第1話 装着者・松井和也

 MESは日本屈指の総合産業企業である。

 元々は国営企業であったが、民営化された折に多種多様な事業展開を始め、歯ブラシからミサイルまで、どこかに視線を遣ればMESの商品が目に入るとまで言われている。

 江東区の一角に、MESのビルが存在する。

 門扉を潜り、和也はビルの中へと入った。

 エレベータを使い、五階まで移動する。扉が開き、眼前には固く閉ざされた別の扉がある。社員証を翳し、指紋認証を行い、中へと入る。

 室内は、気持ち悪いほどに白しかない空間であった。

 壁も天井も真っ白で、窓はない。机も白く、椅子も白い。時折通り過ぎる人間も白衣を着ているので周囲の景色に紛れすぎている。髪の毛の黒が際立ち過ぎ、生首が移動している錯覚さえ感じてしまう。

「やぁ、松井君。お疲れ様」

 その中で、女性のアルトが名前を呼んだ。

 周囲の人間と同じく白衣を着た、妙齢の女性だ。不自然なほどの真っ黒なショートカットにノンフレームの眼鏡。知的な印象を与えるが、不自然な黒髪のせいで、奇人の類だと直感する人間が多い。

「どうも、竜胆寺りんどうじさん」

 軽く頭を下げ、和也は彼女に近寄る。

 竜胆寺巳那深りんどうじみなみ。MES軍需部開発部門第一開発室筆頭主査。年齢は秘密。知ったら生まれてきたことを後悔させられるという噂があるが、事実は闇の中である。

 彼女こそ、和也の体に措置を施し、MAZ-0の装着者にした張本人である。

 竜胆寺に招かれるように、和也は移動を始めた。

 とある部屋の前に通される。中に入ろうとすると、一人の青年が中から現れた。

「あ、松井君じゃん」

 そう言って笑みを浮かべるのは、二十代半ばの青年である。

 石田秀平いしだしゅうへい。和也と同じく装着者の一人であるが、秀平は一世代前の強化スーツTelFの装着者である。詳細は知らない。和也はMESに来てからまだ三ヶ月ほどだ。他の人間の戦闘など、模擬映像でしか見たことがない。

「あ、石田さん。お疲れ様です」

 慌てて挨拶する和也。一回り年上の先輩に挨拶すると、秀平は意味ありげな笑みを見せ、

「さっきまでCTVの生物兵器バイオウェポン十匹くらいと戦っててさ、今身体検査スキャニングが終わったところ」

 自慢するように、戦果を語った。

 まだまだ話し足りないようで、さらに雄弁を続けようとする。しかし、竜胆寺がジロリと睨むと、すぐに肩を竦めて去っていった。

 室内へ通されると、真っ白な手術室という印象を与える空間に出くわす。

 和也は大きな溜息を漏らし、もじもじと照れながら衣服を脱ぎ始めた。


「で、SFTの強化人間パワードだって?」

「はい。三人です」

 衣服を着ながら、和也は先の戦闘を報告した。

 和也はMESの社員であるが、その業務内容は特殊だ。

 現場調査業務。そういえば普通に聞こえるかもしれないが、事実はただ外に出てぶらぶらしているだけである。

 MESが望むのは、競合他社の勢いを殺ぎ、自社製品のデータ取得及び改良である。

 和也の場合、他社に襲わせることでMAZ-0の実戦稼動データを取得すると同時に、その撃退により他社の製品開発の妨害を行うことができる。つまり、わざと襲われているのだ。

 主な競合会社はSFT・KDI・CTVの三社。

 これらの企業の特徴は、軍需産業部門を有する複合企業である点だ。

 それぞれの会社の強みは存在するが、互いに「こちらの方が有用で素晴らしい」と主張しあっているため、犬猿の仲なのであった。

 先ほど戦った大男三人は、SFTの強化人間パワードと呼ばれる身体能力を飛躍的に向上させた人間である。外科的処置と薬物の投与によりその能力を与えられているが、その弊害で脳の言語野に異常をきたしている。特に発声が困難であり、ただ闘うことにしか使用用途を見出せていない代物である。もっとも、先の戦闘で出てきたのは表に出せない過酷な人体実験の結果であり、市場に回る強化人間とは凡人をアスリート並みの運動能力へ向上させるレベルのものであったりする。

「お前も随分と舐められたもんだね。ゼロにはそんなんじゃ相手にならないっていうのに」

 やれやれと、竜胆寺は憮然と語った。

 ちなみに、ゼロというのはMAZ-0の非公式名称であり、開発部門ではそれで通っている。

「シュベルト、ハマー、ゲベールは好調だね。他の武装も随時装備させておくから、楽しみにしていな」

「はあ、どうも……」

 あまり有り難味を感じることなく、和也は適当に相槌を打つ。

 万能戦闘型であるゼロは、ベルトにカードを読み込ませることで、情報を読み込み、『データの物質化』を行う。それが各武装であり、ボディアーマーはその装備特性に合わせて再設定され、色彩が変化するようになっている。

 〝テンションソード〟装備の『シュベルトフォルム』は高速機動設定に。

 〝ラチェットハンマー〟装備の『ハマーフォルム』は重装甲設定に。

 〝クランプガン〟装備の『ゲベールフォルム』は演算能力を火器管制FCS重視に。

 どうやらまだ武装追加の予定があるようだが、かなり強力な現状の武装をより多様化するというのは、未だゼロの力に慣れきっていない和也にとっては気後れ、もしくは畏怖と呼ぶべき感情が首を擡げてしまう。なにせ、ゼロを装着すると、妙に冷静になり、そのくせ破壊衝動が強くなってしまうからだ。

 竜胆寺曰く、「演算機からのフィードバックが大脳に影響を与えている」らしいのだが、どうせすぐ慣れると言われて、話を切り上げられてしまった。

「今日はもういいよ。帰って休みな」

 いくらか話をした後、竜胆寺はそう告げた。和也としても願ったりだ。ゼロ着用後は肉体的・精神的にも大きな疲労に襲われる。それに加え、あんな血生臭い行為をしたのだ。心が悲鳴を上げそうだった。

 というわけで、すぐさま帰路に着く。

 私鉄に乗り、千葉県へ。そこからJRに乗り換えて、総移動時間は一時間ほど。

 団地といった印象のマンション、その一室が、和也の自宅だった。

 1DKの室内は、特に散らかっているというわけではないものの、ビニール袋の中にある重なった弁当の箱を見ていると、独身男の一人暮らしであることを和也自身に強く意識させる。

 小さなチェストの上に、写真立てがある。

 和也と、隣に映る十二歳の少女。仲睦まじく笑い合う二人は唯一無二の血縁者であり、親類縁者は現在存在しない。両親は交通事故に巻き込まれて鬼籍に入っており、妹もその事故のせいで入院中である。

香奈かな……」

 妹の名を呟き、そっと写真に手を触れる。

 面会日は限られているので頻繁には会いに行けないが、明日見舞いに行こうと決意する。

 と、意気込んだところでインターホンが鳴った。

 写真から手を離し、和也は玄関を開けた。

「夕飯作りに来たよ」

 そう言って、ビニール袋を持った女性が玄関前で微笑んでいた。

 小山榛名こやまはるな

 和也とは交際中の仲であり、近所に住んでいる彼女はよく夕飯を作りに来てくれる。おかげで和也の食事は三食全て弁当になることだけは避けられている。

 榛名はいつも通り、冷蔵庫にビニール袋の中身を詰め、持参したエプロンを着ける。長い髪をゴムで纏め、「よーし!」とかわいらしく気合を入れて調理を開始した。

 彼女は料理が好きらしく、その手際もいい。包丁が俎板を叩く音が耳に心地よく届き、鼻歌も交えてコーラスとなる。休日は部屋の掃除や洗濯までしてくれるので、和也はいつも榛名に助けられていた。いわば、世話焼き女房の気質というやつだ。

 その光景に、思わず和也の表情が緩んだ。

 仕事では荒事が多いため、榛名の家庭的な仕草に癒される。

 二人の出会いは、現在も大学に通っている榛名がアルバイトしているピザ屋だった。彼女は間違えて和也の部屋にピザを届けてしまったのだが、それがどう転んだのか。いつの間にか、こんな関係になっていたのである。人生どう転ぶかわからないものだなと、和也はしみじみ思ったものだった。

 交際が始まってから、榛名は和也がMESに勤めていることを知ったが、MAZ-0の装着者であることまでは知らない。知って欲しいとは思わないが、いつまでも隠し通せないことだとも思っている。思っていながら、和也はつい営業職だと嘘を吐いてしまった。

 和也は怖いのだ。榛名の笑顔が、恐怖か、もしくは軽蔑に変わってしまうことが。

 だから、今の幸福なひと時を守るために、刹那的な快楽であり、逃げであることを理解していながらも、彼女に笑顔を向けているのだ。

「ねぇ、和也」

 夕食を終え、洗物を済ませた榛名は、テレビを見ている和也にもたれかかった。

「今日は、泊まっていってもいい?」

 和也の心臓が跳ね上がった。

 軍事兵器の装着者である和也とて、十代の男である。一つ年上の彼女にそう囁かれて何も思わないわけがない。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。うん、と小さく頷くと、榛名に手を引かれ、またも囁かれた。

「お風呂、入ろう?」

 全く同じ反応をして、和也は引かれるがままに立ち上がった。


 翌日――

 榛名の声と朝食の香りに迎えられ、和也は目を覚ました。

 今日は土曜日。和也は休日で、榛名も授業がない。

 榛名は遊びに行こうと誘ってくれたが、和也が妹の見舞いに行くと告げると、あっさりと和也を送り出してくれた。和也の両親と妹について知っているからこその、心遣いであった。

 和也は家の鍵を榛名に任せ、支度して家を出た。

 最寄り駅から都内に向かう電車内で、和也は榛名のことを思い出す。確か、今夜も家に来て夕飯を作ってくれるらしい。メニューは肉じゃがだという。

「甘えてるよな、俺……」

 沈んだ気持ちを彼女に癒してもらう。世間ではよくある光景なのだろうが、自分の特殊な境遇を思うと、自分をおもんぱかってくれる榛名という存在とどう向き合うべきなのか悩んでしまう。自分は人に好かれてもいいのだろうかと、人を好きでいていいのだろうかと、疑問を浮かべてしまう。

 そんな自分に嫌気がさしてしまう時がある。

 電車を降りて病院へと向かう道すがら、和也は悶々と考えていたが、やがて病院が目に入ると、意図的に混濁した思考を振り払った。

 これから妹に会いに行くのだ。こんな沈んだ状態で顔など合わせられない。

 建物に入り、エレベータで最上階である八階に。

 八○六号室に、妹の香奈がいる。

 ゆったりとした十二畳の室内には、バス、トイレ、洗面が備え付けられ、応接用の対面ソファーにガラステーブルと二十インチの液晶テレビまである。

 部屋の隅の窓際に、短髪の少女がベッドで眠っている。十二歳の少女は、安らかな寝息を立てながら、ゆったりと毛布を上下させていた。

 交通事故によって、両親は死亡。和也は運良く比較的軽傷で済んだが、香奈は臓器の破裂が確認され、瀕死の状態だった。

 緊急搬送されて危篤状態の香奈。病院に到着してから処置を受けるが、症状はより悪化する一方で、医者も半ば諦めていた。

 和也は頭部と右腕部に包帯を巻かれた状態で、項垂れていた。絶望的な空気というものを感じ取っていたからだ。

 そんな時、MESの人間が現れた。

 彼は言った。『妹を助ける代わりに、君には我が社に入社してもらう』と。

 妹は現在も眠り続けている。しかし、命に別状はないものの、長期的な先進治療を受ける必要があるという。

 かくして、香奈の命は救われた。

 しかし、その結果、和也はMAZ-0の装着者となった。

 SFTの強化人間のように体を徹底的に弄られることはなかった。簡易的外科処置と薬物の投与により、安定したMAZ-0の運用ができるようになっただけで、五体満足な生活も、女性との付き合いも可能だ。

 MESは妹を助けてくれた。それは感謝している。

 だが、それは松井和也という人間を供物に捧げたという、代償が前提の話だ。ギブアンドテイク、等価交換など、言い方はあれど、それが社会の構図であることを、文字通り和也は身をもって知ったわけである。

 眠り続ける妹に、和也は語り続けた。

 天気のこと、昨日見たテレビ番組、そして榛名のこと……。

 安らかな寝顔であり、今にも目を擦って「おはようお兄ちゃん」なんて言い出しそうな表情だった。それが叶わぬ妄想であり、いくら自分が語りかけてもそれは無意味であると知りながらも、和也は語るのを止めようとはしなかった。

一時間近く喋り続けたところで、和也は病室を出た。

 本当はもっと長居するつもりだったが、医師と看護士が入室して、これから治療を始める、というので退席するしかなかったのだ。

 時刻は一一時三五分。

 一日中病院にいる予定だったため、榛名には夕方一緒に、と約束している。今から連絡して一緒に遊ぶというのも締まらないし、そもそも妹と顔を合わせた直後に遊びに行く気分ではない。

 どこかブラブラしながら何か食べるか。

 和也はひとまず駅へと歩き出した。

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