今泉くんは誰にも渡さない!←この今泉くんが俺です。

五味零

第1話 病弱な少女をヒーローに育てることにしました。

「わーい、また倒せたあ!」


 兄妹同然で過ごしてきた幼馴染-南波なんばゆうみは、俺に襲いかかってきたを瞬殺で倒した。


 なんといっても強いのは、その蹴りだ。

 一撃で相手を失神させるほどの威力を持っている。


 ゆうみは敵を倒した達成感から、制服のスカートをはためかせ、ぴょんぴょん飛び跳ねながら全身で嬉しさを表現している。

 その様子は、幼馴染の欲目でなくても可愛らしく映るだろう。


(……はあ、手首いってぇ)


 俺は目の前を行ったり来たりしているゆうみを眺めながら、先ほどの戦闘でひねってしまった右手首を軽く振った。


「ね、だから言った通りでしょ? わたし、ちゃんと今泉いまいずみくんを守るヒーローになれるって」


 跳ねるのをやめて、俺に駆け寄ってくるゆうみ。

 負傷した手首がゆうみの目に触れないよう、俺はさっとズボンのポケットに隠した。


「そうだな。ゆうみは俺の最強のヒーローだよ」


 近頃のゆうみは、高校入学と同時に命の危険に晒され始めた俺のことを、守りたいんだそうだ。それはもうありがたいことなのだが、如何せんゆうみは非力だ。


 俺はそんなゆうみの願いを叶えるべく、今日もこっそりと自分で敵を倒し、あたかもゆうみの手柄であるかのように偽造している。


 *


 -兄妹同然。

 そう思って、今日まで生きてきた。


 性別を超越した存在-だったはずのゆうみは高校に入学した途端、豹変した。


「今泉くんは誰にも渡さない!」


 ゆうみは、ラピュタのシータのごとく空から降ってくるなりそう言い放った。

 正しくは、貯水槽が乗っかっている一段高くなった場所から、屋上にやってきた俺めがけて飛び降りてきた。


「おい……っ」


 俺は慌てて、丈の短いその体を受け止める。

 143cmの体は180cmの俺の腕の中にすっぽり収まった。

 その代償に購買で手に入れた焼きそばパンが地面に落下する。凄惨な音がした。


 ここは難関校として名高い県立清宮きよみや高等学校の屋上。

 季節は桜舞う春のこと。俺たちは数日前に入学したばかりだった。


 繰り返しになるが、これまでゆうみとは兄妹のように過ごしてきた。

 そう、3日前の入学式までゆうみは正常に動作していたのだ。


 それが高校の制服に袖を通してからというもの、ゆうみの俺へのコミュニケーションは悪化の一途を辿る。


 具体的に言うと、必ず視界の中に入っていることはもちろん、俺のどこかしらに抱きついていたり、言動には愛が溢れ出していたりする。空から降ってくるときに言っていた恥ずかしいセリフがいい例だ。


 実を言うとこれまでも、幼馴染にありがちな「あれ? こいつ俺のこと……」的な展開がまったくなかったわけじゃない。けれど、どんなパターンの好意も、に留まっていたように思う。


 それが、桜が咲いたと同時に、ゆうみの頭にも花が咲いた。何かの拍子でバグが起こったらしく、すっかり俺を異性として扱うようになってしまったのだ。


「えへへ、ごめーん」


 ゆうみはお姫様抱っこされたまま頭の後ろに手を回す。天然キャラがよくやる動作だった。そうして、眉を八の字にして笑った。


「ちゃんと地面に着地するはずが失敗しちゃ……っ、けほ、けほっ」


 体をくの字にして突然咳き込むゆうみ。


「だから、あんまり無理すんなって昔から言ってるだろ」


 ゆうみは生まれつき喘息持ちで、突然激しく体を動かすと症状が出ることがあった。

 そんな病弱な体のくせして、近頃、妙な宣言をしてくるのだ。


「はあ」


 俺は呆れながらも、ゆうみを丁寧に地面に下ろす。


「で、あの宣言は撤回しろ」


 体育座りをしているゆうみに視線の高さを合わせ、説得を試みた。


「いや! わたしはどんな魔の手からも今泉くんを守るヒーローになるって決めたの!」


「そう、それだよ、撤回しろっ」


(魔の手って、ここは流行りの異世界じゃねえっ)


 ゆうみがなぜそんな考えに至ったのか、まるで思い当たらない。


 俺はため息をついた。頑固なゆうみから少し距離を取って頭を冷やそうとする。

 ……が、光の加減でピンクがかって見えるゆうみの長い髪が、ブレザーのボタンに引っかかっていた。


 気づくのが一泊遅れがために、繊細な髪は2人の間でツンと突っ張った。


「いたっ」


「あ、わりっ」


 立ち上がりかけていた俺は、膝をコンクリに滑らせるようにして、またすぐにしゃがみ込む。髪にゆとりを持たせるべく、できるだけゆうみに体を近づけた。


 ……思った以上に複雑に絡み合っている。


「痛くないか……?」


「うん……。あのね、今泉くん」


「ん、なに?」


「わたし……」


 ゆうみが何か言いかけた瞬間、風が吹き付けてくる。

 桜の花びらがいっせいに舞い上がり、柔らかい太陽の光をキラキラと反射する。ノーフィルターで、ふんわりとした視界に包まれた。18年目の人生のうち、過去イチきれいな桜吹雪だった。


 -カシャッ


 そのとき、どこかからカメラのシャッター音のようなものが聞こえた。


「ははははははははっ!! 新入生人気ナンバーワンのゴシップネタ頂きましたぁぁぁー!!!!」


 音と声の出所を探すと、屋上の扉から上半身だけを覗かせている男子生徒が目に入る。ゴツい一眼レフが俺たちを狙っていた。


 あれは確か-入学式で浮きに浮きまくっていた瓶ぞこ眼鏡の男子生徒だ。

 式の最中、何かと目が合うので記憶に残っていた。


 それに、まだ肌寒い春先だというのに、ブレザーもワイシャツの袖もまとめて肘のあたりまでたくし上げている。全てに違和感を覚える存在だった。


 瓶ぞこは口元に笑みを浮かべたままくるりと方向を変えると、目的は達成したとばかりに一目散に逃げていった。


「あ、待て!」


 ゆうみは瓶ぞこを追いかけようと勢いよく立ち上がった。

 その拍子に、足に馴染んでいない新品のローファーが冗談みたいにすぽーんと脱げる。プリーツスカートがめくり上がり、中身ー下着がわずかに覗いた。


 前につんのめるところも含めて、さすがとしか言いようのないドジさだった。


「お前も待てっ」


 俺は下着-髪と同じピンク色-を見ないふりする。

 見慣れてはいるものの、この年齢になってじっくり見つめていいものではない。


 顔を振り、一瞬で目に焼き付いた幼馴染のスカートの中の光景を振り払った。

 今にも屋上を飛び出して行きそうだったゆうみの腕をなんとか捉える。


「髪、引っかかってるからっ 靴も!」


 片手でゆうみを抑えつつ、もう片方の手でボタンに引っかかった細い髪の毛を解くのは難儀だ。その間、ゆうみは俺の肩を支えにローファーを履き直している。トントンと踵を入れ直すと。


「髪なんてどうでもいいの! 今泉くんのほうが大事!」


 そう言って、ゆうみは無理やり自分の髪の毛を引っ張った。

 プチン、プチンと数本が抜けたり切れたりした。


 首輪が外れた子犬のように、解放されたゆうみは屋上の扉へ走る。

 呆気にとられている俺を置いて、構内へ戻っていってしまった。


「おい、だから、あんまり激しいのは……っ」


 その声はゆうみに届くはずもなく、虚しく春の風にさらわれていく。


「ったく、なんなんだよ」


 俺は瓶ぞこを追うゆうみを追って、構内へ走った。

 例の焼きそばパンを地面に放りっぱなしにしたことなんて、すっかり忘れて。


(ヒーローになるって、なんだよ……?)


 昔から突拍子もないことを言う幼馴染だけれど、今回のは度を超えている。

 そもそも、どうしてゆうみは俺を守ろうとしてるんだ?


 どっちかって言うと、俺がゆうみを守るつもりで、ずっと生きてきたのだけど。


 突然の逆転現象に戸惑う。


 しかも難点なのが、ゆうみは一度言い出したことを絶対に曲げない頑固者ということだ。俺が何を言おうがもちろん聞かないし、トランプとバイデンが同時に頭を下げても微妙なラインだ。


 では、どうするのか……?


 ゆうみを説得するのが無理だとなれば、高校生活を穏やかに過ごす道は1つしかない。


 ゆうみがヒーローごっこに飽きるまでは、俺のことをさも自分が守っているという風に見せかけるのだ。

 俺がゆうみを完璧なヒーローに仕立て上げ、俺のことを守らせてやればいい。


「きゃあああああ」


 早速ゆうみの悲鳴が聞こえる。

 声の調子からして、それほど深刻な事態ではなさそうだ。

 どこぞやの男に下着を見られたとか、下着を見られたとか、そして下着を見られたとか、その程度だろう。


 とりあえず俺は下の階へ続く階段を駆け下りた。

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