48



月と入れ替わりにやって来た太陽が、鞍木地町くらきじちょうを徐々に明るく照らしていく。

家々のカーテンが開き、明るい声が次第に町に溢れれば、変わらないいつも通りの朝がやって来た。その様子からは、昨夜、自身の身に起きていた事など、誰の記憶にも残っていないようだった。




神様が帰ってきた神社では、いつにも増して慌ただしく駆け回る、双子のような神使の姿があった。


彼らがこんなにも慌ただしくしているのには、理由がある。


昨夜は神様が帰って来てくれた事が嬉しくて、労いももてなしも出来ないまま泣くばかりだった。力を使い切った事での疲弊と、単純に安堵も押し寄せて、気づけば神様の膝の上で眠ってしまったという。


神使達が目を覚ましたのは、朝日が昇る少し前の事。彼らは布団の中にいた、何故、布団の中にいるのだろうと顔を見合わせ、暫しその理由を考えていたようだが、その理由に思い至ったのか、大急ぎで部屋を飛び出して行った。

神様はどこにいるのか、もしかしたら、あれは全部夢だったのではないか。不安から、大慌てで社の中を飛び回っていれば、境内に佇む子供の姿に気がついた。神様だ。神使達はほっとして、神様の背中に飛びついた。


「わ、どうした?」


姿は子供でも、大事な神様に変わりはない。飛びついてきた神使達を、神様は優しく抱き留めた。神使達とそう大きさの変わらない手だが、それでも、神様の手は心を包むように大きくて、神使達は顔を見合わせ、堪らず泣き出してしまった。


「泣くな泣くな、私はここに居るだろう」

「申し訳ありません…!」

「涙が止まらないのです…!」


謝りながらも涙が止まらず、ぐすぐすと鼻を啜る神使達に、神様は困り顔を浮かべながらも、それぞれの頭をポンと撫でた。


「辛い思いをさせてすまないなかった。もう大丈夫だ、これからは私がいる。今日はお前達もゆっくり、」


そう言いかけると、神使達は、はっとした様子で、勢いよく顔を上げた。


「いえ!神様こそ、ゆっくりしていて下さい!」

「暫くは悪魔も来ない筈です!私共にお任せ下さい!」

「え、おい、」


そう言うと、神使達は二人揃ってキリリと表情を引き締め、瞬く間に朝の支度に取りかかっていった。

神様を置いてきぼりにしているが、神使達の行動は、それもこれも神様への思いからくるもので、帰ってきた神様を労いたい、その一心だった。



昨夜の騒動について、改めて下界の支部の天使達が話を聞きに来るだろうし、神様は町に赴く事になるだろう。

それでも今日は、特別な日だから。

八重やえとお別れが出来たとはいえ、昨夜別れたばかりなのだ。神様の気持ちを思えば、気持ちの整理だって必要かもしれない、だから、神様の心が落ち着けるまで、自分達が出来る限りサポートしなくては、と。神使達は、神様の仕事を引き受ける気満々だった。神使達もまた、神様が出て行った事に責任を感じていたのだろう。




そんなこんなで現在、神使達は食事の準備に追われている。久しぶりに、神様の食事を用意出来るのだ、それが嬉しくも楽しくもある。それに、労うべきお客人が他にもいる。


「おはようございます」


その内の一人、フウガが神使達のいる台所へ顔を覗かせた。

台所は、土間にあった。客間から直接やって来たフウガは、一段低い土間へ出るのに、側にある草履を借りた。大きさ的に、恐らくは神様が青年の姿を保っていた時に使っていた物だろう。

土間は広々としていて、壁際には竈があり、火にかけた鍋からは味噌の香りが立ち込めている。今日のお味噌汁は、何の具材だろう。

土間の中央には木のテーブルがあり、そこには調理に使ったまな板や包丁が、人数分の食器も用意されていた。ここで食事はしないので、調理台として活用しているようだ。


因みにこの空間も、現実に存在しながらも人間には見えないようになっている。神様の力とは実に便利なものだと、フウガは感心するばかりだ。神様がもし力を失ったら、神社に取り巻くまじないも解かれる訳だが、人間達は、何故こんな広い部屋の数々を見落としていたのかと、さぞ驚く事だろうなと、フウガはぼんやり思った。


「フウガさん、おはようございます!」

「ゆっくり休めましたか?」


揃って振り返った神使達は、すっかり笑顔を取り戻している。神様が側にいるからか、着物のほつれもない。パリッとキレイに、とまではいかないが、昨夜までの姿を思えば、違いは一目瞭然だ。

フウガはそっと肩から力を抜いて、表情を緩めた。


「お陰さまで。お二人こそ、休めましたか?」


神使達の方が、心的疲労が大きかった筈だ。神様の代理をしながら、悪魔にも抵抗を見せていたのだから。それなのに、フウガ達がやって来てからこの二週間、文句の一つも言わず、朝も夜も駆け回っていた。

神使達は顔を見合わせると、照れくさそうな申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「お恥ずかしながら、昨夜はぐっすり眠ってしまい…」

「皆さんより先に、申し訳ありません」


小さくなって頭を下げる神使達に、フウガはやんわりと首を振った。


「そのようなこと気になさらないで下さい。アリアなんて、神様がいようがいまいが関係なく寝ていましたから」


昨夜、フウガは下界の支部、悪魔対策課に報告に行っていたのだが、フウガが帰ってきた頃には、アリアはすっかり夢の中だった。アリアの布団には狸もどきの姿もあり、二人とも両手を上げて、ぽっかり口を開けてという同じ寝姿に気が抜けたのを覚えている。


本来ならば、悪魔を追い払った後、神様が戻ったとはいえ、もう少し緊張感を持って欲しいのだが、アリアの活躍を思えば仕方ないと思う自分もいて。すっかりアリアに感化されてしまったと、仕事よりも他の何かを優先している自分が、なんだか少しむず痒いような気分だった。


神使達は、その言葉もフウガの気遣いだと受け止めたようで、顔を見合せながら、縮こめた体をそろそろと戻した。それから、「アリアさんも、問題無さそうですか?」と、心配そうに表情を歪めた。


「はい、昨夜も何もありませんでしたし、今のところは問題ないでしょう」


フウガがそう答えると、神使達は安堵した様子を見せた。


「皆さんには、本当にご迷惑をおかけして…狸さんにも」

「狸さんが神様の側に居てくれたと聞いた時は、ホッとしました」


神使達は泣いてばかりいたが、神様からその話は聞いていたのだろうか。表情を緩める神使達に、フウガも昨夜、狸もどきと話した事を思い出していた。


「狸殿は、皆さんに黙っていた事を気にされていましたが」


神社に共に帰ってきて、泣き疲れて眠る神使達を見た時、狸もどきが申し訳なさそうに呟いていた。

神様に口止めされていたとはいえ、神使達に辛い思いをさせてしまったと。だが、それを聞いた神使達は「とんでもない!」と、焦った様子で首を振った。


「私達は、神様が一柱にならず良かったと思っているんです!」

「そうです!狸さんには、ちゃんとお礼を申し上げなくては…」


後でお礼をお伝えしようと頷き合う神使達を見ていると、彼らがどれほど神様を大事に思っているのか伝わってくるようだ。

神使は神様の力がないと存在出来ないので、それも当然かもしれないが、それがなくても、彼らは神様を一番に思っているような気がする。

こんなに大事に思ってくれる神使がいるのに、八重の事で取り乱し、自分の役割を放棄しようとするなんて。フウガには、そんな神様の気持ちは、やはり理解出来そうになかった。


と、そこでフウガは、本来の用件を思い出した。


「お伝えしなければならない事があります。昨夜、下界の支部に報告に行ったのですが、悪魔の影響を見る為、もう少しの間、神様の側で町を見守るようにと指示を受けました。その為、こちらで引き続きお世話になってもよろしいでしょうか」


すると、神使達は顔を見合せて、表情を明るく染めた。


「そうでしたか!」

「神様も、きっと心強く思われます!」


良かった良かったと、前向きに受け止めてくれた神使達に、フウガは安堵した。

天使長のヤエサカからは、町を見守るようにとは言われていない。言われたのは、神様が再び神社から居なくなる事がないよう、見張るようにという事だけだ。


もし、また今回のような事が起これば、さすがに天界もこのままという訳にはいかない。神様を切り捨てる考えも、あるのだと。


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