探偵とみにくいアヒルの子 ――御伽探偵事務所へようこそ

猫屋 寝子

第1話

 ――今度こそ、死ぬ。


 桐ケ谷きりがやはくは目の前に迫ってくる特急電車を見て、絶望した。今までも鉄骨が目の前に落ちてきたり、階段から突き落されたりしたことがあったが、奇跡的に助かってきた。しかし、今回のは訳が違う。目の前に特急電車が迫ってくるところに突き落されたのだ。助かるわけがない。白は覚悟を決め、せめてもの抵抗と特急電車を睨んだ。鉄の塊と対峙して勝てるわけがないのは承知していたが、こうもしなければ腰が抜けてしまいそうだった。


 その時、白の意識を特急電車から引き離す声がした。


「ホーム下の退避スペースへ逃げてください!」


 ――そうだ、ホーム下には退避スペースがあった。


 白は我に返ると、反射的にホーム下へ駆け込む。その刹那、ゴオオという音共に目の前を車輪が通過していく。心臓が飛び出ているのかと思うほど、心音がうるさかった。


 しばらくして視界が開き、音が遠くなる。白は深く息を吐いて心臓を落ち着かせると、退避スペースから体を出した。駅のホームは騒々しく、駅員が何人か来ている。誰かが駅員を呼んだのだろう。


 白は駅員の力を借りてホームへ上がると、さっそく事情を聞かれた。正直に話して警察に通報されるわけにはいかないので、「すみません、不注意で落ちちゃいました」と笑ってごまかす。その結果、案の定こっぴどく駅員にしかられ、白は「すみません」と謝りその場を収めた。



 駅員の事情聴取を終えると、白は次の電車を待つべくベンチに座った。その隣に同年代くらいの青年が座る。


「どうして、突き落されたって言わなかったんですか?」


 青年は隣に座るなりそう尋ねる。どこかで聞いた声だなと思いつつ、白は青年の方へと向いた。青年も白を見つめており、二人はしばらくの間見つめあう形となった。


 ――色白な肌に色素の薄い茶色の髪。奥二重の切れ長な瞳は優しそうな印象を与えている。彼は黒縁のおしゃれな眼鏡をかけており、ミスターコンテストにノミネートされた大学生、というような容姿をしていた。


 白は見覚えのない青年に、声に聞き覚えがあると思ったのは記憶違いかと顔を正面へ戻す。


「突き落される瞬間、見ていたんですか?」


「はい。パーカーで顔を隠していたので突き落した相手の顔までは見えなかったんですけど、その人少し動きがおかしくて。なんとなく様子を見ていたら、先輩を突き落したんですよ。僕、びっくりしました。先輩が僕の声に反応してすぐ退避スペースに入ってくれて本当によかった。目の前で人が死ぬ瞬間は二度も見たくないですからね」


 はつらつと話す青年に、白は声に聞き覚えのある理由が分かった。彼は、先ほど声をかけて助けてくれた命の恩人だ。彼の声がなければ動けず、電車にひかれていただろう。白は青年に視線を向けた。


「もしかして、さっき声をかけてくれたのはあなたですか?」


「そうです。間一髪でしたね」


 満面の笑顔で見つめる青年に、白は「ありがとうございました」と頭を下げる。青年は慌てたような声をあげた。


「顔上げてください。そんなにお礼を言われるようなこと、していませんよ。それに、僕は先輩より年下です。敬語とかもいいですから」


 白は頭を上げると、首を傾げた。彼は何故、自分の年齢を知っているのだろう。そういえば先ほどもと言っていたし――。


「俺たち、初対面ですよね?」


 青年は「あ、そっか」と手を打つと、頬を掻く。


「すみません。僕が一方的に知っていただけでしたね。僕、先輩と同じ大学の1年なんです。僕たちの共通点はないですけど、先輩は桐ケ谷グループの御曹司っていうことで有名ですから」


「ああ」


 その返答に白は納得して頷く。同じ大学の学生であれば、自分のことを知っていてもおかしくない。


 白は大学2年生の時に名字が変わり桐ケ谷グループの御曹司となった。それ故、大学中の注目を浴びることになったのだ。噂が1年生にまでいっていることは意外で、白は桐ケ谷グループの大きさを改めて感じた。


 青年が「ところで」と話題を変える。


「話を戻しますけど、突き落されたって言わなかったのは警察に通報されたくないからですか?」


 鋭い青年に、白は苦笑いをして頷く。彼はそれを見て言葉を続けた。


「警察沙汰にしたくないのは桐ケ谷グループのことがあるから?」


 白は視線を正面に向けると、「そうだよ」と答えた。脳裏に浮かぶのは二十歳の誕生日に突然家へ来たスーツの男たち。彼らが告げたのは白が桐ケ谷家の次男であること、今後は桐ケ谷グループの仕事も手伝ってもらうこと、今日から名字を変えて桐ケ谷になること――。その他諸々話があったが、その中でも印象に残っていることがあった。


「桐ケ谷に名字が変わるとき、言われたんだ。桐ケ谷グループのことで命を狙われることがあるかもしれない。だからボディーガードをつけるかって。俺は行動が縛られるようなものを付けられるのは嫌だったから、断ったんだ。命を狙われることなんてないと思っていたし。それが実際に命を狙われるようになって、少し後悔してる。今さら桐ケ谷家に相談なんてできないし、警察沙汰にして桐ケ谷家に迷惑をかけたくない。だから、このままでいいんだよ」


 青年は「なるほど」と言うと軽く俯き黙り込んでしまう。沈黙が続き、白は青年に申し訳ないことをしたなと思った。出会ったばかりの人間にこんな重い話をされても困るだろう。白が青年に先ほどの話は気にしなくていいと口を開こうとした時、青年が先に言葉を発した。


「うちなら、なんとかできるかもしれません」


「え?」


 白は青年の提案に首を傾げる。青年は顔を上げると、ワンショルダーバッグから1枚のカードを取り出した。


「僕、御伽おとぎ探偵事務所っていうところでアルバイトとして住み込みで働いているんですけど、うちの事務所なら命を狙っている犯人を突き止めて何とかできると思います」


 戸惑う白に、青年はニコリと笑う。


「大丈夫、うちの人たちの実力は本物ですよ。それに話を聞いてもらうだけなら依頼料を取りませんし、もしかしたら解決策をアドバイスしてくれるかもしれません。アドバイスだけでも、もらって行きませんか?」


 キラキラと輝く瞳に、白は思わず視線を逸らした。彼は純粋な好意で言ってくれている。それがはっきりと分かるため、白の中で迷いが生じた。彼の気持ちを無下にしないためにも一応話を聞いてもらいに行った方がいいのか、それとも彼を巻き込まず自分で解決した方がいいのか――。


「でも……迷惑じゃない?」


 白は迷った末に、とりあえずそう尋ねた。青年は大きく頷く。


「もちろん。うちの事務所には色々抱えた人が集まりますから、先輩の抱えた事情なんて大したことありませんよ」


 ――自分の事情よりが大したことないと言えるなんて、どんな人が集まっているんだ。


 白は御伽探偵事務所に不安を覚える。しかし、「どうですか?」と子犬のように見つめてくる青年を前に、白は断ることなどできなかった。


「それじゃあ、とりあえず話だけ聞いてもらおうかな」


 白の返答に青年は嬉しそうに笑う。不安はまだあるが、その表情を見ただけで正しい選択をしたような気になった。


「ありがとうございます。先輩、今日は何時まで大学です?」


 青年がスマートフォンを開きながら尋ねる。恐らく、アプリで本日の時間割を確認しているのだろう。


 白は頭の中で今日の予定を思い浮かべながら答えた。


「今日は研究室がないから、3限で終わりだよ。だから、二時半まで授業」


「お、偶然ですね。僕も今日3限で終わりなんです。そうしたら、三時頃、大学の正門前で待ち合わせしましょう。御伽探偵事務所に案内します」


 楽しそうに話す青年に、白は頷いて返す。――自分の命が狙われていることを誰かに相談する日が来るとは思ってもいなかった。白は放課後会う予定の見知らぬ探偵に、少しだけ緊張していた。


 白は緊張を紛らわすように、「あ、そうだ」と話題を変える。


「そう言えば、まだちゃんと自己紹介をしていなかったな。俺は桐ケ谷白。よろしく」


 青年は「存じております」といたずらっぽく笑うと、改まったように咳払いをした。


「僕は梶山大翔かじやまひろとって言います。よろしくお願いします」

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