第三章 ~『コロッケと苺』~
翌日、アリアはいつもより早い時刻に目を覚まし、朝から出かけていた。肌寒い風が吹いているが、その足取りは軽い。
(今日は散財が目的ですからね。楽しみです♪)
魔物討伐で貯めた金貨は千枚を超えた。これは成人男性の年収四人分に相当する。
大金を手に入れたのに、使わずに仕舞っておくだけでは宝の持ち腐れだ。経済を回すためにも浪費を楽しむと決めて、市場まで足を運んだのである。
「ここが市場ですか」
ガラス張りの天井に覆われた区画の中に商店が並んでいる。季節の鮮やかな切り花を販売する生花店、和装を販売する呉服屋、食器を並べている雑貨屋まである。
(魅力的なお店が多いですが、私のお目当てとは違いますからね)
アリアが市場を訪れた目的は最初から決まっていた。美味しいものを食べたい。それが足を運んだ理由だった。
(ここからが食料品の販売エリアですね)
入口から歩くこと数分。買い物の誘惑を振り切って、お目当てのエリアに辿り着く。食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐり、期待で胸が膨らませていると、女性の声が届いた。。
「そこの美人なお姉さん、よければ寄ってかないかい?」
「…………」
「金髪の、そこのあんただよ」
「わ、私ですか⁉」
商店で声掛けをしていたのは、体格の良いおばさんだった。店頭に肉の切り身が並べられ、宙にソーセージが吊り下げられている。
「うわぁ~、お肉も美味しそうですね♪」
「うちの自慢のお肉だからね」
「でも朝食を食べていないので、食材ではなく、すぐに食べられるものが欲しいんです」
肉は購入してから焼く手間がかかる。今のアリアが求めているものではないと断ろうとするが、おばさんは店の奥から皿を取り出してくる。
「うちの店は総菜も用意していてね。このコロッケなんかは絶品だよ」
「コロッケですか?」
「もしかして初めて見るのかい?」
「王国にはなかった食べ物ですから」
紙に包まれたコロッケを手渡される。恐る恐る噛り付いてみると、口の中にジャガイモの甘さと、肉の旨味が広がった。
「どうだい、うちのコロッケは肉が多いから美味しいだろう?」
「はい、とっても。皇国の人たちは美食三昧で羨ましいです」
「ははは、そうだろう。でも王国も美味しいものがあるじゃないか」
「王国を訪れたことがあるのですか?」
「旅行でね。王都のレストランで食事をしてから、王宮も観光してね。あれほど楽しい思い出は他にないよ」
「王宮ですか……」
「あら? 何か嫌な思い出でもあるのかい?」
「以前、王宮で働いていたのですが、色々ありまして……」
王宮は豪華絢爛な建物で、アリアも初めて見た時は感動したし、ここが職場だと聞かされた時には感情が昂った。
しかし内部で行われているブラック労働を知った今となっては、純粋な気持ちで賞賛することはできなくなっていた。苦虫を嚙み潰したような暗い感情が湧き上がってくるが、すぐに邪念を振り払う。
(折角の散財ですし、楽しくないと勿体ないですからね♪)
嫌な思い出は美味しい食べ物でかき消すに限る。残ったコロッケを平らげると、代金を支払うために硬貨を取り出すが、おばさんは首を横に振る。
「お代はタダでいいよ」
「ですが……」
「私も王国の市場でご馳走になったからね。礼なら祖国の商人に言ってやっておくれ」
アリアは親切に甘え、王国の方角へ小さく頭を下げる。ハインリヒ公爵のような例外もいたが、王国の国民たちには親切な人が多かった。悪くない国だったと、改めて祖国を誇りに思う。
「あんた、まだお腹は空いているかい?」
「コロッケを食べた後ですからね。次は甘い物が食べたいです」
「なら進んだ先にある果実店へ行ってみな。あそこの果物は絶品だからね」
「ご親切にありがとうございました」
礼を伝え、肉屋を後にすると、そのまま勧められた果実店へと向かう。
(美味しそうな果物がいっぱいですね)
木箱に林檎や梨などの果物が飾られている。色味も綺麗で、サイズも大きい。自ずと期待も高まってしまう。
「いらっしゃい。うちの店は味に自信があるから、安心して買ってくれ」
髭面の店主が気さくな声で接客してくれる。外見は筋肉質で威圧感があるが、口を開いた彼は、思いの外、温和そうである。
「いますぐ食べたいのですが、そういった商品も置いていますか?」
「ならこれがオススメだな」
店主は氷で冷やされていた棒を引っこ抜く。その先にはパイナップルが刺さっており、黄金色の果実は陽光で輝いていた。
「ほらよ、銅貨一枚だ」
「ありがとうございます」
お代と交換で商品を受け取ると、果実をジッと見つめる。ゴクリと息を飲んでから噛り付くと、口の中に芳醇な甘味が広がる。
(みずみずしい味わいで、ほっぺが落ちそうです♪)
パイナップルは王宮でも稀にデザートとして出されたことがあったが、これほどの味に出会ったことはなかった。驚いていると、店主は自慢げに笑う。
「旨いだろう。なにせ産地は、あの第二皇子領だからな」
「果物の名産地なのですか?」
「果物だけじゃない。野菜や肉、魚まで第二皇子領で採れた食料は、他国でも高く評価されている。これもすべて、第二皇子様の手腕のおかげだ」
「凄い人なのですね」
「おう。人格者でな。かと思えば、王国の血が混じっているせいか、発想が奇抜で、いつも俺たちを驚かせてくれる」
第二皇子、つまりはシンの兄が、王国の血を引いていることにアリアも驚く。父親が皇帝だとすると、母親が王国の人間なのだろう。
「外見も男の俺が見惚れるほどの美男子で、嬢ちゃんと同じ金髪青目だ」
「王国の血が色濃く出ているのですね」
シンと兄弟なら顔が整っているのは間違いないはずだ。そこに加えて金髪青目だ。頭の中で容姿を描くと、かつて森で倒れていた男のことを思い出した。
(私が蘇生させた、あの人は元気にしているでしょうか……)
折角、助けた命だ。できれば大切にして欲しい。そう願っていると、店主は店の奥から小さな木箱を運んでくる。
「嬢ちゃん、金はあるかい?」
「裕福だとは思いますが……」
「とっておきの商品を紹介してやる」
木箱の蓋を開けると、大粒の苺が収められていた。蓋を開けた瞬間に甘い匂いが漂ってきたことから、糖度が高いのは間違いない。
「第二皇子領で採れる苺の中でも、さらに希少種。魔苺だ。甘味が強くてな。その旨さに涙する奴までいるほどだ」
「それは食べてみたいですね……」
「だが高価でな。これ一粒で金貨一枚だからな」
「――ッ……そ、それは恐ろしいですね」
金貨一枚は成人男性が一日働いてやっと稼げる金額だ。果物一つに払う金額としてはあまりに高額である。
「だがそれだけの価値が、この魔苺にはある。なにせ旨いだけでなく、食べると魔力の最大量まで増えるからな」
「そんなことが可能なのですか?」
「第二皇子の植物を操る魔術で品種改良した成果だそうだ。なんでも魔物討伐と同じ仕組みを採用しているとのことだ」
魔物を倒すと、経験値を得たことで魔術師の最大魔力量が増加する。その法則をどうやって果物に適用したのかは分からないが、店主の口振りから嘘を吐いているとは思えない。
「金貨一枚は高いですが、散財すると決めましたからね」
アリアは収納袋から金貨を取り出し、料金を支払うと、魔苺を受け取る。恐る恐る口に近づけ、その先端を僅かに齧る。
その瞬間、練乳のような甘さが口いっぱいに広がる。苺のフレッシュな酸味も調和し、天に昇るような幸福に包まれる。
(こんなに美味しい苺がこの世にあるなんて……)
我慢できずに、残った苺を口の中に放り込む。大粒のため噛むのに苦労するが、溢れる甘味を体験しては、些末な問題だ。いつまでも食べていたい。そう思えるほどの味だった。
「最高でした……」
「だろ。滅多に入荷しない珍しい品だからな。嬢ちゃんはラッキーだったな」
在庫があるなら買って帰りたいくらいの味だ。魔力の最大量が増える話も本当で、アリアの肉体を纏う魔力が僅かに膨らんでいる。金貨一枚の価値は十分にあった。
「美味しい果物のおかげで満足できました」
「それは何よりだ」
「この先にも美味しい店はありますか?」
「いいや、この先は第七皇子様が運営するエリアだからな。魔石や魔道具の販売がメインのはずだ」
「第七皇子様ですか……」
シンと魔物討伐で競い合っている男だ。その彼が運営している店に僅かばかりの興味が湧く。
アリアは礼を伝えると、通路を先に進んでいく。第七皇子のエリアへと向かっていく彼女を、店主は心配そうに見送るのだった。
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