたじゃん」
「いいよ。本なんてまた買えばいいんだから」
「いやいや、いいよ。だったら俺が買うよ」
「んーじゃあさー」
「俺は・・・!」
俺は約束したんだ。
今日、空き教室で補習を受けるって。
夏のぬるい空気が俺の全身に当たる。
風は俺を避ける様に吹き抜けていく。
結局俺みたいなバカには正しさが何かなんて分からなかった。
丸がもらえること?
いい点数が取れること?
そんなことで人生は好転していくのか?
分からない。
生きていくということの正しいことが何なのか分からないんだ。
じゃあ。
だったら、俺は。
正解を選ぶよ。
正しさじゃない、正解を。
間違っているものを。
それがどこから来るのか。
どうすれば手に入るのか。
直感のようなものが俺に差していた。
あの文学少女と。
この本と。
きっと、これが繋いでくれるはずだ。
たとえ。
たとえ、その先にバッドエンドが待っていようと。
俺は。
俺は!
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
今日も空は蒼い。
自由だ!
秋視点
教室には全部で十人ほどがいた。
この学校の補習のスタイルはテストの追試に似ている。
同じ問題で合格点が取れるまでテストを受け続ける。
つまり、補習になる科目が少ない人ほど早く終わるのだ。
秋
「・・・」
今は二時限目の半分くらい。
このくらいの時間になってくると大半の生徒は帰ってしまっていた。
「立花・・・お前いっつも寝てるからこんなに大変な思いをするんだぞ・・・」
「すみません・・・先生」
今この教室にいるのは私と立花?さん。
それと教頭先生。
「・・・」
終君は来なかった。
私は全科目のテストを受けるのでなかなか終わらない。
でも―
(どうしたんだろう、終君)
私の進みが遅いのは量のせいではなかった。
「八月一日さんは大変だと思うけど頑張ってね」
「ありがとうございます」
私は教室の窓から見える空を見上げた。
蒼くて綺麗な空。
それなのに、狭く感じた。
(そっか)
教室の窓枠は空を分割し、永遠のはずの空間を有限にしている。
大体この教室も同じだ。
私が屋上にいたのは無限大の空間を感じていたかったから。
命という有限の時間に囚われたくなかったから。
「狭いな・・・」
ポツリと、そう呟いた。
その時だった―
「え?」
見上げていた空に一つ、白い物体が浮かんでいる。
夏風を受けてゆらゆら浮かんでいる。
そして、それは―
それは、まっすぐこちらに向かってくる。
「っ!」
私は窓を開ける。
瞬間この教室が自由な空と繋がる。
蒼の一部と繋がる。
「八月一日さん!?」
「え?」
そして。
その開けた窓に白いそれは入ってくる。
「・・・終くん」
「っ!」
「八月一日さん!?」
「ごめんなさい!」
私は教室を飛び出す。
全速力で廊下を駆ける。
(終くん!)
心の中でそう呟く。
空から落ちてきたこの小さな紙飛行機。
それがどこから来たのか。
私には分かった。
葵視点
「終って、あの終?」
「ちょっと!立花!どこ行くんだ!」
「今日の補習はもう終わりだよん!」
「終だけにね!」
「何わけの分からん事言ってるんだ!待て!」
秋視点
私は重い屋上のドアを開けた。
そして―
「終君」
目の前の金髪の少年を呼ぶ。
「秋」
その不良少年も私を呼んだ。
「補習行けなくてごめん」
「いいよ」
「それにこうやってちゃんとここに来てくれた」
「それだけで」
「ううん」
「こっちのほうが断然いい!」
終視点
目の前の文学少女は笑った。
左手には本。
右手には俺の紙飛行機が握られている。
「もう一つ謝らなくちゃいけないことある」
「何?」
「これ・・・」
俺はそう言って、表紙が折れ曲がった本を見せる。
「あらら」
「あと・・・」
俺は終盤のページを見せる。
「・・・ここって」
秋は右手の紙飛行機をほどく。
「・・・ふふっ」
秋はとても嬉しそうに笑った。
「私その本欲しい」
「え?」
「言ったじゃん、交換って」
「やっぱりこの本終君にあげるよ」
「え?それお気に入りって言ってたじゃん」
「いいよ。本なんてまた買えばいいんだから」
「いやいや、いいよ。だったら俺が買うよ」
「んーじゃあさ」
「明日交換しない?」
「交換?」
「そう、交換」
「終君も同じ本買ってきてそれを交換するの」
「・・・それ意味あるのか?」
「意味なんてないよ」
「でも、私はそれがしたいと思った」
「それだけじゃダメ?」
「・・・」
「分かった」
「明日、交換しよう」
「確かに言ったけど・・・」
「はい、じゃあもらい!」
「うわっ!」
秋が俺の手の本を奪う。
「はいこれ。私の」
「・・・ありがとう」
ページを切り取ったのはともかく、本を投げるのはやめよう。
「正しさは正しかったとしても正解ではない」
秋が紙飛行機だったページの一文を読む。
「終君」
目の前の文学少女はその本を大事そうに抱えた。
「ずっと大切にするね」
「だから」
「大切にしてね」
「っぷはぁー」
「「?」」
屋上の扉のほうから声がする。
「お!やっぱり終じゃん!おっはー!」
「なんでここに葵がいるんだよ」
「我思う、故に我在りってね」
「・・・意味分かってて使ってないだろ?」
秋が何事かと覗き込む。
「あっさっき補習で一緒だった・・・」
「おお!なんという偶然!神はここに私たちを集めたのか」
「ってうん?」
葵は秋の顔をじろじろと見つめる。
「・・・もしかして、八月一日さん?」
「え!そ、そうですけど・・・」
「やっぱり秋のこと知ってたのか・・・」
「ちゃんと説明しないと伝わらないだろ・・・」
「なるほどね」
「つまり葵ちゃんも私と同じ学年だったってことね」
「そう!あっきー全然学校来てなかったけど名前が特殊だったから覚えてたんだよ!」
「一年生の時私とあっきー同じクラスだったんだよ」
「私『た』、あっきーは『ほ』。出席番号後ろの人がいつもいないと嫌でも気になっちゃうよ」
「同じネタ使うなよ・・・」
「てか、あっきーって」
安直なあだ名だな。
大体、『た』の後が『ほ』なんてことあるのかよ・・・。
「八月一日は秋じゃないっての!」
「ははははははははははははははは」
「だからそっち!?」
「これで誕生日が八月一日とかだったらもっとおもしろいのに」
「そうだよ」
「「え?」」
「私、誕生日八月一日」
「ま、まじかよ」
おお!なんという偶然!神すげえ!
「良かったね、あっきー。七月三十一日とか八月二日じゃなくて」
「だからそこじゃねえ!?」
「まあまあ、落ち着いて二人とも」
「早く戻らないと今日の補習、終わっちゃうよ?」
「・・・終だけに?」
「やかまし!」
「というか、『八月一日 秋』=『ほずみ あき』なんて分かんないよね」
「だから、もう、うん・・・」
その後俺たちは教室に戻り最後のコマの補習を受けた。
葵と秋は補習中ずっと喋っていた。
教頭が途中から会議で抜けてしまったからだ。
二人は今日出会ったと思えないほど仲良くなっていた。
・・・本当に出会ったのは違うのだろうけど。
「へえ、あっきーと終はそんな風にして出会ったんだ」
「うん」
「『正しさは正しかったとしても正解ではない』キリっ!」
「って終君が言ってたんだ」
「俺の真似をするな。というか似てない」
「終ってそんなかっこいいところあったんだ」
葵の中での俺の評価が上がったみたいだ。
「ただの中二病じゃない?」
「そうだね!」
「ちげえよっ!」
「大体本のフレーズじゃん」
「その作者も中二病ってことじゃん」
「でも、終君は自作のつもりだったんでしょ?」
「そ、それは・・・」
「なんて本のフレーズなの?」
「ああ、これだよ」
そう言って秋は鞄から本を取り出す。
表紙の折れ曲がった本を。
「なんでこんなにボロボロなの?」
「・・・なんか、終が持ってそうな本だね」
「俺だって物はちゃんと大事にするよ」
「たまたまだよ、そうなってるのは」
「ん?どういうこと?」
「まあ、いいや」
投げやりになるなよ。
結構いい感じのやりとりがあったんだから。
「その本、図書室にあるのかな?」
「あると思うよ」
「私も凛先生も好きな本だから」
「そっか。これ終わったら行ってみよう」
「今日は開いてないみたいだよ。図書室」
「凛先生が言ってた」
「・・・凛先生ってのが図書の先生なのか?」
「そうだよ」
「・・・って何で知らないの?」
「興味なかったから」
「私は覚えてる」
「名前の通り凛とした人だった」
「えへへ・・・」
・・・なぜ、秋が照れる?
「そっか、じゃあ、明日行こう」
「そのためにも」
葵が目の前のテストの山に目を向ける。
「これをやっちゃいますか!」
と、その時。
キーンコーンカーンコーン。
「・・・三限目終わったな」
「な!?」
「明日も補習だね」
「とりあえず今日は終わりにして帰ろうか」
「わーん!せっかく気合い入れたのに!」
葵が泣きわめいている。
「あと、終だけに!」
「だから投げやりになるな!」
「あと、やかまし!」
「ねえ、二人ともちょっと話があるんだけど」
帰りの準備をしている時秋が言った。
「なんだ?」
「どうしたの?あっきー」
「これは私のワガママだし、こんな時期にみんなに迷惑なのも分かってる」
「でもね、私やってみたいの」
「この三人で文芸部を」
「文芸部・・・?」
「そう」
「文芸部って何する部活なの?」
「んーいろいろあるけど」
「基本、言葉を紡ぐってことかな」
「言葉を紡ぐ・・・?」
「詩でも俳句でも小説でも・・・何でもいい」
「自分の心象を言葉で表す部活だね」
「心象・・・」
「いいじゃん」
「やろうよ」
「どうせ俺は受験勉強なんてしないし」
「それは、それでどうなのかな・・・」
秋が複雑な表情を浮かべる。
「俺やってみたいよ、文芸部」
「うん!私も!」
「あっきーと終と文芸部やってみたい」
「非公認の部活なんて、青春って感じじゃん!」
安い青春だな。
「ありがとう」
「なんか不思議な関係だよね」
「というと?」
「だって、屋上で終君と出会って」
「終君が葵ちゃんと知り合って」
「そして私たち三人で文芸部になった」
「神様のシナリオみたいに進んでるじゃん」
「おお、早速文芸部っぽい言い回しだ」
秋はこの瞬間を噛み締めるように微笑んでいた。
「・・・そうかもな」
「運命、みたいなものなのだろうか・・・」
「出たっ!終の厨二病!」
「なんで秋はよくて俺はダメなんだよ!」
「だって終は不良だもん」
「理由になってねぇよ」
「早速今から文芸部として何かするか?」
「図書室は使えないとなると近くのカフェとか?」
「ぷっ!不良なのにス○バ行くの?」
「悪いかよ」
不良だってなんちゃらちゃらぺちーの的なの飲みてえんだよ。
「というか、ごめん」
「私今日用事ある」
「そうなのか」
「じゃあ明日、補習終わったら図書室で色々話すか」
「うん、そうしよう」
「私たちにはまだ時間が有り余っているからね」
「・・・そうだね」
「そういうこと言ってる奴は後で苦しむぞ」
「じゃーね」
葵が教室から出て行く。
「私たちも帰ろっか」
「そうだな」
夏の蒼さに染まった空を見上げる。
空は綺麗に澄んでいた。
秋とも別れて一人で歩いていると葵を見かけた。
「花?」
葵は小さな花束を持って歩いている。
色とりどりの花が纏められている。
「・・・」
そういえば、葵の用事ってなんなのだろう?
「・・・」
悪いことと知りながら葵の後をつけた。
「ここって・・・」
葵が訪れたのは墓地だった。
そして葵は屈んで買った花を供える。
(一体誰なんだろう?)
角度的に墓標の文字は見えなかった。
葵の用事が意外だった。
そんなことを思っていると。
「!?」
「?」
俺の携帯がけたたましい音を放つ。
秋から連絡が来ていた。
その音に気付いた葵に見つかる。
「終?なんでここにいるの?」
葵はポカンとした顔で聞いてくる。
「帰り道でたまたま葵を見つけて」
「そういえば葵の用事ってなんだったんだろうって」
「それで・・・」
「なるほど」
「つけてきたんだ?」
葵の目が細まる。
「ごめん」
「いいよ。気にしてないよ」
俺は葵の側に寄る。
「鏡芽衣さん」
「うん」
「私の友達」
「・・・亡くなったのか」
「うん」
「今日が命日なのか?」
「ううん」
「じゃあなんで来たんだ?」
「報告しようと思って」
「報告?」
「うん」
「・・・そっか」
「なんにも聞かないんだね?」
「俺が言えることじゃないけれど」
「失礼かなって」
「ストーカーがそれ言う?」
「だから、そう前置きしたじゃん」
「ごめんって」
「分かったよ」
「私こそ引っ張ってごめん」
「あとさ」
「いつか、話して欲しいなって」
「その芽衣さんのことも話してくれるくらい」
「仲良くなりたいなって」
俺は俯く。
恥ずかしいことを口走ってしまった。
葵はまた俺を揶揄うように笑うだろうか?
「・・・そうだね」
だけど葵はしみじみとそう言っただけだった。
そして、葵は立ち上がる。
「帰ろっか」
そう言って葵は歩き出す。
「そうだな」
「じゃあ、仲良くなるためにス○バにいこっか!」
「それこそ引っ張るなよ!」
「良いじゃん!行こ行こ!」
葵が走り出す。
俺はその後ろをついて行く。
空を見上げると蒼色で満ちていた。
透き通った蒼の下、俺は歩き出す。
「そういえば通知誰からだったの?」
「秋だったよ」
俺はスマホを確認する。
「あれ?」
「どうしたの?終」
「送信取り消しされてる」
「間違いか何かだったのかな?」
「・・・そうなのかな」
7/22
補習を終えた俺達は図書室に向かう。
「着いたよ」
俺たちは図書室の前に立つ。
「なんか、緊張するね!」
「失礼します」
秋がそう言って扉を開ける。
「あら、秋さん。久しぶりですね
「凛先生。お久しぶりです」
俺はその先生を見て目を疑った。
「お前、あの時の」
「あなた、この前の」
「こちら、西高の図書の凛先生」
秋が丁寧に紹介してくれる。
「おやおや、二人には何か秘密があるみたいですねぇ」
葵はにやにやと笑っている。
「やかまし!」
「『まだ終だけに?』って言ってない!」
「改めまして。八月一日凛です」
「非常勤なのでいつもいるわけじゃないですがよろしくお願いします」
「三年C組の立花葵です」
「三年C組の五月七日終です」
「それでね!凛先生!私たち文芸部をやることにしたんです!」
「文芸部・・・」
「そうです。これからここで活動したいんだけど大丈夫ですか?」
「良いですよ。だけど、他の人もいるから静かにお願いしますね」
「・・・」
俺は秋と凛先生を見比べる。
二人の雰囲気はまるで反対だが、目や鼻がそっくりだった。
「二人が親子だなんて信じられないよ」
「俺も最初そう思ったけど、よく見てみると顔そっくりだよな」
「ああ!だから今の今まで二人の顔舐め回す様に見てたんだ」
「そ、そんな見方してないだろ!」
「いやいや!冗談抜きでキモかった!」
葵の顔は真剣だった。
・・・この表情がキモすぎて引くのを超えたものでないのを祈ろう。
「それでは西校文芸部、記念すべき第一回目の活動を始めます!」
「わーい!」
「今日は何するんだ?」
「最初から物語を書くのは難しいと思うからまずは感想を言い合うみたいなのをやろうと思います」
そう言うと秋は席を立つ。
「あっきーどこ行くのー?」
葵もついて行ってしまったので俺も席を立つ。
その時。
「あの子をよろしくね」
凛先生に話しかけられた。
「それ、前も言ってましたよね?どういうことですか?」
「あの子から何か聞いてない?」
「いえ、特に何も聞いてないですけど」
「そう・・・」
そう言うと凛先生の顔は少し暗くなった。
「秋、何かあるんですか?」
「そうね・・・でも」
「ちゃんと彼女本人から聞いて欲しい」
「きっとその時が来たら言ってくれると思うから」
「・・・」
「わかりました」
そう返して、俺は凛先生のもとから離れる。
「今日は何を読むか決めようと思います」
そう言うと秋は本棚を眺めていく。
「もう目星はついてるのか?」
「うん、探すの手伝ってもらってもいい?」
「うん」
「おっけー!あっきー!」
「最初はこの本を読もうと思います」
俺たち二人の前に一冊ずつ同じ本が置かれる。
「『愛故に』・・・」
「ねえねえ!これどんなお話なの?」
「あらすじは・・・読んでからのお楽しみということで」
秋も葵もワクワクしている。
「『愛故に』を選んだのですね」
「はい!これも凛先生が教えてくれた本でした」
そういえばなんで秋と凛先生が親子なのによそよそしいかと言うと。
「ここはあくまで学校ですから、先生と生徒という関係をということにしました」
秋と話し合ってそう決めたそうだ。
「え!そんなの悪いですよ」
「気にしなくて良いですよ。私がやりたいだけですから」
「何かあったのか?」
「凛先生が文芸部の顧問をやりたいんだって」
「顧問か」
確かに部活をやる上で顧問という存在は必要不可欠だ。
しかし、非公認の部活にそれは必要なのだろうか・・・。
「私も皆さんの仲間に入りたいんですよ。いち本好きとして」
「・・・まぁ、良いんじゃないか?」
「なんで終はそんなに上からなの!」
今の凛先生の目が先生のものではなく母親のそれであった。
そんな雰囲気を壊すようなことは言うべきじゃないと思った。
「それじゃあ土日は本を読む時間ってことで次は月曜日に集合ね」
「時間はいつにするー?」
「10時くらいでいいんじゃないか?」
「それでどうですか?凛先生」
「ごめんなさい。その日は少し用事があって」
「皆さんだけで進めてくれて大丈夫ですよ」
「じゃあ月曜日の10時にここに集合で」
その日はそれで別れた。
秋視点
「よかったね、秋」
「うん」
「ずっと夢見ていたから」
文芸部。
私がずっとやりたかったこと。
それがついに叶いそうなんだ。
「・・・ふふっ」
終君と葵ちゃん。
まだ親しくなくってあんまり経ってないけれど。
私、あの二人が好きだな。
だから本当に嬉しいな。
「・・・二人には話さないの?」
「・・・うん」
「昨日、少し零しそうになったけれど」
「私は話さないって決めたよ」
「どうして?」
「私、二人のことが好きなんだ」
「まだ、何も知らない同士だけれど」
「心が惹かれている感覚があるの」
「だから、二人には話さない」
「私を真正面から見てほしいから」
「フィルター越しの私じゃ嫌だから」
「・・・」
お母さんは悲しそうな顔をしている。
きっと、あの事を気にかけている顔だ。
フィルター越しの私を見ているんだ。
「家族」だから、なのかな。
「友達」からそう見られるのは嫌なのに。
お母さんに見られるのはなんだか安心する。
ぎゅーって抱きしめられている感覚になる。
「ごめんね。お母さん」
私は笑顔でそう言った。
7/24
だけど、葵ちゃんは10時になっても図書室に姿を見せなかった。
「葵ちゃん、どうしたんだろうね」
終視点
「んー寝てるんじゃないか?」
「あいつ、授業中もずっと寝てるんだよ」
「ちょっと電話してみるわ」
実は俺も寝過ごしそうになったとは口が裂けても言えない。
「・・・出ないな」
呼び出し音が何回か鳴っても葵は出なかった。
「何かあったのかも」
「二人でここに居ても何も変わらないし」
「葵ちゃんに会いに行こうよ」
「そうは言っても」
「葵の家知ってるのか?」
「うん」
「教えてもらったよ」
マジで二人は仲良くなっている。
「雨、降りそうだな」
「そうだね」
俺は空を仰ぐ。
俺と秋は学校を出て、葵の家に向かっていた。
空は鈍色の雲に覆われていて薄暗い。
二人並んで道を歩く。
「最後に加奈ちゃんは瞳ちゃんを刺し殺しちゃうんだよね」
「え?」
「『愛故に』のこと」
「・・・あぁ」
『愛故に』
主人公の瞳には大親友の加奈がいた。
二人はいつも一緒にいた。
朝、学校に登校する時も。
昼、お弁当を食べる時も。
夕刻、下校する時も。
いつも隣にいてくれる加奈が大好きだった。
しかし、ある日加奈は殺されてしまう。
ここで物語の視点が瞳に変わる。
瞳は加奈のことを愛していた。
そのしなやかな髪の毛も。
少し低めの声も。
優しいその笑顔も。
それでも加奈にとって瞳はいつまでも親友だった。
それが恋人になる事はなかった。
瞳は苦しんだ。
自分の愛を言葉で伝える事が怖くてできない。
否定されることが怖い。
でも、日に日に瞳の恋心は膨れ上がった。
ある日、決定的な出来事が起きる。
加奈に恋人ができたのだ。
そして瞳は否定された。
ナイフを持って加奈の元に向かいー
刺し殺した。
愛故の嫉妬。
だけど―
「着いた」
「ここみたい・・・」
「すっげぇ・・・」
『愛故に』について話していると葵の家についた。
葵の家は近所でも有名な豪邸だった。
大きな門の前で俺は恐る恐るインターホンを押す。
「あ、あの、葵さんのクラスメイトの者です」
「葵さんいらっしゃいますか」
「これはこれは。お嬢様のクラスメイトの方ですか」
「今、門を開けますのでしばしお待ちを」
すると自動で門が開いていく。
それと同時に執事服を着た人がやってくる。
「先程はインターフォン越しに失礼しました」
「私、立花家で執事をしております中村と申します。」
「ようこそいらっしゃいました。さぁ、どうぞ中へ」
俺たちは執事についていく。
「葵ちゃんの家すごいね」
「なんで小声なんだよ」
「そういう終君もじゃん」
色とりどりの花が庭を彩っている。
玄関までの道はかなり長く感じた。
大きな扉を執事が開ける。
中に入ると上品な雰囲気の女性がいた。
「あら、どちら様かしら?」
「冬さま、こちら葵さまのクラスメイトだということです」
「は、初めまして!五月七日終と言います」
「八月一日秋です」
「そう、葵のね。そんなに緊張しなくて良いわよ」
優しく笑った。
「葵の母の冬です。ゆっくりしていってね」
そう言うと冬さんは奥の部屋に入っていった。
「葵さまの部屋は2階の奥の部屋です」
「こちらにどうぞ」
俺たちは大理石?っぽい階段を登って葵の部屋に向かった。
「葵?いるか?」
俺は扉をコンコンと叩く。
「葵ちゃん?大丈夫?お菓子とか買ってきたの」
部屋の中に人の気配はあったが出て来てはくれなかった。
「・・・具合悪いのか?」
「そうなのかもね」
「葵ちゃん。ここに置いておくね」
秋は扉の横にコンビニで適当に買ったお菓子を置いた。
「・・・私」
「私、待ってるから」
秋が悲しそうにそう言った。
そして俺たちは帰ろうとした。
その時。
「・・・ごめんね」
葵がポツリと言葉をこぼす。
俺は。
俺たちはそれをどう受け止めるべきなのだろうか。
「あ、あのね」
秋が必死に言葉を繋げようとする。
「私、待ってるから」
「葵ちゃんに何があったのかは分からないけれど」
「文芸部をちゃんとやれるの待ってるから」
秋の声が消え、沈黙が漂う。
「・・・帰るか、秋」
「・・・うん」
秋は悲しそうに返事をする。
俺たちは高そうな絨毯の上を歩く。
「あら、もう帰られるのですか?」
「はい、突然来てすみませんでした」
「良いのよ。気にしないで」
「・・・」
「・・・何かあったの?」
「いえ、気にしないでください」
「葵さんにお大事にとお伝えください」
「お大事に?葵、風邪でも引いてるの?」
「いえ、何も言ってくれなかったので分かりませんが・・・」
「・・・まさか、あの子」
その時冬さんの顔が少し暗くなる。
「・・・私の本がダメだったのかな」
「?」
不意に秋がつぶやいた。
「実は俺たちと葵さんで文芸部をやることになって」
「文芸部・・・」
「それで、今日感想会をしようと思っていたんですけど葵さんが来なかったので」
「・・・その本って今持ってたりする?」
「え?ありますよ」
俺は自分の鞄から本を取り出す。
「『愛故に』・・・」
「ごめんなさい。私、本を読む方ではないの」
「どんなお話か教えてもらってもいい?」
「はい」
俺は簡潔に説明をした。
「・・・そう」
俺のあらすじを聞き終わると冬さんの顔は完全に暗くなっていた。
「実はね、あの子、葵はー」
冬さんが話し始めたその時だった。
「やめて!」
「え?」
2階から葵がこちらを見下ろしていた。
「帰って!二人とも!」
「葵!せっかく来てもらったのに、そんな言い方ないでしょう!」
「ママには関係ない!勝手に私のことを話さないで!」
「いい加減にしない!葵!」
「冬さん落ち着いてください!俺たちは大丈夫ですから!」
「葵ごめんな!突然来て!帰るから!」
俺たちは急いで玄関を出た。
「あんな葵ちゃん初めて見た」
「そりゃそうだよ。まだ知り合って数日だろ?」
「・・・でも」
「人間には必ず醜い部分がある」
「その部分を受け入れられた時友達になれるんじゃないか」
「大丈夫だよ」
「あの葵だぞ?たまたま今日はむしゃくしゃしていたんだよ」
「・・・うん」
俺たちは歩いて立花家を後にした。
7/25
今日は雨だった。
蒼いはずの空が一面雲で覆われている。
外の雨音が俺たちだけの図書室に響く。
「・・・」
「・・・」
10時にここに来ておよそ2時間が経った。
葵は来なかった。
「今日も10時に図書室に集合で」
既読は2つついているのに。
葵は来なかった。
「・・・」
秋はとても悲しそうにしていた。
おそらく自分の本になんらかの原因があったと考えているのだろう。
その証拠にさっきからずっと『愛故に』を読んでいる。
「・・・」
「お腹空かないか?」
「・・・そうだね。もうそんな時間か」
このどんよりとした空気を払いたくてそんなことを言う。
秋は本を閉じてお弁当を広げる。
俺も同じようにする。
「いただきます」
「いただきます」
なぜだろうか。
こういう時話す話題が見つからないのは。
雨音がまるでノイズのように聞こえる。
日々が好転していないノイズ。
それが酷く苦痛だった。
それから逃れるにはどうしたらいいのか。
そんなのは簡単だ。
日常を取り戻してやればいいんだ。
「葵のこと」
「?」
秋が顔を上げる。
「俺、また葵のところに行ってる」
「・・・」
そして視線を逸らした。
「秋は来ないのか?」
「・・・うん」
そして小さく頷く。
「どうして?」
「・・・私たちにできることってあるのかな?」
「あるだろ。悩んでそうなら寄り添ったり、嫌なことをしたなら謝ったり、それからー」
「そんなことに意味ってあるのかな」
「え?」
「誰も他人を分かることなんて出来ないんだよ」
「所詮自己満足だよ。そんなの」
「そしてね」
「傷ついていればいるほど」
「そうされるのは辛いんだよ」
「・・・」
「きっと私にも、終君にも、葵ちゃんを助けることはできないよ」
「扉を開くことはできないよ」
「だってね」
「心の扉を開けるのって」
「自分しかできないし」
「すごく勇気がいることだから」
「だから、みんな閉じている」
「本当の自分なんていうのを見せたりしない」
「『上手に生きる』って言う人もいるよね。こういうのを」
「それが正しいことなんだよ」
「間違えていないんだよ。それだけが」
「間違いの先に何があるの?」
「・・・」
秋の顔を見る。
そこには悲しさも辛さも無かった。
ただひたすらに無だった。
何かを失ったように呆然としていた。
「もう終わりなんだよ」
「文芸部は」
「・・・」
終わりか。
相変わらず雨が降っている。
止まない雨はないと言う。
だけど。
たとえ雨が上がっても。
雨に流されたものは。
もう帰ってはこないんだ。
7/26
カーテンの隙間から光が漏れている。
スマホのアラームが鳴っている。
午前10時に設定したアラームだ。
俺はのそりと起き上がる。
起きてまず、歯を磨く。
顔を洗う。
朝飯は食わない。
テレビを付ける。
ドラマの再放送をなんとなく見る。
腹が減ってくる。
冷蔵庫を漁る。
パンと牛乳を片手ずつに持ってソファーに座る。
またテレビを見る。
お昼の情報番組になっていた。
天気予報だった。
今日も一日中雨らしい。
パンを咀嚼する。
牛乳を飲む。
すると眠くなる。
何もしていないのに眠くなる。
そしてその眠気に身を任せる。
また、むくりと起きる。
15時。
外はまだまだ明るい。
夏だからか。
汗ばんだ体が嫌に感じた。
シャワーを浴びよう。
ふとスマホが目に入る。
通知は何も無かった。
風呂場に向かう。
また冷蔵庫を開ける。
今度は冷たい麦茶を飲む。
自室に向かう。
ベットに身を任せる。
閉めっぱなしのカーテンのせいか部屋は暗い。
今日が終わるのか。
1日が終わろうとしているのか。
「・・・」
酷く長かった気もするし、短かった気もする。
だけど、何か足りない感覚がある。
これまでもこうやって過ごしてきたはずなのに。
何も変わらないはずなのに。
ソワソワする。
何かしたいのに。
何もしなかった。
一日が無意味な気がした。
どうしてそんなことを思うのだろうか。
どうして俺は悲しさとはまた別の感情を抱いているのだろうか?
そんなことを考えた時だった。
「・・・あ」
机の上に置いてある本。
俺はそれを手に取る。
『愛故に』
主人公の瞳には大親友の加奈がいた。
二人はいつも一緒にいた。
朝、学校に登校する時も。
昼、お弁当を食べる時も。
夕刻、下校する時も。
いつも隣にいてくれる加奈が大好きだった。
しかし、ある日加奈は殺されてしまう。
ここで物語の視点が瞳に変わる。
瞳は加奈のことを愛していた。
そのしなやかな髪の毛も。
少し低めの声も。
優しいその笑顔も。
それでも加奈にとって瞳はいつまでも親友だった。
それが恋人になる事はなかった。
瞳は苦しんだ。
自分の愛を言葉で伝える事が怖くてできない。
否定されることが怖い。
でも、日に日に瞳の恋心は膨れ上がった。
ある日、決定的な出来事が起きる。
加奈に恋人ができたのだ。
そして瞳は否定された。
ナイフを持って加奈の元に向かいー
刺し殺した。
愛故の嫉妬。
だけどー。
だけど、それだけなのだろうか?
加奈はナイフを受け入れたんじゃないか?
自分に対する瞳の愛に気付かなかった罪を受け入れるために。
瞳からの愛故に刺し殺されることを選んだ。
そうだよ。
瞳も加奈も何も知らないんだ。
お互い何も知らない同士なんだ。
知ったフリをして。
分かった気になって。
だからすれ違ったんだ。
それは間違っているよ。
だけど。
だけどさ。
きっとそれは正解に繋がっているんだ。
間違えた分だけ正解に近づけるんだ。
間違えるのが怖いからって
正しさを選んじゃいけないんだ。
正しさは正しかったとしてもー
「・・・正解じゃないんだ」
俺はベットから飛び起きる。
そして自転車に乗る。
全速力で漕ぐ。
風のように。
顔に雨が打ちつけられる。
それでも必死に前を見つめて走る。
俺は。
俺はー
雨が制服の裾を濡らす。
激しい雨のわけではない。
夏ならではの柔らかい、不快な雨だ。
俺はうざったい湿気を感じながら歩く。
そして、インターフォンを押す。
「はい」
「葵さんと同じクラスメイトの者です」
「足元も悪い中、ようこそお越しくださいました。少々お待ちください」
前と同じように門が開く。
そして俺は中村さんについていく。
「こちら、タオルです」
「すみません」
俺は中村さんから受け取ったタオルで濡れた体を拭く。
「お嬢様をよろしくお願いします」
「?」
「お嬢様はずっと後悔しています」
「でもその後悔に囚われ続けていてはいけないと私は思うのです」
「・・・はい」
俺は生半可な返事しかできない。
後悔。
葵は何かに後悔している・・・?
「それでは私は失礼します」
中村さんは戻っていった。
「・・・」
俺は目の前のやけに高級そうな扉を見つめる。
そしてドアを二回叩く。
「葵」
俺は呼びかける。
・・・。
「葵。調子はどうだ?」
・・・。
「昨日のお菓子食べてくれたか?」
・・・。
「葵が好きなお菓子分かんなかったから適当だったけど」
・・・。
何を話しても葵の返事が返ってこない。
何を話すべきだろう。
俺と葵を繋ぐもの―
「『愛故に』読んだか?」
・・・。
「加奈は罪に苦しんで死んでいった」
「って書かれてるよな」
・・・。
「でも俺は違うと思うんだ」
・・・。
「加奈はきっと瞳を認めようとしたんだよ」
「殺意というのものに変わってしまった愛」
「それでも、そこから愛を見出そうとして加奈は刺されることを選んだんだよ」
・・・。
「加奈は最後まで瞳の親友でいようとした」
「瞳は最後まで加奈を愛した」
「その結果、凄惨な事件に繋がってしまったとしても」
「それでいいんだ」
「人間には必ず醜い部分がある」
「その部分を受け入れられた時友達になれるんじゃないか」
「他の誰にも受け入れられない酷いことであっても」
「二人の間でそれは」
「愛であり、友情だったんだよ」
・・・。
長い、長い沈黙だった。
「・・・そんなわけない」
くぐもった声が聞こえてきた。
「そんなわけない!」
「加奈は瞳には殺されて当然だった!」
「気持ちの理解もできなくて何が親友だよ!」
「そんなの愛でもなんでもない!」
「愛に塗れていた瞳はそれに激怒した!」
「ただそれだけじゃない!」
「だから、芽衣は!ー」
葵視点
私には幼馴染がいた。
彼女の名前は鏡芽衣。
私よりも一回り小さい小柄な女の子だった。
幼稚園からずっと一緒に過ごしてきた。
家族ぐるみの付き合いでもあった。
隣に居るのが当たり前の存在だった。
親友。
私にとって芽衣は親友だった。
芽衣にとって私も当然親友だと思っていた。
それを疑うことをしなかった。
そんな当たり前が崩れはじめたのは高校に入ったくらいの頃だ。
「ぐすっ、ぐすっ、」
「大丈夫だって。学校が別になったくらいじゃなんともないよ」
「く、くらいって、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん」
私よりも聡明な芽衣は県内でも1番の進学校に合格した。
私程度の学力では西校が限界だった。
「私嬉しかったよ。葵が私と同じ学校に行くために勉強してくれたこと」
「で、でも、結局届かなかった・・・」
結局私は卒業式の日ずっと芽衣の胸で泣いていたと思う。
「葵ちゃんが一人でやっていけるようにこれあげる」
そう言うと、芽衣は私の髪に触れる。
なんだか、心が安らいだ。
「葵の髪の毛って綺麗だよね」
「そ、そうかな」
そして、芽衣は私の前髪を留める。
「じゃーん。髪留め」
「私とお揃い」
芽衣と一緒に鏡を覗き込む。
同じ形で色違いの髪留め。
芽衣は金色で。
私は銀色だ。
「あ、ありがとう」
私の宝物だ。
元々私は芽衣の後ろで隠れているような女の子だった。
怖かった。
自分を他人に曝け出すのも、誰かと深く繋がるのも。
だけど、そんな私を深く求めてくれたのは芽衣だった。
芽衣は私とは違って快活だった。
でも、クラスの中で人気というほどでもなかったけど、私以外にも友達がいる。
それでも私と芽衣だけの世界がそこにあったと思った。
「た、立花、葵、です。よ、よろしくお願い、します」
西高に入ってから私は一人だった。
唯一の親友がいない学校は窮屈だった。
教室という檻に閉じ込められている感覚。
それが私を包んだ。
「・・・もしもし?」
「もしもし!葵?最近学校はどう?」
家に帰って夜寝るまでほとんどの時間芽衣と電話をした。
学校は最悪だったけれど、その時間のおかげで私は元気になれた。
「・・・もう遅いし、そろそろ寝ようか」
「えー!ま、待ってよ、芽衣ちゃん!」
「もー!葵は甘えん坊さんだなぁ」
だけど、そんなつまらなかった日常が急に色付き出した。
「あの、大丈夫ですか?」
「えっ?」
それは体育の時間だったと思う。
元々ドジな私は転んで膝を擦りむいてしまった。
「僕、保健委員だから保健室連れてくね」
矢島慎。
彼は私を保健室まで連れて行ってくれて手当もしてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。葵さんって何か部活はしてるの?」
「い、いえ特には・・・」
「そうなんだ。好きなこととかあるの?」
「一人でいることが多いので本を読むことが多いです・・・」
「へぇ、葵さんって本が好きなんだ!なんか知的だね!」
「そ、そんなことないです!」
ただの世間話。
そう納得できたら良かった。
それなのにバカな私は一瞬で恋に落ちた。
本で読んだシチュエーションが頭をよぎった。
ハッピーエンドだけが頭を支配した。
「あ、あのこれ!この前のお礼です!」
「あれ?葵さん?お礼って何の・・・?」
「この前の体育の時手当てしてくれたから・・・」
「い、要らないよね!ご、ごめんね!それじゃ」
「待ってよ」
そう言って彼は袋を手に取る。
「中、見てもいい?」
「ど、どうぞ」
「うわぁ、美味しそうなクッキー!」
「つ、作ってみたの・・・」
「え!?て、手作り?」
「うん・・・」
「す、すごいなー!葵さん料理もできるんだね」
ほぼ他人の相手に手作りのクッキーとか拷問かよ。
そんなことも判断できないほどに盲目だった。
恋は盲目。
身をもって感じた。
「・・・私、好きな人ができたの」
「え!?ほんと!?誰誰?どんな人!?」
「同じクラスの子で・・・」
私はすぐに芽衣に相談した。
心臓がドキドキする。
顔が熱く感じる。
こんなの初めてだった。
自分のことでいっぱいいっぱいだった。
これは言い訳だ。
私は芽衣のアドバイス通りに彼にアプローチをした。
そして私は彼と連絡先を交換することもできた。
「本当に芽衣のおかげ。ありがとう」
「ううん!葵が頑張ったんだよ!」
「ねえねえ、彼の名前って何でいうの?」
「え、えっとね、矢島慎君っていうんだ・・・」
「・・・え?」
「矢島慎って・・・」
その日から芽衣は彼のことを諦めるように言ってきた。
「だからさ?葵。あいつはやめといたほうがいいって。何度も言うけど・・・」
「聞きたくない!何で慎君の悪口言うの!」
恋は盲目。
恐ろしいものだ。
あの頃の私にはきっと自分の恋心しか見えてなかったのだろう。
ちょうど三月に入ったくらいの頃だった。
その時もう一つ大きな出来事があった。
「あのね、葵に大切な話があるの」
仕事の都合。
海外留学。
四月から。
一年。
アメリカ。
そんな単語が耳から入った。
そんな急な話があるのだろうか?
(告白しよう。)
アメリカに行く前に彼にこの気持ちを伝えよう。
私の出した愚かな結論だった。
「私、慎君に告白する」
「本気で言ってるの!?もうちょっとよく考えて・・・」
「芽衣は私の味方になってくれないの?」
「ち、違うよ!私はただ、葵のことを考えて・・・」
「そんなの言い訳だよね?」
「私がうまくいってるのを僻んでいるんだよね?」
「違うよ!葵、お願い話を聞いて!彼はねー」
電話を切る。
どうしてわかってくれないのか?
自己中心的な考えだけが頭を支配する。
私は彼を呼び出した。
外は雨が降っていた。
私は公園で待った。
「10時に公園に来てほしい。大切な話があるの」
まだ後1時間もある。
それなのに初めて芽衣に相談した時と同じように心臓がバクバクと鳴った。
春先の寒さよりも体の暑さが勝った。
だけど。
「葵!」
来たのは芽衣だった。
「葵!考え直そ?何度も何度も言ってごめんね!でもー」
「っ!」
雨音よりも鋭く響いた。
「ねぇ、葵、痛いよ」
「・・・」
芽衣は傘を差しているはずなのに顔は濡れていた。
右頬が赤くはれている。
「・・・もう、邪魔しないでよ」
私の声はとても、とても低かったと思う。
そして芽衣は公園から出て行った。
だけどー
待っても、待っても、彼は来なかった。
そうか。
私は振られたんだ。
私は公園を出て家に向かった。
その途中。
「たくっ!お前何なんだよ!?」
「お願いします!あの子に手を出すのはやめてください!」
「意味わかんねぇよっ!」
「いやぁっ!」
芽衣が突き飛ばされる。
よく似合っている春らしい淡い色のワンピースに泥水が染みる。
「大体さ?あいつが勝手にこっちに言い寄って来たって言ってんだろ?」
「ちょーっとカマかけてやったらコロッと落ちちゃってよ!」
「お返しで手作りのクッキー?キモすぎて食えるかっての!全部捨てたわ!」
「・・・ひどい!」
「葵は!料理するの苦手なのに!」
「頑張って作ったはずなのに!」
「知らねーよ。あ、もしかしてあの日から鬱陶しくなったのってあんたのせい?」
「ちょくちょく話しかけてくるわ、メール送ってくるわでだるかったんだよ!」
「お前が変な助言したんだろ!?アアッ!?」
「そうよ!だからお願い!彼女の元には行かないで!」
「知らねーよ!ブスはブスでも女だからな」
「サクッとヤって別れてやるよ!」
「っ!」
甲高い音が響く。
「てめぇ!女だからって調子にのんじゃねーぞ!」
「いやぁっ!」
芽衣はまた水溜まりに突き飛ばされる。
髪の毛も服も全部が雨と泥で汚れている。
私はただ見ていた。
芽衣が突き飛ばされる様子を。
恐怖に震えて。
ただ見ていた。
「・・・ただいま」
家に帰ってシャワーを浴びた。
これまでのことを全部洗い流したくて。
でも。
脳裏にこびりついた様に芽衣が突き飛ばされる映像が浮かぶ。
どんなに流しても。
その映像だけが頭から消えない。
「ねぇ、芽衣ちゃん来てるわよ」
「・・・」
「なんか、すごくびしょ濡れなんだけど・・・」
「知らない」
私は逃げた。
芽衣から逃げた。
その先は偶然にもアメリカだった。
芽衣にアメリカに留学することを伝えはしなかった。
だからエアメールが日本から届いた時すぐに芽衣からだと思った。
「・・・」
だけど、私は読まなかった。
結局それを読んだのは―
芽衣が自殺をしたと聞いてからだった。
葵へ
アメリカは日本と比べてどうですか?
日本では4月から新学期ですが、アメリカでは9月からだと聞きました。
アメリカは広いのでどこの州に行くのか聞きそびれた私は、今葵が暑いのか寒いのかも分かりません。
というか、まず先に言わなくちゃいけないことがあるよね。
ごめんなさい。
葵の恋を応援できなくてごめんなさい。
葵にとっての初恋を私が汚してしまいました。
葵はもう一生私を許してくれないかもしれないけど。
どんなに葵が私を嫌いでも、私は葵のこと大好きだから。
だから謝ろうと思ったの。
私は葵がアメリカから帰って来たらまた前みたいにいっぱいいっぱい遊びたいな。
というか、国際電話もあるよね?電話してもいい?
あーでも、時差とかがあるのか。
私が早起き頑張れば葵とお話しできるかな?
直接だと言えないことも書ける気がするから。
私の気持ち、ここに書きます。
もしも、これを読んだなら何か一つ、何でもいいので返信を下さい。
私は葵が好きでした。
ううん。
大好きです。
ううん!
大大大大大だーい好きです!(紙の限界のため抑えめに)
きっと、葵ちゃんも私のこと好きだと思う。
いや、好きだった、かな?
それでも、少しは私に好意を向けてくれていたと感じています。
でも。
でもね。
そういうのじゃないんだ。
この私の好きの延長線上には
葵ちゃんとしたいことがいっぱいあります。
手を繋いだりとか、ハグしたりとか、キスしたりとか。
その先とか・・・(自主規制!)
いつからこんなこと思うようになったのかは覚えてないけれど、気づいたら私は葵ちゃんが好きでした。
likeじゃなくてloveね!(アメリカだから英語風♬)
だけど、こんなのおかしいよね。
女の子が女の子を好きになるなんて。
キスしたいなんて。
だから諦めようと何回も思いました!
葵ちゃんと同じように友情に向かう好きに変えようとしました。
でも。
どうしても葵ちゃんが好きでした。
そんな時、葵ちゃんに好きな人が出来ました。
私の胸は苦しくなりました。
↑こんなの本でしか見たことない表現だよね笑笑
でも本当にキューッと痛みました。
だけど、これなら諦められると思いました。
普通になれると思いました。
そうだよ。
恋は男の人と女の人がするものだよ。
手をつなぐのも。
ハグも。
キスも。
だから私は応援しようとしました。
でも、ってこれじゃまた同じか笑。
私は応援します!
私のせいで慎君に迷惑をかけてしまいました。
それはちゃんと謝りに行きました。
葵はいい子です。
本当にいい子です。
優しくて。
努力ができて。
好きな物に真っ直ぐで。
可愛くて。
頭も良くて。
いつもは自分をなかなか曝け出せないけど。
でも、立花葵という人間の中には。
もっともっと沢山の良さが詰まっていて。
私はそれを知ってるよ。
だから、それを曝け出せば葵ちゃんはもっともっと幸せになれるよ!
自分の心を見せたり他人の心を見たりするのは怖いことだけれど。
勇気を持って!
葵ちゃんなら大丈夫だから!
ずっと隣にいた私が保証するから!
だから。
葵ちゃんは慎君と幸せになってください。
私は葵ちゃんを応援します。
本当にごめんなさい。
返事待ってます!電話も待ってます!
あなたの大親友 芽衣より
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
芽衣は死んだんだ。
めいはしんだんだ。
めいはしんだんだ?
しんだ?
死んだ?
この手紙を書いた人間が死んだ?
違うだろ!
殺したんだ!
わたしが!
私が!
私が芽衣を殺したんだ!
わたしがめいをころしたんだ!
私はどうしたらいいんだろうか。
いっそ死ねばいいのだろうか?
そうやって贖罪まがいなことをすれば芽衣ちゃんは喜ぶだろうか?
いやー
違うな。
私は幸せにならなくちゃならないんだ。
そして幸せになる度に芽衣を思い出して苦しむんだ。
自分の死よりも重くて。
芽衣の死よりも軽い。
その苦しみを味わわなくてはならないのだ!
帰国後。
私は周りから明るい人間だと言われるようになった。
たまに、プライベートまで入ってきてうざいと言われるほどに。
その度に私は幸せだった。
その度に私は苦しんだ。
終視点
「・・・」
「・・・私が授業中ずっと寝てるのは本当に疲れているからなんだよ」
「・・・」
「私は元々根暗だから明るく振る舞うのは疲れるんだよ」
「・・・」
「・・・見損なった?私は死んでも償えないような罪人なんだよ」
「加奈は幸せだよ」
「ちゃんと瞳に殺してもらったんだから」
扉の向こうから暗くて細い声が聞こえてくる。
「ねえ、終」
「友達って」
「友情って何?」
「その先にある愛って何?」
「・・・」
「・・・私、分かんないんだ」
「そういうの」
「教えてよ」
「正解がなんなのか、分かんないんだよ」
「・・・」
「・・・終も分かんないんだ」
「そうだよね」
「ごめんね、変なこと聞いて」
また沈黙だ。
雨の音も聞こえなかった。
それくらいに俺は葵のことを考えた。
「葵は」
「正解を求めているのか?」
俺は扉に背を預ける。
「うん」
「それはどうしてだ?」
「だって、間違えることは怖いから」
「分かったフリが一番人を傷つけるから」
「友達という形を壊してしまうから」
「・・・そっか」
「・・・ごめん、終」
「今日は帰ってよ」
怖い。
そうだ。
みんな間違えるのは怖い。
その先にあるかもしれない正解を求めたくても。
怖いからそれに手を延ばさない。
扉を開けない。
自分を部屋に閉じ込める。
心に閉じ込める。
だけれど―
「でも」
「きっと正解なんてどこにもないぞ?」
「え?」
「分からないから人は求めるんだよ」
「知らないことがあるから手を伸ばすんだ」
「それが分かってしまった瞬間」
「きっと、その『友情』や『愛』に意味はないんだ」
「・・・終には分かんないよ」
「私のこの後悔の重さが」
「・・・」
芽衣。
葵の親友。
彼女が死んだ、ということがあったのか。
そして、今回読んだ本『愛故に』がその後悔を色濃くした。
「友情って」
「みんな勘違いしているんだ」
「友達なんて明確に定義もないのに」
「なったフリをして」
「そうやって安心感に浸っているんだ」
「だから」
「分かり合えるなんてことはないんだよ」
「共感なんてものは口から出任せだ」
「自分の中で作り上げた偽物を本物と勘違いしているんだ」
「俺は葵の気持ちも秋の気持ちも」
「分かったフリしかできない」
「・・・」
「そうだよ・・・」
葵はか細い声で呟く。
俺は拳を握る。
「でもな」
「それでいいんだ」
「分かったフリを押し付ける」
「わがままなんだ」
「友情なんてものはわがままの塊さ」
「だから、俺は言うよ」
「最大のわがままを葵にぶつける」
「それが俺が思う友情だから」
「俺の中の自己都合に塗れた葵に向かって」
「バカ丸出しの分かったフリを」
「葵は芽衣さんが死んだことに囚われている」
「彼女を救えなかったとか」
「傷つけたとか」
「きっと、そんなことを考えている」
「分かろうとしなかったって」
「バカだよ」
「お前」
「さっきも言ったように」
「お前ができるのは分かったフリだけなんだ」
「それなのにそれに固執しやがって」
「お前の自己都合でしかないんだ」
「自己解釈でしかないんだ」
「じゃあどうするべきかって?」
「何が正解なのか?」
「そんなの分かんねえよ」
「分かんないんだ」
「それでも」
「それでも、葵が正解を求めるなら」
「やることは一つだけだ」
「やれるのは一つだけなんだ」
「分かったフリでいい」
「自分勝手でいい」
「自己都合でいい」
「自分に向き合ってくれる人を」
「分かろうとするんだ」
「一生懸命になるんだ」
「自分の中にその人を描くんだ」
「他人から見たらそれはわがままだろう」
「それでも、自分だけはそれを信じるんだ」
「そして、それを人にぶつけてみるんだ」
「感情に乗せて」
「感情は刃物だよ」
「みんなの喉元に突き付けられた刃物」
「誤って首を搔っ切ってしまうかもしれない」
「血が溢れてその人が死んでしまうかもしれない」
「そのくらい殺傷能力があるんだ」
「・・・それじゃダメだよ」
「ダメだったんだよ」
「そうか?」
「ちゃんと信じるんだ」
「自分を信じるんだ」
「ただひたすらに」
「自分の中のその人を信じるんだ」
「そうすれはその人が死ぬことなんてないよ」
「・・・多分」
「多分、だ」
「確率論だよ」
「生きるか死ぬかの」
「それがきっと正解だ」
「きっと本物の友情だよ」
「わがままで自分勝手な友情が」
「そうやって生き残ったとき」
「そいつのことを友達と呼べるんじゃないのか?」
「なあ、葵」
「俺は今、葵を殺そうとしているのかもしれない」
「葵は死ぬかもしれない」
「お前は俺の刃物を」
「どうするんだ?」
「俺は俺を信じているから」
「俺の中の立花葵を信じているんだ」
「なあ」
「葵はどうなんだ?」
・・・。
長い。
とても長い沈黙だった。
俺は扉を見つめる。
そして。
「・・・よかった」
「葵はちゃんと生きてた」
「・・・ごめん、終」
「謝るなよ」
「それよりも」
「もう一人の『友達』に会いに行こう」
「・・・うん」
「終」
葵が俺の手を握る。
そして―
「ありがとう」
涙が薄く残った綺麗な笑顔がそこにあった。
秋視点
「・・・」
雨が降っている。
日本語は雨を表す言葉が異様に多い。
美しい響きが多いとも思う。
だけど。
きっとそんなものに意味はないよ。
雨、と聞いて思い浮かべるのは何だろうか?
雨なのは確かだ。
だけれど、それがみんな同じ雨だろうか?
土砂降り。
五月雨。
時雨。
天気雨。
通り雨。
雷雨。
きっと日本語はそういう一つ一つに寄り添おうとしている。
だけれど。
そんなのは無理、なんだよ。
自分の認識と。
他人の認識と。
それがぴったりはまることは無くて。
ぴったりはまった気になることしか出来なくて。
そんなの虚しい。
それだけならまだいいさ。
もっと大変なのは。
それで相手を傷つけてしまう時だ。
友達という関係。
それはきっとそういう危険を孕んでいる。
近づいたつもりの心がその心を傷つけ合う。
心を受け入れるのを愛と書く。
心は受け入れられるほど優しくないよ。
すごく尖っていて。
すごく冷たいんだ。
だから、そんなものに近づこうとしたりしないで。
自分と他人。
それをちゃんと認識して。
生きていくのが。
間違いのない方法なんだ。
それなのに。
「・・・」
どうして私はここに居るのだろう。
何を期待しているのだろう。
私一人のこの空間で私は何を待っているのだろう。
嫌になりそうだ。
やっぱり心ってやつは難しい。
自分ですら制御出来ないんだから。
「?」
スマホの画面が灯く。
何かの通知が光っている。
そう。
光っていた。
私は暗いところにいたんだと気付かされた。
暗いのは。
「嫌だな」
「秋、どうしたの?」
お母さんが心配そうにしている。
突然ここに呼び出したからかな。
「なんでもないよ」
「それよりも来てくれてありがとう」
「気にしないで」
「私は秋の願いを叶えたいから」
「・・・そっか」
私は結局。
怖い何かを求めてしまった。
・・・あんなに突き放したのに。
でも。
あの人なら。
金色が輝く彼なら。
私を救ってくれる気がしていた。
自分勝手だな、私。
私はこの心と付き合っていかなくちゃならない。
それも、あと少し、だけれども。
なら。
残りの少しは。
輝いて過ごしたい。
彼みたいに。
金色で世界を描いている彼は。
正しさじゃないものを選んで。
ちゃんと正解に手を伸ばしている。
私も。
そんな風に―
「・・・」
私はスマホの画面を見る。
『待ってて』
私の言葉をちゃんと受け止めて。
彼は間違った正解を連れてこようとしている。
それなら、私は―
「終君・・・」
そう、呟いた時だった。
「お待たせ」
「えっ―」
終視点
「ちゃんと連れてきたぞ」
「・・・」
葵は俯いている。
「葵ちゃん・・・」
「ごめんね」
「私、怖かったんだ」
「あっきーと終と友達になることが」
「『愛故に』を読んで大好きだった子のこと思い出してた」
「また、私が苦しめちゃうんじゃないかって」
「だから、逃げたの」
「・・・」
「だけどね」
「終は違ってた」
「ちゃんと踏み込んで来てくれた」
「私の扉の前まで来てくれた」
「私たちは怖くてこんなことできないのに」
「いや」
「みんな、怖くてこんなことできないのに」
「その時さ」
「すっごく嬉しかったの」
「ああ、こんなにも私を分かろうとしてくれるんだって」
「終が言ってた」
「友情は自己都合だって」
「それって冷たく感じるよね」
「でも」
「実際は違った」
「その人なりに一生懸命なの」
「分からないことに必死なの」
「それが嬉しくてたまらなかった」
「だからさ」
「私もそうしたいって思った」
「それでね」
「ここにきてまずは」
「あっきーに謝ろうと思った」
「そしてここから始めたいの」
「私が正解するための」
「間違いを」
「だからさ」
「あっきー」
「ごめんなさい」
葵が頭を下げる。
「・・・私だってそうだ」
「分かろうとしなかった」
「諦めてた」
「待ってさえいれば崩れた責任を負わなくていいと思った」
「ずるしたんだ」
「それなのに」
「それなのに私は正解を求めていた」
「この三人で過ごした短い時間が」
「楽しくてしょうがなかった」
「しあわせだった」
「だから、求めてしまった」
「私は弱い人間だから」
「終君や葵ちゃんみたいに正解に手を伸ばすのは」
「やっぱり怖い」
「だから」
「だからね」
「頭をあげてよ。葵ちゃん」
葵は頭をあげる。
そして、秋は葵を抱きしめる。
「ごめんね。葵ちゃん」
「弱くて、ごめんね」
「・・・あっきーは」
「弱いのかもしれない」
「でもさ」
「ちゃんとそれに向き合っている」
「それって」
「すっごく勇気がいること、だよ」
「・・・」
「ありがとう、葵ちゃん」
二人は抱き合っていた。
とても。
とても長い間。
まるで、心を重ね合わせる様に。
「そうだ、あっきー」
葵が秋の体から抜けていく。
「何?葵ちゃん」
「今更のようで」
「これから始まるような」
「そんなタイミングだからさ」
「お願いがあるんだ」
そして、葵は綺麗に笑って―
「私と友達になってくれませんか?」
7/27
今日は空が蒼い。
二、三日ぶりの快晴。
透き通った蒼が空に塗られている。
文芸部の活動後俺は帰宅中だ
「?」
いつかの様に葵を見かける。
あの日と同じように花を手に持っている。
「・・・そっか」
悪いことと知りながら葵の後をつけた。
「芽衣」
「報告に来たよ」
「私、友達が出来たんだ」
「・・・芽衣は怒るかな」
「今までの私だったら」
「きっと、こんなことできなかった」
「芽衣のことを贖罪だと思って」
「色々なことから逃げ続けていたと思う」
「正しさを選んじゃっていたと思う」
「私」
「やっと覚悟ができた」
「芽衣から怒られる覚悟」
「だから、私が死んだら」
「そっちでいっぱい叱ってね」
「私はちゃんとそれを受け止めるから」
「そうだ」
「これ、返すよ」
「もう、芽衣にもらったものに頼るのは止めるよ」
「ちゃんと、私の中にいる芽衣を信じるよ」
「じゃあ、そろそろ行くね」
「じゃあね」
「また、ね」
葵は立ち上がって歩き出す。
自由な蒼い空。
それと同じ音を纏った少女は。
これから間違え続けるのだろうか。
正解を手にするために。
そして、俺は―
「葵」
「終?」
あの日と同じようにぽかんとしている。
「ちゃんと報告できたか?」
「できたけど、なんでここにいるの?」
「また、ストーカー?」
「あのね終」
「確かに終は間違え続けているけれど」
「法には触れない範囲にしなよ?」
「『これが俺の信じる恋だ!』とかって言ってストーカーしてたらいくら私でも引くよ?」
「そんなことしねえよっ!」
「二度目だもんな~」
「信用できないな~」
「あーもー!」
「この話終わり」
「・・・終だけに?」
「やかまし!」
そして、俺は。
この自由に染まりきった笑顔を見ていくのだろうか。
この先に待っている恐怖を打ち消してしまうような。
この空のような。
蒼く澄んだ笑顔を―
8/1
「・・・よし」
9時半。俺は自宅を後にする。
八月になってより暑さに拍車が掛かったようだ。
照りつける太陽は地面を焦がす。
自転車を走らせてもぬるい風が吹き抜けていくだけで。
体を伝う汗が鬱陶しい。
そんな中、俺は学校に向かっている。
しかし、そこが最終目的地であるわけではない。
「おっ!来た来た!終!おっはー!」
「おはよう、葵」
校門の前では葵が既に待っていた。
黒色の日傘を差して立っている。
高貴な雰囲気なのは傘だけで服装は制服だった。
「ごめん、待たせた」
「ううん大丈夫」
「今来たところ」
そうは言いつつもハンドタオルで首元の汗を拭っている。
もっと早く来ればよかった。
「じゃああっきーんち行こうか」
葵は元気そうにそう言った。
それでちょっとだけ救われた気がした。
俺は自転車を押して葵と一緒に歩く。
八月一日。
今日は八月一日秋さんの誕生日だ。
字面で見るとややこしい!
「お前、無理してるんじゃないの?」
「え?何が?」
学校から秋の家に向かう途中気になっていたことを聞く。
触れていいのか分からないものだけれど。
俺はちゃんと葵に踏み込むって決めたから。
「何がって、ほら、言ってたじゃん」
「あぁ、あれね・・・」
「・・・私が授業中ずっと寝てるのは本当に疲れているからなんだよ」
「・・・」
「私は元々根暗だから明るく振る舞うのは疲れるんだよ」
「・・・」
「別に無理してはないよ」
「もともと自分の性格を直したかったし」
「・・・そっか」
「それに、こうしていたおかげで終と秋と友達になれたし」
また、笑った。
今日の日差しくらい眩しい笑顔だった。
だから葵の顔を見ていられなかった。
「・・・」
「おやおや、ちょっと照れてる?」
「あー!もう!この話終わり!」
「・・・終だけに?」
「やかまし!」
そうこうしているうちに秋の家に着く。
秋の家は意外と学校のすぐ近くだった。
モダンな雰囲気のある一戸建てだ。
インターフォンを押す。
「はい」
「凛先生こんにちは。立花と五月七日です」
「まあ、暑い中よく来てくれたわね。ちょっと待ってね」
数秒後、玄関の扉が開いた。
「いらっしゃい、立花さん、五月七日さん」
凛先生はいつものスーツだった。
・・・なんでいつもスーツ着てるんだろう?
暑くないのかな。
「「お邪魔します」」
まあ、でも。
それが凛先生らしいか。
「いらっしゃい、終君、葵ちゃん」
「あっきー!おっはー!」
「おっはー!葵ちゃん」
「・・・」
最近、秋と葵の仲が急に深まった気がする。
しょっちゅう連絡を取り合ってるみたいだし、葵は秋の家も知っていた。
「ほらほら、終も!おっはー!」
「やんねーよ!」
「改めまして。あっきー!19歳の誕生日おめでとう!」
「おめでとう」
「かんぱーい!」
俺たちは四ツ谷サイダーで乾杯する。
「ありがとう!終君、葵ちゃん」
そしてコップのサイダーを飲み干す秋。
「おおっ!いい飲みっぷり!さぁさぁどうぞ」
そして空いたコップにすかさず注ぐ葵。
「うむ!くるしゅーない」
「プレゼントターイム!」
高らかに宣言される。
「はい、あっきー」
葵は綺麗にラッピングされた小さな箱を渡した。
「ありがとう。早速開けてもいい?」
「どうぞどうぞ」
秋は丁寧にリボンを解き、包装もそっと取っていく。
「・・・わぁ」
葵のプレゼントは万年筆だった。
黒色でところどころに金色が入ったそれは高級感を醸し出していた。
「お父さんの知り合いに頼んで特注してもらった!」
「え!?」
「葵ちゃん!?」
秋は恐る恐るといった様子でペンを持ち上げる。
「八月一日先生!新刊発売おめでとうございます!サインください!」
「サインと言われても・・・」
秋はかなり困っていた。
そりゃそうだ。
あの家に住む人が特注で作らせた万年筆。
何十万もするんじゃないか・・・?
「いきなり言われてもサインなんて考えてないよ!」
「そこかよ!?」
「それで、終君は何くれるの?」
「終はさぞかし素晴らしい物を用意してるんだろーな!」
「・・・」
いや、葵よりもすげえ物をプレゼントできる高校生なんていねぇだろ。
「はい、秋」
「ありがとう」
葵のものより小さく、薄い物を渡す。
「開けていい?」
「・・・期待はするなよ?」
秋は簡単な包装を優しく取っていく。
「・・・栞だ」
俺が秋への誕生日プレゼントに選んだのは栞だ。
秋の好きな物は本と四ツ谷サイダーしか知らなかった。
だから。
「しかも、これ四ツ谷サイダーの栞だ」
「見せて、あっきー」
二人は俺の栞をじっと見ていた。
四ツ谷サイダーが販売100周年を記念して制作し、販売した栞。
金属製であのロゴの形でくりぬかれている。
元値1000円なのだが、なぜかプレミアがついていて2000円だった。
「・・・」
「・・・」
「ごめん、プレゼントとか人にあげるの初めてで・・・」
「・・・嘘」
「・・・え?」
「これってあの発売100周年を記念して作られた幻の栞?飲料メーカーなのに何故か栞を作って全然売れなかったのにその年の本屋大賞に選ばれた作家が使っていたことで再注目され品薄に。現在では購入どころか見ることすら難しいあの?」
「お、おう」
秋がすごく捲し立てている。
こんな秋初めて見た。
「・・・」
葵も呆然としている。
「ありがとう!終君!」
「よ、喜んでくれて何よりだよ」
「なんか!納得いかない!」
「じゃーね葵ちゃん」
「ううぅ、私も花火行きたかった!」
「おうちの都合じゃ仕方ないよ」
「また、遊ぼ」
「うん!遊ぶ!いっぱい遊ぶ!」
「じゃーな葵」
「終も秋とのデート楽しんでね」
「デートじゃねぇ」
「あぁ、私だけ夏、終わっちゃうよ!」
「・・・終だけに?」
「やかまし!」
今日、八月一日は秋の誕生日であり、町の花火大会でもある。
本当は俺と秋と葵の3人でいくはずだったのだが―
「ごめん!花火の時は家の庭でパーティーをするんだよ!私それに参加しなくちゃいけなくて・・・」
「おいおい、俺たちも混ぜろよ」
「いやいやいや!終が思っているようなパーティーじゃないんだって!」
「なんか偉そうな人がいっぱい来るの!」
「それで順番順番に挨拶していって・・・」
「金持ちも金持ちで大変なんだな」
「ううぅ!」
・・・ということがあり俺と秋の二人で花火を見にいくことになった。
「私着替えてくるからちょっと待っててね」
「分かった」
俺は外で秋を待つ。
夕日が街を茜色に染めている。
フライングした月がはっきりと空に浮かぶ。
18時ちょっと前。
もうすぐ街は暗くなる。
俺は無意味に空を見上げる。
「・・・自由だ」
空はいつだって自由だ。
無限に広がっている。
昔から空が好きだった気がする。
子供のころ自由気ままに冒険とかしてたな。
そんな自由も今じゃ空くらい遠い場所に行ってしまった。
あれ?
冒険?
確か・・・。
「お待たせ」
俺は秋の声に振り向く。
「秋、遅かっー」
そして、すぐにその姿に見惚れる。
先ほどまでの思考が全て無になる。
「似合ってる、かな?」
浴衣を着ていた。
淡い紫色に朱色と黒の金魚が描かれている。
帯は紺色で後ろで綺麗に留まっている。
いつもしているはずの髪留めはなく、それが特別感を一層あおった。
「・・・似合ってる」
「・・・可愛い?」
「・・・うん」
「ふふっ!良かった」
素直に似合ってると、そう思った。
「じゃあ、行こうか」
秋が少し早く歩き出す。
夕焼けの空に溶けるように映る秋。
この文学少女には夕日も似合うと思った。
色とりどりの屋台が所狭しと並ぶ。
その間を埋めるようにごった返す人。
「すごい人だね」
「そうだな」
花火が始まる前に屋台を回ろうと思っていたのだがそれは難しそうだった。
「花火まであと30分くらいだね」
「もう、そんな時間か」
日は完全に沈み、暗闇が空を覆っている。
「私の好きな物、なんだ?」
「え?」
唐突に秋が話を変えた。
「解答権は一回!さあ!答えて!」
「なんだよ、急に・・・」
祭りでテンションが上がってるのか?
大体知り合ったばっかりの秋の好みなんて全然分からん。
「・・・四ツ谷サイダー?」
「え!?なんで!?正解!」
「単純すぎる女だな・・・」
秋の情報量少なすぎやしないか?
「私、屋台のラムネよりも四ツ谷サイダーが好きなの」
「私、とっておきの穴場スポット知ってるから四ツ谷サイダー買ってそこ行こ?」
「分かった」
「だけど、そこにいくには・・・」
秋は目の前の人混みを見つめる。
相変わらずすごい人の量だ。
「・・・あそこを抜けないといけないのか」
「・・・今日は冴えてるね。正解」
「まぁ、ここでだべっててもしゃーない」
「はぐれるなよ」
俺は一歩踏み出そうとする。
「待って!」
秋が服の裾を掴む。
「?」
「・・・」
秋は俯いている。
「何?」
「・・・えっとね」
秋は人差し指を互いにツンツンしている。
「・・・はぁ」
俺だってここまでされりゃぁ何となくわかる。
分かってるなら女の子に恥をかかせてはいけないだろう。
「ほら」
「え?」
俺の差し出した右手を見た後、顔を上げる秋。
そしてすぐに目を逸らした。
秋の顔は真っ赤だった。
「はぐれるとまずいから、離すなよ」
「っ!」
秋はおろおろとしている。
意外とピュア?
「・・・うん」
結局、秋は俯いたまま俺の手を握った。
秋の手は俺の手よりも小さくて、柔らかかった。
・・・なんか小説みたいなモノローグだ。
・・・どうにか抜けた
「・・・」
「だ、大丈夫だったか?」
「うん、ありがとう」
秋はまだ照れの残った顔で笑った。
「それで、ここからはどうやって行くの?」
「うん、案内するね」
そう言って秋は歩き出す。
つられて俺も歩き出す。
すぐ右側は海で、静かに波の音が聞こえてくる。
月は空高く昇っている。
「・・・あのさ」
「・・・何?」
「・・・もう、手いいんじゃない?」
「・・・そうだね」
いや、離せよ!
しっかりホールドしちゃってるじゃん!
「・・・まぁでも」
「・・・?」
「・・・別に離す理由もないよな」
「・・・うん///」
いや、「///」はどうやって発音するんだよ。
「こっちだよ」
俺は秋につられて歩いていく。
「ここだよ」
「ここ?」
そこは神社に向かう道を少し外れた所だった。
途中の分かれ道の反対を進むと崖になっている。
落下防止の柵と古びたベンチがある。
崖からの景色は黒一色だった。
空と海とが漆黒で繋がっている。
「はい、終君の分」
秋から四ツ谷サイダーを受け取る。
「ありがとう」
「いくらだった?」
「今回もいいよ。それに今日誕生日プレゼントもらっちゃったし」
「いやいやいや、流石に」
「本当に大丈夫だから」
秋が微笑んだ。
その時ー
「あっ」
「・・・あがった」
さっきまで黒に染まっていた空に色鮮やかなインクが撒き散らされる。
赤、青、黄、緑。
空を彩る。
そしてー
「・・・そうだったんだ」
「ここの海には鳥居が立ってるからね」
さっきまで真っ暗で何も見えなかったが、花火の明るさで海に立つ鳥居が見えた。
そしてー
「綺麗だ・・・」
その鳥居の間に咲く、夜の花。
美しい花が眩しいくらいに咲いた。
「綺麗だね」
俺は手を繋いだままの少女を見る。
花火を見上げる顔がいろんな色に染まる。
こんな時。
俺は綺麗だとわざとらしく呟くべきなのだろうか。
そう呟いたらこの乙女な文学少女は。
花火の明かりのせいじゃなく紅くなるのだろうか。
だけどー
そんな小説みたいな展開はいらない気がした。
こうやって柔らかい手を繋いで顔を眺める。
それだけで十分だ。
今の俺たちにはそれで十分だ。
「花火綺麗だったな」
「うん」
俺たちは秋の家に向かう。
「来年はみんなで見られるといいな」
「・・・うん」
「・・・」
秋は俯いてしまった。
そして立ち止まってしまう。
「そうだよね」
「来年もあるんだよね・・・」
「?」
「そりゃあそうだろ」
「世界が終わったりしない限り、来年も夏祭りはあるよ」
「・・・」
「・・・俺なりに振ったつもりなんだけど」
「・・・秋?」
秋はまだ俯いている。
俺が秋の顔を覗き込もうとしたその時だった。
「うっ、あっ、あぁぁ」
俺の手から秋の手が抜け落ちる。
とすぐに秋が胸を抑える。
「秋?」
「あっ、ううう、うぁぁぁぁぁ」
苦しそうな声をあげる。
浴衣が強く握られていて深いしわが刻まれている。
そしてその場にうずくまった。
「秋!?」
秋は苦しそうにもがいている。
「しゅ、終君・・・」
その一言を最後に秋は気を失った。
秋視点
「ねえ、まだ着かないの?」
「もうちょっとだよ!」
「さっきからそう言ってるけど、全然つかないじゃん・・・」
暑い。
夕日が半分くらい海に隠れているというのにこの暑さだ。
病室はクーラーが効いていて心地よかったので夏の夕方がこんなにも暑いとは知らなかった。
こんなことになるなら病院を抜け出すなんてバカげたことしなければよかった。
私の後悔なんて知らない彼はせっせと道を進んでいく。
「はあ、はあ」
9年間病院のベッドの上で過ごしてきた私だ。
体力なんてものは持ち合わせていない。
男の子なんだもん、私のペースに合わせるみたいな真摯な所見せてよ。
「ねえちょっと、休まない?」
・・・まあ、私と同じくらいの年齢の子にそんなの求める私がバカか。
かなり離れたところにいる彼に大きな声で呼びかける。
彼は振り向くと満面の笑みを浮かべて言った。
「そうだね!」
彼はこっちに駆けてきて、防波堤に腰をおろす。
私もすぐ隣に座る。
汗で張り付いた病院着が不快だった。
しかも太陽が眩しい。
波に反射した光がちらちら目を眩ませる。
「はい、これ」
男の子は肩から下げていたクーラーボックスから缶を取り出す。
そして私の方に向ける。
「・・・ありがとう」
私は素直に感謝してそれを受け取る。
触れると冷たくて、心地がよかった。
「本当は着いてから飲むつもりだったんだけど」
「まあ、暑いし、休憩なら飲んじゃおう」
彼は冷えた缶を首に当てて涼んでいた。
「四ツ谷サイダー?」
「うん!」
足をぶらぶらさせながら元気に答えた。
「初めて見た」
「え!」
「飲んだことないの!?」
その男の子は心底驚いたような表情をする。
ぶらついていた足も止まった。
「私、食べ物とか飲み物に制限あるから」
「なにそれ・・・」
彼はしゅんとしてしまう。
表情がころころと変わる人だなと思った。
君もなんだ。
君も私をそんな目で見るんだ。
「だから、これ返すね」
私は缶を彼に向ける。
水滴が沢山ついていた。
「いや、飲んじゃいなよ」
「え?」
「一本くらい平気だよ!」
「そっか、四ツ谷サイダーの味を知らないんだ」
「世界にある知らないことが俺よりも多いなんてうらやましいな」
「・・・?」
私は困惑した。
何を言っているんだ?
「早く、飲んでみなよ」
「これ、俺がすっごく好きな飲み物なんだ!」
彼はそう言って立ち上がった。
すると勢いよく缶を開けた。
プシュッと炭酸が弾ける音がする。
そしてそれをゴクゴクと飲む。
「っぷはあー」
私には夕日を背景にさわやかにサイダーを飲む彼がCMのように見えた。
「・・・」
飲みっぷりがいいのもあってか。
私も彼みたいに飲んでみたいと思った。
コンクリートに手を着いて立ち上がる。
そして手に付いた砂を払う。
固いふたを指が痛くなるのを我慢して開ける。
私のはいい音が立たなかった。
でも、勢いよくそれをあおる。
私の知らない味が流れ込んでくる。
私の知らない世界が流れ込んでくる。
「・・・っぷはあ」
息苦しさに負けて、口を離してしまう。
「・・・おいしいな」
ポツリと呟く。
素直に零れた感想だった。
「でしょ!」
彼はまるで新しいおもちゃを買ってもらった時のように笑う。
無邪気な笑顔が心の奥深くまで染みてきている感覚だった。
私もこんな風に笑ってみたいな。
誰かの心を動かしちゃうような。
夕日みたいに綺麗で。
サイダーみたいにさわやかな。
そんな顔で笑いたい。
「ありがとう」
だから私はそう言って笑ってみた。
さっき缶を開けるのには失敗しちゃったけれど。
今度はちゃんとできているといいな。
「私、ついさっきまで後悔してた」
「なんで?」
再び私たちは歩き出す。
海に沿った道は潮の匂いに満ちている。
「病院を抜け出すにしても、こんなに暑い日じゃなくたって良かったのにと思って」
「冒険には最高の天気!」
冒険。
彼はそう言った。
彼が冒険に誘ったのは私が退屈そうに見えたからだそうだ。
つい二、三時間前のことだ
。
「ねえ、君何してるの?」
「・・・何もしてないよ」
その男の子はふらりと現れた。
見たことがなかった。
彼は私と同じように病院着を着ていた。
私はほぼずっとこの病院にいるから、私が知らない顔=新しい入院患者ということだ。
「一日中ベッドの上にいて退屈じゃないの?」
「全然。昔からこうだから、私」
その男の子は個室の私の部屋に急に入ってきてずうずうしく居座った。
彼は私に色々な話をしてきた。
学校の給食がおいしくないとか。
宿題が多いとか。
授業が退屈だとか。
日常生活の不満。
いわゆる愚痴だ。
なんで私はこの子の愚痴を聞かされなくちゃならないんだろう?
「じゃあ、学校なんて行かなければいいじゃん」
「俺もそうしたいんだけれど、お母さんとかお父さんがうるさくて」
「だから、よく学校に行ったふりをして冒険をしているんだ」
「冒険?」
「そう!冒険!」
「この町の色々なところに行ったよ!」
彼は楽しそうに数々の冒険を語った。
目は終始輝いていた。
私はこういう子をなんというか知っていた。
不良。
不良と言うのだ。
私とは真反対の人種。
自慢じゃないけれど私は看護師さんによく褒められる。
だから、きっと私は優等生みたいなものなんだろうなと思っていた。
「そんなに冒険ばっかりしていていいの?」
「いいんだよ。学校は退屈なんだし」
「色々な人に迷惑がかかるとか考えないの?」
「んー考えるけど」
「というか君もここに入院しているんだよね?」
「それ着てるってことは」
私は器具の着いた方の手で指差す。
「君も自分の部屋に戻りなよ」
「看護師さんとか、親に心配かけちゃうでしょ」
彼はしばらく黙っていた。
その間ずっと目があっていた。
「ふーん。じゃあさ、俺と一緒に冒険に行かない?」
・・・頓珍漢な答えが返ってきた。
「・・・私の話聞いてた?」
「私も君も病室にいなくちゃいけないの」
「学校のようなものだよ」
「退屈だろうが何だろうがそうしないとダメだよ」
「すっげえ」
「俺と同じくらいの年のくせに大人みたい」
大人なんかじゃない。
そうすることだけが私の人生だっただけだ。
「だけどさ、やっぱり退屈じゃない?」
・・・この子は話が通じないのだろうか。
「だから、さっきも言ったけれど―」
「だって君の世界はとってもちっちゃいもん」
「え?」
世界?
男の子
「君の人生ってここだけで完結してる」
「この狭い病室と」
「窓から見える空と」
「時々来るお父さんお母さんと看護師と、それから先生と」
「舞台も登場人物もそれくらいじゃん」
「それって退屈だよ」
「・・・なにそれ」
「まるで私の人生が物語だって言いたいの?」
「そうだよ」
男の子ははっきりとそう言った。
「人間の人生っていうのはみんな小説みたいなものさ」
「その人ごとに色々な展開があって」
「最後は主人公である自分が死んで終わる」
「その小説は周りの人と干渉しあっているんだ」
「ぶつかったり、すれ違ったり」
「出会ったり、別れたり」
「そうやって面白い物語になっていくんだ」
「だからさ」
「君みたいな毎日が同じ小説なんて退屈だよ」
「つまらないよ」
「世界はこんなところよりももっと広いんだよ?」
「知らないことに溢れていて」
「キラキラしてるんだ」
「それなのにここにいていいの?」
「・・・」
なんなんだろうこの子は。
人には人の事情があるって分からないのだろうか?
そんな怒りがこみあげてくる。
だけれど。
だけれど、私は気付いてしまった。
そんなのは表面上で。
きっと彼が言っていることを認めてるから怒っているんだということを。
どうしようもなく悔しいんだ。
私の人生はつまらない。
私という小説はつまらない。
悔しい。
そう思っているんだ、私。
「だからさ」
「え?」
目の前の男の子が手を差し出す。
「一緒に冒険に行こうよ!」
「僕が君を世界に連れて行ってあげるから」
「君の世界を面白くして見せるから!」
彼は笑った。
とってもとっても綺麗に笑った。
ああ、君の人生は面白いんだな。
そう分かっちゃうくらい君の笑顔が輝いていた。
私。
私もそうなれるかな?
この手を握ればそうなれるのかな?
期待していた。
君が私の人生を変えてくれる気がして。
君が私という名の小説を面白くしてくれる気がして。
君が神様みたいに思えて。
私はその手を握った。
あれからまたしばらく経った。
日が完全に沈んだ。
きっと看護師さんたちは血眼になって私を探しているのだろう。
「・・・はあ」
彼の手を握ったときの期待は太陽と一緒に沈んでしまったのだろうか?
確かに彼が言うことは分かるけれど。
私の人生を面白くしてくれる冒険はこんなものなのだろうか?
「着いたよ!」
と、私がモノローグにふけっていると、突然男の子が立ち止まって言った。
着いたのは崖の上だった。
「見てみて!」
彼は落下防止用の朽ちた手すりに片手を着いて、なんも変哲もない暗闇を指差す。
その時―
まぶしさが襲う。
私は反射的に目を閉じてしまう。
「大丈夫!怖くないよ!」
大きな音が聞こえる。
そして私の手が握られる。
「さあ、目を開けて!」
私はゆっくりと目を開ける。
「あ・・・」
さっきまで黒に染まっていた空に色鮮やかなインクが撒き散らされる。
赤、青、黄、緑。
空を彩る。
そしてー
「・・・そうだったんだ」
「ここの海には鳥居が立ってるからね」
さっきまで真っ暗で何も見えなかったが、花火の明るさで海に立つ鳥居が見えた。
そしてー
「綺麗だ・・・」
その鳥居の間に咲く、夜の花。
美しい花が眩しいくらいに咲いた。
「綺麗だね」
私は手を繋いだままの男の子を見る。
花火を見上げる顔がいろんな色に染まる。
「ありがとう」
私の声は花火の音にかき消される。
だけれど、どうしてもこの気持ちを伝えたくて。
私はちょっとだけ繋いだ手をギュッとした。
と、その時。
「え?」
不自然に黒い何かが夜空の花に向かって飛んでいく。
握った手とは反対の手で彼が何か投げたのだと気付いた。
さっきよりも大きな声で話しかける。
「何投げたの?」
「紙飛行機」
「なんで?」
「俺の思想を空に投げたの」
「なんで?」
「かっこいいから」
「・・・?」
「よし!これでミッション達成!帰るか!」
「え!?最後まで見ていかないの!?」
「早く戻らないと病院に入れなくなっちゃうよ」
「そ、それは・・・」
「大丈夫だよ」
「え?」
「きっと大丈夫だ」
「君の人生はちゃんと面白くなるよ」
「だってあんなに綺麗な顔で花火を見てたんだもん」
彼は笑顔で恥ずかしげもなくそう言った。
「な!?」
「意外とピュアなんだな!ほっぺ赤いよ」
「は、花火のせいだから!」
「ほら!もう行こう!」
私は彼の手をほどいて歩き出す。
体が火照っているのか、手を離してもなかなか熱が逃げなかった。
「待ってよ」
私は彼よりも少し先にいた。
変わったのかな、私の人生。
ちゃんと面白くなったかな。
「ねえ」
私は振り返って彼を見つめる。
伝わらないでほしいからわざと小声で言う。
「もしも」
「もしも、私の人生が面白いものになったとき」
「君はまたこの花火を一緒に見てくれる?」
叶わないはずの願いを呟く。
なんとなく彼ならやってのけてしまいそうだったから。
私はまた君と手を繋ぐ。
そして来た道を戻る。
花火の音がまだ聞こえる。
初めての花火だったから最後まで見れないのは本当に心残りだけど。
大丈夫だって。
君が言ったから。
さあ、戻ろうか。
今までと同じようで。
全く違う。
私の世界へ―
「なあ、君はさ、いつまで入院してるの?」
「・・・分からないよ」
日が落ちた道を歩いて病院まで帰ってきた。
街灯もない海沿いの道は不気味だった。
だけど、繋いだ手のおかげで怖くはなかった。
途中から夏祭りの人が多くなってきてその恐怖は無くなったけれど、道を抜けるのが大変だった。
「そっか・・・」
彼は悲しそうな表情をする。
そんな顔しないでよ。
君は自由なのが一番だよ。
「私、ずっと入院していたからね」
「これが普通だと思っていた」
「これ以外に私の世界はないんだって」
「だけどね」
「今日、君と冒険して思った」
「私は私で世界を作れるんだって」
「今日みたいな冒険は出来ないけれど」
「きっと何か方法はあるよね」
私はまっすぐ前を見てそう言った。
きっと彼はまだ悲しそうにしているから。
「じゃあ、本読むといいよ」
「え?」
病室に戻ってきて来て早々そんなことを言った。
男の子は初めてここに来た時のように来客用の椅子に座った。
その頃にはいつもの冒険心溢れる顔になっていた。
「本はさ色々な世界に連れて行ってくれるんだ」
「お姫様を救ったり」
「誰かと恋をしたり」
「世界の秘密を暴いたり」
「そういうのが詰まってるよ」
「冒険の代わりだよ!」
「でも、私本持ってない」
「んーそっか」
「じゃあ」
「はい、これ。読んでみて」
男の子は一冊の文庫本を差し出す。
「・・・本なんて読んだことないんだけど」
私はその手を押し返す。
「読まなくてもいいから、とりあえず明日返してよ」
男の子はおもむろにその本を押し付けた。
私はしぶしぶその本を受け取った。
「また明日ね」
男の子は最後まで微笑んでいた。
8/2
「ん・・・」
目を覚ます。
そして見慣れた天井にピントが合う。
懐かしい夢を見た。
十年くらい前の夢だ。
彼と出会った記憶。
あの日から私は変わったんだ。
本を沢山読むようになって。
いろんな世界を知りたくなって。
まさか、彼と再会できるとは思っていなかった。
彼は私のことを覚えてはいないようだったけれど。
やっと、授業に出れるようになった日。
彼はあの夜みたいに空を見上げていた―
「ですから、ここの名詞構文は―」
「・・・」
みんな集中して授業を受けている。
私も入院中に勉強してきたからそこそこ分かった。
最初のうちは楽しかった。
だけれど、それを一日七回も繰り返すのだ。
私は二回で飽きてしまった。
サボろうと思った。
図書室にはお母さんがいるし。
体育館はこの時期暑い。
消去法的に屋上を選んだ。
薄暗い階段を登る。
そのたび、コツコツと足音が空間に響く。
先生に見つかりそうでびくびくしながら屋上に着く。
ガチャリと今度は大きな音が響いて屋上のドアが開く。
「あ・・・」
蒼い空と。
夏の空気と。
そこを泳ぐ白い物体。
・・・白い物体?
紙飛行機のようだ。
なんで?
不思議に思ったけれど。
あの日の冒険とその情景が重なった。
十年前の冒険と。
紙飛行機が私の足元に落ちる。
私はそれを拾う。
あの時は見られなかった中身を開く。
「あっ・・・」
『正しさは正しかったとしても正解ではない』
すぐに分かった。
あの時の―
私を変えてくれた彼だ。
私は視線を先に向ける。
そして、そこに人影を見つける。
それに向かって私は言う。
「正しさは正しかったとしても正解ではない」
「この愛がたとえ間違っていても」
「愛だけは正解だと僕は信じる」
「そして、もし君もそう思うのなら」
「僕の愛を受け取って欲しい」
私が一番好きな本のフレーズを口ずさむ。
彼がこちらを向く。
「これあなたが書いたの?」
やっぱり君は神様だよ。
「・・・」
私にとって終君は神様だ。
私の人生を面白くしてくれた。
私と葵ちゃんと終君の三人で文芸部も作れた。
それが壊れかけたとき、終君はちゃんと未来に繋いでくれた。
私の番、なんだろうな。
葵ちゃんはちゃんと向き合って。
私が逃げ続けるわけには行かない。
話さなきゃ。
私のこと。
私の結末を。
すごく怖い。
二人とも私のことをフィルター越しに見るんじゃないかって。
私は私なのに。
一度零しそうになってしまった。
「私、もうちょっとで―」
結局送信取り消ししたから伝えられなかったけれど。
それを「よかった」って思っている自分が嫌いだ。
その時ガラガラとドアが開く音がした。
「秋」
「え・・・」
扉の方に目をやるとお母さんだった。
ちょうど今来たみたいだ。
いつものスーツを着ている。
「よかった秋。目を覚ましたのね・・・」
そういうとお母さんは私を抱きしめた。
「本当に、よかった・・・」
ギュッと抱きしめた。
「苦しいよ、お母さん」
私は笑ってそう言う。
落ち着く匂いがする。
心が休まるお母さんの匂い。
私が寂しいときも辛いときも悲しいときもこうしてくれたな。
「花火大会の会場で倒れたって言うから、私すっごく心配したのよ?」
「・・・そうだよね」
「昔のことがあったからでしょ?」
「私、さっきまでその昔の夢を見ていたの」
「そうなのね」
「あの時はすっごく心配したのよ?」
「看護師さんみんなで探し回って」
「・・・秋はあの日から変わったわよね」
「・・・うん」
「神様、に出会ったの」
「神様?」
お母さんは私から離れて椅子に座る。
離れていくのが少し寂しい。
「そう、神様」
「その神様は私の人生を面白くするきっかけをくれたの」
「その時は途中だったけれど」
「続きをやっと見れたの」
「その神様と一緒に」
「それって・・・」
「もしかして・・・」
お母さんは何かに気付いたような顔をする。
「秋は気付いていたの?」
「もちろん!」
「というかお母さんが鈍すぎ!珍しい名前じゃん!」
「ええ、そうね」
「確かにそうよね」
私もお母さんもくすっと笑った。
「その神様はね」
「十年経っても正解に手を伸ばそうとしてた」
「蒼い空に近いところで」
「・・・私のことは忘れてるみたいだったけどね」
「そりゃそうだよね」
「私にとっては人生最大のイベントだったけど」
「彼は冒険家だったから」
「あんなのはたっくさんの内の一つだもんね」
「しょうがないよ」
「うん・・・」
「あの日ね」
「お母さんには沢山迷惑かけたけれど」
「すっごく楽しかったの」
「だから、私は彼にまた会えただけで満足なんだよ」
「それに花火も最後まで見れた」
「そうやってあの時の続きを見れたのが」
「すっごく嬉しかった」
「・・・」
お母さんが心配そうに私を見つめる。
「どうしたのお母さん?」
「そんなにじろじろ見て、私の顔に何かついてる?」
何となく、重い雰囲気になりそうでそんな冗談を言う。
「秋は・・・」
「・・・やっぱり話さないの?」
「・・・」
予想的中。
やっぱり、お母さんはそうすることを望んでいるのかな・・・。
「話さないよ」
「というか、話せないよ」
「終君も葵ちゃんもすっごく大事な友達だから」
「だから、話したくないよ」
「終君が葵ちゃんに言っていたみたいなんだけれどね」
「友情っていうのは自己都合なんだって」
「自分の中にいる偽物のその人を信じてあげることが友情なんだって」
「私は」
「私は弱い人間だから」
「そんなことできないよ」
「私が中途半端な覚悟で終君と葵ちゃんを友達だと思ったら」
「二人を酷く傷つけてしまう」
「それが嫌なの」
「私がどうとか」
「葵ちゃんと終君が傷つくとか」
「そういうことじゃない」
「八月一日秋という物語の終焉が」
「二人の物語を傷つけるのが嫌なんだよ」
「それに・・・」
「ねえ、お母さん」
「ごめんね」
「ごめんなさい」
「一番傷ついてるのはお母さんだよね」
「私の物語のせいで」
「お母さんのこともいっぱい傷つけたよね」
「お母さん、いっつも私の隣にいてくれたもん」
「私が寂しくなったらさっきみたいにぎゅってしてくれたもん」
「私が必要としたとき」
「お母さんはいつでも私のそばにいてくれた」
「それってお母さんが時間とかお金とか」
「いろんなものを私に回してくれたからだよね」
「ごめんね」
「ごめんね、お母さん」
「お母さんの物語を汚しちゃって」
「ごめんね」
泣く。
泣いてしまう。
私の中のお母さんに対しての謝罪が。
とめどなく溢れてくる。
返せない優しさが。
何色でもない涙で流れる。
私、本当になんにもできないんだな。
迷惑を掛けることしか。
できないんだな。
「秋」
それなのに。
ねえ?
どうして?
どうしてお母さんはそんなに幸せそうな顔をするの?
そんなに優しい顔をするの?
返せない優しさがこれ以上溜まっても。
私は何もできないんだよ?
「私はいい母親になれたわ」
「え?」
「よく言う人がいるでしょう?」
「『私は母親失格だ』って」
「でも、私はそんなこと微塵も思わないわ」
「なんでか、分かる?」
私は泣きじゃくりながら首を横に振る。
「だって、秋がこんにいい子に育ったんだもの」
「ちゃんと、周りの人のことを考えて」
「悪いと思ったら謝って」
「目標にまっすぐで」
「好きなものをちゃんと愛していて」
「親っていうのはね、秋」
「子が思っているよりも丈夫なのよ?」
「悲しいことや辛いことも」
「何にも負けないの」
「だってね」
「愛しい存在があるのだもの」
「その子の笑顔とか成長」
「そういう些細なもので」
「全部どうでもよくなる」
「それだけで生きていけるのよ」
「私にとって秋はね」
「そういうものなのよ」
「秋のおかげで」
「私はどんな障害も乗り越えられるの」
「だから、ありがとう、秋」
「私のもとに生まれてくれて」
「私の人生に来てくれて」
「私の物語にこんなにも深く入ってきてくれて」
「秋」
「大好きよ」
「愛しているわ」
「だからね秋」
「秋は何も気にしなくていいの」
「私に泣き顔を見せるんじゃなくて」
「秋の笑顔をもっと見せてほしい」
「秋が選んだ人と笑っていてほしい」
「幸せになってほしい」
「私は秋とは違って強いわ」
「秋がいるから強いわ」
「秋も」
「強くなりなさい」
「もしね」
「もしも、目の前に」
「私と同じくらい傷つけるのが怖い人がいるのなら」
「その人をちゃんと愛しなさい」
「その人がきっと秋が大切にするべき人だから」
「傷つける覚悟を持ちなさい」
「そして信じなさい」
「もしもそれがダメだったら」
「いつでもここに帰ってくればいいの」
「私がいつでも」
「秋のことを抱きしめて」
「ぎゅうーってしてあげるから」
「私は強いから」
「ちゃんと支えてあげるから」
「だからね、秋」
私は涙を拭ってお母さんの顔を見る。
「覚悟、決めなさい」
ああ、綺麗だな。
終君のとは違うけれど。
それにも負けないくらい。
とっても綺麗な笑顔だ。
そっか。
私。
こんなに愛されていたんだ。
ごめんね。
ううん。
違うよ。
ありがとう。
こうだよね。
お母さん―
「ありがとう」
行こう。
正解に手を伸ばしに―
終視点
秋が目を覚ました。
「大切な話があるの」
メッセージアプリに送られた言葉。
俺と葵は一緒に秋の病室に向かっている。
「・・・」
「・・・」
俺は秋のことを考えていた。
葵もきっとそうなのだろう。
病院までの道はずっと静かだった。
「・・・凛先生」
病院には凛先生がいた。
「二人とも、今日はありがとう」
いつも通りの黒いスーツだった。
「秋はね」
「秋は本が好きなの」
凛先生は鞄から本を取り出す。
「花束ほどの幸せを」だ。
「幼いころ秋は本当におとなしい子だった」
「秋は昔から入院していて、ベッドの上から外を眺めていることが多かった」
「わがままも言わないし、言うことは素直に聞いてくれるし」
「本当にいい子だった」
「だけれど、ある日から同じことを言うようになったの」
「『学校に行きたい』って」
「どうして?って聞いたけれど、よく考えたら当たり前よね」
「生まれてからずっと秋はあの病室にいたんだから」
「そしてね」
「秋はずっと言ってた」
「『文芸部を作りたい』って」
「学校に通って文芸部を作るんだって」
「その夢が叶うのに19年かかった」
「留年して」
「学校の先生と病院の先生と何度も相談して」
「薬の量が多くなって、副作用も酷くなっても」
「彼女は学校に通うことを選んだ」
「あなたたちのおかげで文芸部も作れた」
「ありがとう」
「本当にありがとう」
凛先生は頭を下げる。
「だから、お願い」
「彼女の夢の続きを」
「彼女が夢を見続けるのを」
「手伝って欲しいの」
「たとえこれが儚くて脆い夢でも構わないの」
「それでもね」
「この瞬間は」
「きっと正解のはずだから」
凛先生は頭を下げたまま言った。
「・・・当たり前です」
「終・・・?」
「当たり前ですよ、凛先生」
「俺たちは」
「文芸部員なんで」
凛先生が頭をあげた。
「ありがとう」
やっぱりだ。
秋と凛先生が似ているのは。
この笑顔だ。
凛視点
「・・・」
「ありがとう」
「あの子の神様になってくれて」
秋視点
「終君、葵ちゃん」
二人が病室に入ってくる。
「もう、体は大丈夫なのか?」
「・・・ううん」
「・・・いつまで入院なの?」
「分からないんだ・・・」
二人はもう少しは気付いているんだろう。
それがひしひしと伝わる表情だった。
でも。
だからこそ。
言わなくちゃ。
伝えなくちゃ。
ちゃんと私の言葉で。
私は。
終君と葵ちゃんを信じているから。
私の中の二人を友達だと思っているから。
「あのね」
「私のことで大切な話があるの」
私は話を始める。
これから、傷つくかもしれない。
その覚悟は―
お母さんがくれたから。
「私ね」
「もうちょっとで死んじゃうんだ」
怖くて言えなかったこと。
傷ついてしまうかもと思っていたこと。
そのはずなのに、一瞬で言い終わってしまう。
言い終わった後、ああこんなならもっと早く言えばよかったと思うほどに。
とても自然に。
その言葉が出てくる。
「生まれたときから病気でね」
「お医者さんからは二十歳を迎えるのは厳しいって」
「今では年を超えられないって」
「ずっと入院生活だった」
「私初めてだったんだ」
「学校に通うの」
「すごくワクワクしてた」
「お母さんといろんな準備をしてね」
「学校のルールみたいなの教わった」
「『授業』ってのを受けなくちゃ行けなくて」
「お昼の休み時間は長くて」
「そんな細かいことも教えてくれた」
「さすがに知ってるよ!私、本で読んだもん」
「まあ、実際はつまらなくてサボってたんだけどね」
「楽しかったな」
「楽しかったな・・・」
どうしてだろう。
涙が浮かんでくる。
楽しい思い出が蘇ってくる。
お世辞にも思い出がいっぱいとは言えない。
それでも。
文芸部の三人で過ごした、この二週間足らずが。
最高に楽しかった。
幸せだった。
幸せだとこんな涙が出るんだね。
「・・・秋はさ」
口を開いたのは終君だった。
「本が好きなんだろ?」
私は終君を見る。
涙でかすんでいてよく見えないから。
一回ぬぐった。
二回ぬぐった。
「うん、好きだよ」
君が私に本の面白さを教えてくれたんだよ?
もう、忘れちゃったんだね。
「じゃあさ」
「え・・・」
「俺が秋の神様になるよ」
終君は笑った。
あの男の子の笑顔だった。
冒険が大好きで。
私の人生という小説を変えてしまった男の子。
ああ―
やっぱり、君を信じてよかった。
君はもう、私の神様なんだよ?
それなのに君は―
ありがとう。
もう、ごめんねとは言わないよ。
それが私の覚悟だから。
「俺が八月一日秋の人生を最っ高に面白いものにしてやるよ」
「秋がこれから迎えるバッドエンドを塗り替えてしまうみたいな」
「世界中のどの本よりも面白い物語にしてやるよ」
「俺は」
「五月七日終は」
「バッドエンドは君と一緒に」
「行くよ、秋」
「たとえ、秋がもうすぐ死ぬとしても」
「今は生きてる」
「ちゃんと俺たちの前にいる」
「ってこんなこと言ってる場合じゃねえ」
「学校に来れるまでに19年もかかったんだろ?」
「それまでずっとここにいたんだろ?」
「じゃあ、秋はまだ知らないこといっぱいあるはずだ」
「だから、この三人でいろんなところに行こう」
「海でも山でも」
「国内でも海外でも」
「なんなら、宇宙でも」
「秋の世界がめちゃくちゃ楽しくなるようにさ!」
「秋はまずはどこに行きたい?」
「泣いてる場合じゃないぞ」
「俺たちは時間を増やすことはできないんだ」
「だから、今を生きるんだよ」
「今、幸せだったら」
「その今は過去になって」
「幸せな記憶として残る」
「そしたら、ずっと幸せみたいなもんだろ?」
「今だよ、今」
「俺たち、今生きてるんだ」
「なあ、秋」
「秋、生きてるんだよ」
「秋、今生きてるんだよ!」
「じゃあ、幸せになろうぜ?」
「ほら」
「怖くない」
「何も怖くない」
私は涙を拭う。
一回ぬぐう。
二回ぬぐう。
それでもダメだ。
拭いきれないよ・・・。
「大丈夫だ」
「大丈夫だよ」
終君は手を差し伸べている。
ぼんやりとそれが見える。
あの時みたいに。
花火が怖くて目をつぶってしまった時みたいに。
私は。
私はその手を握る。
あの時よりも大きくなったその手は。
私の手を包み込むようだ。
だけれど、安心感はあの時と同じで。
それが妙に嬉しかった。
いつでも、「俺は君の神様なんだ」と。
そう言ってくれている気がして。
あの時みたいにぎゅっと手を握り返す。
「私、やりたいことはたったひとつなの」
「終君と葵ちゃんと私」
「この三人で文芸部ができたら」
「それで幸せ」
「ううん」
「それが幸せ」
「私」
「私ね」
「今、すっごい幸せだなぁ・・・」
葵ちゃんに抱きしめられる。
お母さんとは違うけれど。
とっても暖かかった。
「私、すっごく悲しい」
「せっかくできた友達が死んじゃうなんて」
「でも」
「あっきーはそんなの望んでいないんだね」
「ごめんね」
「私、今、悲しい顔しかできない」
「終みたいに笑えないよ」
「でもね」
「明日から」
「明日からはちゃんと笑うから」
「あっきーの幸せを作るために笑うから」
「だから」
「だから、ね」
「今だけは、」
「許して」
「ごめんね、あっきー」
葵ちゃんは無理やり笑っていた。
そんなみっともない顔しないでよ。
でも、そっか。
今か―
「ありがとう」
「私ね、怖かったの」
「二人も他の人達みたいにね」
「フィルターごしに私を見るんじゃないかって」
「でも、そんなことなかった」
「二人ともちゃんと「私」を見てくれた」
「ありがとう」
「ありがとうね、二人とも」
「ごめんね、疑って」
涙が溢れる。
安心したときに出るやつだ。
よかった。
本当によかった。
二人を信じてよかった。
二人と友達になれてよかった。
あの時の男の子の冒険は。
金髪の不良の少年が引き継いだみたいだ。
私は。
八月一日秋は。
終君と葵ちゃんと一緒にこの冒険の終わりを見に行こう。
きっと。
きっとそこには。
ハッピーエンドが待っているから。
「何じゃないよ。返してよ。昨日の本」
「私のお気に入りの本なんだ」
「・・・」
「・・・どうしたの?」
「ごめん」
「?」
「どうしたの?」
「まだ、読み終わってないんだ」
「え?ちゃんと読んでくれたんだ・・・」
「だから、その・・・」
「?」
「明日」
「明日までには絶対読んでくるから」
「今日も一日貸して欲しいんだ」
「・・・っぷ」
「?」
「はははははははははははははははははははは」
「な、何だよ!?」
「君!面白いね!この本、気に入ってくれたんだ」
「べ、別に気に入ったとかそんなんじゃなくて!ただ、先が気になるだろ!途中まで読んじゃったから」
「主人公とヒロインはちゃんとハッピーエンドを迎えられるのか気になるし。大体、あの王様が悪いんだよ!行く先々で主人公を邪魔しやがって!あと、主人公もヒロインを思っているなら―」
「はははははははははははははははははははは」
「なんで笑うんだよ!」
「ねえ!」
「明日、ここで待ってるから」
「明日、ここで続きを聞かせてよ」
「明日は笑わないから」
あの日。
冒険した次の日。
君は結局来なかったね。
私が看護師さんに聞いてみると、私を連れ出したせいで私の病室に出入り禁止になったって聞いたよ。
なんでも君は私を診てくれている先生の息子だったそうじゃないか。
君は骨折していて治りかけだったんだね。
そりゃそっか。
主治医の息子が担当患者を病室から連れ出すなんて。
前代未聞だよ。
あの日から君に会えなくて。
だから、ずっと大切にしてたんだよ?
君にいつか返そうと思っていた「花束ほどの幸せを」を。
その時と似てるね。
明日か。
明日はちゃんと返してくれるのかな?
いや、本当は君の本なんだけれど。
まあ、待ってみよう。
私は神様の言うとおりに動くだけのつまらない人間だから。
神様みたいな君はこれから世界を作っていくのかな。
自由だな。
綺麗な蒼い空だ。
私は笑う。
あの時の君みたいに。
君がくれた―
自由みたいに。
8/8(日)
「げっ!」
「?」
俺は今日も秋のお見舞いに来ていた。
すると、看護師が入ってきて俺の顔を見た途端困ったような顔をした。
「ああ、新田さん。今日もありがとうございます」
「き、気にしないで!これが仕事だから!」
「ところで・・・」
秋が「新田さん」と呼んだ看護師はまた俺の方に視線を向ける。
「ああ!紹介するね!」
「同じ学校の五月七日終くん」
「私と同じ文芸部員だよ」
「五月七日終です」
「ど、どうも」
新田さんは何故か俺から視線を逸らしてきょろきょろしている。
「どうしたの?新田さん?」
「あ、えーっと・・・」
「・・・もしかして、終君のこと不良だと思ってる?」
「え”。そ、そんなことは・・・」
「そうだよ!終くんはこのあたりを牛耳ってるこてこてのヤンキー!」
「や、やっぱり!?」
・・・おい。
「あ、あの・・・」
「ごごごごごごめんなさい!」
新田さんはそう言うと手早く作業してあっという間に出ていってしまった。
「あははははははははははははははははははははははははははは」
「笑い事じゃねえだろ!」
「そうだよね!終君は一匹狼的なヤンキーだよね」
「大体ヤンキーと不良はちょっと違うだろ」
「そうなの?」
「なんか、不良のほうが、ライトな感じ、するじゃん?」
「あははははははははははははははははははははははははははは」
「な、なんで笑うんだよ!」
「だっせー!不良なんて保険掛けてるヤンキーじゃん!」
「な!?」
「もー!終くんは可愛いな!」
そう言っていつかの日のように頭をぐしゃぐしゃにしてくる秋。
「あー!もー!この話終わり!」
「・・・終わりだけに?」
「やかまし!」
「おっ!二人だけでいちゃついてる!」
遅れてきた葵が入ってきた。
「遅くなってごめんね」
「それじゃあ、文芸部の活動を始めようか!」
「小説の進みはどう?」
「うん・・・」
秋が入院している間、文芸部の活動はこの病室で行うことになった。
西校文芸部(非公認)はとりあえず文化祭で文集を発売するということを当面の目標にした。
俺、葵、秋がそれぞれ一作ずつ書いて一冊の本にするのだ。
今年の文化祭は10/1。
夏休み明けに申請して、凛先生の知り合いに印刷してもらう。
そういう算段だ。
だけど、その前の段階で躓いている。
一番大切な部分で。
「正直あんまり進んでない」
「想像してたよりもずっと難しかった」
「まあ、そうだよね」
「あんまり、根詰めないでね」
「私は終君が書いた文章、好きだから」
秋は平然とそう言った。
俺は少し照れてしまう。
「おやおや?終照れてる?」
・・・こういう時を葵は見逃さない。
ならば、俺も乗ってやろうじゃないか。
「そういう、葵はどうなんだよ」
「え」
「ぼちぼち進んでるよ」
「ぼちぼち」
「ぼちぼちってどれくらいだよ?」
「ぼちぼちはぼちぼちだよ」
「結局、お前も進んでないんじゃん・・・」
「なっ!」
「進んでるよ!素晴らしい構想が頭の中に詰まってるもん!」
「はいはい」
「もう、この話終わり」
「終わりだけに?」
「やかまし!」
「ひっ!」
と、丁度今入ってきた新田さんが驚く。
おびえた表情で俺を見ている。
「あ、あの・・・」
「ヤンキー怖すぎます!」
新田さんはそういうとすぐに病室を出ていった。
「あははははははははははははははははははは」
「だから笑い事じゃねえ!?」
夏休みの間、俺と葵は秋の病室に毎日顔を出した。
結局秋は退院出来ないまま、二学期を迎えた。
小説も完成はしなかった。
9/1
新学期初日は始業式の後にテスト。
俺も葵もボロボロだった。
「なんか、問題難しかったね」
「そうだなぁ」
「英語もそろそろきつくなってきたなぁ」
「帰国子女は英語が得点源なんじゃないの?」
「んー。定期テストとかはそんな感じだけど、入試形式のはちょっとね」
「現地で生活していた人も解けない英語の問題・・・もうそれ日本語じゃん」
「ほんとそれ!日本人はどこを目指しているのやら」
放課後。
俺たちは秋の病院に向かう。
「そう言えばさ」
「んー?」
「葵は大学どうするの?」
「んーまだ何も考えてない・・・」
「終こそどうするの?」
「この時期に文芸部なんてやっているんだから分かるだろ」
「それなら私に聞かなくても分かったじゃん・・・」
「というか、終は医者になるんじゃないの?」
「え?なんで?」
「だって、あっきーの主治医終のお父さんじゃん」
「・・・ああ」
「・・・なんかごめん。あんまりそういうのはダメな感じ・・・?」
「いや、大丈夫だ」
「確かに俺の父さんは立派な医者だ」
「でも俺は医者にはならないよ」
「ふーん、そうなんだ」
俺たちは夕日にかたどられて歩く。
未来はいくつもの可能性に満ちている。
自由が故の苦悩もあるのに俺たちはいつも自由を求める。
束縛を嫌がり鳥籠から飛び出ようとする。
意思が恐怖を超えてしまうんだ。
そして、恐怖に絶望する。
全てこのままであったらそんな苦しみは無いのだろうか?
「私」
不意に葵が空を見上げて言った。
「終の小説楽しみにしてるから」
その声は茜色の空に広がった。
「・・・葵のも楽しみにしてるよ」
でも、このままじゃだめなんだ。
そうやって手が届く正しさを選ぶことに意味はない。
いくら頑張っても届かないものに手を伸ばすことが大切なんだ。
「あっきー!おっはー!」
「おっはー!葵ちゃん」
「お前らいつでもそれなのな」
俺と葵は椅子に腰掛ける。
「学校どうだった?」
「今日はテストだったんだよ!」
「ボロボロだったよ~」
「俺も」
「そっか」
秋は本当に楽しそうに俺たちの話を聞いていた。
「明日早速、文化祭の申請に行ってみようと思うんだ」
「そっか。ごめんね任せっきりになっちゃって」
「気にしないでよ」
「文化祭までには退院できるといいね」
「うん」
「先生が言うにはね、数値がまた低くなればいいって」
「そっか」
「こうやって寝てるだけだから、何も頑張れないんだけどね」
秋とこうして話しているとふと病気のことを忘れそうになる。
それくらい秋は健康体に見えた。
技術のおかげであり。
医者や看護師のおかげだ。
そう。
父さんの―
「終君?」
考え込んでいる俺の顔を覗き込む秋。
「ごめん、ごめん」
「ちょっとぼーっとしてた」
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
俺は病室から外を見る。
夏を少し過ぎたくらいじゃ空は変わらなかった。
夕陽に浮かぶ暗い雲。
いつも通りの空だった。
「あっきーは小説どのくらい進んでいるの?」
「あんまり進んでないよ」
「書きたいことは山ほどあるのに」
「うまく言葉にできないんだ」
「あっきーでもそんなことあるんだ」
「私書いたことはそんなにないから」
「読んできてばっかりだったから」
「そっか」
「じゃあ、みんなでがんばろ!」
「そうだね!」
秋と葵が笑う。
こういう何気ないことの積み重ねでいいのか。
それが秋の願いなのか。
「あれ?終君何で笑ってるの?」
「にやにやしててきもいよ!」
「やかまし」
本当に優しい「やかまし」だったと思う。
9/2
「失礼します」
「失礼します」
放課後、俺たちは生徒会室を訪れる。
「文化祭での出店申請の書類を持ってきたのですが」
「どちらに提出すればいいのでしょうか?」
「ああ、それなら自分が預かりますよ」
「今は生徒会長が不在なので、戻ってきたら渡しておきます」
「後日、審査の結果が書面で通達されます」
「丁寧にありがとうございます」
俺はその役員に書類を渡す。
「では、失礼します」
そうして生徒会室を出る。
「生徒会室、すっごく綺麗だったね」
「そうだな」
「なんとなくもっと散らかっているイメージだったけれど」
「俺もそんな感じを想像してた」
まあ、でも。
ここは西高だ。
部活や生徒会よりも。
勉強を優先する学校だ。
生徒会の活動もその肩書が欲しい連中がなんとなくやっているのかもしれない。
聞こえが悪く感じるかもしれないが、西高の生徒会は存在感が薄い。
一大イベントの文化祭ですら、小規模なイベントで終わってしまう。
まあ、勉強に集中したい人にとってはそれが良さであるのだろう。
俺は頑張ってやっとこの高校に入ったような人間だから。
そんなに勉強漬けになりたいわけじゃない。
そんな奴が進学校に来るなってことなんだろうけど。
「しかもさ」
「終があんなに丁寧な対応ができることに驚いちゃった」
「なんだよ、それ」
「終は本当に不良なんだなって」
「さっきからバカにしてる?」
「いやいや、断じて」
「終はさ、自分の信念にはまっすぐでしょ?」
「そういうのって不良って感じだし」
「すごいよ、終」
「ありがとさん」
「お!照れないんだね」
「照れないよ」
「大体俺はすごくないよ」
「周りの人たちは自分の信じたこと以外にも一生懸命になれる」
「それって、俺よりもすごいことだし大変なことだよ」
「俺はただ甘えているんだよ」
「正解って言葉に色々なことをまとめて」
「それでいいと思っちゃっているんだよ」
「だから俺は不良なんだ」
「良くないんだよ」
「・・・」
「終はさ」
葵が立ち止まる。
「終はいつか、自分の信じたもの以外に一生懸命になるの?」
葵は不安そうな表情をしている。
「・・・なるかもな」
「自分を捨ててでも」
「尽くしたい何かができたならさ」
俺はまっすぐ前を見る。
今の葵の表情が見たくなくて。
夕日に染まった廊下を見る。
「・・・そっか」
葵が急に走り出す。
「あっきーのところいこっか」
葵は笑っていた。
空が蒼色でなくても。
葵は自由に笑った。
9/3
九月になっても暑さは引いておらず、太陽は地面を焼いた。
「暑い・・・」
屋上のコンクリートは余計に熱を持っている気がする。
秋になるまでここではサボれないと思った。
一刻も早く涼しい場所に移ろうと立ち上がったその時だった。
「はあ、やっぱりここにいたんですね」
屋上のドアから凛先生が入ってきた。
先生はいつものようにスーツを着ている。
「暑くないんですか?」
「暑くないですよ。あなたと違って図書室にいるので」
「サボらないでちゃんと授業に出ないとダメでしょう」
「分かってます」
「暑かったんで移動しようとしてたところです」
俺は階段を降りようとする。
「・・・」
と、凛先生は無言で俺の手を掴んだ。
「凛先生?」
「涼しいところでサボっていてもダメなんですからね」
・・・抜かりないなこの人。
俺はおとなしくC組の教室に戻った。
教室はクーラーが効いていて涼しかった。
葵はこんなところでずっと寝ているのかと思うとなんだかずるい気がした。
だけど、葵は授業中一度も寝ていなかった。
「文集用の物語書いてるから」
まあ、葵が寝ていない=文芸部関連だとは何となく気が付いていた。
ずるい気がしていたのも本当だが。
そっか。
俺も書かなくてはならないのか。
俺は教室が嫌いだったのでどこか別の場所を探さなくてはならなかった。
学校の中でクーラーが効いていて広々とした場所は図書室しかない。
もちろんそこで書くわけにはいかない。
「俺、明日からしばらく休むわ」
「えー!なんで!寂しい!」
消去法的に校外のどこかを選ぶことになった。
9/4
俺は学校に行ったふりをして朝早くに家を出る。
自転車で町を回ってみる。
朝早くから営業している店は少なく、市立の図書館も同様だった。
そんな中一件だけ見つけることができた。
「喫茶ヴィーナス・・・」
市街地から少し離れた海沿いの喫茶店。
建物は年季が入っているがそれがいい味を出していた。
俺は自転車を止めて店に入る。
「いらっしゃいませ」
からんとベルが鳴ってドアが閉まる。
男性の店主が一人だけだった。
中はこじんまりとしているが不思議と圧迫感はない。
暗い色の木でできた椅子や机が安心感を与えている。
コーヒーのいい匂いが漂ってくる。
「こんな時間からすみません」
「大丈夫ですよ。お好きなところへどうぞ」
「ありがとうございます」
「もう一つだけいいですか?」
「ここで小説を書かせてもらってもいいでしょうか?」
「物書きさんの高校生だったのですね」
「・・・ここには物書きさんが集まるのかな」
「んーそうだな」
店主の男は少し考えた後にこう言った。
「書き終えたものを読ませてくれるのなら、いいですよ」
店主はいい笑顔でそう言った。
「分かりました」
「ご迷惑をおかけします」
「がんばってください」
「それと」
店主はテーブルにアイスコーヒーを置いた。
「コーヒー代くらいは払ってくださいね?」
「もちろんです」
俺は葵とは違ってパソコンで書くタイプだった。
おしゃれなジャズが流れる店内は俺の集中力を高めてくれた。
物語に没入したまま俺は書き進めた。
お昼が近づくとちらほらと客が入り始めた。
さすがに一日中いるわけにはいかないのと混み始めたのでランチを頼んで店を後にした。
午後は学校にでも行くか。
「おお!終!来たんだ!」
葵が友達との輪から抜けて俺の方に駆けてくる。
「何してたの?」
「小説書いていたんだよ」
「どこで?」
「カフェで」
「・・・ス〇バ?」
「ちげえよ」
何かとこいつはス〇バを推してくるな・・・。
「俺はパソコンで書いてるからさすがに教室じゃ出来ないだろ?」
「そっか。私は打つの遅いからパソコンだと効率悪くてね」
「おかげで手がくたくた」
「明日からもそのカフェで書くから、こうやって午後は学校来るわ」
「おっけー!分かった!」
「というか、家で書けばいいじゃん」
「家だと親がいるからさ」
「一応学校に行ってるフリをしないと」
「そっか」
「終、家族と仲良くないんだっけ」
「・・・ああ」
「じゃあ、仕方ないよね」
「そういえば文化祭の申請通ってたよ」
「そっか。よかった」
「俺が不良だから通らないかもってちょっと思ってたんだよ」
「生徒会がそんなにがっちりとした組織じゃないからだよね」
「書類も適当だし、それに今年は文化祭一日だけだって」
「そうなのか?そんなに有志団体が集まらなかったのか?」
「そうみたいだよ」
「私たちを含めても三団体くらい」
「後はあの教頭だよな・・・」
「あいつに見つからなければ、無事に販売できると思うんだけど・・・」
「そうだよね・・・」
「私も補習の時から目つけられてるもん・・・」
二人で嫌な顔をする。
葵みたいな奴と友達になれてよかったなと思った。
「あっきー!おっはー!」
「葵ちゃん!終君!おっはー!」
「あっきー!文化祭の許可降りたよ!」
「ほんと!?」
「よかったぁ・・・」
秋は嬉しそうに微笑んだ。
「秋の小説はどのくらい進んでいるの?」
「んー出来ているのものはあるんだけれどね」
「納得がいかなくて何回も書き直しているところ」
「だから、100であり0でもあるって感じかな」
「すげえな。何本くらい書いたの?」
「丁度さっき終わったので4本」
「4!?」
「あっきー頑張りすぎじゃない?」
「それがそんなこともないんだよ」
「ずっとこのベッドの上にいるとねやることなくて」
秋は困ったように笑った。
「私たちも頑張らないと!」
葵の言うとおりだ。
俺も秋や葵に負けないくらいのものを書かなくちゃ。
9/15
新学期が始まってから約半月が経った。
俺は相変わらず喫茶ヴィーナスで小説を書いていた。
初日に店主が言っていたように、俺と同じく物書きらしき人がいた。
いつも一番奥の席に座ってパソコンを睨んでいた。
相手も俺の存在を気にしていたのか話しかけられた。
「君はどんなお話を書くんだい?」
細淵の眼鏡をして無精ひげを生やしたその男は優しい声でそう話しかけてきた。
「高校の文芸部で文集を作ることになって」
「そのための小説を書いているんです」
「そうか。高校の」
「少し読ませてくれないか?」
「・・・」
「すみません。まだ完成していなくて」
「そうか。では完成したら読ませてくれないか?」
正直に言って怖かった。
相手は相当文章を書くことに打ち込んできたのだろう。
あまり見た目で判断したくはないがそんな風貌だった。
「小説家なんですか?」
「いいや違うよ」
「小説家を目指しているんだ」
「そうだったんですね」
「私の作品は書きあがっているものもある」
「ぜひ読んでくれないか?」
そう言うと物書きの男は一旦席に戻り分厚い紙の束を俺に向けた。
「・・・勉強させてもらいます」
俺はその束をしぶしぶ受け取った。
9/16
喫茶店に入ると今日もあの物書きがいた。
彼はパソコンの前で死んだような目でキーボードを叩いていた。
俺は俺でいつもの場所に座る。
「どうぞ」
いつもの様に店主がアイスコーヒーを置く。
俺は文章を書き進めた。
「昨日の読んでくれたかい?」
お昼時になって俺がランチを待っていると物書きの男が話しかけてきた。
「すみません。まだ読めていなくて」
「そうか」
「学生は忙しいものな」
それだけ言って自分の席に戻っていった。
「・・・」
俺は自転車を漕いで学校に向かう。
その道中あの物書きの男のことを考えていた。
年齢は父さんと同じくらいだ。
家庭は持っているんだろうか?
あの物書きはどうして物語を書いているのだろうか?
小説家になるという夢を叶えるためだけにあんなに努力をしているのだろうか?
本当は昨日、あの物書きが書いた小説を読んだ。
しかし、難解な話で途中で投げてしまったのだ。
精神、解脱、生死観など人間の本質に迫るような内容だった。
基礎的な知識が足りていない俺にはあの物語がいいのか悪いのか分からなかった。
「終!おっはー!」
「よう」
そんなことを考えていると学校に着いて葵と出会った。
「葵は自分が本能に縛られている感覚ってあるか?」
「・・・急にどうしたの?」
葵は顔をしかめる。
「まあ、葵はいつでも本能に従ってるわな」
「寝てばっかだし」
「な!」
「私だってやることはちゃんとやったもん!」
「終が学校サボってた間に小説完成したもん!」
「まじか!」
「読ませて!」
「やーだね」
「終はすぐ私をバカにするんだもん」
葵はふてくされたような表情をした。
「冗談はこれくらいで」
「みんなのが完成したら見せ合おうよ」
葵は微笑んでそう言った。
「分かった」
その日の夜。
あの物書きの文章を最後まで読んだ。
最初の方は分からなかったが、一つだけ理解できるトピックがあった。
それは自由についてだった。
この話は不思議な空間で自らを鬼と名乗る者と人間が対話する物語だった。
鬼は言った。
「自由というのは幻想でしかない」
「考えてもみよ」
「本当に自由な状況がこの世に存在するだろうか?」
「それでも人は自由を望んで手を伸ばす」
「それだけが生きる希望なのだ」
「自由があると信じ続けて手を伸ばすことが生を作り上げるのだ」
見えないからこそ手を伸ばす。
そこに正解があるはずだと手を伸ばす。
俺の考え方によく似ていた。
だが、これに人間は答える。
「そんなのは甘えた考え方だ」
「生というものはそんなにも綺麗なものじゃない」
「自由?そんなもの手に入らないことは知っているさ」
「人間を見くびるな鬼よ」
「俺たち人間はこの頭を使って生きてきたんだ」
「成長してきたんだ」
「学ぶことだってできるんだよ」
「『届かない』と分からなくても」
「『届きそうに無い』と思えば」
「人間は手を伸ばすのをやめるんだ」
「そして結局それはないものとして見なくなるんだよ」
「各々みんながそれを感じたとき」
「たとえ『あった』としても『ないもの』になるんだよ」
「人間を見くびるなよ鬼よ」
「俺たちはお前らの存在すら」
「『無』にできるんだから」
そうして鬼の体が崩れていく。
人間は何もない空間で一人いつまでも笑った。
そうして物語が終わる。
9/17
俺はいつもより早く喫茶ヴィーナスに行った。
「いらっしゃいませ」
いつも通り店主の挨拶を聞いて俺は一番奥の席に向かう。
「おはようございます」
「これ、全部読みました」
俺は目の前の物書きにそう言った。
「そうか」
パソコンに向けていた視線を俺の方に向けた。
「正直にいって難しくて理解ができない部分が主でした」
「だけど一か所だけ」
「どうしても納得できない部分があったんです」
物書きの男は死んだ目のまま言った。
「座り給え。すこし語ろうじゃないか」
「コーヒーをおごろう」
俺は促された通りに席に座った。
「一番最後の章です」
「鬼と人間が最後に語るのは自由についてです」
「人間は鬼に対して言います」
「『『届かない』と分からなくても』」
「『『届きそうに無い』と思えば』」
「『人間は手を伸ばすのをやめるんだ』」
「俺はそうは思えません」
「鬼の考え方のほうが正解だと思います」
「そうか」
「それはなぜ?」
「この人間の発言からは諦めのようなものが読み取れます」
「出来なかったから辞めてしまうという」
「でも、それは自分が本当に求めているものに対しては違いませんか?」
「自分が曲げられないもの」
「信じたものには」
「手を伸ばし続けるのが人間じゃないでしょうか?」
「俺は人それぞれ違うけれどその目指しているものを『自由』と呼びたいです」
「・・・」
物書きの男はしばらく黙っていた。
「君には手を伸ばしているものがあるのか?」
長い沈黙を破ったのはそんな言葉だった。
「・・・はい」
「あります」
「それは手に入りそうなのか?」
「・・・いいえ」
「おそらく、手に入ることはないでしょう」
「そうか」
「それでも君は手を伸ばし続けている」
「それが『自由』に繋がっているはずだから」
「君が言いたいのはそういうことか?」
「はい」
また、少しの間沈黙が流れた。
「君は学生だ」
「高校生だ」
「きっと、手を伸ばしているだけでも周りの大人が環境がどうにかしてくれるんだろう」
物書きの男は焦点の定まらない目でそう言った。
「・・・それは」
「大人になれば手を伸ばしている暇も無くなるということですか?」
「ああ」
「もしも、大人になってもそんなことをしていては」
「周りの環境や人を傷つけることになってしまう」
「言っている意味が分かるか?」
「・・・分かりません」
「もう少し踏み込んで君の話を聞かせてくれないか?」
「・・・それは俺を例にどんな未来があるか話すためですか?」
「そうだ」
「それが分かっていて話す訳がないでしょう」
「・・・」
「それもそうか」
「仕方がない」
「私の話をしよう」
「聞いてくれるか?」
「・・・」
「はい」
そうして物書きの男は語り始めた。
「私は小説家になることしか考えたことが無かった」
「自分の頭の中の思想を、思考を」
「沢山の人に読んでもらいたかった」
「小さなころから物語を書き続けた」
「だけど」
「私が書いた物語を読んでくれる人はいなかった」
「両親すらも私の物語を受け入れてはくれなかった」
「誰も私のお話を受け入れてくれない」
「それはまるで私の人生が否定されている気さえした」
「私の人生は灰色だった」
「だが」
「そんな私の世界にも女神が現れた」
「初めて私の物語を理解してくれる人が現れた」
「私はその人に色々な話をした」
「その人は私の話をよく聞いてくれた」
「そして面白いともつまらないとも言った」
「嬉しかった」
「いつしか私たちは恋人になった」
「結婚して家族になった」
「私はいつまでも小説家を目指した」
「彼女はいつまでも応援してくれた」
「彼女が隣で応援してくれているなら」
「その夢にいつまでも手を伸ばし続けられると思っていた」
「・・・そう思っていたんだ」
「だが現実は違った」
「子供が生まれた」
「俺と彼女の子がこの世に誕生したんだ」
「私はその瞬間幸福感に包まれていた」
「この子のためにも」
「もっと頑張らなくちゃならないと思った」
「自分の子に愛着はもちろんあった」
「この子にも私の物語を沢山聞かせてあげたいと生まれてくるまで何度も思った」
「そして、沢山の物語を我が子のために書いた」
「私が読み聞かせると、妻が『そんなに難しいこと言っても分からないわよ』と言い」
「妻も私もおかしくて笑った」
「その様子に笑いを漏らす新しい命」
「全てが順調だった」
「何もかもがうまく行っていたんだ」
「だけれど」
「色々なものが必要になった」
「一番大変だったのは金だった」
「私は文章を書く仕事で多少の収入があった」
「妻は定職に就いていた」
「子供が出来ても生活はしていけるはずだった」
「だけど」
「現実はそんなに甘くなんてなかった」
「私と妻と子供」
「三人で生活していくので精一杯だ」
「それでも妻は私を応援し続けた」
「私はその応援に甘えた」
「妻はもっとお金を稼ぐために様々な仕事を掛け持ちするようになった」
「私は書き続けた」
「書いて書いて書いた」
「それでも、私が小説家になることはなかった」
「・・・もっと言うなら今この瞬間までだ」
「ある日、妻が倒れた」
「過労だった」
「私は急いで病院に向かった」
「病室のドアを開けると」
「妻と我が子が隣合わせでベッドの上だった」
「私が来たことに気付いた妻はおぼろげな意識の中、私に言ったよ」
「『私のことは気にしないで頑張って』と」
「その時私は怖くなった」
「それを助長させるように子供は泣き出した」
「妻は一生懸命に子供の方に手を伸ばした。
「弱っていた妻はベッドから起き上がることも出来なかった」
「私は子供のもとへよって抱き上げた」
「いつも妻がするようにあやしてみた」
「それでも私の腕の中で泣き続けた」
「わんわん泣いた」
「私は必死にあやした」
「それでも泣き止まなかった」
「結局看護師が来てあやしてくれた」
「私はその様子をただぼーっと見ていた」
「怖くなった」
「一気に暗闇に落ちた気がした」
「私が手を伸ばし続けるということは」
「他人の屍を積み重ねて上を目指すことのような気がした」
「足りない分の高さを」
「他の誰かの生で補っている気がした」
「怖かった」
「ひたすらに怖かった」
「手を伸ばすのを止めることも」
「このまま伸ばし続けることも」
「もし、私が小説家という夢を諦めたなら」
「愛する妻に失望される気がした」
「私は妻のあの目が好きだった」
「私の話を聞いてくれている時の目が」
「もし、このまま小説家を目指したら」
「私は愛する妻さえも」
「殺してしまう気がした」
「私は結局」
「妻と子を捨てた」
「離婚届を置いて家を出た」
「母子家庭なら手当を受けられるし」
「再婚すればお金はどうにかなると思った」
「私は今でも書き続けている」
「書くのをやめるのも」
「書き続けるのも」
「同じくらいに怖い」
「それでも書き続けることが」
「私への罰だと思うから」
物書きの男はずっと同じ調子で語った。
「あんた、おかしいよ・・・」
「それが愛してたっていうのかよ?」
「今やっていることを正当化しようとしているだけじゃないか」
「ああ。そうだ」
物書きの男は視線をずらして言った。
「あんたは夢への手の伸ばし方を間違えた」
「だからって手を伸ばすことを辞めた方がいいっていうのは違うだろ?」
「・・・そうじゃない」
「なにが違うっていうんだよ?」
「じゃあ、君が手を伸ばしている物が正解であるという確証はあるのか?」
「話が少し変わっている」
「いや、何も変わっちゃいない」
「目指したものが正解かどうかじゃないんだ」
「目指し方から正解かどうか決まっているんだ」
「改めて聞く少年」
「君が手を伸ばしている物が正解であるという確証はあるのか?」
「なに、言っているんだよ」
「当たり前だろ!」
「・・・」
「私もそう思っていたんだ」
「自分が信じた物は」
「きっと正解なんだって」
「私が小説家になれば」
「私が正解を手にすることができれば」
「全てうまくいくはずだと思っていた」
「結局何もできなかった」
「何もかもぐちゃぐちゃになった」
「みんな私に言ったよ」
「あんたはクズだって」
「・・・これで最後だ」
「君が信じたものが正解である確証がどこにあるんだ?」
「そんなの・・・」
心臓がドクリとした。
そして気付いてしまった。
ああ、
俺が目指しているものが。
手を伸ばしているものが。
正解であるという証拠がないことを。
どこにも無いということを。
「そうだよ。ないんだよ」
「この世界のどこにも」
「正解である確証なんてないんだよ」
「だから正しさを信じればいい」
「じゃあ、どうやって正しさか決めるのか」
「そんなのは多数決だ。多数決」
「俺も、私も、僕もって」
「そうやって正しいと思う人が多い方が正しさなんだ」
「私の場合は残念ながらみんなが言うには間違いだった」
「君はどうなんだ?」
「君の考えが正しいと思っている人間はどのくらいいる?」
「俺の、ことを・・・」
俺は。
屋上で一人で。
家族にも反発して。
学生とは違う金色に染めて。
学校をサボっていて。
「そんな・・・」
俺は。
俺は―
「俺は間違っていたのか―」
「・・・」
俺は俯きながら道を歩く。
自転車を漕ぐ気にはならなかった。
景色が灰色に染まって見えた。
その時。
ポツリ。
ポツリと。
雨が降りだした。
俺は垂れた頭をあげる。
「・・・」
空は厚い雲に覆われて黒かった。
その空を見て、俺は思った。
この黒い雲の向こうが。
蒼い自由な空である確証なんて無いということを。
それでも俺はそれを信じてきていた。
でも。
「もう、できない」
できないと思った。
俺が正解を求めれば、秋が死ぬのを止められるのか?
俺が正解を求めれば、秋は幸せになれるのか?
できないと思った。
俺がどんなに信じても。
運命というものを変えることはできないのだと思った。
まるで印字された文字のように。
俺たちの人生は変えることができない。
俺の人生を書いている神様しか。
それはできないんだ。
「・・・」
俺は家に帰った。
そして、小説の続きを書いた。
俺もあの物書きのように。
秋へ最後にこの小説を残そう。
そう思った。
ラストシーンを書き変えて。
俺はプリンターで出力した。
全てが終わるときには。
日が沈んでしまっていた。
それでも俺は外に出た。
まだ雨は降り続いていた。
それはまるで空が壊れているように感じた。
俺が信じた蒼い空が。
雨となって崩れているのだ。
それに俺は打たれる。
ポツリ。
ポツリと。
雨は降り続いた。
そして俺が濡れれば濡れるほど。
心に染みが広がっていった。
まだ心にあった小さな希望も。
少しずつ雨に侵されていった。
蒼は黒く。
黒く染まっていった。
だんだんとそれでいい気すらしてきた。
黒は何色にも染まらないから。
全てを飲み込んでしまうから。
ポツリ。
ポツリと。
雨の染みが広がる。
「間違い」と「正解」が「正しさ」に飲まれていく。
ああ。
俺は。
一体何をしてきたのだろう。
こんなに簡単に崩れてしまう。
こんなに簡単に染まってしまう。
そんなものを信じて。
抗って。
ひどく時間を浪費したと思った。
たびたび俺は足を止めたくなった。
でも、足だけはまるで俺の意識とは無関係に動いた。
そして。
気が付けば、秋の病室についていた。
ゆっくりとドアを開ける。
電気の消えた部屋で秋は穏やかに寝息を立てていた。
俺は彼女の横に立った。
「秋」
「ごめんな」
「俺は」
「約束を守れなさそうだ」
「ごめんな」
「俺は―」
秋の顔は美しかった。
穏やかに微笑んでいた。
この美しさはどこから来るのか俺には分からなかった。
俺は鞄の中から紙の束を取る。
そして最後の一ページだけを手に取る。
もう一度秋の顔を見る。
本当に綺麗だと思った。
俺は視線を手元の原稿用紙に落とす。
そして縦長に折る。
角を折り曲げる。
さらに全体を半分に折る。
そしてまた角を折り曲げる。
最後に羽根を立てる。
「・・・」
俺は出来上がった紙飛行機を窓越しの空にかざす。
この飛行機に乗っているのは俺の思想だ。
今、俺の思想が重力によって世界に押さえつけられている。
俺はその紙飛行機をー
秋のすぐ横に。
静かに置いた。
夜の病院を一人で歩く。
雨脚は強くなるばかりで。
風もごうごうとなる。
俺は一人で歩く。
「ちょっと・・・そこの方・・・?」
不意に声をかけられた。
俺はその声の方に振り向く。
「め、面会の時間は、もう、終わってます、よ・・・?」
確か新田という名前の看護師だ。
秋の担当でよく新田さんと呼んでいたから覚えていた。
「すみません」
「すぐに帰りますから」
「あれ?」
「君ってもしかしてヤンキー君?」
「?」
俺はぽかんとしてしまう。
ヤンキー君?
「私秋ちゃんの担当の新田です」
「君はよくお見舞いに来ていたヤンキー君だよね?」
「・・・」
そう言えば。
秋が冗談で俺のことをヤンキーだって紹介していたんだっけ。
「秋ちゃんに会いに来たの?」
「・・・」
「まあ、はい」
隠してもしょうがないのでそう言った。
「そっか」
「でも、ちゃんと時間は守るんだぞ?」
「はい」
「すみません」
「雨ひどいから気をつけて帰りなよ?」
「はい」
そう言って俺は立ち去ろうとした時だった。
「え?」
俺の足元に何かが落ちる。
これは・・・。
「紙飛行機?」
俺はそれを手に取る。
「お、お化け?」
「・・・」
「あ、あのね。ヤンキー君」
「この病院にはとある噂があって―」
新田さんはかなり動揺している。
だけど、俺は構わずに紙飛行機をほどいた。
「・・・」
「・・・新田さん」
「な、何?」
「お願いがあるんです」
そう言って俺は鞄から紙の束を取り出す。
幸い雨に濡れてはいなかった。
「これを秋に渡してくれませんか?」
「これって?」
「・・・」
「俺が書いた小説です」
俺は紙飛行機だったページの皺を良く伸ばした。
文章を書き足す。。
そして新田さんに渡した。
秋視点
「・・・」
私は病室に戻る。
暗い廊下に雨の音が響いている。
私は歩く。
夜の病院の廊下がこんなに不気味だったなんて。
雨の音のせいで静寂に包まれていないのが余計に嫌に感じた。
私は歩きながら。
さっきのことを思い返していた。
本当に雨が強かった。
風もだんだん吹いてきて。
私はなかなか眠れなかった。
そんな時、ドアが開いた。
(誰・・・?)
私は寝たふりをしていた。
ゆっくりとナースコールを手繰り寄せる。
その人物は私がよく知る人だった。
(終君・・・?)
雨に濡れた終君が私の横に立っていた。
「秋」
「ごめんな」
「俺は」
「約束を守れなさそうだ」
「ごめんな」
「俺は―」
「秋が大好きだから」
「俺自身が秋を傷つけるかもしれないことに耐えられないんだ」
「ごめん」
「ごめんな」
「俺は―」
「君の神様にはなれないよ」
終君はそう言うと鞄から紙を取り出して紙飛行機を折った。
そして、部屋を出ていった。
「・・・」
私は残された紙飛行機をほどく。
それは小説の最後のページのようだった。
「君の願いはこの鞄がきっと叶えてくれるさ」
「鞄?」
「そうだよ」
「この鞄は望んだものはなんでも手に入る魔法の鞄さ」
「もう、わしが居なくてもこれで君は幸せになれるんだ」
「そっか」
「私、これからこの鞄で幸せになるね」
「そうだ」
「わしがいなくなっても、それで十分なんだ」
「きっとその鞄で手に入るものは偽物だろう」
「それでも本物に手を伸ばし続ける苦しみに比べたら幸せに違いない」
「わしはもともと君の幸せを願っていたんだ」
「・・・そろそろ時間だね」
光の粒が神様の周りに群がっていきます。
そして神様は消えていきました。
赤色の魔法の鞄を残して。
「・・・」
これは終君が文集のために書いた小説なんだろう。
神様と少女の話か・・・。
終君。
君は言った。
「君の神様にはなれないよ」と。
でもね。
君はもう私の神様なんだよ?
十年前。
君がわたしをこの病室から連れ出してくれた瞬間から。
君が私の世界広げてくれた瞬間から。
君はもう神様なんだ。
ありがとう。
ごめんね。
私は終君に何もしてあげられなかった。
終君が苦しんでいるのに何もできない。
それでも私は―
「神様―」
ありがとう。
「終君」
そっと紙飛行機を折っていく。
終君の思想と。
私の思想が。
閉じ込められていく。
私は病室の外に出る。
・・・。
終君。
君と出会う前。
この廊下ですら私の知らない世界だった。
あの頃の私にとってここは。
伸ばしても届かない空みたいな所だった。
だから、飛ばすね。
私と君のこの紙飛行機を。
きっと、この小さなツバサでも。
何かに届くと思うから。
私は腕を引く。
瞬間にあたりが蒼一色に染まる。
「終君」
そして。
「ありがとう」
「・・・」
私は病室に戻る。
暗い廊下に雨の音が響いている。
私は歩く。
夜の病院の廊下がこんなに不気味だったなんて。
雨の音のせいで静寂に包まれていないのが余計に嫌に感じた。
さっきまでの蒼は黒く染まっている。
あの飛行機は届いただろうか?
この黒の中を。
どこまでも飛んで行けただろうか?
そんなことを思っていた時だった。
「え?」
「・・・あっきー」
どうやら、まだ日は昇らないみたいだった。
それでも、もう一つの蒼色が。
私の前に現れた。
葵視点
午前中は晴れていたのに午後になって雨が降りだしてきた。
きっとそのせいで終は今日学校に来ていないんだろう。
「・・・」
小説も書き終わっているのに寝ずに授業を受けていた。
まあ、眺めているのは黒板じゃなくて黒い空なんだけれど。
『今日はサボるの?』
机に隠したスマホで終へのチャットを開く。
既読はついていた。
でも返信は何も無かった。
放課後になっても終から何も返信が無かったので私は終が小説を書いている喫茶店に向かった。
もしかしたらそこでまだ書いているかもしれない。
「いらっしゃいませ」
中に入るとコーヒーのいい香りがした。
お客さんは一人だけだった。
それは残念なことに終では無かった
「すみません」
「今日の午前中に金髪の男子高校生来ませんでしたか?」
「あーあの子か」
「来ていたよ」
「そうなんですか・・・」
「同級生の子かな?」
「そうです」
「何時ごろまで居ました?」
「何時だったかな?」
「お昼すぎだとは思うけれど」
「そうですか・・・」
「すみませんありがとうございます」
そう言って立ち去ろうとした時だった。
「彼はもう駄目だよ」
「以前の彼とは変わってしまった」
「・・・?」
一番奥の席の男性客が話しかけてきた。
「きっと家に引きこもっていると私は思うよ」
「彼に何があったか知っているんですか?」
「ああ」
「すみません。教えていただけませんか?」
「長い話だ」
「コーヒーをおごるよ」
「座り給え」
「・・・最低ですね」
「その言葉は彼にも向き得るということを分かっているのか?君は」
「あなたの言葉なんて聞きたくないです」
「せっかく、話してやったのにな」
「これ、コーヒー代です」
「おや?少し多い気がするが」
「感謝の気持ちだと思ってください」
「あなたはお金に困っているようですので」
「では」
私は立ち上がる。
「終」
「なんで・・・」
家に戻って私の書いた文章を手に取る。
雨に濡れないようにビニール袋で鞄ごと包む。
「葵?どこ行くの?」
「友達の家」
「ちょ、ちょっと!外はこんなに荒れているしもう真っ暗よ?」
「大丈夫すぐ戻るから」
私は終の家を目指した。
終の家についてインターフォンを押す。
風や雨の勢いが強まってきている。
(終、お願い出て・・・!)
心の中でそう呟いた時だった。
ガチャリ。
ドアが開いた。
「え・・・」
だけど、それは終ではなかった。
「すみません、終はまだ帰ってきていなくいて」
「こんなに天気が悪いのにわざわざ来てもらったのに」
「いえいえ!こちらこそすみません」
「こんな時に来てしまって」
出迎えてくれたのは終のお父さんだった。
病院では秋の主治医として問診しているところを何度か見たことがあった。
「多分そろそろ帰ってくると思うので良かったらここで待っていてください」
終のお父さんは私にコーヒーを入れてくれた。
終は家族との仲があまりよくないみたいだったなと思って、少し終のお父さんと話してみたいと思った。
「たしか、八月一日さんのお友達の方ですよね?」
「あ、はい」
と思ったら終のお父さんの方から話を振ってきた。
「終もよく八月一日さんのお見舞いに来ているようだと聞いています」
「仲がいいんですね三人は」
「はい」
「終君が授業に久々に授業に出てきたときに私から話しかけて」
「そしたら、秋を紹介してくれて」
「それで仲良くなった感じです」
「はあ、やっぱりあいつは授業をサボっているのか」
「あ、あの、そのことは忘れてくれると・・・」
「え?ああ、すみません」
「別に怒っているわけじゃないですよ」
「何となく終が授業をサボっているのは知っていましたし」
「そうなんですか?」
「はい」
「大体髪は金色だし、学校の先生から何度も電話をもらいますからね」
「そうだったんですか!?」
「そりゃあそうですよ」
「本当に困ったものですよ」
終のお父さんははははと頭を掻いて笑った。
「でもまあ」
「終もちゃんと自分の信じる道を早く見つけてくれるといいんですけれどね」
「え・・・?」
終のお父さんはさっきから見たこともないくらい穏やかな顔をしていた。
終から話を聞く限り、もっと厳格な人だと思っていた。
「自分の信じる道ってどういうことですか?」
「言葉のままだよ」
「自分が本当に夢中になれるものを見つけてほしいってことだよ」
「『正しさは正しかったとしても正解ではない』」
「それって・・・」
「『花束ほどの幸せを』の最も有名な文だ」
「私は昔から本が好きでね」
「よく終に読んでやったんだ」
「私が一番はじめに読んでやったのがこの本だった」
「何だっていい」
「自分が信じたもの」
「自分が見つけたもの」
「そういうものの正解を掴みに行くような人になってほしかった」
「終は昔よく『冒険』をしていた」
「学校をサボってね」
「私はそれでもいいと思ったよ」
「終が正解に手を伸ばしている気がしてね」
「でも、それは逆に終を傷つけたみたいだった」
「終はたった一人で手を伸ばし続けた」
「いつまでたっても届かないものに」
「それはきっと負担になっていったんだ」
「私は医者で上の息子も勉強が得意だった」
「そういったものに劣等感を抱いたんだろうね」
「髪を染めたり」
「反抗したり」
「そうやって自分の存在をアピールしていた」
「私はダメな父親さ」
「父親失格だよ」
「理想ばかりを押し付けて、終が苦しんでいる時に何一つ手を差し伸べてやれず」
「きっと終は怖いんだ」
「正解があるのかどうか分からなくて」
「私は思うよ」
「終は自慢の息子だ」
「何もやってやれなかったけれど」
「終は自分で自分の道を探ろうとした」
「いつか」
「ちゃんと伝えたいと思っている」
終のお父さんは残りのコーヒーを飲み干した。
「私は何熱くなってしまっているんだろうね」
「すまないね、こんなこと言って」
「いいえ」
私は首を振る。
「私、終に助けられたんです」
「終はいつも正解を求めていたから私は救われた」
「終のおかげで私も間違えることを止めることができた」
「今終は苦しんでいるんです」
「私が終を助ける番だと思うんです」
「だから」
「ありがとうございます」
「終のことを愛してくれて」
「図々しいと承知で言います」
「あなたはきっと愛の伝え方を知らないんだと思います」
「それを知れば」
「それを知ろうとすれば」
「きっと、今の気持ちを終に伝えられると思いますよ」
私はそう言って立ち上がる。
「すみません。私帰ります」
「この家にはこんなに素晴らしいお父さんがいるなら」
「わたしは要らないと思います」
「終を」
「よろしくお願いします」
頭を下げる。
「お邪魔しました」
私は嵐のような夜を歩く。
だけど、全然怖くなかった。
そっか。
終。
君の周りには。
君を愛している人がいっぱいいるんだよ。
だから。
終は終のままで居なよ。
そうじゃないとその人たちに失礼でしょ?
私は駆けていく。
雨の中を駆けていく。
終はきっとあそこにいるんだろう。
私、会いたいな。
終に伝えたいんだ。
私のこと。
私の気持ち。
結局病院に着いたのは夜中になってしまった。
当然面会時間は過ぎている。
それでも終に会いたいと思った。
真夜中とは言えないけれど
消灯して暗い病院に侵入するのはかなりドキドキした。
まだ終が帰っていないなら。
ここに居るとしか考えられなかった。
終になんて言おう。
それに悩んだまま私は歩いた。
そして。
あっきーの病室に着いた。
私は中に入ろうとした。
その時―
「秋」
「ごめんな」
「俺は」
「約束を守れなさそうだ」
「ごめんな」
「俺は―」
「秋が大好きだから」
「俺自身が秋を傷つけるかもしれないことに耐えられないんだ」
「ごめん」
「ごめんな」
「俺は―」
「君の神様にはなれないよ」
中から終の声がした。
やっぱり終はここにいた。
だけど。
終の言葉の中で。
一か所だけ消化できないものがあった。
「俺は―」
「秋が大好きだから」
その言葉を聞いたとき。
私はひどく苦しく感じた。
何を今更という感じだけれど。
私が書いた小説はそういう話だったじゃないか。
でも。
それでも、やっぱり言葉で聞くのは辛かった。
私は失恋した。
見ないようにしてきた事実が。
急にはっきりした。
「でも・・・」
それでも私は。
大好きな人に。
自由な空の下で笑っていてほしいから。
私は蒼い空になるんだ。
あっきーと終が笑って居られる。
そんな世界を作るんだ―
「・・・」
終が出てきた。
酷くやつれているように見えた。
私は彼を呼び止めたくなる気持ちを必死に抑える。
そして、じっと待つ。
あっきーの気持ちを。
あっきーの答えを。
ちゃんと見なくちゃ。
「・・・」
「終君」
「ありがとう」
あっきーはそう言って紙飛行機を飛ばした。
そして戻っていった。
私は落ちた紙飛行機に近づく。
「君の願いはこのかばんがきっと叶えてくれるさ」
「鞄?」
「そうだよ」
「この鞄は望んだものはなんでも手に入る魔法の鞄さ」
「もう、わしが居なくてもこれで君は幸せになれるんだ」
「そっか」
「私、これからこの鞄で幸せになるね」
「そうだ」
「わしがいなくなっても、それで十分なんだ」
「きっとその鞄で手に入るものは偽物だろう」
「それでも本物に手を伸ばし続ける苦しみに比べたら幸せに違いない」
「わしはもともと君の幸せを願っていたんだ」
「・・・そろそろ時間だね」
光の粒が神様の周りに群がって行きます。
そして神様は消えていきました。
赤色の魔法の鞄を残して。
「神様、ありがとう」
あっきーが出した答え。
書き加えられた答え。
それは「ありがとう」
違う。
違うよ。
そんな言葉をどうしてこんなに苦しそうに書くんだよ?
あっきー。
終は正しさを選ぼうとしている。
でもあっきーは神様から。
正解への手の伸ばし方を教わったんじゃないの?
だから。
私はあっきーの文に加える。
「神様の嘘つき」
再び紙飛行機にする。
私はそれを。
おもいっきり遠くに。
全身全霊で。
飛ばした。
「さて」
「私は二人に」
「正解への道しるべをしないと」
私はあっきーを追いかけた。
「え?」
「・・・あっきー」
「あーあ」
私はあっきーの病室から出て入り口に向かう。
これでよかったのかと考え始めると収集が着かなくなりそうで辞める。
私は夜の病院の道を一人歩く。
「今日は侵入者が多いな」
「うわ!新田さん」
新田さんに見つかってしまった。
あっきーの病室に通うようになって新田さんとも仲良くなっていた。
「ダメでしょ葵ちゃん」
「病院に侵入したりしちゃ」
「ごめんなさい・・・」
「・・・」
「って叱りたいところだけれど」
「葵ちゃん何かあった?」
「え?」
「秋ちゃんがいつも言ってたんだ」
「葵ちゃんは空くらいおっきな明るさで満ちてるって」
「・・・」
「あっきーそんなこと言ってたんだ」
「実際話してみて私もそう思った」
「葵ちゃんってすっごく明るくて元気な子」
「だけど今はちょっと落ち込んでる?」
「・・・」
「失恋しちゃって」
「・・・そっか」
「なかなかビターな話だ」
「大好きだった?」
「・・・うん」
「どんな子だったの?」
「うーん」
「誰よりも優しいのに」
「すっごく不器用で」
「生きるのが下手で」
「まっすぐ過ぎて頑なで」
「わお、マイナス要素ばっか」
「・・・うん」
「ちょっとわざと」
「しかも分かっちゃったよ」
「・・・ヤンキー君?」
「うん」
「最初から言えばよかった」
「ヤンキー君か・・・」
「さっきここにいたのはそういうこと?」
「うん」
「じゃあ、そっか」
「うん、それはかなりつらいやつだね」
「そう」
「私じゃなくてあっきーを選んだんだよ」
「せっかくぼかして言ったのに」
「大丈夫だよ」
「私、あっきーも終も大好きだから」
「ちゃんと応援できる」
「・・・」
「そっか」
「私の話、してもいい?」
「新田さんの話?何々?恋話?」
「違うよぉ」
「私が看護師になった理由」
「私ね。人の面倒を見るのが好きで看護師になったの」
「・・・介護士とかじゃなくて?」
「うん、最初から看護師志望」
「病院にはいろいろな人が入院してる」
「だから、色々な人生が交わってる」
「それを見てみたくて」
「・・・」
「こんな気持ちじゃダメなのかもしれないけどね」
「私は自分の仕事に誇りを持ってる」
「私が頑張ることで誰かの人生が未来に繋がるんだもん」
「そんな大層なことじゃないって友達にバカにされることもあるけどね」
「私は誰かの人生の一部になれるの」
「たまに、私に手紙をくれる患者さんとかもいてね」
「そういうのが好きなの」
「たとえ、主人公やヒロインじゃなかったとしても」
「誰かの世界の一部になれるなら」
「それはとっても素敵なことだよ」
「そして、意外とそんな何でもない人が主人公やヒロインの世界を救うこともあるんだよ?」
「だからね、葵ちゃん」
新田さんは手を握る。
暖かい手だった。
「たとえ、恋が届かなくても」
「君が思った大好きな彼の人生の一部に」
「君はなっているんだよ」
新田さんはすごくまっすぐな目で見つめてくる。
なんだかその顔が真剣過ぎて面白く感じた。
「ぷっ」
「?」
「あはははははははははははははははは」
「ええ!?」
でも。
そっか。
『そして、意外とそんな何でもない人が主人公やヒロインの世界を救うこともあるんだよ?』
私は終の人生の一部なんだ。
だったら。
私の選択はきっと間違ってなかった、よね?
「新田さん」
「ありがとう」
「ええ?笑ったり感謝したり何が何だかわからないよ・・・」
「ごめんなさい」
「病院に侵入したりして」
「もう絶対しちゃだめだからね」
「それと、ありがとうございます」
「私」
「終とあっきーの」
「恋のキューピットになります!」
そう言って私は頭を下げる。
正面入り口に向かった。
私は。
蒼い空なんだ。
あっきーと終は。
この空の下で。
二人のシナリオを歩むんだ。
新田視点
「・・・」
「よかった」
「ちゃんと、泣いてくれた」
11/30
終視点
インターフォンが鳴った。
誰だろう。
俺はカーテン越しに外を見てみる。
誰かが家の前に立っている。
そして家全体を見回している。
怪しいやつだな・・・。
そんなことを思っていると電話が鳴った。
「葵・・・」
そしてあることに気づく。
最近似たような人影を家の周りでよく見た。
もしかして、あれは・・・。
「・・・」
俺はカーテンの隙間から外を見る。
しかし。
「あれ、いなくなってる」
そんなわけないよな。
毎日だぞ?
毎日毎日。
数分の時もあれば何時間の時もある。
そんなことある訳がない。
と。
その時。
「え・・・」
空にゆらゆらと白い何かが揺れている。
それもひとつじゃない。
10個以上ある。
「っ!」
俺は慌てて窓を開ける。
「おい!何ひとんちに投げてるんだ!」
「あ!終!やっぱり居留守だった!」
「な!葵・・・」
「話があるの。家入れて」
「嫌だ。帰れ」
「そんなこと言うならもっと飛ばす!えいっ!えいっ!」
「やめろ!」
「あーもう!」
「分かったから!」
葵視点
やっと入れてくれた。
やっと終に会えた。
あの日。
9月17日から私はずっと終の家に来ていた。
そして、あっきーは昨日やっと物語を書き終えた。
終はずっと同じ部屋にいた。
何やってたんだろう?
「なんだよ。葵」
終はお茶を出してくれた。
意外と出来る子?
「良い話と良い話それから良い話」
「どれから聞きたい?」
「何それ」
「どれ?」
「どれも変わんないじゃん」
「どれ!」
「たくっ、分かったよ」
「良い話で」
「うん」
私は小さく深呼吸をする。
私は終が出してくれたお茶を飲む。
汗で体がびっちょりだよ。
こんな姿好きな人の前でしたくないよ!
でも。
私は好きな人があんな姿をしている方が嫌だ。
ちょっとは成長してるじゃん、私!
「これ」
私はあの日あっきーに渡した時のように紙の束を終に向ける。
「私が文集用に書いたやつ」
「結局文化祭には出店出来なかったけどね」
「終に読んで欲しくて」
「今読んでよ」
「・・・」
「分かった」
終が私の小説を読み始める。
すっごく恥ずかしいけれど。
読んでほしかった。
丁度、あの夜。
あっきーに読んでもらった時のことを思い出す。
「私ね」
「終のことが好き」
「・・・」
あっきーは私の小説をじっと見つめていた。
「あっきーの気持ち聞かせてほしい」
「実はね」
「さっきの終が言ってたの、聞いてたんだ」
「葵ちゃん・・・」
「でもね」
「何となくわかってた」
「終はあっきーのためならいろんなことをしていた」
「それは、私がもうすぐ死ぬから・・・」
「違うよ」
「私は違うと思うよ」
「きっと終の中にあっき―に対する特別な思いみたいなのがあって」
「それが終を突き動かしてたんだと思う」
「私さ」
「終のそういう誰かのために一生懸命になる姿に惚れたの」
「その誰かはあっきーだったけれどね」
「終は不器用だし」
「生きるのが下手だし」
「まっすぐ過ぎて頑なだけど」
「それは全部」
「あっきーに対する気持ちだっただと思う」
「だからさ」
「あっきーの気持ち」
「教えてほしいな」
「・・・」
あっきー。
そんな顔しないでよ。
私はあっきーにそんな顔してもらうためにここに来たんじゃないよ?
私はあっきーに。
あの笑顔をしてもらいたくてここに来たんだ。
本当は私の気持ちなんて話すべきじゃないのかもしれない。
そうすればあっきーは何も気にしないで終と結ばれたんだと思う。
でも。
それは、正しさだから。
私たちが正しさで誰かを好きになっちゃ。
私の好きな人を裏切ることになっちゃうから。
だから―
「葵ちゃん」
あっきーの力強い目が私を見つめる。
「私の小説、読んで欲しいの」
「まだ書きかけだけれど―」
「・・・」
終は私の小説を最後まで読んだ。
「・・・ありがとう」
「感想は聞きたくない」
「終が読んでくれたってだけで」
「このお話は報われるから」
「・・・」
・・・やっぱり。
私の小説じゃ、終は―
「よし!じゃあ、次の良い話」
「・・・聞きたくねーよ」
「終のお父さんの話」
「え・・・?」
私はこの話題なら終を救えるかもと思った。
「終のお父さんは」
「終のことを自慢の息子だって言ってた」
「『何もやってやれなかったけれど』」
「『終は自分で自分の道を探ろうとした』」
「『いつか』」
「『ちゃんと伝えたいと思っている』」
「そう言っていたよ」
「そんな・・・」
「『正しさは正しかったとしても正解ではない』」
「この本を終は読んでもらったんだよ?」
「お父さんに」
「父さんが?」
「終」
「終の周りには」
「終のことを愛している人が沢山いるんだよ?」
「終君が手を伸ばし続けていることを」
「咎めている人なんてどこにもいないんだ」
「これから私たちが大人になって」
「終は手を伸ばすのが苦痛に感じるかもしれない」
「でも」
「でもね」
「そんな時、終の周りには」
「終に手を差し伸べてくれる人が沢山いるんだ」
「その時になったらきっと助けてくれる」
「私で力になれるのだったら」
「私が助ける」
「だからね終」
「君は君の信じた空を追い求めていいんだよ?」
終視点
葵の声が俺の心の黒を洗い流していく。
そして透き通った蒼色になっていく。
そう。
まるで、自由な空のように。
ああ。
俺は。
俺はこんなにも愛に塗れていたのか。
そして、俺は。
誰かに希望を与えていたのか。
正しさは正しかったとしても正解ではない。
そうだ。
俺が信じる正解は。
空よりも広く―
空よりも蒼いんだ。
「・・・もう大丈夫?」
「ああ・・・」
「ごめん葵」
「迷惑かけた」
「違うよ」
「私は私がしたいことをしただけ」
「・・・」
「最後にこれ・・・」
「三つ目の『良いこと』」
「あっきーの小説だよ」
俺は葵が差し出した紙の束を受け取る。
秋。
お前はどんな世界を書いたんだ―?
私は手を繋いだままの男の子を見る。
花火を見上げる顔がいろんな色に染まる。
「ありがとう」
私の声は花火の音にかき消される。
だけれど、どうしてもこの気持ちを伝えたくて。
私はちょっとだけ繋いだ手をギュッとした。
と、その時。
「え?」
不自然に黒い何かが夜空の花に向かって飛んでいく。
握った手とは反対の手で彼が何か投げたのだと気付いた。
さっきよりも大きな声で話しかける。
「何投げたの?」
「紙飛行機」
「なんで?」
「俺の思想を空に投げたの」
「なんで?」
「かっこいいから」
「・・・?」
「よし!これでミッション達成!帰るか!」
「え!?最後まで見ていかないの!?」
「早く戻らないと病院に入れなくなっちゃうよ」
「そ、それは・・・」
「大丈夫だよ」
「え?」
「きっと大丈夫だ」
「君の人生はちゃんと面白くなるよ」
「だってあんなに綺麗な顔で花火を見てたんだもん」
彼は笑顔で恥ずかしげもなくそう言った。
「な!?」
「意外とピュアなんだな!ほっぺ赤いよ」
「は、花火のせいだから!」
「ほら!もう行こう!」
私は彼の手をほどいて歩き出す。
体が火照っているのか、手を離してもなかなか熱が逃げなかった。
「待ってよ」
私は彼よりも少し先にいた。
変わったのかな。私の人生。
ちゃんと面白くなったかな。
「ねえ」
私は振り返って彼を見つめる。
伝わらないでほしいからわざと小声で言う。
「もしも」
「もしも、私の人生が面白いものになったとき」
「君はまたこの花火を一緒に見てくれる?」
叶わないはずの願いを呟く。
なんとなく彼ならやってのけてしまいそうだったから。
私はまた君と手を繋ぐ。
そして来た道を戻る。
花火の音がまだ聞こえる。
初めての花火だったから最後まで見れないのは本当に心残りだけど。
大丈夫だって。
君が言ったから。
さあ、戻ろうか。
今までと同じようで。
全く違う。
私の世界へ―
「これって・・・」
モノクロだった景色が色付いていく。
そして、あの時の音や匂い、温度が脳裏に蘇る。
そうだったのか・・・。
あの時の。
一緒に冒険をした君は―
「秋だった、のか・・・」
「私もびっくりしちゃった」
「まさかあっきーと終が十年前に出会っていたなんて」
「終もこれ読んでちゃんと思い出した?」
「ああ」
「そっか」
「あっきーは言っていたよ」
「私はあの時の終みたいに笑いたくて」
「いろんな本を読むようになったって」
「終のお父さんが終に教えたこと」
「それを終はあっきーに伝えたんだよ」
「きっと凛先生もその笑顔にもう染まっている」
「終」
「連れて行ってあげなよ」
「あっきーはずっと終を待っているよ?」
「終がまた冒険に連れ出してくれるのを」
「私は蒼い空だから」
「二人の冒険を」
「ちゃんと見守っておくよ」
「葵・・・」
葵視点
もー!
終までそんな顔して。
やめてよ。
そっちのほうが何十倍も辛いよ。
本当はさっき。
この小説を渡さないで帰ろうとも思った。
でも。
私は決めたから。
この物語のヒロインはあっきーだから。
「ほら!早く!」
「うわああ」
私は終の背中を無理やり押す。
そして家から追い出す。
「葵」
「ありがとう」
「っふふ」
「あはははははははは」
いつぶりだろう。
こんなに悲しく笑ったのは。
終。
私は君が好きだ。
だから。
君は君のままでいてほしい。
正解を追い求める。
私の好きな終のままで。
終視点
「はあ、はあ、はあ」
俺は病院に向かった。
空は蒼さに満ちていて透き通っていた。
その蒼の下、自転車を漕ぐ。
「はあ、はあ、はあ」
秋。
秋に会いたかった。
俺は秋に言ったんだ。
秋の神様になるって。
俺は秋と一緒に。
バッドエンドでもなんでも迎えるって。
まずは謝ろう。
約束を破ろうとしたこと。
秋は許してくれるだろうか?
許してくれなさそうだな。
そしたら、また約束をしよう。
俺が秋の望みを一つ叶えてあげよう。
そして。
秋に許してもらえたら。
ちゃんと伝えるんだ。
俺の気持ち。
俺が秋に対して感じているこの気持ち。
秋・・・。
秋。
秋!
頭の中に色々な姿の秋が映る。
そして全てが綺麗に折られていく。
紙飛行機になったそれらが。
空を飛んでいる錯覚に陥る。
秋。
俺は―
君のことが。
「秋?」
俺はおそるおそる秋の病室のドアを開ける。
しかし。
「あれ・・・?」
ベッドは綺麗に片づけられている。
秋がいた痕跡すらなかった。
「あ・・・」
「ヤンキー君・・・」
振り向くと新田さんがいた。
「新田さん」
「秋はどこですか?」
「・・・」
「秋ちゃんはね」
「今朝亡くなったの」
12月一日
凛視点
私はとある場所に向かった。
懐かしい道を通った。
何度も二人で通った道。
二十年くらい前の記憶なのに。
記憶と同調して色に染まっていく。
そして。
「・・・」
私はゆっくりと。
その古びたドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
「・・・お久しぶりです」
「ええ・・・」
久しぶりに見る同級生の顔には当時なかった皺が増えていた。
その分私も白髪が増えた。
「・・・」
「懐かしいですね」
「だいぶ前ですが西高の文芸部を名乗る子がここに来て小説を書いていましたよ」
「私たちもそんなことをしていたなと」
「思い出していたんですよ」
「・・・」
「西高の文芸部には秋が在籍していたの」
「秋は昔からの夢を叶えられたの」
「・・・」
「・・・今日、ここに来たってことは・・・」
「ええ・・・」
「秋は・・・」
涙が溢れてきそうになる。
それでも泣くわけにはいかなかった。
私は秋から託された言葉をあの人に伝えなくてはならないのだ。
「・・・」
私は奥の席に目をやる。
生気を失った目でキーボードを叩く男を見つける。
「・・・秋が亡くなったわ」
私はその人の前に立ってそう言った。
その男は手を止めた。
「・・・そうか」
それだけを言って物書きの男はまた手を動かした。
カタカタという無機質な音が響く。
「秋は言っていたわ」
「最後にお父さんにも会いたかったって」
「秋からの伝言だけ言って帰るわ」
「私をこの世に立たせてくれてありがとう」
「私、とても幸せだった」
「私は死ぬまで幸せだった」
「この幸せはお父さんのおかげ」
「ありがとう」
「お父さん」
私は喫茶店を後にする。
空を見上げると。
そこには蒼い空が広がっていた。
ああ。
秋はきっと空に昇って行ったんだ。
そして、この蒼の一部になったのかな。
そっか。
もう、いい秋?
私の目から透明な涙が零れる。
秋。
私、ちゃんと伝えたよ。
あなたからの伝言。
だから。
もう、いいよね?
涙が加速していく。
秋が残していったものが。
零れてしまう気がして、今まで涙を流さないようにしていた。
出来なかった時も沢山あったけれど。
それでも、私の涙はもう透明だ。
秋が昇った蒼色がもう涙には残っていないから。
私は泣いた。
透明で。
ただ、愛しい秋を思うだけの涙で。
この気持ちには。
無限大の空よりも広く大きいから。
新田視点
「・・・」
私は真っ白なベッドを見つめる。
昨日まで命があったはずのベッドを。
私は出来が悪かったから、研修が長引いてしまい、夏明けくらいから初めて患者さんの担当をした。
私の初めての担当の子。
私と同じくらいの年齢の女の子。
小さいころからずっと入院しているらしい。
・・・どんな子なんだろう?
ちょっと緊張しながら私は病室に入った。
「あ、新しく八月一日さんの担当になりました、新田遥です!」
「よろしくお願いします」
緊張が丸見えの挨拶にその子は笑った。
「よろしくね!新田さん」
彼女はとても綺麗に笑う子だった。
正直驚いた。
学校にも行けず、この狭い病室にずっといる人がこんなに綺麗に笑うことに。
「八月一日さんじゃ堅いから下の名前で呼んでよ」
きっと私の緊張をほぐすためだったと思う。
彼女は私にフランクに接してくれた。
私は彼女のおかげで、肩の力が抜けた。
彼女は本を読むのが好きだった。
友達と一緒に文芸部をやっているみたいだった。
一人は女の子。
ショートカットで元気いっぱいの女の子。
一人は男の子。
金髪のヤンキー君。
なんかバランスがぐちゃぐちゃな感じがしていたけれど。
彼女はここで三人で話している時、あの笑顔で笑っていた。
その笑顔を見る度に私は誓った。
(私がこの子の未来を作るんだ。)
彼女が何の憂いも無く笑って生きて行けるように。
三人でいつまでも笑っていられるように。
そう誓った。
「なのに」
私は彼女を死なせてしまった。
彼女の未来を奪ってしまった。
「秋ちゃん」
「ごめん」
「ごめんね」
泣きたくない。
泣きたくない。
泣いちゃだめだ。
泣いちゃだめだ。
そう思っているはずなのに。
涙がとめどなく溢れてくる。
「・・・ここに居たんですね」
「え・・・?」
振り返ると五月七日先生がいた。
「先生・・・」
「・・・」
先生はその部屋をゆっくりと歩いた。
「八月一日さんは」
「幼いころ、何の希望も持っていないような目をしていた」
「全てを受け入れた目」
「私は悲しくなったよ」
「まだ十年も生きていない少女が」
「していい目じゃかった」
「子供っていうのは」
「自由でいなくちゃいけないんだ」
「目を輝かせて世界を眺める」
「それが子供の価値なんだ」
「大人はそうふうに子供たちが過ごせる世界を作らなくちゃならない」
「私は小児科医としてそれを心掛けた」
「子供たちが背負う必要のない過酷な運命を」
「取り除こうって」
「でも、八月一日さんにそれは出来なかった」
「そんなことないです」
「先生はずっと秋ちゃんのことを見てきたじゃないですか」
「それに・・・」
「私こそ何もできませんでした」
「・・・」
「八月一日さんをそんな絶望だらけの世界から救ったのは」
「終だった」
「・・・」
「はい」
「息子の自慢話ではない」
「大体私は終の父親を語れるほどできた人間じゃない」
「終は彼女を冒険に連れ出したことがあった」
「その冒険が彼女を救ったんだ」
「私は終のことを叱った」
「だけれど、私はそれをひどく後悔した」
「あの冒険の日から彼女は終みたいに笑うようになった」
「ああ、私は正しさを選んでしまったんだ」
「そう思ったよ」
「『正しさは正しかったとしても正解ではない」
「『花束ほどの幸せを』という小説のフレーズだ」
「終は八月一日さんと話して」
「ちゃんと正解を選べたんだ」
「彼は本当に素晴らしいい子供だ」
「終は自慢の息子だよ」
先生はとても悲しそうな顔でそう言った。
「・・・」
「・・・結局」
「結局、息子自慢じゃないですか」
先生は少しぽかんとした。
そのすぐあと。
「そうだな・・・」
先生は笑った。
窓から見える蒼い空を見つめていた。
葵視点
あっきーが死んだ。
私の友達が死んだ。
私の大切な人が死んだ。
私の好きな人の好きな人が死んだ。
それなのに。
世界は何も変わらなかった。
あっきーはあんなにこの世界を求めていたのに。
世界はちっとも変わらなかった。
同じ速さで回って。
同じ時間を刻んだ。
あっきーと過ごしたのは私の人生でもかなり短い期間。
それなのにあっきーの顔が私の脳裏から離れなかった。
思い出。
そう言う名前を付けよう。
空き教室で補習を受けていた顔。
屋上で終と話していた顔。
誕生日をお祝いされた顔。
大好きな四ツ谷サイダーを飲んでいる顔。
文集のためにお話を書いている顔。
好きな人を思っている顔。
紙飛行機を飛ばした顔。
どうしてだろう。
あっきーの顔はすごく笑っているのに。
私は涙を流した。
理由は簡単だ。
もう、この笑顔を見ることはできないからだ。
思い出は風化していってしまう。
記憶は一秒一秒積み重なっていく。
下の方の記憶は掠れていってしまう。
嫌だな。
あっきーのこの顔を忘れたくないな。
私は空を見上げる。
透き通るほどの蒼い空だった。
私はこんな空みたいになれただろうか?
あっきーの世界の空になれただろうか?
私は涙を流す。
雨は空が泣いているみたいだという。
じゃあ、きっとこの涙は雨だ。
どうしてだろう。
本当の雨は早く止んで欲しいのに。
この雨は一生止んで欲しくなかった。
この雨が止んでしまったら。
あっきーが本当にいなくなっちゃう気がした。
だから私は秋が残したものを空に飛ばした。
あっきーが残した小説を。
ここにはあっきーと。
あっきーが愛した少年のお話が詰まっている。
私はそれを紙飛行機にして空に投げ続けた。
十。
二十。
三十。
数はどんどん増えた。
その間私の涙は流れ続けた。
だけれど。
「あ・・・」
最後の一枚だった。
これを投げたら―
そんなことを考えて私は投げるのを辞めた。
その一枚だけは。
紙飛行機にして自分のポケットにしまった。
そうだ。
冒険に行こう。
あっきーを探しに行こう。
あの日。
あっきーを救った少年を誘って。
終視点
「・・・」
俺は蒼い空を眺めた。
あの日。
秋と出会ったこの場所で。
ここに居たらあの日みたいに。
秋がドアから出てきて。
俺を呼んでくれる気がして。
秋。
俺はお前の神様になれたのかな?
その答え合わせはもうできない。
そんな行き場のない自問自答を繰り返していた時だった。
「・・・え?」
雲よりも白く。
空よりも遥かに小さいそれは。
高く、高くまで昇った。
自由な空を昇っていく。
が―
真っ逆さまに落ちてくる。
俺にだんだん近づいてくる。
それを掴んだ。
「終」
声がする方を見る。
「終」
葵があの日の秋のように話しかけてくる。
「冒険に行こう、終」
「・・・」
「ああ」
葵と二人で海岸沿いを歩く。
二人の影が長く伸びている。
海に半分顔を隠した太陽がやけに大きく、眩しかった。
「・・・」
「・・・」
俺たちは無言でただ歩いた。
何も言葉を交わさずただ歩いた。
あの場所を目指して。
「・・・」
十年前と同じくらいの時間だ。
季節は秋を過ぎて冬だけれど。
花火は上がっていない。
「あっきーと終は」
「この景色を見たんだね」
「・・・ああ」
「そっか」
「私」
「あっきーと一緒に見たかったな」
俺は目の前を見つめたままその言葉を聞いた。
「・・・」
ふと、何か小さなものが飛んでいった。
「葵?」
「これはあっきーに届くかな」
「・・・届くといいな」
葵が飛ばした紙飛行機は月に向かって飛んでいった。
それはきっと。
どこまでも飛んでいったのだろう。
「・・・そろそろ行こう」
「うん・・・」
俺たちはその月を後にした。
「せっかくだし、神社にお参りしていこうか」
葵が無理に笑ってそんなことを言った。
「そうだな」
俺と葵はちょっとずれたタイミングで五円玉を投げた。
そして二人で手を合わせる。
最後に一礼した。
「終は何お願いした?って聞こうと思ったけど辞めた」
「なんで?」
「私も終もきっと同じことだと思ったから」
「・・・」
「なんで無言になるの!」
「不安になっちゃうじゃん!」
「・・・」
「ごめん」
「もー!終ったら」
葵は駆けだした。
「絵馬も書いていこうか」
「よいしょっと」
葵と俺は絵馬を書いて結ぶ場所を探していた。
この神社は管理がずさんなのか、かなり前の絵馬も結ばれたままだった。
「そっち、スペースある?」
「ないな」
「そっか・・・」
色々な絵馬が目に入った。
「合格祈願!」
「〇〇君と結ばれますように」
「元気な子が生まれてきますように」
年代も。
性別も。
時間も。
全てがまちまちの願いがここに結ばれていた。
その時だった。
「そっち見つかった?」
葵が駆けてきた。
「終?」
9/18
秋視点
「・・・」
終君は私の小説を読んでくれたのかな?
私は窓外の空を眺める。
蒼い空が今日も広がっていた。
この空の蒼さを教えてくれた私の神様は。
今どこで何をしているんだろう?
それとも。
私の思いは届かなかったのだろうか?
その時だった。
「秋ちゃん」
「新田さん」
新田さんが入ってきた。
「お薬の時間だよ」
「はーい」
新田さんが私の点滴の液を交換する。
「いつもありがとうございます」
「いーえ」
「どうしたの?」
「新田さんにはいつもお世話になってるなって思って」
「感謝しないとって」
「気にしすぎだよ」
「・・・」
「でも、患者さんに感謝されるのは嬉しいな」
新田さんは微笑んだ。
「これヤンキー君から」
「え?」
私は目を疑う。
昨日、私が廊下に飛ばした紙飛行機だった。
私はその紙飛行機をほどく。
「君の願いはこのかばんがきっと叶えてくれるさ」
「鞄?」
「そうだよ」
「この鞄は望んだものはなんでも手に入る魔法の鞄さ」
「もう、わしが居なくてもこれで君は幸せになれるんだ」
「そっか」
「私、これからこの鞄で幸せになるね」
「そうだ」
「わしがいなくなっても、それで十分なんだ」
「きっとその鞄で手に入るものは偽物だろう」
「それでも本物に手を伸ばし続ける苦しみに比べたら幸せに違いない」
「わしはもともと君の幸せを願っていたんだ」
「・・・そろそろ時間だね」
光の粒が神様の周りに群がって行きます。
そして神様は消えていきました。
赤色の魔法の鞄を残して。
「神様、ありがとう」
「神様の嘘つき」
少女の声は神様に届いていました。
神様は少女に聞こえない声で言いました。
(大丈夫だ)
(大丈夫だよ)
(君の人生は)
(ちゃんと変わったから)
(きっと大丈夫だ)
(君の人生はちゃんと面白くなるよ)
終君。
やっぱり君は私の神様だ。
ありがとう。
「新田さん」
「秋ちゃん?どうしたの?」
「お願いがあるの」
「何?」
「私、冒険に行きたいの」
「秋?どうしたの?」
「お母さん」
「ごめんね急に呼び出して」
「大丈夫よ」
「それより冒険って?」
「うん」
私は最後の冒険の相手にお母さんを選んだ。
そしたらいつも通り黒いスーツで来てくれた。
「お母さんなんでいつもそのスーツ着てるの?」
「だって私は一応教師だから」
「スーツが制服でしょ?」
私は薬の副作用で体力が落ちた。
今では車いすがないと出歩けなくなった。
お母さんに車いすを押されて私は海岸沿いを過ぎる。
あの十年前の冒険みたいに潮風が私に吹く。
今は秋だから、風で身震いする。
「寒くない?」
「それだよ!」
「!?」
「お母さん夏でもスーツじゃん」
「暑くないの?」
「まだその話続いていたのね」
「・・・そうね」
お母さんを見上げると遠い海を見つめていた。
「これは私の誓いみたいなものなの」
「秋のお父さんの話」
「したことあったわよね?」
「うん」
確か、お父さんは小説家を目指していて私の病気が発覚して家を出て行っちゃったんだっけ。
「秋のことを守れるのは私しかいないから」
「私はいつでも秋のために働こうって」
「その気持ちを込めていつもスーツを着ているのよ」
「そっか」
そんな意味があったんだ。
「ありがとうお母さん」
「いいのよ」
「前にも言ったでしょう?」
「私は秋が笑っていてくれればそれでいいって」
「うん」
私たちの影が二つ伸びている。
「ねえ」
「ん?」
「これから私が言うことは」
「お母さんをひどく傷つけてしまうかもしれない」
「でも、聞いてくれる?」
「・・・」
お母さんは立ち止まった。
そして車いすも止まる。
「当たり前じゃない」
お母さんは私を抱きしめて言った。
やっぱりあったかかった。
「私、お父さんに感謝しているの」
「私が生まれたのはお母さんとお父さんのおかげだから」
「だからね」
「お父さんにこの感謝の気持ちを伝えたいの」
私はお母さんの顔を見ることが出来なかった。
「・・・」
長い沈黙だった。
波の音だけが聞こえてきた。
「秋」
「やっぱり秋は自慢の娘よ」
「愛しているわ」
そう言ってお母さんは力強く抱きしめる。
「く、苦しいよ・・・」
それでもお母さんは私を抱きしめ続けた。
苦しいはずなのにとっても嬉しかった。
「私って色々な人のおかげで今日まで生きてきたんだなって」
「そう思うんだ」
再びお母さんが歩み始めた。
沈みかけの太陽が眩しかった。
「五月七日先生と新田さん」
「私の病気を診てくれた」
「私の看病を沢山してくれた」
「それがきっと今を作り出している」
「きっと二人が居なかったら私もうここにいないかもしれない」
「・・・」
「そう言う縁起でもないこと言わないの」
「あははは・・・」
「そうだね」
夕暮れの空気が私たちを包む。
「次は葵ちゃん」
「彼女は本当に優しい子だった」
「自分のことを投げ出しても私のことを考えてくれた」
「ごめんねって言いたいけれど」
「それを言っちゃったら葵ちゃんに失礼な気がするんだ」
「だから私はありがとうって言ったんだ」
「でも、やっぱりこの世の中で一番感謝しているのはお母さんだよ?」
気が付くと境内についていた。
もう少し進むと終君と花火を見た場所に出る。
「そうなの?」
「五月七日さんじゃないの?」
「終君には感謝もしているけれど」
「違う感情もあったから」
「・・・そっか」
「私、お母さんみたいな大人になりたいな」
「私、そんな誰かに憧れられるような人じゃないよ」
「ううん」
「もしもお母さんがお母さんを嫌いでも」
「私はお母さんが好きだし」
「尊敬しているよ」
「・・・」
「ありがとう秋」
お母さんがそう言った時だった。
「あ・・・」
お母さんが足を止めた。
そこに広がる景色が私たち二人を魅了する。
「綺麗・・・」
「綺麗だね・・・」
紫色から赤を通って黄色に収束する空。
それをちかちかと映す水面。
紫色のグラデーションの海。
そして。
海に浮かぶ鳥居。
その間にすっぽりと収まった太陽。
綺麗だった。
「ねえ、お母さん」
「何?秋」
「来年はみんなで見ようね」
「え?」
「終君と葵ちゃん」
「それから新田さん」
「みんなみんな呼んで」
「この夕日を見るの?」
「大冒険だね!」
「新田さんは見るからに体力なさそうだから」
「ここに来るまでにばてちゃうかな?」
「葵ちゃんはその点大丈夫そうだね」
「終君は・・・どうだろう」
「まあでも、そうやってみんなでワイワイやって」
「ここに来るの」
「来年は私と葵ちゃんは二十歳だから」
「お酒を飲むの」
「なれないお酒で酔っぱらって」
「それでみんな笑って」
「終君はまだ未成年だじゃら四ツ谷サイダーで我慢だよって言ったら」
「終君が怒っちゃって」
「俺も飲む!とか言い出して」
「そしたらお母さんが止めるんだよ?」
「お母さん?」
私が振り向くとお母さんは俯いていた。
「・・・お母さん」
「俯いていたら夕日が見れないじゃん?」
「ほら、すっごく綺麗だよ?」
「ええ」
「すっごく綺麗ね・・・」
「ちゃんと見てる?」
「それとも来年のために取っておいてるの?」
「来年はもっとしたいことあるんだ」
「花火大会でしょ」
「あときっと来年も高校生だから文化祭!」
「あとはあとは」
「秋・・・」
「何?お母さん」
「全部」
「全部叶うわ」
「絶対、全部叶うわ、秋・・・」
「・・・」
「そうだよ!」
「楽しみだな」
「すっごく楽しみだな・・・」
私はポケットから紙飛行機を取り出す。
神様。
私を。
そんな未来に連れて行ってくれますか?
もしも、私が。
このバッドエンドを乗り越えられるのなら。
一つだけわがまま聞いてください。
「それっ!」
私は紙飛行機を夕日に向かって飛ばす。
黒くて小さなそれは。
まっすぐ。
まっすぐに。
飛んで行った。
「・・・戻ろっか」
「ええ」
お母さんの涙は夕日ではっきり見えた。
逆光で見えないといいな。
私の涙は。
終視点
「そっち見つかった?」
葵が駆けてきた。
「終?」
俺は見つけてしまった。
他のどれよりも。
一番叶って欲しかったもの。
いや。
ここに書かれていることは全部。
その人にとって。
心からの願いだったのだろうか?
それでも―
「秋・・・」
「秋!」
「終!?」
それでも俺は。
その絵馬から目を離せなかった。
俺は。
秋の神様になんてなれなかった。
だって。
秋の最後の願いを叶えられなかったんだから。
どんなに俺が手を伸ばしても。
どんなに空が蒼くても。
どんなに俺が願っても。
どんなに秋が思っても。
運命というものは揺るがなかった。
八月一日秋の未来は。
秋が今ここにいることは。
―無かった。
「秋!秋!」
伝えたかったこと。
聞きたかった言葉。
一つも届けることも受け取ることも出来なかった。
秋。
俺は秋が大好きだった。
愛していた。
ああ―
運命はこんなに残酷で。
秋のバッドエンドはこんなにも酷いものなのか。
秋。
ごめん。
君と一緒に―
バッドエンドを迎えられなくて。
「終君とずっと一緒に居たい」
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