第五章 ~『フェアリードラゴンの休息』~


 温泉の前でアリアが歓喜していると、シンが追い付いてくる。湯気が立ち込める温泉を見て、彼は驚きで目を見開いた。


「立派な温泉だね」

「天然温泉でしょうか?」

「森の中にあるくらいだからね。それにこの匂い。硫黄温泉だね」


 水を温めただけの湯とは違う。ばっちりと効能がある天然温泉だ。アリアの目がキラキラと輝いていく。


「しかしこの温泉、誰かに整備されているようだね」


 自然に生まれたものとは思えないほどに、温泉は岩風呂として整えられている。


「いったい誰がこんな場所に温泉を……」

「人が住んでいるとは思えないけどね。ただ一つだけ言えることは、この開拓地の権利は私たちのものだ。つまり師匠が温泉に入っても、誰からも文句を言われる筋合いはないよ」

「やっぱりシン様には気づかれていましたか……」

「あんなに興奮した師匠を見たのは久しぶりだからね」


 古くからの付き合いだからこそ、感情の起伏を察知されてしまう。それが嬉しくもあり、恥ずかしいとも思う。


「でも私の心を知られているなら話は早いですね」

「周辺の警護は任せて欲しい。師匠は気兼ねなく、温泉を楽しんでよ」

「では、お言葉に甘えますね♪」


 警護のため、シンは背を向けながら神経を研ぎ澄ませる。脱衣所はないため、少し恥じらいを覚えながらも、聖女としての象徴である修道服を脱ぎ去り、湯に浸かる。


(生き返りますね~)


 疲労が湯に解けていくような錯覚を覚えながら、全身の力を抜いていく。温泉の温かさが全身を包み込んでくれていた。


(シン様が近くにいるのはドキドキしますが、信頼できる人だから安心ですね)


 シンなら覗かれたりする心配もない。安心してリラックスしながら、温泉のありがたさを実感する。


(屋敷にはお風呂がありませんからね)


 井戸の水を浴びたり、お湯を濡らした手ぬぐいで体を拭いたりすることしかできなかった。


(お風呂のある生活は幸せに直結しますからね)


 王宮には大浴場があった。どれほど忙しくとも、アリアはお風呂を欠かしたことがなかった。


 皇国の暮らしには概ね満足していたが、唯一の不満がお風呂であり、温泉が欲しいと願っていたが、その夢がようやく叶ったのだ。


(これで私のスローライフは完璧なものになりますね)


 茫洋とした視線を湯気の向こう側に向けながら、満足感に浸る。のぼせたからか、意識もぼんやりとしてくるが、そんな状態でも湯気の向こうで動く影があることに気づいた。


(シン様――のはずがないですね……この温泉を整備した人でしょうか)


 ゴクリと息を飲みながら、湯気の向こう側にいる影を注視する。その影は輪郭を現すように、ゆっくりと近づいてくる。


 湯気のカーテンが消える距離まで影が近づいてきたことで、その正体が明らかになった。手のひらサイズの小さなドラゴンが温泉の中を泳いでいたのだ。


(この子はフェアリードラゴンですね!)


 淡い赤の鱗を見間違えることはない。ランクCだが、人間に友好的で、人を害することもない優しい魔物だ。


(もしかすると、この温泉を岩風呂として整備したのはフェアリードラゴンかもしれませんね)


 フェアリードラゴンは、離れた物を動かすことができる念動力の魔術を使う。知能が高く、綺麗好きな彼らが、大好きな温泉を楽しむために岩風呂を作り出したとしても不思議ではない。


「キュイッ♪」


 フェアリードラゴンが愛らしい声で鳴く。愛嬌のあるドラゴンの頭を恐る恐る撫でみると、嬉しそうに目を細めた。


「可愛らしいですね♪」


 連れて帰りたくなるほどに愛らしいと頬を緩ませていると、その声がシンにまで届いていたのか反応が返ってくる。


「師匠、誰かいるのかい?」

「い、いえ、たいしたことではありません。温泉の中にフェアリードラゴンがいたので、つい反応してしまったのです」

「フェアリードラゴン……なるほど、温泉の秘密が解き明かされたね」


 シンはフェアリードラゴンの存在だけで、事情をすべて察する。理解力の高さに感心させられる。


「フェアリードラゴンがいるなら、近くに果樹園もあるかもね」

「果樹園ですか……」

「彼らの主食は果物だ。しかも美食家ときている。美味しい果物を求めて、彼らは自分たちで果物を育てるんだ」

「こんなに小さいのに、人間に劣らないくらい賢いのですね」


 アリアが褒めてあげると、フェアリードラゴンは嬉しそうに翼を動かす。そして風呂に満足したのか、そのまま空へと飛んで行ってしまった。


「いい出会いでしたね」


 一期一会に感謝しながら、フェアリードラゴンを見送る。またいつか会える日が来ることを願って、湯に浸かり続けるのだった。

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