上意である
「葬儀はすでに済んでいるそうだ」
元弟子の警官が持した後、黄昏に向かって縁側に座った衛は、傍に控える楓にぽつりとそう告げた。
「葬儀――ですか」
「芝村の縁者が遺体を引き取って、その日のうちに荼毘に付したとか」
楓は眉をひそめる。
「そのような方がいるとは、聞いておりません」
「そうだな」
「……どういうことです?」
「さて」
衛は頭を掻いた。
「どうにも、まだ俺たちの知らないことがあるのだろうなあ」
「…………ッ」
ぞわり、と殺気を発した妹を佐伯衛は一瞥し、また黄昏へと向き直り。
「秘剣破り、為らずか」
そう、呟いた。
◆ ◆ ◆
檜山喜一郎はその時、数えで十八歳であった。
父の名は檜山吉佐という、芝村の隅の水車小屋に住み着いた牢人者であった。
何処かの藩を脱藩したのだとか村人には言われていたが、詳細を知る者は誰もいない。あるいは昔はいたのかも知れないが、すでに住み着いてから三十年にもなっていた。彼自身もすでに老境に達していたし、村にきた頃にいた同年代の者の多くが鬼籍に入っている。御一新の頃に娶った嫁も、すでに先立っていた。気がつけば村で四番目の年寄りになってしまっていた。
水車小屋の周りに小さな家と小さな畑と小さな納屋を造り、一人息子の喜一郎と、それこそこじんまりとした生活をしていた。それは恐らく永遠に続くのかと思われるほどにのどかで緩やかで、変わりつつある世の中からいえば逆行しているかのような感をさえ覚えさせるようなものだった。
それが唐突に終わったのが、ほんの一年ほど前のことだ。
喜一郎は、その日のことをよく覚えている。
忘れもしない。
その日は、隣家が稲刈りをするというので手伝いに行っていて、帰ったのは夕刻で日も暮れようかという頃だ。
囲炉裏を挟んで、その男は父の前に座っていた。
着流しの父と対照的に、男の身なりは整然としたものだった。袴、着物、月代――どれもこれもが、ありえぬほどにその男が武士であるということを主張している。いかにこの村のこの家が昔めいているとは言っても、まさか武士はいない。いるはずがない。元武士という人間は吉佐以外にも何人かいたが、その誰もが今の時代に合わせたいでたちをしている。その男の姿は、まったくもって時代錯誤という他はなかった。
いまや芝居か黄表紙の中にしか存在せぬ、まさに古武士の姿だ。
その古武士は、土間から挨拶する喜一郎を一瞥して、僅かに首を上下させた。会釈なのだということに気づいたのは数瞬の後である。
「外に出ていろ」
今までみたことがないというほどに顔と声を険しくさせて、吉佐は言った。どうしてか、などと問い質すことができるはずがない。「解りました」とだけ言えた。
そのまま家の外でいることもできずに、隣家に行くこともせずに、喜一郎は水車小屋に篭った。
水車小屋は脱穀などに使われていたが、小さい頃の喜一郎はそこに出入りするのが好きだった。原始的ではあるが機械仕掛けがあったし、麦の匂い、米の匂い……一定のリズムで音が鳴り、小川のせせらぎが耳に届く。藁の上に毛布を敷き、その上に寝転がっているといつの間にか眠ってしまうということもままあったことだ。
父とあの古武士がどういう話をしているのかは気になって耳を済ませてはいたが、農作業で疲れていたということもあって、横になっているとすぐに眠気に襲われた。そんな中で声は聞こえた。「大殿様」、「遺言」、「秘剣」、――そのどれもが耳慣れぬ言葉だった。父の声が荒げられているのも、ほとんど初めてだった。そして。
「上意である」、ひときわ大きい声で聞こえた。
その直後に、何かに断ち切られたかのように喜一郎の意識が闇に落ちて――
数瞬の後か数刻の後かは知らず、激しい金属が鳴り響き、目を覚ました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます