第6話 恋色リトマス紙(2)

 それたぶん〈吊り橋効果〉ってやつじゃない?


 柚子から相談を受けた紗枝は、そう言って返した。柚子が相談したのは、他ならぬ水上詩乃のことだった。林間学校で火傷の手当てをしてもらって以来、どうも水上君のことが気になってしょうがない。これは、恋かもしれない、そんなことを柚子は紗枝に打ち明けたのだ。


 場所はファミレス、時刻は夕方六時半で、まだ外は明るい。


 じめついて蒸し暑い六月中旬、ダンス部でマスゲームの練習をした後では、ファミレスのような冷房の効いた場所でなければ、とても話す気分にはなれない柚子だった。下はジャージのハーフパンツ、上はダンス部のオレンジTシャツという格好である。


 学校近くのファミレスで落ち合った紗枝の第一声は、それ、どうかと思うよ、だった。一応華の高二女子なのだから、もう少しそれっぽい格好をしたらどうか、と思った。とはいえ、それでも、スタイルも良く顔も整ったわが友柚子は、鶴が着飾りますかとばかりに、適当な格好をよくしている。


 一方料理部の紗枝は、活動中に使っている、汚れても大丈夫なTシャツから、しっかり制服に着替えなおして来ていた。本当は、動きにくいからという理由でスカートは嫌いな紗枝だが、柚子のように外でも平気でジャージやそれに類するズボンを穿くのは嫌なので、制服で我慢している。


 店内に入り、紗枝はアイスティー、柚子はオレンジジュースを前にして、タコサラダとソーセージとポテトの盛り合わせが運ばれてきたところで、柚子が今日の議題を切り出したのだった。


「あの時は、火傷をして気持ちが高ぶってた。その高ぶりを、水上への恋心と錯覚して今に至る、そんな所じゃな――柚子、アンタどんだけ腹ペコなの……」


「――ひゃんと、聞いてるよ! いや、最近練習、キツくてさ」


 もぐもぐとポテトを頬張る柚子。体育祭では。ダンス部は有志の生徒と一緒にマスゲームを踊る。その振付指導もしながらの練習だから、この時期大変なのはわかる。わかるけど、なんでアンタはカロリーとか糖分とか気にしないの、と思う紗枝だった。


「じゃあ、恋じゃないって、こと?」


「そういうこと!」


「そうかなぁ?」


 ぱくぱく、もぐもぐ、サラダを取り分けて、バリバリとタコスにソースをかけて食事を進める柚子。こういうところがまた、柚子の魅力なのよねぇと紗枝は思うのだった。気取らない、飾らない、常に素を見せる。柚子だから許されるそういう振る舞いは、男子でなくても憧れるものだ。ぶりっ子は嫌われる、かといって、男子の目が気にならないわけがない。結果、がさつとぶりっ子を足して二で割った、いわゆる、普通の女子が出来上がる。ただ柚子の場合は、素の言動が容姿とあいまって可愛いから、男子に媚びる必要も、同性の目を気にした、あえてのがさつさも、演出する必要が無い。


 そんな子が、恋? 誰に? 水上に?


 いやいやー―やめてくれよと紗枝は思った。それならまだ、川野の方が幾分かマシだ。――川野というのは、紗枝の中学時代からの男友達で、去年は三人とも同じクラスだった。そして実は、柚子と川野は、去年の今頃は、付き合っていた。林間学校のキャンプファイヤーの時に川野が告白して、押されるような形で、柚子がそれを受けた。結局その関係は二か月であっけなく終わってしまったが、まだ、水上よりは〈ありえる〉相手だったと紗枝は思っていた。


「なんか、変な感じなんだよね」


「変って、何が。水上が?」


「水上君は変だけど、私のその、気持ちが」


 そこで柚子は食べるのを一旦やめて、俯き、そしてぽつりと言った。


「自分でも、よくわからない」


 いやいや、と紗枝は三角形のタコスの先を柚子に向けて言った。


「絶対勘違いだって! 柚子、自分を見失わないで!」


「え、なんで!? なんでそんなに否定派!?」


「だって、水上でしょ?」


 紗枝は、今や再び、完全にアンチ詩乃に傾いていた。挨拶は毎日無視され、柚子のわざわざ誘っていたランチタイムからも抜け出し、その他の時でも、俺に慣れ合いは不要だとばかりに、徹底して他人を寄せ付けないオーラを放っている。


 気取ってるんじゃないわよ、と紗枝は詩乃の顔を見るたびに思っていた。


 林間学校で柚子の手当てをしたときは確かに見直した。あれは正直、すごいと思った。でも結局、やっぱり水上は水上だ。打ち解けようとか、仲良くしようという気がまるでない。一番腹が立つのは、柚子があれだけ仲間に入れようと誘っているのに、それを、片手でハエを追い払うかのような傲慢さで鬱陶しがっていることだ。


 お前は、柚子がこの学校社会におけるクイーンであることを知っているのか。お前のようなぼっちに女王が手を差し伸べているんだぞ。頭が高いわボケ! そんな悪態を、紗枝は心の中でついている。柚子にクイーンの自覚があるかどうかは置いておいて、水上は人としてどうかと思う、というのが紗枝の詩乃に対する評価だった。


「逆に聞くけどさ、柚子、あいつの何がいいの?」


「ええと――」


「挨拶無視する、ぼっちのくせに生意気、柚子の誘いを断る、会話できない……あいつに、何があるの? あいつとのデートとか、想像できる?」


 紗枝に言われたので、柚子はデートを空想してみた。


 林間学校二日目の夜、森の中、二人並んで夜食のカレー食パンを食べている時の事を思い出してしまう。そのことは、柚子はまだ、誰にも言っていなかった。あれは本当に、先生にバレでもしたら、自分も水上君も大目玉だろう。時効もたぶん、卒業後だ。


「第一、何話すの、水上と。ギャルゲの話とかされるかもよ?」


「紗枝ちゃん、それは偏見だよ」


「偏見上等よ」


 激しい紗枝の物言いに、柚子は思わず笑ってしまう。あけすけで、その上力強い。さすが紗枝だなぁと感心してしまう。何を言っても嫌味が無いのが、紗枝のいい所だと柚子は思うのだった。


「水上君、小説書くんだって」


「あー……そう」


「文芸部だから」


「うちの高校、文芸部なんてあったっけ?」


「水上君一人なんだって」


「そこでもぼっちか……」


「でも、部室貸し切りで、ちょっと羨ましかったよ」


 柚子の発言に、紗枝が前のめりになる。


「え、柚子、わざわざ部室行ったの!?」


「う、うん……先週、ね」


 なんでそんなに目を見開くの、と柚子は紗枝から身体を引いてしまった。


「それね、私が思うに、同情だよ」


「同情?」


「水上みたいなぼっちを、柚子は放っておけないんだよ。水上がぼっちだから、気になってるだけ。そこに火傷の吊り橋効果もあって、脳が混乱してるんじゃない」


 果たしてそうだろうか、と柚子は考える。


「じゃあ、水上が他の女子と話してるのを想像してみて」


「うん……」


「どう? 何か感じる?」


「……想像できないんだけど」


「うん、私が悪かった」


 確かに、水上と他の女子の会話なんて、ハシビロコウと人間のじゃれあいくらい想像できないことだったわねと、紗枝はアプローチの変更を思いつく。


「じゃあ、明日、私が水上と二人で話してみる」


「え、なんで?」


「それを、柚子は見てて」


「それで?」


「まぁいいから。それで大体、わかるでしょ」


 柚子に持ち出した議題については、それで決着がついた。






 柚子と紗枝のファミレス会議の翌日は、朝から雨が降っていた。


 昼休みの教室の賑わいは、雨が降っていると余計に大きく感じられ、詩乃は昼休み前の授業が終わると、弁当だけをひっつかんで、逃げるように教室を出ていった。目的地は文芸部部室――ということは、柚子も紗枝も承知している。


 二年A組の教室はML棟(ミラーエル棟の略称。校舎の形が正門から見て逆L字をしているため)の奥、L字でいうところの、書き始めのあたりの二階にある。ML棟のその先にはCL棟(CLはカルチャーの略で、つまりは文化部のこと)があり、文芸部部室は、CL棟の一階の隅。ML棟とCL棟は、一階に屋根の付いた吹き抜けの渡り廊下があり、そこから行き来することができる。逆に言えば、ML棟とCL棟を行き来するには、必ずそこを使う必要がある。(一年生の教室があるSL棟はML棟の隣にあり、その一階からもCL棟と行き来するための渡り廊下があるが、わざわざそんな遠回りをする生徒はいない)


 紗枝と柚子は、詩乃の後を追いかけた。2A教室を出て、階段を降り、渡り廊下。すたすた歩く詩乃の後ろ数メートルをついていく。


 雨の渡り廊下。


 その中ほどあたりで、紗枝は歩みを早め、一気に彼我の距離を詰めた。雨音は、二人の足音をすっかり隠していた。紗枝の後ろには柚子がいて、柚子は、紗枝が詩乃の肩を叩く少し前に、近くの柱の陰に身を隠した。


 肩を叩かれた詩乃は、振り返った。

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