煙草一本

@kanataeveryday

全一話

「またなー!またサッカーしようぜ!」


 卒業式に、そう最後に言葉を交わした友人は、もう2年以上会っていない。高校の頃、毎日のように笑い合い、一生続くと思っていた友達だ。決して、仲が悪くなったわけじゃないはずだ。今でも、来月飲みでも行こう、そうLINEを送れば再開し、昔話にも花が咲くはずだ。だけど、そうじゃない。過去を振り返りたいんじゃなくて、高校の時みたいにその一瞬のことに肩を叩きあっていた、あの時間が恋しいだけなんだ。制服を着ていた頃は当たり前に思っていた黒髪はもう写真フォルダの奥底に彷徨い、どうしようもないほど好きだった隣の席の子の誕生日は忘れてしまった。


 俺は、先月大学3年生になった。大三にもなれば、子供と大人の境界線を踏み越え始めた時だろう。若者とは言われど、小学生だった時を思えば「お疲れお疲れ」と言いながらビールで乾杯する奴らは、決して子供ではない。今日も俺は、一年生の時に入ったフットサルサークルの飲み会で、浴びるように酒を飲んでいた。このサークルは大学内でも飲み会が激しい事が有名で、大学ではスポーツに打ち込まずに適当に遊んで過ごそうと心に決めていた俺は、新歓もろくにいかず誘いのままにこのサークルに入っていた。サークルの最高学年として、同期と馬鹿みたいに笑いながら後輩に絡みに行く。ふと我に帰った瞬間に、理想の大学生活を送っていると思う。俯瞰的に見てしまう、その事に目を瞑りさえすれば。

 「ばいばい!気をつけて帰れよ!」そう終電帰りの仲間たちを見送った後に、俺は帰路を辿る。福岡の高校から東京に来て、今は大学の近くで一人暮らしをしている。大学の最寄駅で飲み会をする事が多い為、大体帰り道は一人で歩く事が多い。しかし、今日は違った。

「家まで歩くの、なんだかんだでめんどくさいですよね」

と、隣の凛が聞いてくる。彼女はサークルに入ってきた一年生で、俺と同じように上京してきて一人暮らしをしているらしい。今日が初めて一緒に飲む日だったので知らなかったが、どうやら話を聞くと俺の家の近くらしく一緒に帰ることになった。

「そうなんよな、いつも俺音楽聴いて帰ってる。」

そう会話を続けながらも、俺は心ここに在らずだった。飲み会後にそこまで仲良くない後輩と会話を続ける元気もなければ、後輩女子と一緒に帰れるからとテンションを上げれる時期も通り過ぎてしまった。正直、家のベッドでショート動画でも見ながら眠気を待ちたい気分である。だが流石に先輩としての責任感もあり、話を続けないわけにもいかない。

好きなアーティストの話、サークルのメンバーの話などをしながら気づけば、俺と彼女の帰路の分岐点になった。

「じゃあ俺、こっちだから。また練習でな」

と、別れを告げようとして返事を待つと、急に凛が黙り込む。何か話したい事があるのだろうか。

「先輩、ちょっとそこの公園で一本吸っていきません?」

と、ベンチにブランコしかない小さい公園を指しながら凛が言う。

「良いけど、凛って煙草吸うんだっけ?」

「たまにですけど、夜寝れない時とかは結構一人で吸ってたりします。あ、サークルの人たちには言わないでくださいね」

少し、驚いた。俺の中で凛は、大人しめではないにせよ煙草を吸うキャラではなかった。どちらかと言えば健康を気にして、家でも自炊をしてるのではないか、聞いたことはないがそんなイメージを彼女に抱いていたからだ。どうも20を前にして煙草を自分で買ってるような子、というのは俺の中で少しやんちゃなイメージがあって、凛とは全然違ったからだ。まあ、俺の勝手な偏見ではあるのだが。

「私去年1年間浪人してたんですよ。その時、追い詰めちゃった時とかに煙草に逃げてて。」

と、俺が驚いている事を見越してか補足してくる。浪人していた、というのには妙に納得した。なんだか他の一年生と比べれば妙に大人びているとは思っていて、なんだか違った空気感を感じていたところはあった。たかが一年間の違いとは言えど、高校を卒業してから1年間大学に入るまでの期間があるというのは、思想や価値観に変化を十分もたらすものであろう。また俺と凛が通っている大学は私立大学ではあるが、世間的に見れば名門と呼ばれる大学ではある為浪人を経験した学生も多い。東大などの大学に落ちてしまった人なども多く、推薦だった俺は最初周りについていけるか不安を覚えていた事もある。

「浪人かぁ。やっぱり結構大変だった?」

「んー、周りは結構楽しんでる子も多かったんですけど、私はきつかったですね。どこまで気を緩めていいのか、そのバランスを取るのが苦手で。」

「あぁ、確かに」

経験していない身としては分からないが、ただ受験勉強のためだけに与えられた一年というのは、俺が想像するよりもずっと長いものなのだろう。煙を吐きながら話す彼女は、さっきまで飲み会で周りのコールに手を叩きながら笑ってた、5分前まで俺が知っていた凛とは違うように見えた。

「今日の飲み会どうだった?結構飲んでたけど」

「あー、楽しかったですよ。大学生だなぁって思いました。」

「そうだよなぁ。3年も経っちゃうと、もうなんかいつものみたいになっちゃうけど」

「そうなんですね〜。そらさんめっちゃ楽しそうでしたけどね。」

そらさん、と言うのが俺の名前で、曾良海斗というのが俺の本名である。大体友達は海斗と下の名前で呼ぶが、後輩からは苗字でそらさんと呼ばれる事が多い。

「どうですか?大学生。やっぱり楽しいですよね。」

と、興味ありげに凛が聞いてくる。

「んーそうだなぁ。楽しいのは間違いないよ。キツい部活もないし、お金だって稼げるし。何やっても怒られることもないしな。」

「やっぱりそうなんですね。大学は人生の夏休みだって言いますもんね。」

と、納得した様子を見せながら頷く凛を見て、俺は自分の中で違和感を感じていた。

「いや、まあそうだな。夏休みだな。」

夏休み。小学生の頃は死ぬほど大好きで、人生において神様からのご褒美だと思っていた。中高も間違いなくテンションが上がる言葉だった。だが、過去への哀愁だろうか。輝かしい思い出として残っているのは、かったるいと思いながらも毎日通った授業や放課後での、ほんの一瞬だったりする。これもまた、嫌な大人へのなり方なのだろうか。

「凛はなんでこのサークル入ったの?あんま良い噂ないサークルな気もするけど」

「良い噂ないって、それ先輩が言っちゃうんですね」

と、凛が笑いながら言う。

良い噂がない、というのは真実だ。得てして飲みが激しいサークルというのは大学の中で、ある程度有名になったりする。事件こそ起こしてはないが、いわゆる遊んでいる奴が多かったり、合宿などで潰れる人が多かったりなど少し怖がられる風潮があるからだ。俺はそんな事を知らずにこのサークルに入り、入ってからもそこまで悪いイメージを持っていない。だが、中からの様子と外からの見え方ではやはり差はあるだろう。

「私、ほんとは20歳になるまでお酒飲まないようにしようって思ってたんですよ。ザ、大学生みたいなノリに昔から抵抗があって。なんか飲み会続きの生活が浅いものに見えちゃってたんですよね。まあ、煙草とかには手を出してるんで、周りから見たら一緒なんでしょうけど」

そうなのか、と相槌を打つ。大学生らしい、という生活に対する世間一般の考えは日々を退廃的に過ごし、お酒ありきな生活が強いだろう。その風潮に対するマイナスなイメージも、理解出来る。

「そんな考えだったんですけど、大学入る直前にちょっと変わっちゃって。

私、本当は東大に行きたかったんですよ。両親もお姉ちゃんも東大に行ってて。なんでまあ、行かないとなっていう空気感もあって。落ちちゃったんですけどね。それでどうでも良くなったっていったらあれですけど、どうせなら大学生らしいことを振り切ってやろうかなって。今までの価値観とか生き方に自信を無くしちゃったんですよ。志望校にも届かないし、世間的に楽しいってなってるのはやっぱり騒いでる事だったりするんで。」

凛に感じていた違和感に、自分なりに答えを感じた気がした。彼女は非常に、俯瞰的に見ているのだ。彼女は自分のこれまでの生き方にも、周りの人間にも流されることのなく、自分の感情に従って舵を切っている。それは弱さを受け入れることでもあり、だからこそとても強かな事に見えた。

「じゃあ、もし東大に行ってたらどんな感じになってたと思う?」

「嫌なこと聞きますね。昔と変わらないですよ、多分。お酒のストーリーとかを見て嫌な顔をして、自分はもっと価値のあることをしてる、そう思い続けてたでしょうね。」


そんな生き方に今の私は憧れちゃいますけど。凛は、最後にそう付け足した。


主義信条というのは、全く皮肉なものだ。同じものを持ち続けて生き抜けるほど世の中は単純なものではないが、生き様を場面に合わせてころころと変えてしまえば浅い人間になってしまう。その塩梅を取ることが、大人になっていくことなのだろうか。


「どうなんだ?実際、今まで軽蔑してた暮らしをしてみて」

棘がある言い方になってしまったことを後悔しながらも、興味があったことを尋ねてみた。俺自身は大学生らしい暮らしというものに抵抗はなく、なんなら部活続きの高校生活から華の大学生活への憧れはあった為、凛のような人間がどのように感じるのかに興味があった。


「先輩から見て、どう見えました?」

「楽しそうに見えたよ。少なくとも、あの場にいる時は。」

「それなら、そうなんだと思います。楽しかったですよ。」

だけど、と凛が続ける。

「もし高校の時の私が大学生の私があのノリを楽しんでいたという事を知ったら、前に進めなくなるんでしょうね。」


そうだろう。自分の価値観、信じた生き方に未来の自分が乗っていないという事ほど目を背けたくなることはない。例え人から見て小さなことだとしても、その人の本質に揺らぎが生まれてしまう事になるからだ。

「これから、どうするんだ?サークルもそうだけど、大学生活。」

「このままいきますよ。他にも色々サークル入ってみて、いろんな人たちと飲んでみます。彼氏作ってもいいし遊び歩いてもいいです。私は、私が信じた生き方に負けたので、負け犬らしく楽しみます。結局その方が楽しめたって胸を張って言える大学生活にするのが精一杯の矜持なんですよ。」

そう言って、凛は煙草の火を消した。

立ち上がり、そろそろ帰りましょうか、と声をかけられる。


「凛」

なんですか?という声を聞きながら、言葉を選び続ける。俺とは全然違う生き方、環境の凛に言える言葉はさして多くない。真に共有出来るのは上部だけの感情であるし、俺からの台詞は浅い言葉にならざるを得ないだろう。しかし、俺は俺なりの言葉にこだわり続けなければいけない。これは、自分のことを話してくれた凛への礼儀だ。


「俺の考えだ。聞き流してくれて構わない」そう前置きをして、感情の読めない表情をこちらに向ける凛を前にして、続ける。

「ずっと持ってきた信条に自信を持てなくなって捨てた、確かに一つの負けではあるかもしれない。だけど、凛はずっと戦ってるよ。自分のあるべき姿を、見つけようとしている。負け犬なんて言うな。信条の一つや二つ変わったくらいじゃお前は変わらねえよ。戦い続けている限り、いくら負けたとしても、お前は負け犬じゃない。闘犬だ。」

クサい言葉を吐いてしまった。会ったばかりの後輩に話すようなことじゃない。だけど、俺の言葉を、ぶつけなければと思った。


凛は何も話さない。引かれたか、と冷えてきた頭によぎりながらも目を背けることだけはしなかった。

すると、急に笑い出し


「闘犬って、女の子に言う言葉じゃないですよ。」


初めて、凛のちゃんとした笑顔を見れた気がした。


帰ろう、と歩き出し、すぐ横の交差点で別れる。

凛にどのように言葉が届いたのかは分からない。だけど、彼女に伝えた言葉は俺自身にも痛いほど残ってしまった。


人は主義心情が変わっていく生き物だ。それにつれ、付き合っていく人たちも変化はしていく。だが、生き方のその奥、本質で関わっていれた人たちならば付き合い続ける事は出来るのではないか。いつまでも同じように、笑い合えるのではないか。


少しの不安を感じながらも、なんだか晴れ晴れしさを感じて携帯を開く。


「もしもし?卒業式ぶりだな。家帰るまで暇だからさ、電話付き合ってよ。今度サッカーでもやろうぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

煙草一本 @kanataeveryday

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ