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背中でふらりと落ちそうになるアリアを、フウガは慌てて体を入れ替え抱き止めた。アリアの大きかった翼は、先程よりも羽根が落ち、小さくなってしまっている。
「アリア、もう無理です。このままではあなたがもたない」
フウガは一旦、地上に降りようと辺りを見渡した。暗闇の中、頭に浮かぶ地図から悪魔の手が地上に伸びていない場所を探し出すと、近くの公園が浮かび上がった。
悪魔の手が伸びていないという事は、人が居ないという事だ。人が居れば、アリアはその人が安全かどうか、被害に遭っていれば力を与えにいくだろう、そうなればろくに話も出来ない。
アリアの力は未知数だ、だからフウガは余計に不安だった。
もし、アリアが力を使い尽くしたらどうなるのか、アリアの与える力は伝説上のものだと天使も死神も思っていた、力を使い果たした先の事なんて想像もつかない。
フウガはアリアを背負い直し、公園に向かった。公園に向かいながら、フウガはアリアを気遣うが、アリアは何でもないように笑うだけだった。
「だから言ってるだろ、俺にはこれしか出来ないんだから。俺以外、神様の代わりは出来ないだろ?」
二人の背後では、また誰かの命が危機に晒されている。側で悪魔の手が伸びるのを見て、「行かなくちゃ」と、アリアはフウガを促したが、フウガは難しい顔を浮かべ、そちらに向かおうとしなかった。
「おい、フウガ、」
「普段から仕事してくれれば、こんな事にはならないんですよ」
きゅっと眉に皺を寄せ、アリアの顔を見ようとしないフウガに、アリアはきょとんとした。
怒っているのだろうか、それにしても、言い訳がらしくない。アリアがちゃんと仕事をしていても悪魔は来ただろうし、神様も失踪しただろう。辻褄の合わない言い分は、フウガ自身も自分が何を言っているのか、何を言いたいのか分かっていないからかもしれない。フウガは眉を顰めながら、そわそわと落ち着かない様子で瞳を動かしている。それは、目的に背く自分自身の行動に、戸惑っているようにも見えた。
仕事をこなすのが第一優先だった死神が、そうまでしてアリアを案じている。フウガの優しさが何だか擽ったくて、アリアは思わず頬を緩めていた。
こんな風に誰かに気遣われるなんて、アリアの記憶にはほとんどない。
だからつい、ほんの少しその気持ちに寄り添いたくて、だらけたようにフウガに体重を預ければ、フウガも僅か肩から力が抜けたようだった。
「でもさ、俺、これ以外は何も出来ないから」
「…何も出来ないあなたでも、天界には必要でしょう。だから存在しているのです。勿論、私にも」
それには、アリアは驚いたように目を見開き、背中から身を乗り出してその顔を覗き込んだ。フウガはそんなアリアの顔を見ても、照れるでも不機嫌になるでもなく、困ったように微笑んだ。
「あなたの世話は嫌いじゃないですから」
「…はは、変わってるな、お前は」
そう面と向かって言われたら、こっちの方が照れくさくて。「優秀な死神様は違うな」と、アリアは誤魔化すように笑った。
少し、少しだけ、力が湧いてくるような気がした。
「大丈夫だ、神様が戻ってくるまでで良いんだから。俺は、仕事をほっぽりだすタマじゃないからな!」
「どの口が言ってるんですか…」
お互いに不安が消えた訳ではないが、軽口に乗せて感じるのは、同じ方向を向いてるという事。アリアの傷だらけの姿が変わった訳ではないが、フウガを少しだけ安心させる事が出来たみたいだ。
「だから、」
「おっと。これは、天使の力を美味しくいただくチャンスかな」
アリアがフウガを促そうとした時だ、アリア達の更に上、黒に覆われた空の中から、愉悦を含んだ声が聞こえてきた。
アリア達が驚いて仰ぎ見れば、そこに、悪魔がいた。
黒い髪を揺らしながら、こちらを見下ろすその姿は中性的で、美しい顔立ちを無邪気な笑顔で満たしている。黒いケープを纏い、その下には黒の短いパンツに黒のタイツ、ヒールの高いロングブーツも黒と、全身黒の出で立ちだ。その背中には、真っ黒な大きな翼がある、天使の翼を黒く染めたみたいだった。
悪魔と会うのは初めてだが、二人共、すぐに彼が悪魔だと分かった。悪魔は皆がそうなのか、纏う雰囲気が独特だ。冷たい氷が肌に薄い膜を張り、黙っていればそのまま心を抉られそうな。ひりつく空気が喉の乾きを訴え、アリアは知らず内にフウガのシャツを掴んだ。
「最近、この地区を与えられたんだけど、良いね、ここ。なんか昔さぁ、大掛かりな事しといて失敗した悪魔がいたんだって。知ってる?」
纏うその雰囲気とは相反し、悪魔は言葉を舌先で転がすように軽やかに笑う。フウガはその顔に冷静を貼りつけ、口を開いた。
「その悪魔の仇でも討ちにきましたか?」
すると、悪魔はきょとんとした一拍後、ケラケラと声を上げて笑った。
「そんなこと、わざわざするわけないじゃん!どこの誰かも興味ないしね。まぁ、ボクならもっと上手くやったのになー、くらいは思うけど。今回だってさ、大した邪魔もないし、ラッキーって思ってたのにさー」
唇を尖らせ、わざとらしくいじけた素振りを見せる悪魔に、「お邪魔でしたか」と、フウガが冷静な口調で答えると、悪魔はふふっと、肩を竦ませて笑った。
「まぁ、そうでもないよ。もうそれも出来なくなるだろうしね」
そう言って、悪魔は細く長い指をくるりと回す。その途端、空を覆う黒の中で雷鳴が轟き、稲光のような黒が、すぐさまフウガに向かってきた。二人はまだ空にいる。フウガは咄嗟にアリアを遠ざけようと、アリアの腕を掴んで自分から距離を取らせると、向かってくる黒を片手で受け止めた。握りしめたグローブの中、バチバチと突き刺すような光を放つ黒は、飛び散る光の切っ先で、フウガの心臓を抉ろうとするかのようだ。フウガはその力に押されるように地面へと落とされるが、地面が近づくとアリアの腕を放して地面に転がし、自分は地面に足を着けその場に踏み止まると、そのままグローブの手でその力を奪っていく。
「軽く見てくれたな」
「ボクの力を奪いきれる?あんた達、そうでなくても吐きそうなのにさ」
ケラケラと悪魔は笑い、舌なめずりをすると両手を突き出し、まるで糸人形を操るように指先を動かした。
アリア達が降りたのは、人の居ない公園から外れた、街灯の連なる住宅地の中だ。周りには、帰宅途中だったのか、すでに数人が倒れている。天界の者も居ない、既に体は黒に包まれており、心が奪われようとしているのが分かった。
助けなきゃと、アリアは倒れる人々へ足を向けた。
「ほら、よそ見してるから」
悪魔の声に、アリアと同様、周囲に目を向けていたフウガがはっとして視線を戻すと、フウガが掴んでいた黒い力が目の前で弾けた。奪いきれなかった黒が細かい粒となって散ると、それは宙で再び塊となり、後方にいたアリアに襲いかかっていく。アリアは倒れている人々を助けようと動いたところで、その背中は無防備だ。フウガが咄嗟に身を翻してアリアを庇おうとしたが、フウガの手に掴まれた黒の残りが、フウガの手を後ろ手に縛るように絡みつき、黒い体を伸ばしてフウガの体に這い上がってくる。
「え、」
アリアが振り返った時にはもう遅く、黒は網のように広がり、アリアを頭から飲み込んでしまった。
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