【Web版】憧れの冷徹王弟に溺愛されています

狭山ひびき

冷徹王弟殿下の素顔

プロローグ

「人のことをとやかく言う前に、自分の愚かさと不誠実さについて思うところはないのか。程度が知れるな。不愉快だ。早々に立ち去れ」


 レナ・クレイモランはたとえこの先何十年が経過しようとも、この日のことを忘れる日は来ないだろうと確信できる。


 似合わない服、似合わない化粧、無理をして履いたヒールの高い靴。

 婚約者デミアンの好みに合わせて無理をし続けていた十六歳の冬のある日。


 オルコック子爵家のパーティーで、理不尽に突きつけられた婚約破棄に言葉をなくしたレナの前に颯爽と現れた冷徹公爵の異名を持つシャルロア国の第二王子クラウス・アデルバード公爵は、そう言って冷ややかにデミアンを睨みつけた。

 レナはただ、何が起こったのかわからずに、俯かせていた顔を茫然と上げて、背の高いクラウスの背中を見つめる。


 ことの起こりは十分前。

 デミアンとともにオルコック子爵家のパーティーにやってきたレナは、突然デミアンから、オルコック子爵令嬢コートニーを紹介された。

 親密そうにコートニーの肩を抱くデミアンに目を丸くしていると、デミアンはレナの全身にゆっくりと視線を這わせて薄く嗤う。


「悪いんだが、レナ。婚約を解消してくれないか? 君のようなセンスの悪い女が婚約者だと、我がカーペント伯爵家の恥になる」

「…………え?」


 レナは耳を疑った。

 デミアンと婚約したのはレナが十四歳のとき。

 婚約の申し入れは、デミアンの父、カーペント伯爵からだった。


 レナが十二歳の時に母が死に、娘に何不自由のない幸せを願った父は、カーペント伯爵からの申し入れを受けてレナとデミアンを婚約させた。


 それから二年。

 デミアンとはうまくやれていたはずだ。少なくともレナはそう思っていた。レナはデミアンの言う通りの格好をし、言う通りの化粧をし、極力彼に逆らわずにすごしてきた。

 それなのに、どうして婚約破棄を突きつけられているのだろう。


(このドレスだって、この化粧だって、デミアンの希望に合わせてきたのに……)


 顔が地味だから派手な化粧をしろと言われた。だから目元にも口元にも濃い色を入れて、できるだけ派手になるように頑張った。

 ドレスだって明るい色を着るように言われたから、赤や黄色など、明るい色を着ている。

 高いヒールだって、身長が高くなくてスタイルが悪く見えると言われたから、足が痛いのを我慢して履いているのに。


 言葉をなくしているレナのもとに、コートニーの父、オルコック子爵までやってくる。

 そしてレナに向かって憐れむような視線を向けて、こう言った。


「クレイモラン伯爵へはこちらから連絡を入れておこう。申し訳ないがそう言うことだ。……生まれてくる孫に、父親がいないのは困るのでね」


 その一言と、愛おしそうにお腹を撫でるコートニーの仕草で合点が言った。


(嘘でしょ……妊娠させたの……?)


 レナという婚約者がありながら、デミアンはコートニーと浮気をしてあまつさえ妊娠させてしまったらしい。

 結婚まで貞操を守るべきだという教会の教えに従って生きてきたレナには信じられないことだが、オルコック子爵まで出てきたのならば間違いないだろう。

 驚くレナに、デミアンは謝罪するどころか当然のような顔をして言った。


「コートニーは君と違ってとても魅力的な女性なんだ。君もコートニーを見習ってもう少し女を磨いてみたらどうかな。そうすればきっと誰かがもらってくれるだろう」


 不貞を働いたのはそちらなのに、何故、レナが侮蔑されなければならないのだろう。

 レナは思わず自分のドレスを見下ろして、それからきゅっと唇をかんだ。


 レナだって、このドレスが自分に似合っていないことくらいわかっている。化粧も、ヒールの高い靴も、全部似合っていない。わかっていて無理をしてきたのに――デミアンのために無理をしてきたのに、どうして当の本人からそんなことを言われなくてはならないのか。


 いつの間にかパーティーの出席者たちが遠巻きにレナたちを取り囲んでいて、その視線がグサグサと突き刺さる。

 悔しくて、恥ずかしくて、でも言い返すこともできなくて――レナが俯いて拳を握りしめたその時、カツカツと足音を立てながら誰かが近づいてきたのがわかった。


 デミアンか子爵か、それともこの場の全員か――、誰かが息を呑んだ音がする。


「もめていると思えば、これは何の茶番だ」


 冷気が漂ってきそうなほど冷ややかな声だった。

 俯いているレナの視界にキラリと長い銀色の髪が見える。高そうなジャケットにトラウザーズ、ピカピカに磨き上げられた黒い靴。

 誰だろうかと思ったけれど、顔を上げる勇気がでなかった。


「こ、これは殿下……、お見苦しいところを……」


 オルコック子爵の声が震えていた。


(殿下……?)


 そう呼ばれる人は、現在このシャルロワ国には四人いる。エルネスト国王には四人の王子がいて、しかし末の王子はまだ四歳だったはずだから、三人いる王子の誰かだろうか。


(そんな! 殿下がいらっしゃっていてなんて……)


 とんだ場面を見られてしまった。王子から父クレイモラン伯爵へ叱責があったらどうしよう。青くなったレナだったが、続く殿下の言葉に息を呑んだ。


「ああそうだな。実に見苦しい。どこの家の者か知らないが君、人のことをとやかく言う前に、自分の愚かさと不誠実さについて思うところはないのか。程度が知れるな。不愉快だ。早々に立ち去れ」

「な――」

「聞こえなかったのか? 君だ。婚約者がありながら違う女を妊娠させたそこの君、お前だ。とにかく、私の視界から消えてくれ。それともつまみ出される方がいいか?」


 レナは茫然と顔をあげた。

 途端に入り込んできた後姿に、レナはハッとする。そうだ、どうして気が付かなかったのだろう。銀色の髪を持つ王子は二人だけ。今年で二十二歳になった第二王子クラウス・アルデバード公爵と、四歳の第四王子リシャールの二人だけだ。


(冷徹公爵……)


 クラウスの異名は、レナも知っていた。


 冷ややかで容赦のない、笑わない第二王子。冷徹公爵。


 何も言うことができず、クラウスの後ろ姿を見上げていると、デミアンが足をもつれさせながら会場から飛び出して行くのが視界の端に映った。

 デミアンが消えると、クラウスは顔色をなくしているオルコック子爵とその娘コートニーに視線を移す。


「今日のことは陛下の耳にも入れさせてもらう。私は大変気分が悪いのでこれで失礼する。行くぞ」

「え……あ……!」


 クラウスは後ろ手でレナの手をつかむと、そのままずんずんと歩き出した。

 そしてオルコック子爵家の玄関を出ると、王家の紋章の入った馬車の前まで連れて行かれる。


「彼女を家まで送り届けてくれ。私は歩いて帰る」

「あ、あの!」


 馬車に押し込められそうになって、レナが慌てて声を上げると、クラウスは肩越しに小さく振り返った。


「君も、今度はもっとましな婚約者を探すんだな」


 そう言ってすたすたと歩きだしたクラウスの銀色の髪が、ふわりと風に舞う。

 レナは動き出した馬車の窓に張り付いて、クラウスの姿が完全に見えなくなるまで、その姿を目に焼き付けた。


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