第6話 暗い天井
――鏡に映る自分の姿が信じられなかった。あんなに痩せていたのに、全く別人のように太っている。丸々とした顔。脂ぎり、そこには醜い吹き出物が無数に散らばっている。
「違う、違う」
こんなの私じゃない。私は慌ててトイレに行くと、喉に指を突っ込み、吐いて吐いて吐きまくった。もう吐く物なんか何も残っていないのに、唾液すらももう出なくて、それでも私は指を口の奥に突っ込み、便器に顔を突っ込み続けた。苦しいのか悲しいのかもう訳が分からず、胃液みたいな粘っこい唾液と共に、涙がとめどもなく流れた。
私は受け入れられなかった。今のこの自分も、この現実も――。
みんなが突然、一斉に一つの方向に動き出した。私の部屋の前を患者たちが次々通り過ぎていく。美由香が開け放した入口からそれが見えた。
「何?」
私は驚く。
「クスリの時間だ」
美由香が言った。
「薬?」
私は美由香を見る。
「みんながラリラリになる時間さ。さ、行こうぜ」
「う、うん・・」
美由香が立ち上がるのに引っ張られるように、私もベッドから立ち上がった。 共有スペースに行くとみんなが集まっている。エレベーターの横にナースステーションがあり、そこに、患者たちが並んでいる。みんな私と同じくらいの十代の若い女の子ばかりだった。その子たちは、順番が来ると、それぞれ自分の小さなカップに入れられた薬を受け取っていく。
「摂食障害に効く薬なんてあるのだろうか・・」
私はそんなことを考えながらその光景を見つめていた。
「あっ」
あの吊り目の女の子がその列に並んでいた。私と目が合うと、私を憎々し気に睨みつけてきた。私は慌てて目を反らした。私はクラスのいじめっ子などに目をつけられやすい体質だった。学校でも、目立たないよう目立たないようにしているのに、なぜかクラスのそういった人たちに、必ず目をつけられ、いじめられる。
「やっぱり、ここでもか・・」
私はそんな自分にがっかりし、怯えた。
患者たちは与えられた薬をその場で飲み、口の中を看護婦たちに本当に飲んだかどうかチェックされていく。
「あなたは診察がまだだから、お薬はないの」
看護婦の一人が、薬をもらう患者に混じり、所在なげに立っている私を見つけると私に言った。
「そうですか」
「眠れないんだったら、先生に言って睡眠薬か安定剤出してもらうけど?」
「い、いいです」
私はとっさに断った。なんとなく薬で睡眠や心をコントロールするのは、なんだか卑怯のような気がして、違う気がした。
「それが美由香の薬?」
見ると美由香も、すでにカップに入った自分の薬を受け取っている。
「ああ」
美由香はにやりと笑いながらそう答えると、その場で全部口に入れ、水なしで全部を一気に飲み干した。そして、近くにいた看護婦に向かって口を大きく開ける。チェックを終え、美由香は私を見てにやりと笑った。
「それでよくなるの?」
「人格障害に効くクスリなんてないさ」
「えっ?」
「気休めさ」
美由香はまたにやりと笑う。
「睡眠薬と安定剤。これ飲ましときゃみんな大人しくなるからな」
「・・・」
「気違いは、クスリ飲ませとくに限るんだ。うるせぇからな」
美由香はまたにやりと笑った。
「・・・」
「・・・」
私はベッドに横になり、暗い部屋で一人天井を見つめていた。
九時に就寝と言っても、ほとんど家に引きこもり、昼夜逆転していた私はまったく眠れなかった。しかも、ここに来て昼寝までしてしまっている。眠れるはずもなかった。ベッドに横になっても、むしろどんどん目が冴えてくる。しかし、病棟全体の明かりは落とされ、私はここに来たばかりで、何をしていいのか、何ができるのかも何も分からない。
「本でも持ってくればよかった」
私はそんなことを考え後悔する。しかし、あの状況で、そんな気の回るはずもなかった。
「・・・」
私は、今の私の状況からはかなり頓珍漢な、かわいいクリーム色のベッドに仰向けになりながら、真っ暗な天井を見つめ続ける。私はここでいったい何をやっているのだろう。なぜこんなことになってしまったのか。そんな漠然とした不安にも似た問いが頭に浮かぶ。まったく見も知らぬ病院のベッドで一人横になる私・・。山の中にある病院は不気味なほど静かだった。
今から朝までなんて永遠の時間のように思われた。あまりに遠過ぎて、想像するだけで気が遠くなった。
―――
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