誘拐

 背筋が冷たくなるほどに静かな場所だった。目を開けると、石の狐達が十……二十……数えきれないほど立ち並んでいる。異様な光景だった。それに少し寒い。あまりにも雰囲気が違うので戸惑ったが、ここも神社の境内のようだ。

「神様だったの、コクトミと同じ……」

「あんな弱小とは僕は違うよ」

 彼はきっぱり言い捨てた。その笑顔は今まで見慣れてきたものと同じ。変わったのは私。私が彼を見る目が変わった。

「ここはどこなの……?」

「僕の世界。コクトミとは違う。やっと出られたね、嬉しい?」

 彼はあどけない瞳で私を覗き込んだ。

 確かにコクトミの世界とは違うのだと、肌身で感じる。触れ合う紅葉のざわめきが聞こえない。どこからも生き物の気配がしない。季節感もない。

 嬉しいかどうか聞かれて、正直……この世界には、いたくない。世界の主の冷たさを表すようで……。

「どうして? わかった、僕の方がいいって思わせてあげる。僕なら閉じ込めたりしない。何があっても守ってあげる。見て!」

 少年はどこからか鏡を取り出した。いや、鏡の枠しかない。肝心な鏡の部分が欠けている。

 その枠を賽銭箱の上に置き、彼が服の裾に手を隠す。枠に隠した手を掲げると、どこからかさらさらと水が落ちてくる。

「水鏡……」

 思わず声が漏れ出た。

 吸い込まれるようにそれを覗き込む。そこには同じように覗き込んでいた少年と私がいたが、水面が揺らぎ、すぐ人が大勢いる豪華な境内が映された。懐かしい、人の群れ。ざわめきが聞こえてくる。無数の絵馬がカラコンコロンと音を立てて、一つ一つに人々の願いが書き込まれている――。

「年末年始はここから、サヤカの家族だって見ることができるよ。ね、魅力的でしょう?」

 水鏡に目が釘付けになった。胸がぎゅうと痛む。欲しかった、二度と手に入らない光景。あそこに私はいた。今はいない。

「それでも、私は主様が……例え家族を見れなくても、私が閉じ込められていたとしても!」

 決意の言葉だった。目頭が熱くなる。今、私は何を諦めた? いいや、元からそう決まっていたことだ。

 少年の目は冷たかった。水鏡のビジョンを手で振り払って消される。辺りはまた静けさに包まれた。

「僕も好きなんだ、サヤカって人間のことが……」

 彼は私の肩を押し、神社の壁に押しつけた。番の動物がするように、暴力的な愛情を押し付ける。

「や、やめて、何をするの……」

「コクトミともこういうことするんでしょ?」

「しない、そんなことまでしない……」

「あいつ不能なの、ふーん」

 違う違う、と強く抵抗する。彼は拘束を解こうともしないが、強行しようともしなかった。私よりも背丈が小さいのに、力は強い。そこらの大人よりもずっと。だって、びくともしない。

「山神!」

 その時、聞き慣れた主様の声がした。バリバリと世界のカーテンが破けて、暖かな植物達の匂いがなだれ込む。

「コクトミ……!」

 主様の声は酷く焦っている。来てくれたんだ……!

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