4

 バーの外に出ると、すでに日が落ち始めていた。

 夕日が薄汚れた路地裏を赤く染め、それが異様に不気味に思えて、タイガは足早にその場を立ち去ろうとする。

 だがその矢先、路地の陰から物騒な身なりの男達が姿を現した。タイガの進行方向に三人、後ろから三人の計六人。いずれも髪を金に染めていたり、短く刈り上げたりしたいかつい見た目の男達だ。年齢はいずれも三十代ほどだろうか。中には身体に入れ墨を入れている男もおり、カタギでないことは明白だった。

 タイガはすぐに動き出せるように身構えながら、正面の男達に問いかける。

「レッドデビルズにしては年が行き過ぎてんな。さては、鷹尾組の人間か?」

「ガキにしちゃあ話が早いじゃねえか。俺は鷹尾組の杉村ってんだ」

 言って、短髪で首元に入れ墨を入れた男――杉村が前に歩み出てきた。高そうなスーツを着ているが、服の上からでもわかるほど鍛えられた筋肉をしている。値踏みするような視線でこちらをじろじろと眺め回してから、杉村は尋ねてくる。

「仙堂タイガっつったか? お前、何のために西川口の強姦殺人なんて調べてるんだ? 警察の潜入捜査官か何かじゃねえだろうな?」

「梶が潜入捜査官をチームに入れるほど間抜けに見えるか?」

「梶なんて、たかが二十そこらのガキだろうが。いくら能力があったとしても、人生経験が圧倒的に足りねえ。人を見抜く目がそこまで確かだとは思えねえな。お前が警察じゃねえなら、その証拠を見せろや」

「証拠を見せるって、どうすりゃいいんだ?」

「そうだな。まずはスマホをよこせ」

 杉村が問答無用で手を差し出してくるので、タイガは警戒しながら後退る。

「断るって言ったら?」

「答えなんてわかり切ってるだろ? 何のために人数集めたと思ってんだ」

 答えとともに、前後を包囲している男達が徐々に距離を詰めてくる。従っても従わなくても袋叩きにされる予感はするが、ひとまず相手の出方を見るためにも渡しておくべきだろうか。

 タイガは数秒迷った挙げ句、タイガは結局スマートフォンを杉村に手渡した。杉村はしばらくスマートフォンをいじってから、つまらなそうに投げ返してくる。

「ふん。さすがに露骨なやり取りとか、ロケーション履歴なんかは消してやがるか。なら、直接身体に聞くしかねえってことだな」

「……まぁ、そうなる予感はしてたよ」

 スマートフォンを腰ポケットに戻しながら、タイガは拳を構えた。

 相手は六人で、幸い武器は携帯していない。表通りからは距離があるため、騒いだところで助けは来ないだろう。スマートフォンで警察を呼ぶという手はあるが、それは一番最悪の手段だ。この状況で警察を呼んだら、ヤクザから余計に潜入捜査官だと勘違いされ、梶にも情報が伝わってしまう。その瞬間にレッドデビルズでの潜入捜査は打ち切りになり、犬飼を助け出すことはできなくなるだろう。

(つまり、ここは自力でなんとかするしかないってわけだ)

 タイガは覚悟を決めて、目の前の杉村に突っ込んだ。左右にフェイントをかけて逃げると見せかけて、真正面から前蹴りを叩き込む。だが杉村は前蹴りを腕で受けると、こちらの脚をあっさりと振り払い、前に踏み出して腹に拳を叩き込んでくる。

 避ける間もない素早い攻撃に、タイガはその場にうずくまった。頭が真っ白になり、呼吸もまともにできない。腹に力を入れて多少ダメージを軽減できたかと思ったが、思いの外威力が強かった。

(こいつ、レッドデビルズのチンピラどもとは格が違う……!)

 うずくまったタイガを取り囲み、ヤクザどもが四方から蹴りを叩き込んでくる。とっさに内臓と頭を守るように身体を丸めるが、容赦な痛みから身を守ることはできなかった。体中のあちこちを襲う激痛の連続に、タイガは何度も意識が飛びそうになる。

 体中が鈍痛で熱を発し始めた頃、ようやく蹴りが収まった。うずくまったタイガの髪を掴み上げ、杉村が顔を覗き込んでくる。

「これで吐く気になったか? まだ白状しねえなら、骨の何本かは覚悟したほうがいいぞ」

「……ざけんな。俺は、警察じゃない」

「ガキのくせに、意外と根性据わってるじゃねえか」

 杉村は感心したように言うと、とっておきの話を切り出すように満面の笑顔を浮かべた。

「いいだろう。お前を信じてやってもいいぜ。ただし、一つだけ条件がある」

「条件……?」

「レッドデビルズを内部から崩壊させろ。レッドデビルズの幹部が西川口の強姦殺人を調べさせてんのは、それがやつらにとって致命傷になりうるからだろう? その情報を俺達にも流せ。そんでもって内部から連中を引っ掻き回せ」

「なんで、そんなことを……」

「あいつらはでかくなり過ぎた。昔はうちの下請けとして泳がせてやっていたのに、今じゃうちと売上を食い合うようになってきやがった。ガキどもにそんな大金を回してたら、こっちは飯の食い上げだ。邪魔な組織はとっととぶっ潰れてもらって、残ったうまい汁をいただきたいんだよ」

 杉村は獰猛な笑ってから、最後通牒のように言ってくる。

「どうだ? 乗る気になったか? 協力するなら、お前にもそれなりにいい思いをさせてやるぞ」

 杉村はタイガが断る想定など微塵もないようだった。体中の痛みに耐えながら、タイガは口元に笑みを浮かべながら口を開く。

「冗談じゃねえ」

 杉村の顔から一気に表情が消えた。だが構わず、タイガは続ける。

「あんたらの犬になる気はねえ。レッドデビルズを潰したいなら、あんたらで勝手にやるんだな」

 死を覚悟しながら吐き捨て、タイガは朦朧とした頭で思考を巡らせた。

(レッドデビルズが潰れるのは構わないが、ヤクザに加担するのは絶対にごめんだ)

 タイガが渾身の力で睨み返すと、杉村は冷え切った顔でタイガを見下ろした。

「よし。殺すか――」

「ちょっといいか?」

 突然割り込んできた声に、全員が声のほうを振り向いた。

 見れば、タイガの後方を遮っていたヤクザ達の更に後方に、猪原が立っていた。ポケットに手を突っ込んだまま、這いつくばっているタイガをつまらなそうに見下ろしている。

 猪原を見るなり、ヤクザ達の顔に一斉に怯えの色が走った。ほとんどの者が明らかに尻込みして後退りする中、杉村だけが猪原に鋭い眼光を向けていた。

「猪原啓斗か。こんなところに何の用だ?」

「いや、連次にそいつを迎えに行くよう言われてさ。しょうがねえからわざわざ来てやったんだけど……なんか面倒なことになってたから、ついつい見物しちゃってたのよ」

「……お前、どこから見てた?」

「そいつが警察の潜入捜査官かどうか、ってところから」

 猪原が平然とした顔で言うのに、タイガは内心で悪態をついた。

(こいつ……最初から見てたってのに、俺を助けもしないでぼんやり見物してたのってか)

 怒りで頭がカッとなるが、一度深呼吸して冷静さを取り戻す。猪原の立場ならその判断は正しい。猪原からすれば、ヤクザの介入はタイガの素性と忠誠心を同時に知れる絶好のチャンスだったのだ。そのチャンスを利用して、タイガの考えを読もうとするのは当然のことだった。

 猪原は相変わらずポケットに手を突っ込んだまま、世間話のように軽い調子でヤクザに話しかける。

「で、悪いんだけどそいつを返してくんないかな? 連次が急ぎで呼んで来いって言っててさ」

「お前らをそのまま帰すと思うか? 俺がレッドデビルズをどうするつもりかも聞いてたんだろう?」

「あー。レッドデビルズを潰すってやつ? 別に俺はどうでもいいし、好きにしたら?」

「……なんだと?」

 杉村が聞き返すのに、猪原はあくまで軽い調子で応じる。

「そんな簡単に潰されるようなら、その程度のもんだったってことじゃん? レッドデビルズが潰れようがどうなろうが、あんま俺には関係ないし。まぁ稼ぎが減るのは困るけど、もう結構稼いだしな」

「えらく余裕じゃねえか。俺らがレッドデビルズを潰せるわけねえと思ってるのか?」

「いや、そんなの知らないって。それこそ、人数分の拳銃でも仕入れれば一瞬で潰せるんじゃねーの? まぁ発砲なんかしたら、そっちも終わりだろうけど」

 猪原が飄々とした調子で答える度に、ヤクザ達の顔に青筋が浮いていく。杉村はタイガの首に腕を絡めながら、猪原に警告する。

「まぁいい。どのみちお前らをこのまま帰すわけにはいかねえんだ。こいつが殺されたくなければ、そこでおとなしくしるんだな」

「は? なんでお前の言うことなんか聞かなきゃいけねーの?」

「……何?」

「だって、そいつが死のうがボコボコにされようが、俺には関係ないじゃん。なんでそんなやつのために、俺がおとなしくしてなきゃいけないわけ?」

 あまりにも屈託のない問いかけに、ヤクザ達はかえって恐怖を抱いたようだった。何のためらいもなく味方を切り捨てられる神経が、ヤクザからしても理解できなかったらしい。

 猪原は面倒くさそうにため息をついてから、ヤクザ達に背を向けた。

「そいつを返す気がないならいいや。連次にはどっか行ったって言っておくから、もう勝手にしてくれ」

 それきり、猪原は本当に背中を向けたまま路地を歩き去ろうとする。ヤクザ達はぽかんとしたまま、数秒だけそれを見送っていたが、すぐに我に返って杉村が声を上げた。

「猪原を逃がすな! やっちまえ!」

 その声と同時に、背を向けた猪原に向かってヤクザどもが一斉に襲いかかる。

 猪原は瞬時に振り返ると、一番最初に近づいてきた男の腹に右ストレートを叩き込んだ。その男が一撃でダウンしたのを確認する前に、猪原は凄まじいフットワークで別の男の顎をフックで殴る。顎を殴られて脳を揺らされ、その男もただの一撃で地面に倒れ伏した。

 あっという間に二人が倒され、残りの四人のヤクザが一気に警戒心をマックスにする。各々がポケットからナイフを取り出し、距離を取りながら猪原を包囲しようとする。

 猪原はヤクザ達をぼんやりと見回してから、うんざりしたように嘆息した。

「めんどくさ。そっちの都合で、勝手に襲いかかって来ないで欲しいな」

「お前の都合なんか知るか、ボケ」

「……はぁ。だる。さっさと片付けるか」

 独り言のように呟くと、猪原はようやくファイティングポーズを取った。軽やかなフットワークでステップを踏むと、一番右から猪原を包囲しようとしていたヤクザに肉薄する。

 ヤクザはすかさずナイフを突き出すが、その時にはすでに猪原は腰を落とし、ナイフの軌道の下に潜り込んでいた。そのままがら空きの腹に拳を叩き込み、一撃で相手を沈黙させる。

 その隙に別のヤクザが猪原に接近し、猪原の首を狙って横薙ぎにナイフを振るう。猪原はそれを予想していたかのように、軽やかなステップでナイフの間合いから逃れると、すぐに前進して相手の懐に入り込む。相手は再度ナイフを振り回そうとするが、それよりも猪原のほうが速い。前進の勢いのまま顎にアッパーを食らわせ、更に一人ダウンさせる。

 猪原が先の二人を相手にしている内に、一人が猪原の背後に回り込んでいた。猪原の背中にナイフを突き立てようと突進するが、猪原は振り向きざまに回し蹴りを放ってヤクザの手からナイフを弾き飛ばした。

 得物を失った男は一瞬呆然としたが、その一瞬で猪原は間合いを詰めた。前進した推進力をそのまま拳に乗せ、体重の乗った拳を相手の腹に叩き込む。

 五人のヤクザを倒した後、猪原は残った男――タイガを捕まえ続けている杉村に視線を向けた。杉村はタイガの喉元にナイフを突きつけ、猪原に向かって吠える。

「動くな! こいつがどうなってもいいのか!」

 当然、猪原にそんな手が通じるわけがなかった。

「さっき言わなかったっけ? そいつが死のうが知ったこっちゃないって」

「お、お前、こいつを連れてくるように言われてたんじゃないのかっ? こいつが死んだら、お前が責任を問われるんだぞ!」

「あんた、何か勘違いしてないか? 誰が俺の責任を問えるってんだ?」

「何を言ってる? 梶に決まってるだろ!」

「だから、連次が俺をどうできるんだって聞いてんだよ」

 猪原はイライラした口調で答えながら、問答無用でこちらに歩み寄ってくる。杉村がナイフをタイガの首に近づけ、首筋にチクリと痛みが走る。死の危険が身近に迫るのを感じたが、タイガは震えをこらえて動くべきタイミングをじっと待った。

 こちらの首から出血してようが気にした風もなく、猪原はそのまま近づいてくる。杉村はようやく脅しが無駄だと悟ると、タイガの首筋からナイフを離し、猪原に突きつけた。

「クソがっ! ガキのくせになめやがって!」

 その瞬間を見計らって、タイガは拘束を振りほどいて転がるようにヤクザの懐から離れた。そのままヤクザは猪原に向かって突進していく。

 猪原は半身でファイティングポーズを取ると、その場でステップを刻みながら杉村が迫ってくるのを待つ。ナイフの間合いに入り、杉村がナイフを突き出そうとした瞬間――ムチのように素早くしなったジャブが、杉村の顔面を鋭く打っていた。

 杉村は数歩よろめいてから再度ナイフを構えるが、その顔には絶望が浮かんでいた。傍で見ていたタイガにも、彼の気持ちは理解できる。

(猪原は、あえて一撃で相手をダウンさせなかった)

 散々面倒事に突き合わされた腹いせなのか、猪原は最後に残った杉村を思う存分いたぶるつもりのようだった。

 獰猛な獣のような笑みを浮かべ、猪原は半身でファイティングポーズを取りながら、おちょくるように人差し指だけで手招きする。杉村は荒い呼吸を繰り返しながら、どうするべきか一瞬悩んだ後――唐突に、猪原に向かってナイフを投げた。

 高速で飛来したナイフを、猪原はスウェーだけであっさりとかわす。当然、杉村はそれも織り込み済みだった。猪原がナイフに気を取られた隙に、杉村は猪原から背を向けて全力で逃げ出そうとする。

 だが、猪原はそれを見逃すほど機嫌がよくなかった。

「逃がすかよっ!」

 猪原はダッシュで杉村を追いつくと、その背中に思い切りドロップキックを食らわせた。杉村は路地の壁に思い切り叩きつけられるが、残った気力を振り絞ってなんとか逃げようと地面を這う。そんな杉村に歩み寄ると、猪原は作業のように相手が意識を失うまで顔面を殴り続けた。

 ようやく乱闘が終わると、猪原は心底つまらなそうに嘆息を漏らした。

「ったく、ザコのくせに粋がるんじゃねえよ。鬱陶しい」

 そんな猪原を眺めながら、タイガは背筋が震えるのを感じた。

(こいつ、思っていた以上に危険過ぎる)

 武器を持った六人のヤクザを、たった一人で片付けるとは……正直、想像の遥か上を行く強さだ。レッドデビルズの中に、猪原を止められるものがいないというのも納得だ。この男はカラーギャングなどでケンカをしていいレベルの人間ではない。まともに格闘技をやっていたら、おそらく世界を狙えるような人間になっていたのではないだろうか。

 畏怖の念を抱きながら、タイガは思わず猪原に声をかけていた。

「……助けてもらってありがとうございます」

「あぁ? 別に助けるつもりなかったし、礼なんかいらねえよ」

「あの、一個聞いてもいいですか?」

 タイガが尋ねると、猪原は面倒くさそうに眉を寄せる。一瞬たじろいだものの、猪原が何も口にしなかったので疑問をぶつけることにした。

「猪原さんは、レッドデビルズを乗っ取ろうとかは思わないんですか?」

「は? なんでそんなことする必要あんの?」

「い、いや……あんだけ強かったら、そういう道もあるんじゃないかと思って。梶さんの命令に従ってるのも、面倒くさそうな感じだったし」

 猪原は心底つまらなそうにため息をついてから、独り言のように質問に答えてきた。

「つまんねえ質問だな。俺は連次みたいに金儲けはできないし、人に指示を出す性分じゃないんだよ。チームのトップだの、そういうめんどいのは向いてるやつに任せる。連次からもらってる金にも満足してるし、金払いがいい内は従うつもりだよ。金はいくらあって困ることないしな」

「お金以外の興味はない、ってことですか?」

「逆に聞くが、こんなクソみたいな仕事、金以外の目的でやるやつがいるか? 連次はまぁプライド高いから、大学中退しても負け犬になりたくなくて、自分がトップに立てる道を選んだんだろうけどさ。俺は上だの下だのは心底どうでもいいんだよ。誰かに偉そうに指図されるのなんてごめんだけど、連次はそのへんわきまえてるから無駄にイライラしなくて済む。俺は今みたいに自由に生きれて、遊べる金がもらえれば何でもいいんだよ」

「レッドデビルズに愛着はなくても、ですか?」

「文句あるか?」

 猪原が端的に聞き返すのに、タイガは首を横に振った。

「いえ。つまらない質問をしてすみません」

「ホントだよ。ほら、さっさと行くぞ」

 悪態をつくと、猪原はさっさとその場を歩き去っていく。

 長く伸びたその影を追って、タイガは夕日に染まった赤い街並みを走り出した。

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