第7話 イスカ⑤


イスカに戻ったヨハンはそのままギルドへ直行し、依頼の達成を伝えた。


「早いな。確かに受取った。これがまず銅貨5枚。もちろんこれだけじゃない。イスカ冒険者ギルド認可冒険者の推薦状の控えだ。原本は俺が持っている。依頼の達成を確認したらギルドマスターへ提出する。恐らく推薦は通るだろう。認可冒険者について説明が必要か?」


ルドルフの言葉にヨハンは首を振って答えた。

「不要だ」


姉の病に嘆く少年も病魔に冒されている少年の姉も、認可冒険者そのものにもヨハンは余り興味が無かった。

自身の働きが正当に評価される事、ヨハンにとってはそれが一番大事な事なのだ。


だから仮に認可冒険者の推薦が通らなかったとしても、その事をもってルドルフに隔意を持つことはないだろう。


ヨハンの態度は大人ではなかったかもしれないし、良識的ではなかったかもしれない。

しかし自身が舐められたまま、波風を立てない為にそれを良しとする事は、自身のみならず自身を評価してくれている者達への冒涜に等しいとヨハンは考えている。


そんな冒涜を犯す位なら死んだほうがマシだが、自身が死ぬよりは舐めてきた相手を殺してしまうほうが楽だし話も早い、それが術師ヨハンの思考だ。


彼の所属する魔術組織、『連盟』が人殺し集団だのなんだのと言われるのは、連盟所属の術師達が皆非常に個性的だからという理由が大きい。


彼らは独自の理念、ルールの様なものを持ち、それらに非常に重きを置いている。

これは極端な例えだが、例えば目の前で左手を使ってほしくないというルールを持つ連盟の術師が居た場合、彼あるいは彼女はそれを周囲の者へ知らしめる努力はするだろう。だがそれが守られなかった場合、その彼あるいは彼女はいとも容易く人を殺めるのだ。例え子供であっても平気な顔で殺害してしまうだろう。



ヨハンはその日の夜、ベッドに横になりながら手帳を眺めていた。彼の持つ手帳は元はといえば彼の母の私物だった。


家族の事を想うとヨハンは父への憎悪と母への思慕で散り散りになってしまいそうな圧力が心にかかり、心と言う目に見えないものが軋んでいくのを感じる。


父親の喉を掻き切り、浴びた血の熱よ!

あの時ヨハンはそれまで凍りついていた心が父親の血熱で溶けていく様を、どこか達観した様子で見ていた。


(叶うならば何度も、何度でもあの男を殺してやりたいものだが。ジャハム老ならばあの男に再び命を宿す事も可能だっただろうか)


ジャハム老とは連盟の術師だ。

人業遣いのジャハム。

人を業とし、業を器に押し込め、仮初の命を与え使役する。ジャハムは彼の孫である少女…の人形を常に連れており、その人形は人形と言われなければ気付けない程の精巧さだ。キワモノ揃いの連盟術師の中でも比較的温厚な老人である。



翌朝、ヨハンはギルドへと向かった。

金銭的な意味では昨日の依頼は全く実入りがないと言っても良かったからだ。


(金に困っているわけじゃないが、油断をするとすぐ懐が寒くなるからな…イスカは酒と飯が旨い。つい遣いすぎてしまう)


酒精中毒と言うわけじゃないがヨハンはそれなりに酒を嗜む。酒精は頭が緩くなり、良い意味で脱力させてくれるからだ。自身の気質は物事を陰鬱に捉えてしまいがちだということをヨハンは自覚している。


時折、堅苦しく、そして殺伐とした自身の気質を緩めてやらなければいずれは好んで破滅的な決断をする程に心がささくれるだろう、だからこその酒だ…


とヨハンは考えている。


(酒を飲む理屈をこねくり出しているだけだろうと“家族”から呆れられた事もあるが…確かにそうかもしれない。ともあれ、旨い酒と旨い飯は人生の彩りだ。それらを買う種銭を稼ぐには労働をしなければならない)


出来るだけ報酬が良く、そして面倒が少ない依頼はないか…と依頼掲示板を見ていると背後から声がかかった。


「あなた、その格好は術師さんかしら」


ヨハンが振り向くと、赤毛の女性が笑顔を浮かべ立っていた。


「私はセシル。ちょっと助っ人を探しているのだけど…話を聞いてくれない?」



「……成程、単眼大蛇か。それにしても指名依頼とはね。あの蛇は弾力に富み、それでいて強靭だ。剣やナイフだと分が悪いだろう。セシル、君達の中に術師がいないのならば依頼主はなぜ相性の悪い獲物を振ったんだろうな」


ヨハンが腑に落ちないという表情で言うと、セシルの横に座っていた少女が憤懣やるかたないといった様子で答えた。


「依頼を振ってきたのはブラヒ商会の豚よ!あいつ、セシルに一目惚れして色々ちょっかいかけてきてさ!セシルにその気がないって分かったら嫌がらせをしてくるようになったのよ!この指名依頼だって、うちら向きじゃないって分かってる筈なのに!」


濃紫の髪を振り乱し叫ぶ少女の名前はリズ。

セシルのパーティで斥候をしている。


その隣には大柄で浅黒い肌の女性が頭を掻きながら苦笑している。光の加減ではピンク色にも見える様な不思議な髪色であった。彼女の名前はシェイラ。パーティの重火力役と言った所か。大ハンマーが得物との事。


セシル、シェイラ、リズ。

女性三人組のパーティだった。


セシルに話を聞いてほしいと乞われたヨハンは、セシルがホームとしているギルドハウスへと移動した。

そして彼女の仲間…シェイラ、リズも同席して助っ人依頼の詳細を聞いているというわけだ。



(ブラヒ商会ね…ブラヒ…ブラヒ…)


ヨハンは脳裏に図書館を思い描く。

そして、ブラヒ商会なるものを過去に耳にした事があったかを調べた。


術師や学士にはよく見られる手法だが、これは所謂記憶術とよばれるものだ。

ヨハンの様に伝承や逸話から力を引き出すタイプの術師には必須の技能と言っても良い。

なぜなら世界には何百何千という物語が転がっているが、それらを記憶する為には普通のやり方では無理だからだ。


記憶した事柄を一冊の書物と見たて、脳内で構築した仮想の図書館に仕舞ったというていにする。

そして必要に応じて情報を取り出す…。

ヨハンの場合はこのような覚え方をしていた。


勿論この記憶術には様々な方法がある。

例えばとある学士などは体の部位…指などに記憶しておくというていで物を覚えたりする。

左手の人差し指を右回りに一同回すと、これこれこういう記憶がひっぱりだされる…という風に条件付けておくのだ。


「ブラヒ商会か、すまないが聞いた事がないな。話を聞く分では碌な商会ではなさそうだが」


「はあ?イスカの冒険者の癖にブラヒ商会を知らないとかモグリ?セシルの話だとそこそこできそうな術師だって話だけどさ、なんだかあんまり期待出来なさそうね」


ヨハンの言葉にリズが“こいつ頭正気かよ“と言う様な目をしながら返事を返す。

だがガストンより格下の自称斥候の小娘に腹を立てるほどヨハンは狭量ではなかった。


「随分生意気なメスガキだな。セシルやシェイラはどういう教育をしているんだ?もしここが町ではなく荒野だったらぶち殺して野犬の餌にしていた。筋肉の付き方、立ち居振る舞い…まごう事無き雑魚。2秒で殺せる。このメスガキは可食部分が少なそうだが、その点だけが野犬に申し訳ない」


(まあそう言うな、俺はイスカへ来たばかりなんだ)


ヨハンは狭量ではないから建前を言う位は出来る。

しかし本音と建前を間違えてしまった。

ヨハンは目を見開き失態を悟り、慌てて言い直した。


「すまない、本音と建前を言い間違えてしまった。先ほどの発言は本音だ。“まあそう言うな、俺はイスカへ来たばかりなんだ”…これが本来言おうとしていた建前だ」

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