第37話 御殿会議(4)
「あれ、どうしたの?」
大人しい柚子に、戸惑っている様子の千代。何かあったな、ということは、紗枝は、女の勘を働かせるまでもなくわかった。三人で駅まで歩きながら、千代は紗枝から聞かれるままに、教室でのことを話した。
「――なるほどね。千代、お寿司食べる?」
「えぇ!? えっと、超好物だけど」
「じゃあ今日は寿司屋ね」
「おぉ! お寿司!」
千代は拳を振り上げた。
「柚子も強制連行ね。――大丈夫、今日は二人とも、私が奢ったげるから」
ぽん、と紗枝は腹を叩いた。
「いやそれは悪いよ!」
千代は、流石に遠慮する。しかし紗枝は、いいのいいの、と豪快に言ってのける。
「今年も料理部ウハウハなのよ。儲けが一番多いのは、やっぱりダントツでオムレツの屋台なんだけど、他もしっかり利益出してるから、配当金で黒字なのよ!」
紗枝はそう言って、二人を上機嫌で先導した。駅の横の橋を渡り、緩やかなカーブの上り坂をほんの少しだけ歩いた先に、〈御殿鮨〉という寿司屋があった。小さい引き戸には暖簾がかかり、知る人ぞ知る地元の名店、というような通の雰囲気を醸し出している。寿司と言っても一皿百円くらいの回転寿司だと思っていた千代は、背中に冷たい汗をかいた。
紗枝はためらいなく引き戸を開けて暖簾をくぐった。二人もそれに続く。
茶ノ原高校の制服を着た三人が入っていくと、店の主人は、「おっ」と、口を窄めた。しかしそれより驚いたのは、千代と柚子だった。こんな寿司屋の主人だから、頑固そうな親父をイメージしていたのだ。ところが、主人は四十台ほどの女性だった。
「いらっしゃい」
「こんばんは。三人なんですけど、お座敷空いてますか?」
「どうぞ、使ってください」
三人は、入口から一番遠い座敷席に入り、隣の座敷とを区切るふすまを閉めた。紗枝は壁側の席に柚子と千代を通して並んで座らせ、紗枝はその向かいに座った。
「紗枝、本当に、大丈夫なの?」
ささやくような声で千代が聞いた。
「大丈夫、大丈夫。もう何度か来てるトコだから」
「そうなの?」
「私よく、父さんに寿司買って来いって頼まれるのよ。学校の近くにはどんな寿司屋があるんだ――って。おかげでもう、この土地のお寿司屋さんは大体制覇しちゃった」
「す、すごいね……」
寿司屋めぐりが趣味という友達は、千代にもさすがにいなかった。
「どうぞ」
女主人が三人分のお茶を運んでやってきた。優しい声に、きりっとした目元。時代劇に出てくる女武芸者のようである。
「昼間、文化祭観に行ったのよ」
お盆を抱えて、女主人は三人に微笑みかけた。
「え、ソノさん、来てたんですか!?」
紗枝が驚いて声を上げる。
「毎年観に行ってるのよ。茶ノ原高校の文化祭は面白いから」
女主人にそう言われて、柚子と千代ははにかむような笑顔を見せる。
「私料理部で、お店出してたんですよ。地中海料理の」
「あら、そうだったの。食べておけばよかった」
来年はお願いします、と紗枝は答えた。
「今日は、どうします? 予算があれば、それに合わせて握りますよ」
「これで三人前、お願いします」
紗枝は財布からお札を二枚取り出すと、気前よくぽんとテーブルの上に置いて、そのまま三本の指ですすっと、女主人のソノさんの方に滑らせ、押し出した。そのお札が、千円でも、五千円でもなく、渋沢栄一のピン札だということを見て取るや、千代と柚子は首を振った。
「紗枝ちゃん、それはちょっと――」
「おかしいって、紗枝、おかしいって!」
しかし紗枝は、二人の心配と遠慮を豪快に笑い飛ばした。
「いいのいいの! 使う時に使うためにお金ってのはあるんだから! じゃ、ソノさん、お願いね!」
「紗枝ちゃん、大盤振る舞いね。でも、いいわねぇ、そういうの。私好きよ。きっと大物になるわね。――ではこれは、ありがたくいただきます。美味しいの作るから、待っててね」
ソノさんは二枚の一万円札を何気なく受け取り、カウンターに戻った。
紗枝は上機嫌で、酒でも飲みそうな勢いである。
「――さて、なんだっけ。柚子が近藤さんに嫉妬した話だっけ?」
「しっ――」
反論しようとした柚子は、しかし言葉を止めてしまった。「嫉妬」と言われたことに反論しようとしたが、少し考えると、確かに、あれは「嫉妬」だったのかもしれないと柚子は思った。そう思うと、今度は恥ずかしさが込み上げてくる。
「柚子に嫉妬されるって、逆にさ、羨ましいんだけど……」
「なんでよ!」
千代の言葉に柚子が突っ込む。
「柚子ってやっぱり、ダンス部でもモテるの?」
「そりゃあもう、モテモテだよ。後輩とか、女の子でも、話しかけられただけで、目なんてうっとりしてるもん」
「してない、してない」
「してるって。男子に限ってはね、ちょっと距離置かれてる。高嶺すぎて」
ふーん、そうなんだと、紗枝は頷く。そうなると、柚子も余計に、やりずらいだろうなぁと、近頃は柚子に同情さえ覚えてしまう紗枝だった。そんな中で、千代のような明るい子が柚子の友達だというのは、納得がいった。ただ明るいだけでなく、千代は、柚子と争うつもりがない。女のライバル心があると、きっと柚子とは上手くいかないのだろうと紗枝は思っていた。しかしそういう女子の殆どは、逆に、柚子とは一線を引く。争うのを諦めた自分が惨めになるから、それを自覚しないように、柚子とは距離を置く。そんな中で、柚子は千代には心を許している。その理由を、まだほとんど初対面だが、紗枝はよくわかった。争わず、でも一線を敷かず――要するに、普通の友達関係だ。でもそれが、柚子の場合は難しい。
「モデルの何とかって子、うちの店でさ、妙に柚子にライバル心燃やしちゃってんの。ファッションショーの後ね」
「あぁ、なんか言ってるよね。素人のくせにとか、なんかね。嫌だ嫌だ」
紗枝と千代はそんなことを言いあって、互いに共感を見せた。
柚子も、自分に敵意が向けられているのを知らないわけではなかった。気にしないようにしていたのだ。しかしやっぱり気になっていて、二人に味方をされると、胸に熱いものが込み上げてくるのだった。
「柚子明日、どうするの? 川野の誘い、ちゃんと断った?」
「あ、そうだよ。川野、やたらアプローチかけて来てるでしょ」
「う、うーん……」
柚子は、困ってしまった。
明日は、開演セレモニーの後、十二時までは時間が空いている。川野に誘われたのは、その時間だった。十二時以降は、ファッション部と写真部が共同開催する〈コスチューム撮影会〉というのが中庭で三十分ほど開かれて、柚子はそれに、今日の衣装――〈時計ドレス〉で被写体として参加する。その後は有志団体でワンステージあり、四時からは文化祭の大きな目玉の一つ、〈フィナーレコラボレーションステージ〉にダンス部として参加する。
だから、午後は断るにしても口実があったが、午前中は、柚子は確かに暇だった。その時間、他に誘われてもいず、予定もないので、断るのも申し訳ないと思い、柚子は結局、川野の押しに負けて、誘いを受けていた。柚子がそれを言うと、二人は反発しかけて、しかし互いに顔を見合わせた。
「「あー、そういう戦略もありか?」」
二人して、同じことを言う。
「戦略って……?」
「だから!」
千代が、じれったそうに柚子に説いた。
「川野には当て馬になってもらって、その、水上君? の嫉妬を誘うって作戦」
「えぇ、そんな、怖いよ……」
紗枝は頭を掻いた。
ちょうどそこへ、主人のソノさんが、竹の皿や笹を模した小皿、モミジ葉で彩られた長皿などを、続々と運んできた。菊の花びらを模して小皿に盛り付けられたガリ、松茸のお吸い物、握りは四貫、ズワイガニ、紅葉鯛、墨烏賊、ばい貝。その造形は芸術品のようだった。父の影響でいつの間にか通になっている紗枝は、さすがソノさんと、唸るのだった。
「今日はスペシャルコースだから、どんどん食べてね」
食材の説明をすると、ソノさんはそう言って、再びカウンターに戻っていった。
「ねぇねぇ、これ、食べる順番とかあるの?」
千代が、小声で紗枝に聞いた。
「大丈夫だよそんなに心配しないでも、美味しく食べればいいの」
「そ、そっか。よし、じゃあ、カニをいただきます」
千代は緊張した面持ちで、カニの寿司を口に運ぶ。
一口では食べ切れず、とりあえず咀嚼する。カニの濃厚な風味が口の中に広がり、酢飯の香りと一緒に鼻から抜けていく。柚子は柚子で、松茸のお吸い物を飲んでいた。柚子も、紗枝に連れられて回らない本格的な寿司屋に行ったことは何度かあったが、松茸が出てきたのは、今日が初めてだった。
美味しい、という言葉を発すると香りが逃げてしまうので、柚子と千代は、それさえも惜しく思い、口の中で香りが消えていくまで、じっくりその味を楽しんだ。その間に紗枝は、お吸い物を飲みながら、ばい貝と墨烏賊を完食していた。
「うーん、美味しい」
紗枝が言うと、柚子と千代も、深く頷いた。
「――でも柚子、気を付けた方がいいよ」
「……何の話だっけ?」
「水上の話。明日川野と回るんでしょ?」
「うん……」
「まぁ、川野のことは知ったこっちゃないけど、水上はさ、嫉妬しても、柚子を奪い返すような強気なこと、する度胸があるようには思えないんだよね、柚子には悪いんだけどさ」
柚子はお吸い物を少しだけ口に含み、俯き加減で少し沈黙した後、答えた。
「水上君、私の事好きじゃないって言ってたしね……」
え、と千代が反応する。
いやいや、と紗枝が手を振る。
「たぶんそれ、柚子の勘違いだよ。実はね――」
と、紗枝は、川野と詩乃の口喧嘩を柚子が聞いてしまったという話を千代に話した。これも当然、千代には初めて聞く話だった。紗枝から話を聞いた後、千代は柚子に言った。
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