第47話 真紀の父

「真紀ちゃん、お父さんとお母さんよ」

 その時、看護婦さんが真紀に声をかけた。

「えっ、あれが真紀のお父さんとお母さん・・」

 私は驚く。二人は真紀の両親だった。

 私は隣りの真紀を見る。しかし、真紀はなぜか、私の隣りでうつむいたまま固くなっている。久しぶりに両親を見た子どもの顔ではない。

「どういうこと?」

 私には、どういうことなのかまったく分からなかった。

 そして、両親の方も久しぶりに娘に会えたというのに、ちっともうれしそうではない。それどころか、真紀を見ようともしなかった。そして、父親の方は、なぜか怒ったような険しい顔をしている。

「では、真紀さんも来たということで・・」

 私たちが席につくのを見計らったように、真紀の両親の向かいに座っていた三十代くらいの、私が初めて見る医師が、真紀の両親二人を見て口を開いた。

「真紀さんの今後のことをですね。ご両親もみえられているということで話し合いたいと・・」

 そして、何か話し合いが始まった。まったく他人の私は、ここにいていいのか戸惑う。

「真紀さんの今後を考えまして――、ええ、その・・、最善の形がどういうものなのか――」

 医師は回りくどい言い方で話を進めていく。

「このまま入院を継続していくのか、退院して、真紀さんが一般社会の中で日常を送るという可能性もあるのかという・・」

 医師が、なぜか両親を見ながらおずおずと言う。

「それは困る」

 すると、退院というワードが出たとたん、すぐに真紀の父親が、医師を睨みつけるように言った。

「えっ」

 私はその反応に驚いた。まるで厄介者のような言い方だった。

「・・・」

 私は驚いて真紀の父を見つめる。真紀の父親はイライラとした怒った顔をしている。そして、その表情にはそんなことは当然といったように微塵も疚しさが滲んでいなかった。

 隣りの真紀を見ると、かわいそうなくらい、悲しげな顔でうなだれている。

「・・・」

 ここで、二人の関係がどんなものなのか、私にもなんとなく分かって来た。

「家で面倒見るなんてできるわけねぇ。みんな忙しいんだ」

 さらに、真紀の父親は少し興奮気味に医師に向かって言った。父親の隣りにいる母親は、壊れた人形みたいにうつむいたまま何も言わない。まるで魂の抜けた意志のない廃人のようにうなだれ座っているだけだった。

「まあ、あの、可能性のお話でして決定ではありませんので」

 医者がなだめるように言う。

「可能性なんてあるわけねぇ」

 だが、すごい剣幕で医師の言葉に被せるように真紀の父が言う。

「もしそういうことでありましたら、引き続き入院ということでかまいませんので」

 何にビビっているのか医師は平身低頭で言う。

「そうしてくれ」

 父親は迷うことも考えることもなく、躊躇することもなく偉そうに言った。

「・・・」

 私はそんな真紀の父親の態度にショックを受ける。こんな親がいるのか・・。信じられなかった。真紀は見ているのもかわいそうなくらい、ショックを受けていた。そんな真紀を私は見ていられなかった。

「わしらは忙しいんだ」

 真紀の父がさらに言う。

「病人の世話なんか出来るわけねぇ。うちには誰もそんな余計な人間はいねぇ」

 何に怒っているのか真紀の父親は医師に向かって挑むように言う。

「それにどこに寝るんだ?うちに部屋ねぇべ」

「・・・」

 私は以前、真紀から実家は田舎の旧家で、家だけはものすごくデカいのだという話を聞いていた。旅館みたいな大きさで、幼い頃は兄弟や友だちとかくれんぼをして遊んでいると、本当に見つけるのが大変だったと言っていた。

「近所にも体裁悪いべ。頭の病気の人間がいるっていったらどんな目で見られるか」

「・・・」

 真紀の父親の剣幕に、医者や関係者たちは、困ったような表情でうつむくだけだった。

「・・・」

 しかし、私の握るこぶしは震えた。真紀が、真紀があまりにかわいそうだった。それにそれに、精神病の人に対してその物言いはあまりに差別的でバカにしてはいないか。私は許せなかった。

「親でしょ」

 私は気づくと立ち上がり叫んでいた。

「あ?」

 父親が突然叫ぶ私に驚いて私を見る。その場にいた全員も私を見る。その場は水を打ったように静まり返った。

「あなた父親でしょ」

 だが、頭に来て興奮している私はそんなことにもかまわずさらに言った。

「誰だお前は」

 突然現れた私に、真紀の父親は、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で言った。

「私・・、私は真紀の友だちです・・」

 そこで、私ははたと我に返る。

「ああ、ここの入院患者か」

 真紀の父親はバカにしたように吐き捨てるように言った。侮蔑を含んだ言い方だった。

「ううっ」

 私の握るこぶしはさらに震えた。

「頭のおかしな奴が何言ってる」

 さらに父親は呟くように言った。しかし、それは私にはっきりと聞こえた。私はさらに頭に血が上る。

「でも、真紀がかわいそうじゃないですか」

 私は食い下がった。

「じゃあ、お前が面倒見るか?ああ?」

 真紀の父親は、まったく怯むことなく、医師たちに対してしていたように、挑むように私を見る。

「うっ・・」

 私は言葉に詰まった。

「ああ?」

 だが、真紀の父親は、さらに迫って来る。

「お前がこいつの面倒一生見るんか?ああ?」

「ううっ・・」

 私は何も言い返せなかった。私はまだ十七で何の力もない、一介の入院患者でしかなかった。

「頭のおかしいガキが何生意気言ってる。すっこんでろ」

 真紀の父親が怒鳴る。子どもの私にも容赦なかった。

「うううっ」

 私は悔しくて泣きそうになった。でも、泣くまい、泣くまいと私は必死で涙をこらえた。ここで泣いてしまったら私の負けになる。

「ううっ、ううううっ」

 でも、私は泣き出してしまった。

「まったく口だけはいっちょ前に」

 そんな私にさらに容赦なく真紀の父親は吐き捨てるように言った。

「まあまあ」 

 そこで医者が間に入ってとりなす。

「彼女は真紀さんのことを思ってですね」

 何とか医師は真紀の父をなだめようとする。

「ふんっ」

 しかし、真紀の父親はにべもない。医師の言葉や私の思いなど鼻にもひっかけなかった。

「見ますっ」

 その時、私は再び叫んだ。

「ああ?」

 全員が再び私を見た。

「私が見ます。真紀の面倒を一生見ます」

 一瞬の静寂の後、私を憐れむような周囲の目が私を見る。その目はもうやめときなと言っていた。

「バカ言ってんじゃねぇ。お前みたいな頭のいかれたガキに何ができる」

 だが、すぐに真紀の父親に言い返された。

「ううっ・・」

 私は、その容赦のない言葉にさらに泣いてしまった。ほれ見たことかと、周囲の空気は語っていた。

「お前の入院費用は誰が払ってるんだ?ああ?」

「ううっ・・」

 親だった。私は何も言い返せなかった。

「ガキが生意気なこと言ってんじゃねぇ」

 真紀の父親は徹底的に容赦なかった。真紀はこんな人の下で育ったのだ。真紀が、親と再会してもうつむいていた理由が分かった。

「黙ってろガキッ」

「うううっ、うううっ」

 泣きじゃくる私に、真紀の父はさらに怒鳴りつけてくる。周囲の大人たちの憐れむような視線が私をさらに惨めにしていく。

 世の中は厳しかった。圧倒的に厳しかった。その目の前のこの現実に私は打ちひしがれていた。いかに自分が、親の庇護の下、ぬるま湯の中で、ちやほやと育ったのかを実感させられた。

「うううっ、うううっ」

 私は泣き続けていた。悔しかった。悔しかった。堪らなく悔しかった。でも、何も言い返せなかった。私はなんの力もない頭のおかしなガキだった。その通りだった。両親の庇護の下で甘えている頭のおかしなガキ。病気で、学校にも行けず、家で過食と拒食でボロボロになっているまともな子どもの生活すらもできない人間・・。 

 でも、間違っていると思った。真紀の父は間違っていると思った。でも、私は何も言い返すことができなかった。私には、なんの力もなかった・・。

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