第9話 ヴァラク①

 ■


 ゲイリー達はギルドへ引き渡された。

 冒険者ギルドは同胞殺しを決して許しはしない。


 ゲイリーらは拷問にかけられ、やがてはそのバックにいる商会も芋づる式に引きずり出されるだろう。たかが一港町の有力商会などは冒険者ギルドという巨大組織の前では木っ端にも等しい。


 ギルドのメンツに傷を付けた以上、ゲイリーらが娑婆に戻れる可能性は極めて低い。


 ■


 あれから1日がたった。

 ヨハンは仕事をするつもりはなかった。

 触媒を補充しておく必要があったからだ。


 術師の触媒は曰くなりがあれば正直いって何でもいいが、ヨハンは植物…押し花とかそういうものをよく使う。

 鉱石もたまに。


 前者はかさばらないからだ。

 後者は趣味である。


 ヨハンは石の類が好きなのだ。

 そして、この好きという感情が術の効果を底上げするのでまあ一石二鳥とも言える。


 ■


「あんたかい…。花とか草ばっかりじゃなくてもっと高いものを買っていっておくれよ」


 イスカの街には一つしか術師の触媒を売っている店がない。

 その店の主が彼女だ。


「そうだな。普段から世話になっているしな。コレなんかどうだ」


 ヨハンは水晶の大欠片をいくつか選び取った。

 水晶は便利なのだ。

 低位の術なら何でも使える。


 世界の共通認識というか、なんというか、水晶は呪い事の常連なイメージをみんなもっているからだろう。


「ひっひ…そうこなくちゃね」


 ヨハンは婆さんに金を渡した。

 婆さんから購入した触媒はどれもしっかりと術が発動する良質のものだった。

 触媒が触媒として用を為すには、面倒くさい儀式なり手順なりを踏まないとならないが、この婆さんはその面倒を厭わずに仕上げているんだろう。ヨハンはそのプロとしての矜持、手際に心中で賞賛を捧げた。


 ■


 店を出るとリズが所在なさげにたっていた。


 ――何の用だ?


 ヨハンがいぶかしんでいるとリズが口を開いた。

 目線は合わない。

 俯いているからだ。


「ヨハン…あの、さっき歩いてたら見かけて…助けてくれたこと、お礼をいいたくて」


「そうか、その礼は受け取ろう。まあ無事でよかったよ。それじゃあな」


 ヨハンはそういって去ろうとしたが、ローブが引っ張られる感覚を覚え、内心舌打ちをする。


「待って…お礼をしたいから、でもどうすればいいのかわからなくて…それで、オヤジさんに相談したら、本人と話してみろって…」


 ヨハンは俯いた。

 礼は受け取ったといったのにリズが話をきいていなかったからだ。


 そして、難しいな、とおもう。

 ニンゲン関係とは難しい…

 コイツは要するに、言葉だけじゃ気が済まないんだろう。


 なにか行動で示したいわけだ。

 善意か、あるいは善意に似たなにかを基にしての言動であるという事はわかる。

 だが先の一件でヨハンは彼女への信頼を喪失していた。まあそうは言ってもそんなものは最初から抱いてはいなかったが。


「そうか。じゃあ情報という形で礼をいただこうか。俺はこの町にきてまだ浅い。安い宿、飯が美味い店、品質がいい武具店…知っていたら教えてくれ。武具は術師向けがいいな。そのへんを調べたらまた今度会ったときに教えてくれ」


 ヨハンがそういうと、リズは尻尾をふっている犬のような様子でわかったといい、駆けていった。


 ―しっかり詫びと礼を言えるならまあ、ニンゲン的には多少評価を改めるとするか…


 ヨハンはそんな感慨深い思いでギルドへと向かった。


 ■


「親父、街を移ることにした。知り合いから助けを求められてな。力を貸して欲しいとのことだ。俺も男だ、友から助力を求められて無視なぞできようもない。傭兵都市ヴァラクへ向かう。移動の手続きを頼むぞ。夜馬車にのって出立する。じゃあな、世話になった」


 ヨハンは親父に背を向け、ギルドから出ていった。


「な?!お、おい待て!理由はわかったが、ちょっと待て!」


 何か聞こえるがヨハンは黙殺する。

 ヨハンの胸中を存在しない友が顔を歪め、ヨハンに助けを求めているのを感得したからである。


 ――友よ、待っていてくれ。すぐに向かう


 優れた術師とはその気になれば自身の思考をも制御できる。

 今ヨハンは本気で友人を助けるつもりでいた。

 義侠心で胸が一杯になっていたのだ。


 ■


 ヨハンが街を足早に去ったのはリズの鬱陶しい構ってちゃんが原因だったわけではない。

 ゲイリーだ。

 ゲイリーはそれなりに名が知れている冒険者であった。良い意味でも悪い意味でも。


 ―俺を恨みに思い、変に絡んでくる奴等もいるかもしれない。


 ヨハンは確かに殺伐としており、敵対者に厳しい態度を取るが、それでもリズを見逃した事からも分かるように、手向かう者を皆殺しにしたら何もかもが解決する、などと考えている非文明人ではない。

 避けられる厄介事は避けるべきだと彼は考えている。



 ■


 傭兵都市ヴァラクはその名の通り、傭兵業を主産業としている。

 各地から傭兵が集まり、周辺諸国へ戦力を提供。

 報酬などの条件交渉は傭兵ギルドが取り仕切っている。

 傭兵と冒険者は似ているが、前者は国家間の戦争にも積極的に干渉している点が後者との違いか。

 冒険者ギルドは中立を保ち、戦争に関係する依頼は受けない。ただし、これは人類間の戦争に限るが。

 もちろんヴァラクにも冒険者ギルドは存在し、傭兵と冒険者を兼業しているものもいる。


 ■


 そんなヴァラクへたどり着いたヨハンはやや心が浮き立つのを覚えた。

 なぜならこのヴァラクにはとある著名な傭兵団が居て、その団長と言うのがヨハンにとって…というより連盟の術師にとって特別な存在であったからだ。


「まあ、滞在していれば見える事もあるだろう。とりあえずは宿か」


 ヨハンはふらりと大通りを行き交う雑踏に混じる。


 ■


 ヨハンは手斧と血飛沫亭という宿屋を見つけた。

 物騒な名前だが、ヴァラクの民間施設は全て物騒な名称なので問題ない。

 例えばだが、この手斧と血飛沫亭の向かいには流血シチュー庵という飯屋がある。

 トマトシチューが売りなのだが、名称のセンスには普段殺伐としているヨハンも辟易するものがあった。


 首尾よく宿屋を見つけ、暫しの滞在料を支払うと、ヨハンは冒険者ギルドへと向かった。

 ロビーにはパラパラとまばらに冒険者たちがいる。

 余り盛況そうには見えないが、活気がないとかうらぶれているという感じではなかった。


 聞けば、ちょうど大きめの依頼があり皆それを受けて出払っているとのことだった。

 ヨハンは受付カウンターに座っている受付嬢にギルド移籍について伝えて手続きを済ませる。

 最近は短期間に立てつづけてギルドをうつっているので余計な事を聞かれるかとヨハンは少し懸念していたが、特に問題はなかった。


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 ヨハンは依頼票が貼り付けてある大きな木製の掲示板を見上げた。

 そこには多くの依頼票があるのだが…


(討伐系ばかりか)


 そう。依頼内容は討伐系が多い。というよりそれしかない。

 この討伐系の依頼で肉を産出しているというわけだ。魔獣の肉と言うのは加工の仕方に工夫が求められるが、十分食肉として通用する。

 ヴァラクの食糧事情はやや特殊で、交易と魔獣の肉で食料の大部分を賄っている。


 なお依頼は今の時期は個人で受けられるものは余りなく、合同討伐形式のものが多い。


 合同討伐。

 これはそれなりにまとまった数の冒険者を一気に輸送、魔物の群れかなにかをみつけたら狩猟をするという形のものだ。

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 地脈の関係でヴァラクはすぐ魔獣が湧いてくる。この沸いてくるという表現の解釈には諸説あるのだが、まさに地の底から生えてくるといわんばかりに魔獣が湧いてくるのだ。

 ただ、これは常にそうだったわけではない。

 ここ10年ほどの話である。


 ヨハンはその話を聞いた時、何か嫌な予感のようなものを覚えた。

 彼の経験上、魔獣がわらわらと湧いてくるという状況は最終的にろくでもない事に直結するからだ。


 ともあれヴァラクの行政府もその状況をまんじりと見ていたばかりではない。

 冒険者ギルドへ、そして傭兵ギルドへ、要するにヴァラクの軍事力のリソースを魔獣討伐へ注ぎ込み始めた。


 ヨハンはその辺りの事情を冒険者ギルドの日焼けした受付嬢から聞いて、明日辺りから仕事を始めようと決めた。


 到着してすぐ魔物狩りというのは彼をしてやや負担が過ぎる。


 ■


 ヨハンが街をうろつき、店を見分すること暫し。

 良さげな店をいくつかみつける。

 ヴァラクほどの規模の街となると、案内を生業とする者がいるものだ。


 例えばスラムの孤児などである。

 とはいえヴァラクはその辺は行政が手を入れているらしく、飢えた子供などは見当たらない。

 と言うのも、ヴァラクは傭兵都市であり、女であろうと男であろうと捨て子などはどこかしらの傭兵団が拾いあげ、戦力として鍛え上げてしまうからだ。


 まあこれはどうしても捨て駒だとか肉の壁だとかを連想してしまうものの、ヴァラクの上位…要するにレグナム西域帝国の国是としてそういった阿漕な真似は許可されていない。


 一昔前は非常に殺伐としたレグナム西域帝国であったが、今上帝サチコの代となってからは非道さはナリを潜めるようになった。


 今上帝サチコはまだ幼いが、宰相である帝国宰相ゲルラッハが佳く補佐しているのだろう。


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 ヨハンは1つの立て看板に目を留めた。

 そこにはこうある。


≪魔狼肉大量入荷≫


 全く飾り気がないその文言の言わんとするところは明らかであった。


「魔狼肉か。癖も強いが俺は嫌いじゃないな。ここにするか」


 ヨハンは孤児の出であるので食には貪欲だが味にはうるさくはない。なんだったら道端に落ちた肉もぺんぺんとはたいて食える程である。


 更に言えば、生肉だってまあいけなくはない。

 以前、ヨハンがロイ達のパーティに所属していた時、森で猿の魔物に組み付かれた事があった。

 普段はそこまで接近を許すヨハンではないのだが、その時はガストンを庇ったのだ。


 組み付かれたヨハンと魔猿の戦いは一瞬で終わった。ヨハンが魔猿の首筋に食いつき、首元の肉を食い千切ったのである。


 モニュモニュと肉を咀嚼し、血飛沫と共にもだえ苦しむ魔猿の顔面へそれをふき掛け、手にした短刀で首を引き裂いた。

 そうして口の中に残った猿の肉を噛み、飲み下したのであった。


 その後ヨハンはガストンに盛大に説教を始め、冒険者たるものは魔物の肉だろうが貪り食えるほどに全身、内臓も含め鍛えねばならないと懇々と諭した。


 まあ話がずれたが、ヨハンはその程度には野蛮で好き嫌いがない正しい冒険者なのだった。

 それに、ヨハン自身肉は好きだ。

 魔狼の肉は独特の風味があるが、この風味をエールで胃の腑へ落とし込むというのがヨハンのお気に入りの食い方である。


 ・

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 その肉料理が今、ヨハンの足元にぶちまけられていた。エールも零れている。

 シュワシュワという炭酸の音が耳を擽る。

 ヨハンの耳にはそれは天に座すナントカとかいう神がこの有様の原因を凄惨にぶち殺す事を許可しているかの様な神託に聞こえていた。


(嗚呼。師よ。ルイゼ・シャルトル・フル・エボン。貴方はこんな時、俺に何をしろと教えてくれたのでしたか)


 ヨハンが心で師に問うと、心の中の師は薄い笑みを浮かべつつヨハンに答えた。


 ――購わせるか。あるいは殺しなさい。ただし、殺すに足る理由を相手に作らせた上で


 ■


「てめぇ! この野郎! 何しやがる!」

 ヨハンの足元に転がってきた男が立ち上がり店の奥に向かって凄む。


 男の仲間らしき者も2名。怒りの表情を浮かべている。

 ヨハンに向けてではない。

 それは彼の真正面、店の奥に佇む誰かに向かってへの怒りであった。


『馴れ馴れしい野良犬を撫でてやっただけだ。撫でただけで吹き飛ぶとは、鍛え方が足りないんじゃないか?』


 その姿かたちが、というより雰囲気がまるで一本の鋭い刀剣の如くきりりと引き締まっていた。

 凛としているといえばいいのか、男装ともまた違うが、少なくともなよなよしい雰囲気は微塵も感じられない。

 瞳は冷厳に男達を睨みつけている。

 冷厳、まさにそう言うのが相応しいだろう。

 ヨハンは彼女の瞳の奥に、万年氷にも勝る冷たさと硬度を持つ氷塊の如き意思を見た。


(が、鍛え方が足りているはずの貴様は何故周囲に配慮しない?)


 ヨハンは首を傾げた。


『それと私の名前は野郎ではない。ヨルシカと呼べ』


 ヨルシカと名乗る剣士はツカツカと男へ近寄り、その股間を蹴り上げた。


「ぐぇっ……!!! ぐ、う……て、めぇ……」

「お前! どうなるかわかってるんだろうな!?」

「冒険者がデカい顔しやがって!」


 三人組がそろってキャンキャン吠えるも、麗人殿は動じていない様子。


 酒場の他の客は皆ヨルシカと男達を見つめていた。だがヨハンだけは俯いて零れた飯を見つめている。ローブの裾。酒がかかり、濡れていた。

 そこに怒りはない。悲しみも失望もない。

 疑問だけがあった。


(この三人組も、ヨルシカと名乗る女剣士もなぜ俺を無視するんだろう。すまない、だとか、この金で新しいものを頼んでくれ、とかないのか?だが興奮状態で俺に気付いていない可能性もある……ならばしっかり状況を、俺の気持ち、提案を伝えなければな。 気持ちは伝えてこそだ、黙っていて察してもらおうなんて都合がよすぎる。そうだ、伝えるのだ)


 ヨハンはヨルシカと男達の間に割って入り、正当な要求をした。


「なあ、取込み中すまない。初めまして、俺の名はヨハン。旅の術師だ。ところで見てくれ。俺の飯が床にぶちまけられてしまった。酒もだ。そこの男がぶつかってきたからこぼれてしまったんだ。だがそいつをふっとばしたのは彼女だろう? 個人的には両方悪いとおもう。食事代は銅貨26枚だ。とりあえずどちらかが支払ってくれないか? どちらも支払ってくれないとかなら双方に13枚ずつ支払ってもらうが。それもいやだというなら無理やり支払わせる。無理矢理だから恐らく諍いになるだろう。ひ弱な術師1人どうとでもなると思わないほうがいいぞ。俺は術師だが研究畑ではなく戦闘畑を佳く学んでいる。先日、依頼中に野盗が出たが、呪いで動けなくしたあと一人ずつ首を掻っ切った。正当な殺人なら忌避感を覚えないタイプなんだ。だから諍いが度を越し、武器を抜かれたら多分殺すと思う」


 ■


 ヨルシカは闖入者にぎょっとした。

 そしてしまった、と思った。

 そういう手合いだったか、と。


 状況はこうだ。

 傭兵の一人が、ヨルシカが冒険者だというのを見下してタカろうとしてきた。

 だからヨルシカはそれを拒否し、男がつかみかかってきたから跳ねのけた。

 吹き飛んだ先に店の客…ヨハンがいて、彼の食べていた料理が床へ落ちてしまった。


 ヨルシカもどちらかといえば短気であるせいか、男達の無礼にカッとなってしまい、ヨハンへの対応が遅れてしまったのだ。


 ヨハンの言う事が脅しではない事は、ヨルシカならば目を見れば分かる。

 彼女はこう見えて手練だ。

 ヨハンの目には感情がこもっていなかった。

 ただ事実だけを言っている目だ。


 たかが銅貨払いの料理で、ともヨルシカは思うが、ヨハンにとっては額などどうでもいい事なのだろう事は彼女にも分かる。


(接し方を間違えると危険だ。たかが銅貨26枚だ。私が全部支払ってもいい。というかそうしたい。彼は理由があれば人を殺しても良いと思ってる。人を殺しても仕方がない、ではなくて、良いと思ってるのだ。だから理由を作らせたくない。だが、このまま私が全て支払うと傭兵は頭に乗って私を舐めるだろう。コイツ1人に舐められる分には我慢できるかもしれないが、組みしやすしと思われたらとことんまで絡まれる。弱みにとことんつけこむ。仕事柄なのだろうな、傭兵とはそういう連中なのだ。だからこの傭兵が13枚の銅貨を支払ってくれればいいのだが……そうすれば私も支払い、丸く収まる。幾ら私でもこんな小銭で命までは賭けたくはない……)


 ヨルシカは悩みに悩んだ。


 ■


 だがヨルシカの悩みは一瞬で解決した。

 悪い方へ、だが。


「あァ? なんだコイツ。お前も冒険者か?」


「ああ。最近ヴァラクへ来たばかりだ」


 吹き飛ばされた男の仲間と思しき一人がヨハンへ尋ね、ヨハンは頷いてそれを肯定した。

 すると男達の表情に侮蔑の気配がちらつく。


「なぜ傭兵をやらない? それとも両履きか?」


 両履きとは、傭兵と冒険者の二足の草鞋を取るものである。とはいえヴァラクに限らず、こういう形をとる者は珍しくはない。

 〇〇兼冒険者、のような。

 冒険者一本でやっていくというのはやはり不安定が過ぎるのだ。


「冒険者が性に合っているんだ」

 ヨハンはそれだけを答えるに留めた。


「つまり根性なしってことか?」

 男はそんなことをヨハンに言う。

 それを見ていたヨルシカは表情をやや青褪める。彼女とて修羅場の1つや2つは潜ってきた。その彼女の本能が警鐘をガンガンと鳴らしている。


「自分ではわからないな……それで支払ってくれるんだよな? ろくに口をつけないままこの有様だから腹が減ったんだ」


 いまや男達はヨルシカには目もくれずに、ヨハンの方をみてニヤニヤしていた。


「根性なしに金を払うと思ってるのか? どうしても金が欲しいなら力づくでやってみたらどうだ?」

 今度は吹き飛んできた男が、口元に笑みを浮かべながらヨハンにそう言ってきた。


「割りに合わないだろう、そんな事は……。俺は何か無理なことをいったか? 台無しにした飯に使った金を返してくれと言っているだけだろう」


 ヨハンは心底疑問であった。

 大金が絡む話でもなし、なぜこのようなイザコザへ発展してしまっているのか、彼にはわからなかったからだ。

 まあそれはヨハンが殺すだのなんだのとのたまったからというのもあるのだが、彼は性格が殺伐しているため自身の言動が敵意を誘発する者である事に気付いていない。


「お前そんなに金がないのか?確か術師だったな。貧乏術師殿、飯代にも事欠く様でかわいそうだなァおい!」


 男は木ジョッキについだ酒をもって、ツカツカとやってきて、それをヨハンの頭に注いだ。


「どうだ。銅貨50枚の酒だ。うまいだろ? これでいいか?」


 ヨハンは唇まで滴ってきた酒を舌で舐めとる。

 確かにこれまで飲んでいた酒より味がいいかもな、とヨハンは思うが同時に疑問が更に1つ。2つ。3つ。


 ――なぜ俺の頭に? 


 なぜ? 

 なぜ? 

 なぜ? 


 ヨハンは自問を続けるが、答えは得られない。

 なあ、とヨハンは男達に問いかけた。


「挑発しているんだよなきっと。でもわからん。なぜこんなことになっているのだろう。俺は完全な被害者じゃあないのか? なのになぜ一方的に被害をうけてそれを我慢しなければいけないのだろう。俺に落ち度があったということか? 吹き飛んできたお前をかわせなかったからいけないというのか? それとも俺が冒険者だからか? だが俺が冒険者ということでお前達になにか迷惑をかけただろうか。かけていないはずだ。俺はこの街にきたばかりだし、お前達とであったのも今日が初めてだ。なのに飯をぶちまけられ、挑発……侮辱され、我慢しろというのか? 本当に分からん、なぜこんな事になっているのか……。たかが銅貨26枚だ。はした金と言える。なのに、そんな事が理由で今俺はお前達を殺してやりたいとおもってる。なあ。剣を抜いてくれないか? お前達が先に剣を抜いて俺を殺そうとするなら、俺はお前達を殺していいということになるだろ?? 飯を台無しにされた、頭に酒をかけられた。これでお前達を殺すのは理由としては弱いんだ。過剰防衛になってしまう。それは駄目だ。物事は公平につりあっていなくてはならない。罪には正しき罰の総量というものが定められている。だから剣を抜いてくれ。早く!!俺を殺そうと殺意を見せろ。男だろ? 出来るよな? 抜いた瞬間、全員まとめて」


 ━━縊り殺してやる



 ヨハンは懐に手を差し入れ手帳を取り出し、ぱらりと頁を捲り、そこに押してある首吊り花の花弁を一枚千切りとった。



 ■


 ━━もはやこれまで! 


 ヨルシカは察する。

 ヨハンが取り出した花、その花弁。

 術の触媒だろう。

 こんな場所で殺傷力のある術を起動させるなどイカれていると言う他はないが、事ここにいたってはプライドは捨てようと腹を据えた。


 ヨルシカは銭入れを取り出し青年に突き出した。小銭をかぞえている時間はない。

 馬鹿が何かやらかす前に行動しなければならないと彼女は考える。


 (あの馬鹿の分まで払いを持つのは癪だが、彼のいう全員まとめて、の全員の部分に私もはいっているのだろうから仕方あるまい)


 青年はきょとんとヨルシカの顔と袋をみつめている。


「すまないな、詫びが遅れてしまった。私も興奮していてな。銅貨26枚だったか? それ以上はいっているとおもう。被害を与えてしまった私がかぞえるのも信用できまい。君の手で気の済む額を取って行きなよ。ああ、これはまだ使っていない布だ。よければその頭も拭くといい」


 そういって新品の布切れを取り出し差し出すと、青年は、ヨハンはヨルシカに礼をいって頭を拭っていた。


 傭兵の男達はヨハンの異様に吞まれていたようだったが、我にかえったようでまたぞろ余計な事を言おうとその口を開きかける……だが、何かを口に出す前にその後頭部にジョッキが叩きつけられた。


 木製のジョッキは鈍い音と共に割れ、乾いた音をたてながら床に落ちる。

 男の後ろに、周囲の者と比べても一際大柄な男が立っていた。

 その両隣には黒髪の男女。


「げぇッ…ラドゥ傭兵団の…ダッカドッカだッ」


「左剣のジョシュアに右剣のレイアまでいやがる…討伐任務から帰ってきたのか…」


「そういえば奴等、ラドゥ傭兵団の新入りだったか…終わったな」


 周囲からざわめきが起こる。

 ヨハンは“ラドゥ”という言葉を聞いて、何かを得心したように頷いた。

 その名の持ち主には1度会ってみたかったからだ。


 だが、とりあえず殺意は収めてラドゥ傭兵団の者達に話を聞いてみようとヨハンが声をかけようとするが、その試みは失敗に終わる。


 なぜなら大男…ダッカドッカが怒りの大音声で不埒な男達を打ち据えたからである。


 ■


「誰かれ構わず噛みついてンじゃあねェ!!! てめェは野良犬か? あァ? 部下から報告をうけて飛んできたら何してやがる!!」


「いつも兄貴から言われてるよなァ!?」


 大男の蹴りが倒れた男の腹を蹴り上げる。

 ━━ガァッ……! ぐっ……う……


「ラドゥ傭兵団の!!!」

 呻く男の口元に蹴りがはいる。白いものが飛んだ。歯だ。

 ━━うぎっ! あ、ガ……歯、俺の……


「団員として恥ずかしくないように!! 常に紳士たれってよォ! 礼節と忠義を大切に!! 品行方正であれってよォ!」

 大男が男を踏みつける。何度も何度も踏みつける。

 ━━ぐっ……! ……っ……! …………


「なァ! 言ってるよなァ!? てめェの行いは紳士的なのか、アァ!?」

 大男はかがみ込み、男の髪の毛を掴んで床へたたきつけ始めた。

 …………


 先ほど狂気的な威容を見せていたヨハンもポカンと大男を見ている。



「ラドゥの兄貴の話を!! 聞いてなかったのかテメェ!! 紳士になれねェなら!! 死ね!! 死ね!!! 死ね!!!」


 大男の血走った目が他の2人にも向けられ、大きな拳が怯える男達の鼻っつらを叩き潰す。


「危害を加えていいのは敵だけだ!!! 敵は殺せ!! 奪え!! そして俺達の敵を決めるのはラドゥの兄貴だけだ!! だがてめぇらは!! 誰に断わって!! ラドゥの兄貴に泥を塗るンじゃねェ!!」

 振るわれる拳、蹴り上げられる脚。


 男達がぴくりともしなくなり、それでもダッカドッカは振り上げた足を勢いよく倒れた男の腹へ叩き込もうとした。


「そこまでです、父さん…じゃない、副団長。死んでしまいます」

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 ダッカドッカの振り下ろした足の下に黒い鞘が当てられている。

 差し出しているのは黒髪の女性であった。

 いつのまにかダッカドッカの横に佇んでいたのはラドゥ傭兵団、切り込み隊長の右剣のレイアである。

 勢いよく振り下ろされた足の勢いを、片手で差し出した鞘で完全に吸収した。

 これは術によるものではなく、剣の技術によるものだ。

 右剣のレイアの剣術は技巧の極みにある。


 彼女に一刀両断にされた野盗がその体を半分にしながらも、自身の死に気付かずそのまま歩こうとしたという話はヴァラクでは有名だ。

 その野盗は体が半分になっているため歩行は侭ならず、そのまま崩れ落ち、その時初めて彼は自身の死に気付いたという。


「…レイアッ!だがよう!こいつらは!」


 ダッカドッカが表情を歪ませるが、レイアは黙って顔を振った。

 “否”である。


「ジョシュアァ!なんとか言ってくれ!俺ぁ、こいつらを鍛えあげなきゃなんねぇんだ…」


 ダッカドッカが黒髪長髪の青年に泣きつくが、青年もまた首を横にふった。


「僕は姉さんの味方だよ、副団長。知ってるでしょう?」


 右剣のレイアの剣が技の極みであるなら、その双子の弟である左剣のジョシュアの剣は力の極みといえる。

 身体強化の術に長けるジョシュアはその出力を身体全体ではなく、身体の一部位に集中させるという技術を得意としていた。

 そんな彼の振るう剛剣の出力は、比喩抜きに建築物を真っ二つにする程である。


 まあその2人を同時に相手にして、なおも完勝するのがダッカドッカという男であるのだが、彼はどうにもこの双子には弱い。


 と言うのも、ヴァラクに捨てられていた双子の赤子を育て上げ、可愛がってきたのはダッカドッカだからである。

 妻と子を流行り病で一気になくし、生きる気力すらもなくしかけていた彼に捨て双子の養育を任せたラドゥは何かを見通していたのだろうか?


 ともあれダッカドッカの再起は叶い、双子は彼の教育、指導の元強力極まる剣士へと育った。


 ちなみに彼の所属するラドゥ傭兵団はヴァラクでもかなり大きい規模の傭兵団である。

 団長のラドゥは亡国の元騎士であった。


 オルド王国。

 いまはすでにないその国では、騎士道精神の十全な体現者を紳士と呼んだそうだ。


 いずれにしても彼らは常備軍顔負けの練度を誇り、周辺諸国で戦争となれば真っ先に声がかかるような連中だ。


 やがてダッカドッカは荒い息をはきながらヨルシカ達の方を向いた。

 血まみれの拳。革鎧にも赤黒いものが飛び散っている。

 思わずヨルシカは身構えてしまったが、ダッカドッカは凄い勢いで頭を下げた。

 レイアとジョシュアもぺこりと頭を下げる。


「すまねェ!! うちの若いモンが迷惑を掛けた……やつら最近入団した連中でよォ……まだ教育が足りてなかったみてェだ。この後しっかりケジメを入れておくからよ、ここは預けてくれねぇか? そこの兄さんもよ、おっかねえ気配を出していたが、なんとかここは俺の顔を立ててくれねえか?」


 大男は懐に手をいれ、銭入れから何か取り出すと、ヨルシカ達の前でその大きな手を開いた。その手のひらには銀貨が10枚のっている。


「これで詫びになるかわからねェが、おさめてくれねェか?」


 ヨハンとヨルシカは目が合い、お互い何の合図もしていないのになんとなく気持ちを共有した。


 ヨハンは頷き、その銀貨をうけとると一枚ずつ数えて5枚を私に差し出してくる。


「受取ってくれ。ヨルシカだったか? あなたも彼らに迷惑をかけられていただろう。この金はその分の詫び金だ。俺の分は十分受取ったから問題ない」


 状況の激変に気疲れしたヨルシカは特に何を言うこともなくそれを受取り、手にもっていた自分の銭入れも懐へ仕舞う。


 それを見ていたダッカドッカは、近くにいた彼の部下らしきものに倒れている三人組を運び出すように指示をした。そして再びヨルシカのほうを向くと自己紹介を始めた。


「俺はダッカドッカだ。ラドゥ傭兵団の副団長をやっている」


「私はレイアと言います。ラドゥ傭兵団の切り込み隊長です」


「僕はジョシュア。姉さんの妹だ」


 1人自己紹介がおかしい者がいるが、ヨルシカとヨハンは取り合わず、自分達も名を告げた。


「私はヨルシカ。冒険者だ。アシャラ都市国家同盟から来た」


 ヨルシカはちらりヨハンを見る。

 ヨハンはヨルシカへ視線を返し、口を開いた。


「ヨハン。連盟の術師。旅をしながら冒険者をしている。ウルビス、イスカと移動をしてきた」


「おお、そうか! アシャラもイスカも行った事があるぜ!ウルビスは行った事がないけどな! ヴァラクも良い街だ。それにしても旅か、旅人ってェのはなかなかいいな! ラドゥの兄貴も諸国を遊歴したそうだ。俺も引退したらあちこちまわってみてもいいかもなァ!」


「ラドゥか。それは俺の知っている男でいいのかな? 重い波のラドゥ。北方の雄、オルド王国の騎士だ。オルドはもうないが、各地に散ったオルド王国の元騎士達はみな精鋭だったという」


 ヨルシカもラドゥの名は知っていた。

 というより西域、あるいは東域に散っていった旧オルドの騎士達は皆各所で勇名を轟かせている。


「む!? 兄貴をしっているのか? そうだ! そのラドゥで間違いない!」


「連盟の術師なら皆知っているだろうな。死人穢しの大罪人、『パワーリッチ』ラカニシュを殺したのは彼とその隊だ。ラカニシュは連盟の恥晒し。連盟は当時彼にどういった恩賞で報いるべきかと紛糾していたよ」


 それを聞いたダッカドッカはご機嫌よろしく、マスターに酒を頼むとヨハン達に勧めた。

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