死神

原田案山子

序 有標

 久し振りに寄席に足を運んでみた。もう昼だってのに、平日だからか、人の数は随分とまばらで、お年を召した方達ばかりであった。三十そこらの私はかなり浮くだろう。人間は生存本能的に、異質なモノ、「有標」に目を向けてしまう。高座に目をやると、「目黒遊撃隊メグロユウゲキタイ」という中々のセンスの名前の漫才師が芸を披露していた。彼らはきっと有標になりたいんだろう。其々それぞれ、赤と黄のきらびやかなジャケットを着ているのと、コンビ名がそれを示している。又、赤には活力・高揚、黄には愉快・注目をイメージさせる効果がある。そんなに具体的な意図を持っていたかは、おどけている二人からは、わからなかった。だが、残念。私の目当ては彼らの漫才なんかではない。目当ては、高名な落語家である、「八凪亭円游ヤナギテイエンユウ」。彼がトリを務めるのである。今年で74歳を迎えるにも関わらず、衰えを感じさせない、きびきびとした所作は尊敬に値する。私は目黒の二人組や他の演題を適当に聞き流しながら、ここへ来る前、自宅近くに新しく出来たパン屋で買ったハムレタスサンドを、駅内のコンビニで買った缶珈琲コーヒーで流し込む。まあまあ値が張るだけあって、味は良い。それからは、少し睡魔と戦ってみたりした。ふと、周りに目をやると、先程よりも人は増えてきていた、お年寄りが多い気もしなくはないが。時間を確認すると、もう15時を既に回っていた。後1時間程で、円游の出番であろう。その時、高座にいた落語家に目をやった。俳優やモデルの類として活躍していてもおかしくない程の青年が噺をしていた。どこかで見た気がするが、イマイチ思い出せない。目を隠してしまう一歩手前の前髪、その影に潜む、鋭くも、どこかに慈しさを感じる瞳。そこから醸し出される、独特の雰囲気。記憶の引出を無造作に開けてみたが、空振りだった。まだまだにわかだな、と心の中で反省する。仕方なく、メクリの方に目をやると、そこには、「八凪亭円禄ヤナギテイエンロク」と書かれていた。八凪亭円禄…思い出した。円游の息子で、5番弟子。前に、真打に昇進した時に、テレビで見たのだ。何ていう風に、勝手に納得していると、いつの間にかオチになっていた。そこからは、3組程の演題を見させられ、遂に円游のお出ましである。何の変哲もなく座布団に向かい、枕を噺し始める。程々に笑いをかっさらい、本題へと進む。演題は「死神」。死神は、円游の代名詞と言れてる程の得意な噺である。別人が毎度毎度取り憑いたんではないかと疑う程、個々の登場人物が出来上がっている。流石の技である。しかし、段々と円游から覇気がなくなっていった。そして、噺も終わりが見え始めていた。円游の体が前傾になる。すると、一言も発さなくなり、動かなくなった。まさか、飛んだ?いいや、有り得ない。あの真打が…。何か起きたと思った私は、自分に何が出来るかなんてわからない癖に、自席から飛び出していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る