第41話:涙の意味08


「えーと……何……?」


 フレイヤは困惑していた。一応一定の理解はある……。しかし鏡花の慟哭が突然であるがために、しょうがない側面もある。


「小説に感動したの?」


「ある意味でな」


「兄さん……! 兄さん……!」


 鏡花は涙を流しながら俺にすがりつく。


「そんなに感動する本って……」


「ほれ」


 俺は鏡花の読んでいた本を見せる。タイトルは『犬神家の一族』。古典名作だ。


「ふええ……兄さん……」


「大丈夫だ。愛おしいよ、お前は」


 抱きしめて、頭を撫でて、鏡花をあやす。


「感動する内容だっけ?」


 フレイヤが首を傾げる。


 それなんだよな。


「鏡花は本のキャラが死んだだけで泣いてしまうくらい泣き虫なんだよ」













――  圧倒的な死に対する拒絶感  ――







 それは鏡花の自己同一性において根幹となるべき思念である。とにかく人が死ねば泣いてしまう。ニュースの報道程度ならまだ大丈夫だが、読書においてはほとんど無差別だ。


 読書は一種の……楽しむ側面で心を作品に没頭させる必要がある。そのため本を読むこと……引いては読んだ本のキャラが死ぬことは鏡花にとって泣くほど悲しいことなのだ。


 鏡花は俺が傍に居ないときは本……特にミステリーを読めない。逆に言えば俺が傍に居るときはよく本を読んで泣いている。俺に甘えて慰めて貰って……そうやって本を感じ入る。それが鏡花にとっての読書なのである。


「兄さん……」


「大丈夫だ。俺が言っても説得力はないかもしれんがな」


「そんなこと……ありません……」


 グシュグシュと泣きながら鏡花は云う。


「兄さんが……兄さんだけが……私の涙を尊いと言ってくれました。泣き虫で良いんだって……。涙を流せることに……意味があるんだって……」


「その通りだしな」


 ギュッと強く抱きしめてシルクのような髪を手で梳く。妹を慰めるのは兄の特権だ。


「金也ちゃんと鏡花ちゃんは正反対なのね」


「然りだ」


 死に対面している俺。死から目を逸らしたがる鏡花。理解と不理解……は間違いか。俺とて死んだことが無い以上、死に対しては不理解なのだから。それでも死を理解しようとしている俺と、死を理解したくない鏡花は、全く別個の存在だろう。


「死ぬこと……ね……」


 フレイヤが苦笑した。俺は知らない振りをする。


「兄さん……兄さん……ふえええ……」


「可愛い可愛い」


 撫でてあやして御機嫌取り。


「泣いてる鏡花はとっても可愛いぞ」


「あうう……」


「鏡花ばっかりズルい……」


 朱美は不満げだ。


 ――知ったこっちゃないがな。


 泣ける人間は涙が恥ずかしい。


 泣けない人間は涙が愛おしい。


「いい子いい子」


 だから鏡花の涙は俺にとってひたすら愛おしくてしょうがない。実母の死に泣けない俺は実父の死に泣き続ける鏡花を心から羨ましく思っていた。鏡花の泣き虫に心を預けている側面もないではないだろう。


「死とは何か?」


 俺にとっての命題で、一種のレゾンデートル。解けようはずもないことを承知としながら、それでも諦めきれない疑問。その過程で得た心理は俺の性格をねじ曲げた。その点に関して後悔はしていないも、


 ――人の死を想って泣く。


 ソレを平然と実行出来る鏡花を、


「眩しい」


 と思いもする。結局のところ薄情な人間なのだろう。


 俺は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る